CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

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GET BACK セッション, 続き

2015年09月10日 | BEATLES-BADFINGER関連
助手:前回の記事で、ゲットパック・セッションの概要はよくわかりました。ところで、GET BACKのシングル( B面:DON’T LET ME DOWN)のレーベル面にBEATLES WITH BILLY PRESTONと記載されていますが、これはどうしてですかね?

博士:ジョージやポールはビリーがグループに与えた影響を高く評価していたし、リンゴも GET BACK とDON’T LET ME DOWNは最高の出来だったと述懐し 間接的ではあるが ビリーを認めていたため、バンドとして彼に対する敬意を表する意味で特別に彼の名前が記載されたのだと思うのじゃ。

ビートルズの場合、メンバーの4人とプロデューサーのジョージ・マーチンやエンジニアらのサポートで、ほぼすべての基礎となる音源は制作出来たのじゃ。それ以外のストリングス、ホーンそしてインド楽器の演奏など外部のミュージシャン達に関しては、参加した曲に対する貢献の度合いや彼らがレコード会社と専属契約に縛られる存在ではなかった理由から、彼らの名前が記載されなかったと思えるのじゃ。

少ないケースではあるが、著名なミュージシャンがビートルズのレコーディングに飛び入り参加したケースもあるのじゃ。

例えば、ストーンズのブライアン・ジョーンズが、YELLOW SUBMARINEでバック・コーラスに参加しYOU KNOW MY NAME ではサックスを吹いていたり、ミック・ジャガーとキース・リチャードらがALL NEED IS LOVEでバック・コーラスに参加したり、エリック・クラプトンがWHILE MY GUITER GENTLY WEEPSでギターを弾くなどのケースがあったのじゃ。

しかし、彼らの名前の記載がなかったのは、レコード会社の契約の関係で、覆面で参加せざるを得なかったからじゃよ。

まあビリーの場合は、当時キャピトル・レーベルからアップルに専属契約で移籍していたのでBEATLES WITH BILLY PRESTONと記載するのは契約上全く問題がなかったわけじゃ。

助手:なるほど、あくまでこのGET BACKのシングルに関しての特別な配慮というわけですね。

博士:そうじゃと思う 。アビー・ロードからシングル・カットされたSOMETHINGやLET IT BE のシングルでビリーは演奏しているにもかかわらず、ビリーの名前が、レコードのレーベルに記載されなかったからのう~ 

助手:著名なミュージシャンがレコーディング・セッションに参加したとなれば、その記載がレコードの宣伝になるけど、ビートルズの場合は当時彼ら以上の大物はいなかったからその手の宣伝なるものを、特に必要としなかったのですね。

博士:もしこのブログにも著名人が寄稿してくれれば、宣伝となり閲覧数も飛躍的に増えるのだがのう~

助手:著名人とはコネがないし、地味頁さんやどこのリッ チーか判らないリッチーさんでは閲覧数を増すには荷が重いみたいですね。

博士:よし! わしは博士タローと改名し、情熱大陸、いや違った、情熱ホルモン(関西系の焼肉レストラン・チェーン)のテーマでも作曲し有名になってやろうではないか。

助手:関西系のノリで行くんでしたら、やっぱり“浪速のモーツアルト”と言われるキダ・タローさんを模倣して、“浪速のモツある”で有名な”一気だ!タロー”は如何でしょうか?

博士:おおー なんと素晴らしいホルモンつながりのダジャレの響き!


あれ? どういうわけか、日本の初回シングル盤のレーベル面にはBEATLES WITH BILLY PRESTONと記載されていませんね。


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