ライズ外伝

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古代道(松戸市内候補)

2022-03-14 | 名所


二十世紀ヶ丘の『いちご公園』に残る標識

松戸方面から大橋を通る道と

市川方面から常盤平(金ケ作)へ向かう道の交差点(辻)

ここが下総国府と常陸国府を結ぶ

『古代東海道』ではないかと推測される






道祖神の猿田彦と月山と湯殿山の石碑があり

秩父と坂東の文字が読める

けどこの辺は区画整理されているので当てにはならない

秩父は武蔵国、坂東は常陸国







北総線の矢切駅の裏道からが

(松戸と市川の市境の道は狭いけど)

ここが『古代東海道』有力候補

20世紀ヶ丘の郵便局辺りまで続く


20世紀ヶ丘は区画整備され道が一旦消える

再び『陣が前』から『南部市場』裏の細い道へと続く

この道は 『御鹿 ( おしし ) 狩 ( がり )』 の時の『御成道』ともいわれる







八柱駅の周辺に『白鬚神社』と『徳蔵院』がある

その近所に【内海道(うちうみどう)】という小字名が

公園に残っている

これがかなりポイントが高い





公園からは徳蔵院が見える位置

春木川・国分川が流れ、この辺まで海だったとも言われる

内海とは『香取の海』を指し、今の東京湾側に対して呼ぶらしい

香取の海は、霞ケ浦と手賀沼と印旛沼を足したくらい大きく

海の入り口には鹿島神宮と香取神宮が祭られている


東京湾は市川の前まで海だったので今とは地形が全く違う

いつ頃変わったのかがまだはっきりしない

その時にルートが変わったのかもしれない

この辺の想像力が難しい









将門の逸話が白鬚神社にあり、将門に襲われたってことは

この日暮村周辺は朝廷の領地だったのではと推測する

徳蔵院も同じ敷地内だったとも言われる

ここも『茜津驛』の候補地

徳蔵院の創建が平安時代なのか戦国時代なのかがあいまい







白鬚神社の西側に
金毘羅様と水神様が祭られていた

『船と水』に関連あり

徳蔵院に移転されて石碑だけ残る

白鬚神社の猿田彦は道の神様


八柱までは『鮮魚街道』と同じルートで

八柱から栗ヶ沢までは御成道と同じ

高木村で馬橋村からの印西道と交わり

逆井、藤心へと進む








下の囲ったのが『白鬚神社と徳蔵院』

上の囲いが『茂呂神社』

少し離れるが茂呂神社は『延喜式神名帳』に「下総国葛飾郡 茂呂神社』と記されている

流山と船橋にもあるが、この道が官道だとすれば本物の可能性が高くなる

小金原エリアも区画整理され昔の道は消える



このルートの問題点は

香取の海を渡るのか?回避したのか?というところ

回避したとなると呼塚の方を通る

海を渡るなら藤心・塚崎から船

手賀沼周辺は島が多かったと推測される

そして大井は将門が独立国を創る計画があったとされる地

岩井には将門神社やゆかりの寺がある

この辺が腑に落ちない所


柏市塚崎の『神明社』が伊勢神宮と関係が深く

『相馬の御厨』ではないかと推測されている

我孫子の湖北に群衛と御厨があり、『於賦(おぶ)驛』の有力候補地となっている

神社の創立が戦国時代らしいので怪しい

ここから水戸街道の方を周って行くのは不自然


やはり香取の海の形はどうだったのか?

ルートはそれに尽きるのかな

以後柏を調査


























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