雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

私が持ってたヘリコプター

2008-12-16 04:30:34 | カワサキ単車の昔話
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私がまだ若かった1965年ごろ、もう40年も前のことになるのだが、
振り返って考えてみると、人生で一番自由に大きな金が使えた時期だったように思う。
カワサキの二輪車の市場もまだ国内だけで、単車事業をやるのかやらぬのかふらふらしていたのだが、
日本能率協会がいろんな調査をして二輪事業は『いける』という答申を出したのである。

そのきっかけになった理由の一つは、青野ヶ原のモトクロスの完勝で意気上がっていた現場の士気であった。
レポートに『現場のやる気』が明記されていた。
中村治道、高橋鉄郎さんなどの生産現場が動いたレースであった。


(カワサキワールドに飾られている記念写真、1~6位独占)

事業をやる条件に、『広告宣伝』を本格的にやることと言う条件があって、川崎航空機の中に初めて広告宣伝課が出来た。
未経験の分野だったが、それまでに償却計算のIBM化という会社でも日本でも珍しいことをやったという無鉄砲さを買われたのであろう、
『お前がやれ』と言うことになって、課は出来たが課長もおらず部長が課長を兼任で、まだ係長にもなっていなかったがその運営を任されたのである。

単車の売り上げが10億円、サラリーマンの年収が50万円の時代の1億2000万円は無茶苦茶大きな金であった。
これを3年間本社開発費で本社が予算をつけてくれたのである。
この広告宣伝のスタート時点の数ヶ月を手伝って教えてくれたのが、カワサキ自販の故小野田滋郎さんであった。
あのフィリッピンの小野田寛郎中尉の弟さんである。



1年目は、ただうろうろして7000万円ほどしか使わぬうちに過ぎてしまって、本社の常務に『お前らは金をやってもよう使わん』と怒られたりした。
これくらい大きな金になると使い切るのは大変である。
誰も経験者はいないし、広告代理店はああだこうだといってくるし、厚かましく自分ですべて判断して実行するクセはこの時期に身についたものである。


レースを担当したのもこの3年間である。
金は潤沢だったので、二十歳にもなったかならぬか解らぬライダーたちの契約金も結構弾んだ。当時のカワサキのトップライダーだった60おじさんには、確か120万円ほどの契約金だったと思う。

ヘリコプターも持っていた。当時明石でヘリはやっていて、下取りのヘリを広告宣伝費で購入して持っていたのである。

久しぶりに、60おじさんがブログをアップして、伊豆丸の山の全日本モトクロスでの写真や当時のレース界が紹介されているが、
これは丸の山の全日本にヘリでミスを運んで花束贈呈したときの写真である。
このヘリが『私の持ってたヘリコプター』なのである。



彼のブログには『当時すでに戸建ての家を持っていた』とあるが、確かに全日本で優勝したりはしていたが、優勝しだしたのはこの年からのはずである。
今から思えば、契約金など気前よくはずんだものだと思う。
みんな、本社開発費のお陰である。
ちなみに、丸の山の全日本の当日は東京オリンピックの開会式の当日である。

ヘリコプターはレースや、写真撮影や、営業の販促で地方に行ってお客さんを乗せたり、年中飛び回っていた。
私と一緒にレースもやってくれた大西健ちゃんの担当だった。
鳥取の砂丘の撮影に京都周りの夜行列車に乗って一晩掛けていったのに、帰りはヘリに乗せて貰ったら、明石まで1時間も掛からなかったりした。

他メーカーのライダーたちにヘリに乗せてと頼まれて、OKが言える立場はライダーたちと仲良くなる絶好のチャンスで当時のレース界のトップライダーたち久保和夫や小島松久クンたちと親しいのもヘリのお陰もあったのだと思っている。

ヘリコプターは、規定の飛行時間が来ると、車の車検のようなメンテナンスが必要である。
下取りのヘリだったので、購入価格は何百万であったが、そのメンテナンスは何千万の単位だったので流石に持ちきれず、このヘリを持っていた最後はFISCOの第1回の日本GPまでである。
GPレースをヘリで見たり、富士山を見に行こうかなどと、今思えば勝手なことをしていたものである。

私のレース担当も、本社の開発費もこの年までで、最高に金が自由に使えたウソみたいな3年間であった。


翌年からは、緊縮財政に戻って、私の後のレースを担当してくれたのが、故岩崎茂樹君である。
ライダーたちも歳森康師は4輪に転向したり、星野一義も彼の誘いで4輪の世界に移っていったのである。
金谷秀夫もカワサキからヤマハへ移ったのだが、みんなそれぞれ成功してよかったと思っている。

サーキットの上をカワサキで初めて走ったのは、山本隆だが、確かその1回だけであとは土や岩の上をカワサキだけで一筋に走り続けて、65歳になった今もまだ走っている、
60おじさんはやはりエライのかなと、最近また見直しているのである。
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世間は狭いのですかね

2008-12-15 04:19:32 | みっきぃふるさとふれあい公園
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今年の4月、『どこ竹の竹とんぼを飛ばそう会』という竹とんぼ講師養成講習会を開催した。
その代表者は一応私になっていた。

このイベントは、三木市の市民ふれあい部の小西さんや告野さんとも仲間として一緒に参加して頂いたのである。
この1ヶ月の間にその市民ふれあい部から『どこ竹の竹とんぼを飛ばそう会』代表者様との宛名で2通の書類が来た。

一つは昨日あったこんな講座である。
もう一つは、私のまちに新しくオープンした『さんさんギャラリーの運営に関する会議への出席依頼である。

セカンドライフ講座は所謂定年後をどのように過ごすべきかというテーマでの大学の先生の講義であった。
まあ大した話ではないだろうが、小西さんや告野さんからの依頼だから顔を立てないとと近くの新井さんも電話で誘って出席したのである。

話は結構面白かった。1時間半があっという間に過ぎたのである。
その内容はまたの機会に譲るとして、先生が仰るのにまず人と接し話をしてみること、『やってみましょう。隣の方と何でもいいからちょっと話をしてください』

3人座れるテーブルに真ん中を空けて二人座っているのが殆どであった。私の隣は、たまたま女の方であった。これはちょっと困ったなと思ったが、
こちらから切り出さないとと
『どちらからですか?』
『細川、増田です』
増田のゴルフでいつもお世話になっている池町先生も来ておられたので、
『池町先生のお近くですか?』
小西さんは、その細川町にお住まいなので、
『市役所の小西さんも細川ですが、ご存知ですか?』
『小西の家内です』

ほんとにビックリした。
『あなたは?』
『緑ヶ丘です。古谷と申します。竹とんぼで小西さんに、お世話になりました。18日にもさんさんギャラリのことでご一緒します。』

お隣の女性は、小西さんの奥さんだったのである。


4月の『どこ竹の竹とんぼ』の講習会でお招きしたひょこむの和崎先生が,
8万人ぐらいの規模の三木市ぐらいなら3人ほどの関係を手繰っていけば、全部繋がりますよと言われたのが、アタマから離れないのだが、本当に色々と繋がるものである。

今日の会合は50人ほどの集まりだったが、あちこちに挨拶をしなければいけない人がいた。不思議である。
お誘いをした新井さんが、『さんさんギャラリーで、ちょうちんを作っていますので』と言われたので、ここのあと見に行ったのである。



それから先は、このブログでご覧下さい。
これはなかなかいい話なのである。

子ども会の会長さんとも初めてお会いした。
今年からあのカバン屋さんが、東地区の代表者で副会長をされるそうである。
新井さんに聞いてみたら『どこ竹の竹とんぼ』からのお付き合いだそうである。


それにしても、小西さんの奥さんと隣り合わせにはビックリした。
女性は他にも沢山おられたので、ひょっとしたら告野さんの奥さんもおられたのでは、と思ったりしている。まさか。

今回は導入のオリエンテーションみたいなものであった。
1月2月3月と続くのだが、講座は大工塾、報道塾、歴史講座、NPOいろは塾である。
私も新井さんも小西さんの奥さんも一番人が集まりにくい『NPOいろは塾』なので、また来年お目にかかれることになる。

新井さんは、NPOは非常に関心がおありで、今活動しておられることをNPOにしてということも考えられているのである。そんなことでお誘いをしてみたのである。
忙しい日曜日の午後であった。
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武雄市のカレンダー

2008-12-14 04:45:53 | 樋渡啓祐さんのこと
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武雄の市長選は元市長の古庄さん(70歳)が立候補されたようである。

樋渡さんの前に2期市長を務められた方だという。
いよいよ選挙戦である。古庄さんがどんな方か全然解らないのだが、
樋渡さんに頑張って貰いたいと思う。

折角、三木ともお近づきになれたし、三木にも熱烈な樋渡ファンもいるので
そんな風に思っている。



ところで、年末になるとあちこちから来年のカレンダーが送られてくる。
kawasaki、全日空、ダイワハウスなどもあるし、近所のお店などからも色々と頂いたりする。

昨年もそうだったが、たった一つ当方から注文して送ってもらっているカレンダーがある。勿論郵送料込み有料だが金額は1部200円と郵送料である。
今年は2部注文したが全部で700円にはならない。

武雄市の総合計画がイラストに画かれた、普通なら作られはするが見られることはまずない総合計画が、家庭のカレンダーになって、一応は毎日見られるというコンセプトである。



ちょっと小さくて見えにくいが、こちらで見ていただくとこんな感じである。


昨年は、はたしてどんなものかとの興味もあって注文したのだが、
今年は、1年付き合ってみて、実用的に非常に具合がいいというか、役に立っているので注文したのである。

大きさはA4の大きさである。壁にも掛けられるが私はパソコンの大の前にたたんで置いてある。下を向くと目に入る位置である。予定やら色々、直ぐ手元において書き込んだりできるので重宝しているのである。

肝心の総合計画の内容は、例えば次のような項目が並んでいて、更に少しの説明が書かれている。何となくどんな市政を目指すのか解るような気がする。

観光資源の活用と広域連携
資源の循環
くらしの安全対策
収益性の高い、やりがいのある農業の確立
活力とやすらぎのある長寿社会づくり
男女共同参画の推進
食育の推進
防災対策の充実
美しく個性的なまちづくり
地域福祉の充実
子供が健やかに育つ環境づくり
生きる力を育む教育の充実
公共交通体系の整備
水の循環
子供を取り巻く地域活動の充実
生涯学習の機会と場の提供         などである。

2度出てくる項目もあるが、下に続く説明文が変わっている。

同じテーマだが、exciteのほうはちょっと視点を変えて書いてみた。
市長選挙の結果は今月28日に解る。
来年のカレンダーを樋渡市政の下で使いたいのは人情である。
是非、そうなるように樋渡さんにも、武雄の人たちにも頑張って貰いたいと思っている。

注文をする時、『何枚ですか?』と聞かれてつい『2枚お願いします』といってしまったが、特に2枚使う予定はない。
どなたか三木の方でご希望の方がおられたら、差し上げようと思っている。
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Kawasaki  マッハMACH

2008-12-13 04:38:42 | カワサキワールド
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『Kawasaki マッハMAHA』私たちがめざしたもの、それは「世界最速マシン」
と表紙に書かれた新書が送られてきた。



三樹書房の小林社長さんとこの本を纏められた小関和夫さんの挨拶状が添えられていた。本の製作に協力した人たちへのお礼の献本だということである。

Zやマッハの開発責任者であった大槻さんから、マッハの本の制作のミーティングがあるので出て来いとお呼びがかかって明石工場まで出て行ったことがある。
私はマーケッテングや販売第一線ばかりで、開発には殆どタッチしたことはないのでどうしようかと思ったのだが、大槻さんのお声がかりなので出て行ったのである。

2007年11月、約1年前の話である。こんなミーテングであった。

この1年前のブログにも、いろんなことを書いているのだが、
若しこの本の制作に、私が若し少しでもお役に立ったことがあるならば、勝手に
野村純一現チームグリーン監督を無理矢理引っ張り出したことぐらいであろう。

大槻さんからはレースのことなどと言われていたが、新販売網や開発途上国の新市場開拓に熱中していて、
この時期が一番レースから遠ざかっていた時期である。

ここにも書いたように、出席をしていろんな話が聞けたし久しぶりに会えた人もいて、結構楽しい1日であった。


この本について、少し触れておくと
第1章 カワサキ2サイクル黎明期 から
第7章 カワサキ2サイクルマシンレーシング活動 など

懐かしい写真満載で、確りと纏められている。
特にカワサキの単車事業のスタート時点の話は、実際にその中にいたのだが、あんまりよく記録がなかったのだが、本当に確りと纏められていているのである。

マッハの頃はレースから離れていたが、第7章は2サイクルのレース活動で纏められていて、カワサキコンバットの三橋実、金谷秀夫などのライダーや、メカニックの故松尾勇さん藤原良さんなどの記述もあって懐かしい。
カワサキが初めて鈴鹿を走った85J1モトクロッサー改造レーサーの写真も出ている。山本隆(60おじさん)が乗って3位入賞を果たしたカワサキの初のロードレーサー、85J1モトクロッサーマシンの写真もあってそのゼッケンNOは19とある。(60おじさん間違いないですか?)
当時、安良岡健が乗って2分50秒が切れなかった当初の125GPマシンの話などもあって、当時が偲ばれるのである。

この本は、12月10日、全国の書店で発売される。
定価は本体2800円とある。

それにしても1冊の本に仕上げるのに、1年以上も掛かるのである。
記録物は大変なのは良く解る。
このブログの1年前からの資料を集めるのも結構時間が掛かったのである。



直接関係ないのだが、
上にリンクした昨年のブログに寄せられたコメントでの山本隆君と私のやり取りは、清原明彦君がレーサーになれたきっかけの話などあって、面白いのでご紹介する。

Unknown (山本 隆)
2007-11-17 15:01:57

菅生でのMX GPで、ジュニアークラスに出走した清原は、確かなんかの理由で失格を言われましたね、トップでゴールしたのに!

清原をMXに誘ったのは、私ですよ。
松山のMXコースで1週間、F-11の量産車テストを依頼され、依野と一緒に応援した時に、誘惑しました。

その時、野村もいました、それから清原のレース人生が始まったんですよ。

Unknown (rfuruya1)
2007-11-17 20:15:29

山本君。
昔話もレースの話はまた格別ですね。
よりのは、その字でなくて従野孝のはずです。
そう言えば、清原より従野のほうがほんのちょっと早くモトクロスをやったかも知れませんね。
従野は片山のお母さんに頼まれて、カワサキのラインから入ったのをよく覚えています。
清原の仙台のレース確かトップで入ったのにダメでしたね。ほんのこの間のことのように思ったりします。

ところで、「はらだ」さんは、ご存知の岩崎茂樹君の関係で繋がりました。
今、チームグリーンとも関係があって、カワサキのレースを熱心にやっていられます。




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この2,3日思ったこと

2008-12-12 04:25:05 | 発想$感想
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世の中いろんなことがある。

法治国なので、決められた規則基準に従わねばならぬのだが、
本当にそれが一番いいのかどうかは甚だ疑問である。


三木市の議会を見に行ってきた。

こんな感想である。同じような感想のコメントも頂いた。
昨年と何の進歩もない。議会はやはり儀会であった。

感想の中で書いた『ビックリした』と言う数字は、三木鉄道の跡地整理の予算が、『10億円から12億円になる』ということである。 
マジかよと思った。
三木鉄道は年間6000万円の補助が問題だということで廃止になった鉄道である。
廃止の代りに路線バスの運行をするのでその費用と差し引きすると、年間4000万円の持ち出しなのである。市民病院の年10億円を越える額とは桁が違うのである。

その跡地利用に市民など、まあ言えば素人を集めて検討した寄せ集め案の顔を立てて、その案の実行に12億円も掛かるというのである。運営の人件費や維持費は入っていないのだと思う。
財政危機宣言下で12億円はどこからどうやって都合するのか?
この質問には市長は答えぬまま時間切れで議会は終わってしまった。

議会の一般質問とは、この程度の『小学生の学芸会』のようなものである。




『スズキの鈴木修会長が78歳で社長に復帰』がニュースである。

スズキさんとは、同業でずっとその業績や会社の経営を50年もヨコから見させてもらっているが、一度だってスズキの経営が揺るぐようなことはなかった。
ホンダやヤマハのような派手さは全然なくて、堅実そのものである。
今は何兆円もの売上高を誇る優良大企業だが、スズキといえば鈴木修さんである。
この方の経営方針が隅々にまで行き届いている。

民間会社でも株主総会や取締役会などの決め事などは当然あるのだが、
一番大事なのは、トップに立つリーダーの理念や基本方針、リーダーシップだと思う。
スズキは、今言われている世の中の危機も多分危なげなく切り抜けていくだろうと思う。

若し、鈴木修さんが市長だったら、三木鉄道跡の12億円、や三木市民問題などどうされるだろうかと思ったりした。
一番ハッキリしていることは、審議会や市民などの意見を聞くのではなくて、自分でどうすべきか判断され方向性まで決められるのは間違いない。
今回の社長復帰も周囲の意見などではなくて、ご自身の決断なのだと思う。



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高槻のええとこブログと48のコメント

2008-12-11 04:43:32 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
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つい先日、『ブログdeみっきぃ』 なるブログをアップして、『高槻ええとこブログ』は今も尚健在であると書いた。

このブログは確か一度中断の危機があって、市民の方の要望で復活をしたことは何となく知っていた。
やめると決まった時、たった一度だけコメントしただけなのに、私のところにもご挨拶のメールが届いたので、その律儀さが素晴らしいと印象に残っていたのである。
『今も尚健在』には私の中でそんな想い出があったのである。

このブログにnakagawaさんなるかたからコメントを頂いた。
クリックしたら、高槻ええとこブログがリンクされていたので、高槻市役所の方に違いないと勝手に決め込んで、また別に
こんなブログをアップしたのである。


高槻市役所に電話をして聞いてみると、nakagawaさんは役所の方ではありませんが、民間の方で『高槻ええとこブログ』には、深く関係があります、ということであった。
『高槻ええとこブログ』が生き残ったのは、2008年10月23日のブログに寄せられた48もの高槻市民の熱烈なコメントがあったのである。
nakagawaさんは、私のブログへのコメントの中で、こんな風に仰っている。
『ええとこブログの転換点は2007年の10月23日のブログ終了予告でした。その中に48のコメントがあります。みんなの思いが詰まっています。』

その10月23日の終了予告のブログと寄せられた48のコメントがこれである。


私はこの48のコメントを見るのは、初めてだが、
コメントの中には、nakagawaさんも、武雄のかいぼー先生もおられます。

こんな市民の熱意で、こんな経緯で『高槻ええとこブログ』は今も尚健在なのである。
市民参画、行政と市民の協働の本当の姿を見たような気がした。


たった2年間ほどでしたが、お世話になったことのある高槻が、素晴らしいなちに育っていることを嬉しく思いる。

私が物忘れが激しいだけでnakagawaさんとは、つい先日も『世界の人口』でコメントを頂いていました。
こんなnakagawaさんです。
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石川遼はタイガーウッズを抜くだろうか?

2008-12-10 04:23:43 | スポーツ
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石川遼。人気沸騰である。

ほんとにスターを呼ぶときは、クン付けなどはしないものだと思っている。
呼び捨てて言われるようになる。
それはスターになった証明である。とあるブログに書いた。

もう石川遼は、クン付けで呼ばれることが似合わない存在になりつつある。
現実に、呼び捨てにしている記事も散見されている。
当然のことながら、今年の新人賞に選ばれた。
もう一つMost Inpresive Playerにも、ゴルフの記者賞も合わせて3冠である。



最優秀選手賞には、片山晋吾が選ばれた。
日本で第一人者といえばやはり片山かも知れない。
然し、片山では『客が呼べなかった』

閑古鳥が鳴いていた男子プロは今年は様変わりであった。
今回の読売のトーナメントは観客であふれたし、テレビの視聴率も最高であったとか。
すべて『石川遼効果』である。

プロなんだから、客の呼べる面白いプレーを期待したいものである。
片山のあのきっちりとした神経質とも思える仕草もスコアを纏めるためには必要なのかも知れぬが、見ていて面白くないのである。

テレビもマスコミもみんな石川遼に注目して、片山について一つも触れないのが面白くないのは解るが、第一人者なのだからコメントぐらいはもっと石川に気を遣ってやってもいいと思う。
最優秀選手なのだから、それくらいの大きさを見せて欲しいものである。




それにしても、石川遼は凄く成長した。
私は勝手に、タイガーウッズの上を行くだろうと期待している。
今年の成績を見ると、平均パッとが3位である。
バーデイ奪取や飛距離でいいのは解るが、平均パッと3位、日本人では2位である。17歳の新人の成績とは信じがたい。
大きな可能性を秘めていると思っている。


ひょっとしたら、マスターズにもお呼びが掛かるかも知れないと、
産経の記事は伝えている。

『日本の男子ゴルフ界を”CHANGE”させた石川遼。「20歳までにマスターズ出場…」という夢はかなうのか…。

 最新世界ランキングが発表され、日本ツアー最終戦で5位に入った17歳の石川遼は前週の66位から62位に上がった。日本選手では34位の片山晋呉に次ぐ2位である。マスターズ出場は年度末世界ランキング50位までは無条件で、そしてマスターズ週の前週で50位にランクインしていれば、実力で勝ち取れる。年明け2月世界選手権シリーズの「アクセンチュア・マッチプレー」は64位以内とあって、出場が”決定”した。そこでソレナリの成績を残せば、ランクインも夢ではない。 来年、遼のマスターズの可能性、かなりあるかも…。』


私だけでなく、プロの選手がタイガーと比較して、石川遼を評している。

来年の石川遼クン、どんな活躍をするだろうか。
『クン』は多分、どの記事からも消えてなくなるであろう。




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ドンチャカ村で出会った人たち

2008-12-09 04:43:49 | 発想$感想
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先日ちょっとご紹介した、ドンチャカ村に行ってきた。

kakogawalionyaさんが主宰した『かえっこバザール』を見に行ったのだが、
案内をしてくれたのは、加古川に住む60おじさん(山本隆君)である。

『かえっこバザール』は初めての開催だったのに、こんなに盛況であった。


加古川の古くからの寺家町商店街の年末大売出しの集客イベントの一つとして企画されたのだが、
竹とんぼ教室や太鼓もあった。

『バナナの叩き売り』もあって、実物を見たのははじめてである。

口上も見事だし見ているだけでも面白い。ものの10分ほどで完売である。
一束200円が、途中で100円になった。終わりのほうはモノがなくなってきて、一束を半分にちぎってそれを100円。
値段は倍も違うのだが、文句の一つも出ないのが芸だろう。

昼は、明治30年創業の丸万で、うどんでなくて、加古川名物『かつめし』をご馳走になった。

写真は、案内してくれた60おじさんである。
お店が流行っているのか昨日の催しが効いたのか、満席でヨコに座っての順番待ちである。

これは『かえっこバザール』行ってきた子供たち、


そしてこれもこのイベントに参加している、南京玉すだれのご一行様。

『南京とアタマについているので、中国から来たと思われたりするが、発祥の地は富山』だそうである。
結構世界でも喜ばれていて、ハワイには5度も招かれたとか言っていた。

帰って調べてみたらその通りである。
ちなみに、バナナの叩き売りは北九州市である。
北九州市の行政のホームページの中にその説明が載っていた。


「バナナの叩き売り」も「南京玉すだれ」もグループの中に若い人たちが多いのに驚いた。
みんなプロではないが、興味を持って参加している人たちだそうである。
こんな風にして、日本の旧い文化が受け継がれていくのだろう。

若い人から、お年寄りまで、いろんな方とお話が出来た半日であった。


昨日とって来た写真です。雰囲気だけはお解かりになると思います。
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ブログdeみっきぃ

2008-12-08 04:28:04 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
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三木市の市役所のホームページなど開かれたりはしないと思うが、
その中に『ブログdeみっきぃ』もある。

役所のホームページの中に、幾つかのブログがあったりするのは、
ちゃんと調べたわけではないが、
スタートのの早い順で言うなら、大阪府高槻市ー佐賀県武雄市ー兵庫県三木市だろう。大概が首長のブログ一つが普通である。

お気づきかも知れぬが、仕掛け人は樋渡さんである。
高槻のブログの歴史はもうだいぶ前で、樋渡さんが高槻の市長公室長の頃からスタートしている。
ブログ部屋、高槻のええとこブログ』は今も尚、健在である。

武雄市のホームページは一見地味ではあるが、内容は充実している。
その中に、『武雄市長物語』を中心に幾つかのブログたちが展開されていた。
今ちょっと、その武雄市長物語はお休み中だが、武雄温泉楼門朝市などのブログたちは健在である。
今、一番上手くブログを使いこなしている行政だと言えるであろう。


わがまち三木市も、昨年2月、武雄市と人事交流などもして、
市長以下部長も含めて一斉にブログをスタートさせたのだが、
『新しいことに直ぐ取り組むが、長続きしない』のが欠点で、今残っているのはそのうちの幾つかだけである。

ブログと言う性格上、それは個人が発信するものだから、
『ブログはちゃんとした仕事の一つ』と認識するか、
『やってもやらなくてもいい、余分の仕事』と思うかという、気持ちの持ち方でその結果は変わったものになる。
どうも 『余分の仕事』 と認識されたのだと思うのである。

一方で、『情報の発信』や『広報』 は市の基本計画でも、重要課題として何度も記載されているのである。
この辺が、いかにも日本的、お役所的である。


この『ブログdeみっきぃ』もそのスタートは同じ昨年2月である。
広報部門の広報部門のJJと称する人たちで立ち上げられたのである。

もう1年以上も前のことだが、あまり更新頻度も多くないので、そのことを指摘すると、
『他の仕事が忙しいものですから』という答えが戻ってきた。
広報の人たちは、その経験の有無は別にしても、現在はそれで給料を貰っているプロである。
他のどんな仕事が忙しいというのか、まさしく認識の問題なのである。


1年経って、
現在の『ブログdeみっきぃ』は、その記事の内容も、取り上げ方も、取材する態度も、当時とは一変してプロといえる領域にあると思っている。
最近の三木の出来事は殆ど網羅されているし、行事イベントの類もこれを見ていたらすべてが解るレベルにある。
『自分たちの重要な仕事』という気持ちの持ち方がその記事にあふれている。
『お役所仕事の域』は超えていると、私は思っている。
ちなみに、1年前はこのようなものでした。


三木市のホームページには、『みっきいふるさとふれあい公園』というサイトもある。
ここに生き残ったブログや、新しい企画なども、集められている。
これは、広報の人たちではないので、あまりきつくも言えないが、
発想はいいのだが、まだ『仕事としての取り組み』にはなっていない。
『もう一息』なのである。

基本的に、広報のトータル戦略の問題だと思っている。
『広報が全軍を指揮する』そんな時代が、いつになったら三木に来るのだろうか?
武雄も樋渡さんは、『広報で武雄を引っ張ってきた』と思う。

三木の一般のブログたちには、樋渡さんが注目されるレベルのものが幾つもある。
『よそのまちの市長さん』はそれに気付いて取り上げたりなさるのに、ーーーと思っている。

三木の広報の『ブログdeみっきぃ=広報部門』がもう一段飛躍して、三木の全軍を引っ張る気概を見せて欲しいと思っている。
『広報活動』とは、
その職位などには関係なく『三木』を代表して、『全軍(三木市役所ではありません。三木全体を)』をリードする高次元の活動であることを認識して頂きたいと思います。

JJさん、広報の皆さんかんばって下さい。
広報は『基本コンセプト』に基づいての活動ですから、そうなって当然です。



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100年に一度の危機は絶好のチャンス

2008-12-07 05:06:22 | 発想$感想
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今の世の中は、『100年に一度の危機』と麻生さんは仰っている。
確かに、アメリカの自動車産業も壊滅の危機と言われている。

『大変だ、大変だ』と言いたがるのが、世の中の風潮である。

民間の会社の年頭挨拶には常に『厳しい環境』は使われていて、楽観的な表現など、バブル景気のときでさえ聞かれなかったものである。

私だけが楽観的なのかと思っていたら、
池田信夫さんと言う立派な先生が、
不況は創造的破壊のチャンス』とそのブログで仰った。

その通りだと、こんなブログでフォローした。


世の中で『大変だ、危機宣言だ』と言う人に限って、
宣言はするが、その対策は、大変な割にはいつもと同じ『改善の積み上げ』しかやらないように思う。
ホントに大変なときは、そんな対策の積み上げでは、決して効果は上がらないのである。

危機宣言は、それを切り抜ける対策を考えるのではなくて、
出来なかったときの言い訳の道具であるように思えてならないのである。

危機を招いた、構造的な欠陥を創造的な破壊で『新しい仕組みの構築』に挑戦する気概を見せて欲しいものである。
池田信夫さんの言っておられる内容は難し過ぎてちゃんと理解できないが、
カンと今までの経験から、この対応は正しいと思っている。

世の中には、そんなに大変なことは少ないのである。
みんな解決できる程度のことである。

戦争に敗れ焼け野原になった東京も、阪神大震災の神戸も、みんな以前より立派になって甦っている。

確り頑張れば、世の中が破綻してしまうようなことはない。
是非、『絶好のチャンス』だと思って欲しいのである。

100年に一度の危機は。
アメリカにも、日本にとっても、
100年に一度の絶好のチャンスなのである。

日本の場合は、是非この機会に政治体制も、発想も根本的に見直して『新しい時代』に対応して欲しいのだが、
何か『旧い時代に戻る』ような画策しか出来ないのは寂しいことである。
政治家は、国よりは自分の身のほうが大事なのであろうか?

もっと、身近なところでは、わが町、三木の市民病院問題もどうもその対策に迫力が感じられないのである。

結果がどうなるかは別にして、
大阪の橋下さんや
武雄市の樋渡さんには、『新しいチャレンジへの魅力』が感じられるし、それをフォローする若手の首長さんも、地方にはぼちぼち見え始めたようにも思える。
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後期高齢者の新しい知識の程度

2008-12-06 04:31:19 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
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毎日、見させて貰っている『大西宏のマーケッテングエッセンス』は、私にとって貴重な情報源である。
私も75才。後期高齢者といわれる年代だが、同年代に比べて、幾らかは新しい知識も持っていると思うのは、このような情報源のお陰である。

そのネーミングの通りマーケッテングに関することが多いのだが、
あまり新しいことにはついていけないこともしばしばである。

昨日は『なにのランキングでしょうか?』ということだった。


その記事の中で、
「ユニクロ」の11月の国内既存店売上高が前年同月比32.2%増と
百貨店、スーパー、専門店を問わず衣料品の販売不振が深刻になるなか、ユニクロの快調ぶりが突出している。
30%を超える伸びは、ほぼ7年半ぶり。来客数も25.7%の大幅増で、客単価は5.2%上昇した。通信販売を含む月間の全店売上高は過去最高を記録した。

と伝えている。これくらいは殆ど完全に理解できるのだが、
その横にあった H&M となると、もう何のことか想像もつかなくなるのである。

H&M とは、こんなことなんだそうである。

このコンセプトは面白いと思った。
H&M お陰さまで相当のところまでインプットできました。


さて、本題は、
『なにの ランキングでしょうか?』 である。
このように書かれてある。

さてこのランキングはなにのランキングでしょうか。

1位 スリムウォーター”コントレックス”
2位 花畑牧場 生キャラメルセット
3位 オリジナル microSDカード 2GB
4位 コアリズム「日本語吹き替え版」
5位 禁断のスイーツ福袋
6位 NETSTAR デニムレギンス
7位 ダウニー 129oz3.83L
8位 メダリストプラスとケア用品2本
9位 自慢の金賞ワイン赤6本セット
10位 ハリー・ポッターと死の秘宝

ワインやハリーポッター、生キャラメルは何とか解るが、他は何のことかさっぱりである。
ましてや、なにのランキングかと聞かれても解るはずもない。

答えはこんなことである。
楽天の通販総合ランキングのトップ10である。
名前も知らないのだから、買えるわけもないが、
これがトップ10だとすると、世の中では名が通っているということである。


後期高齢者の知識など、所詮はこの程度かと思ったが、悔しいからご紹介してみた。
皆さん方には、『こんなの常識』 だったのでしょうか?





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人口減少社会、少子高齢化とは

2008-12-05 04:13:03 | 発想$感想
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先日、『人口減少化のまちづくり』 というフォーラムに出て、いろんなことを聞いてから、関連するいろんなことに関心を覚えて、あちこちと調べている。

別に、研究をしようというわけでもないし、ただ単に検索をしているだけだが、
今の検索は本当に良く出来ていて、百科事典などの比ではない。
何でも関連するものが出てくる。
詳しすぎて、全部はとても見れないが、関連して全体像ぐらいは把握できるのである。


まず、人口減少化というが、確か日本の人口は明治以来のこの100年で急増しただけである。
増え過ぎているのではないか?

『日出ずる国と昔より、世に名も高きわが国は、四面を海に囲まれて、人口わずか5000万』

これは、私が子供の頃、父が口ずさんでいた唄である。
明治32年の生まれだから多分明治40年頃の唄だろうと思う。
なぜか、よく覚えている。



『日本の超長期推移』というグラフを見つけた。
これで見る限り、日本が人口1億を越えたのはホンの一瞬の出来事なのである。

それでも世界は、こんなスピードで人口が増え続けているという。
このサイトを見ているだけでも面白い。

お上が作ったのかと思ったら、管理人はこんな人だった。

詳しくて全部はとても見切れないが、人口の減少をこんな風に解析している。

《 日本の少子化、人口減 》
●日本の人口は1億2777万人。毎日2975人が産まれ、2992人が亡くなる。
 (H18年総務省&厚労省)
●日本は赤ちゃんが少ししか産まれず、07年から人口減少と推測されていたが、
 05年前半から、人口減少が始まった。
●人口が減ると、結果的に経済力も落ちるので、問題なんだ。
 国の借金、保険、年金なども、より厳しくなる。
●子供を、安心して産み育てる環境作りが、うまく進んでいない。
●高齢者の社会参加、外国人受け入れ、EU的な広域国際協力などが考えられる。
 


『●でも、人口減は交通や電気ガス水道など公共投資が少なくてすみ、環境破壊も減る。
●ペストや寒冷で人口が4割も減った15世紀のイタリアは、その後、生産性が向上して、
 ルネッサンス文化が生まれたと言われるし、日本の江戸時代中期も、飢饉で人口減少した後に、
 生産技術向上で、文化文政時代の文化につながったと言われる。
 つまり、変化に合わせて、工夫を続ければいいんだ。
 
●フランスも出生率が下がりましたが、思い切った政策で、
 94年の1.65から05年1.94、06年2.005まで回復させました。 』

とある。この資料の中にもあるが、世界の中で日本の1億2千万という人口は第10位である。
ドイツ(82百万)よりもずっと上だし、フランス、イギリスの倍ほどもある。

然し、その国土は、そんなに大きくはない。
ロシヤ、カナダ、中国、アメリカなどの国土が大きいのは知っているが、
名も知らない国がいっぱい並んで、日本はドイツと同じ60位の位置にいる。

更に、その国土は、森林が殆どで宅地面積、所謂まちはごくごく僅かである。

森林の減少が、世界的に問題になっているが、これは開発途上国のことで、
先進国では増えているなどとは、知らなかった。


『人口減少社会のまちづくり』 は 『いかに上手に縮めるか』 だという
『コンパクト化』 がキーワードだが、これはある意味、日本のような小さい国土の中では、逆に面白いのかも知れない。

狭い国土のなかで、更に集中して過密化で暮らすこと、利便性から少し離れて、
『生きる』ということの価値をもう一度見直してはと思ったりする。

ネット社会になって、別に東京にいなくても、会社でなくても、情報は取れる。
むしろ、バタバタしていない年金生活者のほうが、いろんな情報は集まってくる。
とそう思っていたが、その逆もあった。

全然、解っていないのである。 その話は、明日アップします。
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カワッキーさんのブログ と 藤井敏雄君の思い出

2008-12-04 05:21:34 | カワサキワールド
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カワッキーさん。 お会いしたことはない。
京都にお住まいであったと思う。
なぜ、出会ったのかよく覚えていない。ヨシケンが絡んでいたかも知れない。

ひょんなことで『ひょこむ』のトモダチになった。
ひょこむのカワッキーさんのトモダチを見ても、レース界の人たちの名前が並んでいる。

なぜ、こんな貴重な写真をお持ちなのかは、よく解らない。
ほんとに昔々のカワサキが登場するのである。
みんな貴重な写真である。
安良岡健さんやTeam 38 も登場する。

こんな旧い懐かしいカワサキのマシンやライダーが登場する、ブログを書かれている。



今回は、藤井敏夫君とその当時の125GPレーサーである。

マン島のプラクテイスで転倒、それが元で亡くなった。
私のレース担当時の一番の痛恨事である。

当時ライダー契約は担当していたが、なぜカワサキに来ることになったのか、その経緯は知らない。
彼は城北ライダースにいて、久保和夫君の紹介でモーターショーの時に初めて会った。11月だった。
翌年の1月に、明石で契約交渉をしている。

ライダー契約ではなくて、GPレーサーのマシン貸与契約であった。
本人が強くそれを望んだ。ヨーロッパを自分で転戦して、秋の日本GPまえに帰国するのでそのときに、ライダー契約をと言うことになっていた。

マン島でなくなってしまったので、結局カワサキのファクトリーライダーとしての藤井敏夫君は実現しないままに世を去ってしまった。

カワッキーさんは私のブログにたびたび登場すると紹介されているが、
ブログ本文に藤井君のことを記載するのはこれが多分始めてである。
スズキの中野さんが纏められている『日本モーターサイクルの夜明け』の中の記事の中に、
私や大槻さんの文章が載っている

そこに、詳しく書いたので、ご関心のある方はどうぞ。

そのスズキの中野さんとの出会いは、
、『カワサキ、デグナーの想い出』に中野さんからコメントを頂いたことで始まっている。

藤井君の遺体は大槻さんがマン島で送り出し、私が羽田でお迎えした。
中野さんが、マン島でそのお手伝いをするように指示されている。
そんな経緯が細かくコメントに綴られている。


考えてみると、藤井君もデグナーもスズキさんからだったし、
当時、山本、歳森、金谷、清原、とカワサキのファクトリー契約ライダーが所属していた神戸木の実クラブは、スズキの契約ライダー片山義美君が主催していた。
スズキさんとは、何となくレースの世界でご縁があるのだと思う。


カワッキーさんが、懐かしい藤井敏雄君の写真をアップしてくれたので、改めて纏めなおしました。




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じげまちドンチャカ村2008

2008-12-03 04:44:40 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
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『じげまちドンチャカ村2008』の大きなチラシが送られてきた。
加古川一番街じげまち(寺家町)商店街の年末大売出しのチラシだが、イベントいっぱいの大売出しなのである。

この商店街の副理事長さんのkakogawalionyaさんが、昨年からずっとやりたいと言っていた『かえっこバザール』がやっと実現しそうである。

kakogawalionyaさんは、60おじさんのファン代表みたいな方で、バイクにもイタク関心があり、去年も今年も三木のON ANY SANDAでお会いしたりしている。
昨年の秋からは、ひょこむのオトモダチでもある。

そんなkakogawaliomyaさん、
念願の『かえっこバザール』が今度このイベントの中でも初めて行われるのである。



かえっこバザールとは、子供たちのこんな楽しいイベントである。

私の町、緑ヶ丘では昨年初めて実施して、今年からは「おおきまき」で毎月開催されるようになった。
そんなことで、みどりまつりの時に、加古川からわざわざ見学に来られたりしたのである。

そんな関係で、今回チラシまで送っていただいたのである。
折角だから、『ひょこむ』にコミユニテイでも立ち上げたらと昨夜けしかけたら、
早速開設されたのがこれである。

コミユニテイの中は、予想以上に盛況である。
ひょこむの管理者の『こたつねこ』さんも参加されたしもう6人になっている。
コメント、書き込みも寄せられて、今後の展開が期待できる。

『ひょこむ』のトモダチの皆さん参加してあげてください。
加古川の近くの方、是非出かけてみてください。

けしかけた責任上ちょっと広報のお手伝いをしている積りである。

本来は、商店街の年末大売出しなのだが、
沢山あるイベントの中で、『かえっこバザール』は一番力が入っているようにも思います。

当日は、私もそっと覗いて見ようと思っている。
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構想日本

2008-12-02 04:30:47 | 発想$感想
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先日、あるフォーラムに参加した。

新しい自分の発想がある方との出会いは楽しいものである。
それが刺激になって、自分でもいろいろと考えるきっかけになる。

土曜日以来ずっと、何か考えている。
考え続けるということは元来好きだった。
現役のときなども、一つのことを延々と考え続けたものである。
久しぶりにそんな楽しい時間を過ごしている。

ブログにそれが現れている。
地域再生ソリューション
人口減少社会のまちづくり
構想日本もみんな繋がっているのである。

その中で、構想日本はフォーラムには直接関係はなかったのだが、頂いた資料の中の小冊子を家に帰って読んでみて、大いに共感しているのである。


その小冊子に書かれてある一つ一つの表現が的確である。
これはこの会の代表者の加藤秀樹氏が素晴らしいのだと思う。

加藤さんは京大ー大蔵省ーそして退官。あの東大紛争で東大入試がなかった年次だそうである。

その考え方は、小冊子の中に明確にか述べられている。
こんなところに共感しているのである。

『最近日本の政治家もマスコミも個々の政策テーマについてはいろいろ議論しますが、それらの政策の全体像として「どんな世の中にするのか」という重要なことが議論されなくなっています。構想日本が描く世の中は日々の生活を安心し安定して過ごせる社会です。
更にそれを官ではなく自分たちが中心になって行うことが重要です。
日本中の地域が活力を取り戻すそれこそが日本の繁栄です。』

『政治は私たちの生活や暮らしを良くするものでなければなりません。政治家や官僚に任してしまわず、私たち自身のこととして問題提起が必要です。』

『政策を具体的に作るには問題の本質の分析、制度化の設計など、専門家の参加が不可欠で、熱い志と専門知識を持った強力な「専門家とのネットワーク」が肝要です。』

『政策提言を行う団体は構想日本だけではありません。然し提言だけでは政治は変わりません。私たちのキャンペーンは結果を出すための重要な仕事です。』

熱く高い理念を持ち、提言し、提言だけに留まらずにその実現に向けての仕組みシステム、専門家とのネットワークといった基本コンセプトが素晴らしいと思う。

この構想日本を支える人たちが、末端の企業であり個人であることも素晴らしいと思う。

識者の何人かがこんな風に評している。

『今の日本にもっとも欠落しているものが情報力です。といっても特別のルートで情報をとるということではありません。日常の仕事の中で得る一片一片の情報が何を示しているのかを読み取る賢さが今の日本には欠けているのです。だからこそ鋭い問題提起を続けている構想日本を応援します。』

「身近な小さな情報を見逃してしまう」この指摘には100%共感したい。
みんな見逃して折角のチャンスを失い続けているのである。

『加藤さんには志気がある。志気とは中国人が大志を抱く逸材について語るときの言葉だ。加藤さんが取り組んでいるのは日本の改革などではない。それは世直しだ。』

こんな識者の言葉を待つまでもなく、1冊の小冊子の中にそんなことが読み取れて人を引っ張る迫力がある。
引っ張られることが、何か快感のようにも思える。

直接フォーラムとは関係のない「小さな情報」かも知れぬが、見逃すには勿体ない大きな情報のようにも思っている。
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