★昭和42年(1967)1月、私は仙台への異動となった。
まだ若干34歳だったが、名前だけは「仙台事務所長」としての異動だった。
カワサキの二輪事業がスタートしたばかりの頃で「実用車のカワサキ」の時代で、
東北6県が最大の市場であったころ東北の代理店から、「仙台に事務所を」と言う希望が出されて、
その会議に出席されていた岩城良三常務が「直ぐ創る」と即答されたという話は聞いたのだが、
まさかそれが私になるとは思ってもいなかった。
ただ「仙台に事務所を創れ」と言う会社の指示で、ホントに何にもない白紙の状態で、具体的なことは何一つ決まっていなかったのである。
★私にとっては初めての転勤だったが、
会社にしてもこんな指示をするのは初めてのことで、
誰も「具体的にこう」と言う指示などしてくれないのである。
仙台異動が決まってから、岩城常務がわざわざ私の席まで来られて、
「ご苦労だが頼むな」と言われただけなのである。
仙台には土地があるわけでもないし、
仙台のどこに、どの程度の事務所を創るのかも決まっていないのである。
仕方がないので、仙台の代理店、宮城カワサキに机を一つ置かして貰ってのスタートだった。
住む家だけは12月に出張で来て決めていたので、あったと言えば家だけである。それも勝手に探したので、庭付の一戸建ての平屋に決めたが、誰も文句は言わなかった。
★1月5日に餞別にと会社がくれたコロナのトラックで単身、明石を朝5時に出発し東京まで、
カワサキのカラーに塗ってあったがこんなトラックだった。
6,7日は東京事務所で東北販売課の会議があり、
8日の朝9時東京を出発して夜8時に仙台に到着、
明石-仙台1000キロの走行だったが、これが私の最初の単身長距離走行だった。
★担当地区は福島から青森までの「東北6県」
これはなかなか広大で仙台から隣の岩手の盛岡までが200km、
盛岡から青森が同じく200kmもある。
東北各地に大小の代理店があって、そこをクルマで走り回った営業だった。
関西で言うと「明石ー名古屋」が200kmだから、
兵庫・大阪・京都・滋賀・愛知の各県がある。
そんな広大な東北で約4年間クルマで走り回った営業だった。
そんなことで、私は免許を取ってから、ずっと「長距離走行」にご縁があったのである。
東北6県での運転歴は次回に。