★1977年(昭和52)8月のことだから、もう50年近くも前の話だが、
私は当時カワサキの新規事業CKDを担当していて、東南アジアや世界の開発途上国の担当だった。
タイ・イラン・インドネシアなどとともにアフリカのナイジェリアでも二輪のCKDの話があってイギリス経由で単身ナイジェリアのラゴスを訪れていて、これが初めてのヨーロッパ訪問だった。
まっすぐにアフリカに行ったのではなくて、タイのバンコックにも寄ってからフランクフルト経由でロンドンに、
そしてイギリスではラゴスに事業を展開していたPZの本社のあったマンチェスターを訪問してからのアフリカだった。
約20日間の行程ではあったが、よく独りで行ったものだと思うが、
当時のカワサキの二輪事業はスタートの時期で、私だけでなくみんな世界が初めての経験だったのである。
ロンドンの空港では日本人だがバンコック経由と言うことで「怪しい」と思われたのか、徹底的に荷物の検査をされて1時間近く掛ったのである。
ロンドンではスタートしたばかりの英国カワサキの内田社長が迎えてくれて、たまたま土日だったのでロンドン見物などお世話になったりした。
マンチェスターのPZ本社では、勿論英語での会話だが、たどたどしい私の英語だが何とか話だけは出来たのである。
みんな一人旅で解らぬことばかりなのだが、第1の失敗がラゴス行の飛行機の搭乗だった。
ロンドンに空港が二つもあるなどとは全く思わずに、ヒースロー空港に行ったら、ラゴスに飛ぶ飛行機がないので、よく聞いてみたら、
ラゴス行はガトウイック空港から出ているということで、その日は乗れずに翌日の便になってしまったのである。
そんなことで当時ラゴスに単身赴任していた森田君はラゴスで二日続けて私の出迎えをしてくれたのである。
★アフリカのナイジェリアの首都ラゴスは当時は発展の最中だったが、
こんな町で結構な大都会なのである。
ラゴス島の中は綺麗だが、ちょっとはずれるとこんな状況で、
当時はクルマが大渋滞で1日おきに奇数と偶数の車番のクルマしか走れないのだが、
それでもこんな状態で森田君も奇数と偶数の車番の2台の車を持っていたのである。
ナイジェリアではPZとの方たちとの交渉がいろいろあったが、
140km離れたIBADANのPZの支店も訪ねたのだが、
一歩ラゴスを出ると、渋滞などは全くなくて快適ドライブだったが、
まさにこれがアフリカで、このような写真のままの風景で、
車は少なかったがどこに行ってもいっぱいの人達だった。
兎に角、子どもたちが多いのである。
「こどもは何人いるのか?」と聞くので「2人」と答えると
「なぜ2人しかいないのか」と不思議がるのである。
どうも「避妊」などの風習がないようなのだったが、今はどうなっているのだろう?
そんなナイジェリアのラゴスでの想い出だが、
このプロジェクトは結局実ることはないまま終わってしまったのだが、
当時すでに進出していたホンダさんはめでたく40周年・100万台を記録されたようである。
そんなナイジェリアでの経験なのだが、
なぜPZとの話が実らなかったのか?
そのあたりのことが全く解っていないのである。