1970年、ジェフ・ベックは新メンバーをリクルートし第二期に当たるジェフ・ベック・グループを始動させる。
ただ残念ながら1971年のRough And Readyと翌年のセルフ・タイトル、Jeff Beck Group(通称オレンジ・アルバム)の2枚を出して解散と短命に終わる。
ジェフによれば自身の思い描いたアルバムの完成度にバンドが到達していないてなことだったらしい。
最初にコージー・パウエルが骨折のためバンドから抜ける事に、そしてボーカルのボブ・テンチとベーシストのクライブ・チャーマンらが解雇され、代わりに元バニラ・ファッジのリズム・セクションのティム・ボカートとカーマイン・アピス、それに新しいボーカリスト、キム・ミルフォードが加入しツアーを行うも、ボーカルの実力の足りなさに解雇されボブ・テンチが再度加入。
ツアーが終了するとボブとキーボードのマックス・ミドルトンが脱退し出入りの激しい事に、結局残ったジェフ、ティムとカーマインの3名によってBBAの結成に至る。
ブッカー・T・アンド・MG’sのメンバーだったスティーブ・クロッパーがプロデュースしたこのオレンジ・アルバム、オイラとしてはジェフのギターは勿論のこと南部志向のブルージーさも漂い中々いいアルバムだったと思うのだが… なんで解散しちゃったのかな?
てな事でこれまた短命に終わったBBA後は、ジェフはソロ活動に勤しむことに。
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