「消費者行政の一元化を必ず実現させる」と
福田さんが力をこめた1時間後にギョーザ中毒事件の一報が飛び込んだ、という書き出しで新聞は、消費者行政なるかという特集記事を纏めている。
何のことかよく解らなかったが、既に1ヶ月前には入っていた情報が消費者には伝わらなかった。
そのような実態を 「役所や公の機関が、時としてむしろ 国民の害 になっている例が続発している。」と
施政方針演説に周囲の懸念を振り切って,「害」という強い言葉を盛り込んだというのである。
若しそうだとしたら、本件は福田総理に大拍手である。
日本の行政や政治、更には民間の経済活動も生産者、供給者に偏重していて、「消費者不在」の政策がずっと採られていたのである。
末端を無視して、まず保護の対象となったのは、生産者であり供給者であった。
日本独特の流通経路を作り上げ、顧客の満足という場合の「顧客」は、末端消費者ではなく流通業者団体を構成する流通業者や小売店を指す場合が殆どであった。
これは国が明治以来生産第一に偏重してきた姿勢に起因するものである。
それは確かに、戦後復興に大いに機能したと思っている。
これだけの経済大国になった今、
消費者行政と銘打って、国民から見て解り易い抜本的な対策をと言う。
私は大賛成だが、果たして民間も含め賛成するであろうか。
もっとはっきり言うと、言っていることがホントに理解されるであろうかと思う。
何故なら、それは 「現状の否定」、「発想の転換」 なのである。
私自身、二輪車という少し中央から離れた業界を長く歩んできた。
同じ自動車工業会でも、四輪とは異なり国の保護などは殆ど受けることなく、独立独歩で歩み続けた業界である。
そんな業界ですら、生産者であるメーカーのお客は昔は問屋レベルの代理店であった。代理店のお客は小売店であった。当然そうかも知れぬが、末端消費者への意識は低かったのである。
代理店がなくなって小売店が少し大きくなった今も、メーカーの直営販社が本当にお客は「末端の消費者」と認識はしているだろうか、
仮に認識していたとしても、その政策の中心は小売店に向いているのではと、思っている。
末端のユーザーととダイレクトに繋がり、消費者の満足に視点を集中して、その中間にいる業者はどんな機能を果たせばいいのか?
末端の消費者が多様化した社会の中で、ユーザーが求めていない機能まで一律に押し付けていないか?
流通の本質は、消費者が求める機能のみを手分けして果たせばいいのである。
カワサキは10年も前に、そんな機能別の小売店網に再編成しようとスタートしかけた。その一部がKAZEやライデイングスクールや部品専門店として残っている。機能別ARK構想であった。
「役所や公の機関が時として国民の害になった」と同じように、「流通機関の販社や小売店が時として、末端消費者の害になっていないか?」
総理がそう言っているのである。
民間も考え直す時期ではなかろうかと思うのである。
ネット社会になって情報などは、消費者まで同時に、むしろ消費者のほうが早く知るような状況になっている。
遅れているのは、政治家や、官僚や大企業の人たちの「常識となっている発想」である。
日本の主流を歩いている人たちの意識を変えないと、即ち「現状を否定しないと」、
「消費者行政」など口では言えてもなかなか実現しないのではと思うのである。
日本のメーカーの停滞を尻目にハーレーだけが、消費者を意識した方向に前進をした。
そのヒントを10年前にカワサキが与えたのではと思ったりする。
昨日、「ハーレー恐るべし」と言うブログを紹介した。
ビックリするほどのアクセスであった。
そのコメントの中で、取り上げられた末端の人たちのやり取りをどのように感じ、それに対しどのようにコメントされるのか。
言葉は柔らかいが、内容は痛烈であった。
私にはそう読み取れたが、そう思わずに読み流した人も多かったに違いない。
それを変えるのは、大変なことなのである。
福田さんの 末端の消費者に視点をあわせた「消費者行政の一元化を必ず実現させる」 という言葉を期待して見守りたい。