★免許を取ってすぐに仙台時代の運転歴で長距離も走ったし、冬の雪道も経験したのだが、
そのまま明石の本社に戻して頂けるのかと思ったら。
昭和45年(1970)の秋から、近畿・大阪地区に途中下車で、
高槻に居を構えて、初めて自分で乗用車を買って、大阪まで通勤だし、
担当地区を車で走り回ることになったのである。
日記を見ると11月4日に中古車だがカローラ2ドア走行距離19000キロのクルマを195000円で買っている。
これが私の初めての自分のクルマである。
担当地区はこんな大阪を中心としているが、兵庫がなくて、北陸があるというオモシロイ地区だったのだが、
2年目には、兵庫も名古屋地区も担当となり、
3年目には、兵庫も東京も管轄下に入ったので、
大阪を拠点にすることもなかったので、7年ぶりに明石勤務となったのである。
★ この間も担当地区を車で廻ることも多かったが東京や北陸にはJRを利用してたので、
仙台時代のような車ばかりと言うこともなかったのである。
一番印象に残っている車の運転は和歌山の串本町で販売店の会合をやったことがあるのだが、
皆さん汽車で行ったのだが、どんな道なのか私だけがクルマで行ったのだが、
これは大変な行程だった。
まだ高速道路などない時代で、出入りの激しい海岸線の地道で、
この運転が「私の生涯の運転で最悪」のものだったことは間違いない。
いまなら多分高速道路が整備されているのだと思う。
そんな長距離運転の想い出もあるのだが、
ちょうどこの時期の最後の頃、三木に家を建てたので、
この時期以降クルマで40分ほど掛った通勤での車の運転が現役時代はずっと続いたのである。