★ 突然だが、こんなハガキが届いた。
明石高校創立100周年実行委員会がその記念に
明石球場で現役の野球部が中京と報徳との記念野球試合を行うので、
観戦に来られませんかと言うのである。
このハガキは明石高校野球部OBに出されたもののようだから、
我々の年代以下でも元気な人は観戦にやってくるかも知れない。
5月7日だからもうすぐの話だが、是非行ってみようと思っている。
★ 私は明石高校4回卒業で、野球部出身なのである。
これは昭和25年の夏、2年生の頃の甲子園出場の写真だが、
私の知る限り殆どの方がなくなってしまって、
いま生存しているのは多分同期の溝畑圭一郎だけだと思っている。
これはこの年の夏の予選で灘高を相手に完全試合をした時の
溝畑圭一郎とバッテリーを組んでた新納さんとの写真だが、
彼は5月7日にやってくるだろうか?
★ ところで明石球場はこんな立地にあって、
われわれが現役時代は殆どの練習を明石球場で行っていた。
途中に赤く塗っているのは、当時の我が家で、そこから高校に通い、球場で練習する毎日だった。
今は小さくなってしまったが、今でも「本家」はそこにある。
今の写真には住宅がいっぱいだが、当時はこの辺り一帯は家など殆ど建っていなくて、まだ農地が殆どだったのだが、変わるものである。
★ これは家から明石公園に散歩のときに撮った写真だが、
明石城跡からはこのように見えるし、
逆に球場側から見ると明石城がこのように見えるのである。
いま思うと懐かしい球場だが、
当時はの夏はサマータイム制で8時ごろまでは明るいので、
練習の最後のノックが始まるのがそんな時間からで練習が終わるのは9時過ぎだったのである。
今の高校生とは打撃のレベルなどは全然違うように思うが、
守備だけは毎日確り絞られたので大変だったのを想い出す、
私はショートをしてたので、守備の練習では一番ハードなポジションだったが、お陰で守備だけは結構自信があったように思う。
それもこんないい球場で練習が出来たからだと思っている。
当日は当時の仲間やちょっと下の後輩連中も来ると思うので、
お会いできるのが楽しみである。
★肝心の野球の試合は、25回戦の時の相手の中京商業と、
何故か報徳学園なのである。
我々現役時代は2年の時は優勝、3年の時は準決勝で報徳に4-2で敗れたのだが、決勝では報徳は「芦屋高」に敗れて、
その夏は芦屋が全国優勝したので、
いま思うと兵庫県のレベルは結構高かったのだと思う。