CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

奥義暇つぶしの術、EP盤とコンパクト盤

2020年03月14日 | 特になし

昨日サイモンとガーファンクルのシングル盤を探していたら更にこんなのも発見!

(331/3回転だから、片面2曲分約8分強ならある程度の音質を維持して収録できるみたい)

日本独自企画の7インチ、331/3回転のコンパクト盤と称される片面に複数の曲が収録されているレコード。その親戚にEP盤なる規格が存在し、しばしばコンパクト盤と混同する場合が多い。

EP盤はExtended Playから来ていて、厳密に言えば通常のフル・アルバムよりは短くまたシングル盤より収録時間が長い物とされ、回転スピードは45で、レコードのサイズは7インチもしくはそれ以上のサイズとされる。

EP盤で有名なのは1967年イギリスで発売されたビートルズのマジカル・ミステリー・ツアーのアルバムだ。モノとステレオの二種類で、2枚のEP盤に写真付きの豪華ブックレットは初物だった。

(2012年の再発盤、オリジナルは高くて手が出ない)

(EP盤、45回転)

日本でも同様に発売されたのであるが、コンパクト盤として発売されたので331/3回転の仕様であった。

(1992年の再発盤、以下同文)

(コンパクト盤、331/3回転)

7インチのレコードに収録可能な時間は曲調によって違うが大体5〜8分ぐらい。だからマジカル・ミステリー・ツアーのEP盤の場合、片面最長5分程度の収録時間で下記の様に組み合わせられた。

1枚目のEPは、Magical Mystery Tour 2:48 Your Mother Should Know 2:33トータル5:21、裏面はI Am The Walrus 4:35のみで、2枚目は、Fool On The Hill 3:00 Flying 2:16 トータル5:16、裏面はBlue Jay Way 3:50。

ただ、45回転で5分をかなり超える曲だと内周歪みによってカートリッジがトラッキング・ミスを引き起こしたり、内周での線速度が遅いことから溝に刻まれた情報量が外周部と比べれば少なくなり全体的にバランスが取れなくなる。当時音質にうるさいビートルズ物としてはこれが限界だったのかも。穏やかな曲調のFlyingなんかは、内周側にカットしてもそれほど問題はないのかもね。

日本の場合、当時の物価からしてフル・アルバムがかなり高価だったことから、アルバムが買えない層にお試しと言う価格で4曲入りコンパクト盤を既に普及させて来たので、収録時間にやや余裕のある331/3回転をマジカル・ミステリー・ツアーEP盤にも同様に採用したのではないかと想像する。

その後デジタル録音などが普及し、高音質のシングルやEP盤を出すなら10インチや12インチのサイズが採用された。

と知っていたところで大して役に立たない話を書き綴ってしまった様な...

これぞ奥義! 週末行く宛のない暇人のなせる技。


いつかわかるさ

2020年03月14日 | CCR and John Fogerty

昨日サイモンとガーファンクルのシングル盤を探していたらこんなのも発見!

1972年5月に出たCCRの最後のシングル盤、Someday Never Comes。彼らの最後のアルバムであるMardi Grasからの2枚目にカットされたシングルでもある。

歌詞をちょろっと眺めてみると中々含蓄のある内容で….

作者のジョン・フォガティによると、かって幼い頃両親の離婚の記憶があり更に当時自身が築いた家庭も同じ道を辿り、更にバンドやレコード会社とのトラブルなんかの追い打ちが重なって出てきた重苦しさを歌にしたらしい…

Someday Never Comes

First thing I remember was askin' papa, "Why?"

For there were many things I didn't know.

And Daddy always smiled, took me by the hand,

Sayin', "Someday you'll understand"

俺が一番に思い出すのは、何で?って父親に聞いた事

沢山の事こと知らなかったからね

そうしたら、いつも笑いながら手をとって

いつかわかるって言うんだ

 

Well, I'm here to tell you, now each and every

mother's son

You better learn it fast, you better learn it young,

'Cause, "Someday Never Comes."

ところで、教えてあげるよ、今母さんっ子の俺がさ

早く学ばなきゃってね、 若いうちにね

だって、いつかなんて来やしないからさ

 

そっ、そっ、そうか!

Let It Beだ〜ってのんびり構えてちゃダメなんだ、だってSomeday Never Comesだから。

確かに今更ではあるが、もっと真面目に勉強しときゃ良かったなんて思う今日この頃。

反省の日々を送っている次第で…

レーベルは以前のリバーティーからファンタジーのデザインに変更

 

 

 

 


50年後の私

2020年03月13日 | S&G and etc.

1970年3月、ちょうど50年前に日本で発売されたシングルがこれ。

サイモンとガーファンクルの大ヒット曲、Bridge Over Troubled Water。

当時1970年の、こんにちは〜♪てな平和というか結構能天気な歌も流行ってた頃だっけ。

あの頃はまだ丸刈り頭の中坊で、将来何になるかなんて全く考えもしなく、あまり悩みもしないでただその日その日を楽しんでいた様な….

あれから50年、昔の方が良かったなんて事は言わない。当然今の方が生活するには便利なのは間違いないから。

けど、50年経った今、毎朝電車に揺られて通勤の際、はたして未知のウイルスに対する防御効果があるかどうか判らない使い捨てマスクを常時着用し、誰かが咳をしないかと常に耳をそば立てながら少しばかり恐怖を感じる自分がいるとはね。

誰かドツボに落ちない様、安全な橋掛けてくれないかね?

ビルボード・シングル・チャート1位を数週間に渡ってキープした、そして1970年の4月頃それにとって代わったのがビートルズのLet It Be。

むむ〜、もう橋なんかあてにしないで、開き直ってなすがままに!てな神の御啓示て事ですかね?


プログレ道って厳し〜!

2020年03月12日 | PROG ROCK

ロック、フォーク、ポップス、ジャズに歌謡曲と結構聴くゾーンが広い。

本日はプログレでも、と手にしたのはカナダのプログレ・バンド、ラッシュの1980年の通算7枚目のスタジオアルバム、Permanent Waves。

当時このアルバムが出るまでラッシュの存在は知らなかったのは不覚だった。

プログレ・サウンドに親しむには、何度も聴き返し曲の構造や展開を把握し曲のキモとなる歌詞を理解する。それらを実践することによってジンワリと味が出てくる場合が多く理解出来るまで結構時間を費やすことになる。

すなわち日ごろの反復聴き込みと言う厳しい鍛錬の上に成り立つのである!

しかしこのアルバム制作に於いて、レコード会社がバンドに特別な要望を伝えた。

それはすなわち私のような厳しいプログレ修行の道から落ちこぼれたひ弱な者を救済するというコンセプトがあったかどうかは定かではないが、今までのアルバムに収録されていたプログレ・バンド特有の長尺の曲だけでなく、ラジオ番組でオン・エヤー出来るよう比較的短く且つ親しみ易い曲を今回収録する事。

その結果、一度聴けば印象に残る、The Spirit Of RadioやFreewillのような曲が誕生したのだった。

なるほどなるほど、ラッシュってこんなバンドだったんだ! 

そんな事情もつゆ知らず何気に過去のアルバムを辿っていくと、これまた難解のオン・パレード。

ゲロゲロゲロ。

今では老化現象による集中力の低下によって腰が引けてしまって、時間をかけて聴き込んで行く事は更に骨が折れる。

むむ〜、ここはクールファイブの“思い切り橋”でいいかな?

ここは長崎〜、ここは長崎〜 おもい〜っきりぃ〜 ばぁぁし〜♪

と演歌に逃げてしまう私であった。

これもFreewillって事で。


レコードが一番だってば!

2020年03月11日 | LED ZEPPELIN関連

いつもなら、アクセス数の少なさに耳をすませばブログ内を通り過ぎる風の音がかすかに聞こえるかもしれないこのヘボ・ブログ。

それがどういうわけか、ここ数日活況で賑わっているではないか!

やっと苦節5年目でこのブログにもようやく春がやって来たのかと思いきや、どうも様子がおかしい。

何故ならアクセスが集中しているのが過去記事の2件で、一つは2年ほど前にアップしたビーチ・ボーイズのアルバム、Pet Soundsのジャケ裏に謎の侍の写真が!なる内容と、もう一つは4年前にアップしたZeppの名曲、天国への階段が某バンドの曲に似通った箇所が?てな記事。

何でこれら2本の埃を被った記事だけ急にアクセス数が増えたのか全くもって不明である。

まあ、個人的な趣味と暇潰しから生まれたこのブログ、筆者の実力から判断して大ブレイクは期待しないものの一人でも多くの方に読んでいただければモチベーションアップにも繋がるので、一時的な現象だとしてもこの場を借りて皆様に厚く御礼申しあげたい心境である。

と、結構前フリが長くなってしまったので、ここらで今日の一枚でも…

と取り出したのが、天国への階段括りでZeppの1971年の4枚目Led Zeppelin IV。このブログで以前登場しているのでアルバムの解説は省略。

本日手に取ったのは日本盤16P1-2026で、これはフォーエバー・ヤング・シリーズと銘打たれた1988年の企画物による再発盤で、お値段なんと千六百円でした。

このレコード発売当時から結構売れたので、1988年再発盤ともなればオリジナル・マスターのスンバラシイ音とはかけ離れてるんだろうな〜 

でっ、リマスターCDと比べてみると再生音が何となくぼやけた感じがして…

まあ、リマスターCDは雑味を取り除き音圧をあげて収録しているので同じレベルで再生すれば確かにクッキリと聴こえる。

そこのお父さん! 今使ってる安物のレコード・プレーヤーが良くないんだってば!

そっ、そっ、そうかな〜?

最近出た新しいの買ってアンプのボリュームを適度に上げて聴けば、たとえ再発盤でもレコードの方が絶対いいって判るから。

そっ、そっ、そうかな〜? 

そっ、そっ、そうだってば!

それじゃこれ買ちゃおうかな? 

そこでふと我に帰る。聴力の劣化した私のような年寄りに微妙な音の違いは判らない!

某大型家電量販店のオーディオ・コーナーでセールスマンの催眠術に危うく掛かってしまうところだった。

危ない危ない。

じゃカートリッジだけでも買っちゃおうかな?

それも、危ない危ない。


ぎっくり腰にディスコはご法度!

2020年03月10日 | AMERICAN ROCK/POPS

事務所のデスクの周りの床が、紙屑、ステープラーの針や消しゴムのカスなど散らばり少々気になったので、事務所のミニ箒を借りて清掃。

とその時、グキッ!

やっちまった! 膝を曲げてゆっくり屈めば大事に至らなかったのだが、時既に遅しぎっくり腰発生! 

学生時代に運動クラブに所属していた時に腰を痛め、今だに同じ箇所を何かの拍子に痛めてしまう。

一度やらかすと癖になって、その都度整形外科に行ってマッサージを受けたり、整体や針なんかも試したけど、仕事の関係で続けて通えない。

そうこうしてるうちにある程度時間が経過すると、あら不思議! 何となく痛みが引いて行くのがいつものパターン。

今回もそうやって痛みが引いたのだが、痛みのある箇所をかばいながら体を動かしてきたその反動なのか、その左隣の箇所がまたまた痛み出した。

体を捻るたびにズキっ!とくる。

こんな時は静かに椅子に座って体を動かさずレコード鑑賞に限る。

レコード棚をカサカサ捜索していると、かなりの年月の間お目にかからなかったレコードが飛び出す。

ディスコの女王、ドナ・サマーのベスト・アルバム、On The Radio,Greatest Hits Volume I & II。

1975年カサブランカ・レコードからメジャー・デビューし6枚のスタジオ・アルバムとライブ盤1枚をプロデューサーだったジョルジョ・モロダーの手を借りそれぞれヒットさせた彼女だが、その後ゲフィン・レコードに移籍することになった。

そのためカサブランカから最終アルバムとしてその在籍時代を編集したベスト物が1979年に出たこれ!

今一度聴くと懐かしいメロディーに若かりし頃の当時を思い起こしてしまう。

とは言え、ぎっくり腰の身、リズムの載せて体を動かすのはご法度。

あれから数十年の月日を経て、ぎっくり腰の老体の身に今出来ることって、何かHot Stuffを患部に添え当てて安静にし、No More Tear(Enough is Enough)ってぐらいですかね。

(Hot Staff)

(No More Tears)

ところで、ドナ・サマーって2012年の5月、御齢63歳の若さでお亡くなりになったのですね。

全く知らなかった。

合掌


ちょっとなに言ってるのかわからない。

2020年03月08日 | JAPANESE

チューリップと言えば、60年代末ごろ青春真っ只中で、プロテスト・フォークに興味があったお方々ならフォークの神様と呼ばれた岡林信康氏の歌う放送禁止歌“チューリップのアップリケ”を思い起こすかも知れない。

それとも、小学校時代土曜のお昼になると学校から飛んで帰り吉本新喜劇に夢中になったお方々から、70年代の中頃から20歳未満禁のパチ屋よく通った私のような人間なら、思い起こすのは間寛平の1975年の大ヒット曲“ひらけ!チューリップ”を思い起こすかも。

何しろ、ウィキによると100万枚突破のスーパーシングルだったからね。

てなことは全くない!

やっぱり、チューリップと言えば、1972年頃にメジャー・デビューした和製フォーク・ロック界の雄チューリップで決まり。

本日は、1976年に出た7枚目のオリジナル・スタジオ・アルバム、Melodyでも。

リーダーの財津和夫氏はビートルズ、特にポール・マッカートニーの影響を受けた作品がしばしば見受けられたが、7枚目のアルバムとなるとそれらの影響は既に消化済みで独自の和製フォーク・ロックのスタイルを確立し、そつのないアレンジはほぼチューリップとして完成の域に到達していたと思う。

特にこのアルバム、ポール得意の安易な組曲形式のギミックもないし、一曲一曲丁寧に作られていると感じるね。

メロディーや歌詞は、日本もしくは日本人らしい情景をよく映し出している。例えば10CC張りのファルセットを使った洋風ロッカバラードの“ともだちのあなただから”も歌詞を眺めると日本人らしい切なさに溢れているいるではないか!

ちょっと、そこのあなた! いつもと違って真面目に書いてるような… きっと何か隠し事が?

わかりました? 実はチューリップで70年代中頃となるとやっぱりパチンコ台のチューリップを一番に思い起こす口で…

どうもすいません。

当時はスロットなんか台に組み込こまれていなくて、ひたすらチューリップをめがけて打ち込む感じ。奥義の2連流しが連続で決まった時の爽快感たら…

奥義と言えば、学生街の雀荘なんかで仲間内で麻雀を楽しんだことも。

奥義、メイトに乗れば安上がり! 2巡目までのリーチのみ、鳴きたん、トイトイ、速攻1枚目での風牌鳴き などなど安上がり専門で…

ちょっとなに言ってるのかわからない!

それじゃディランのプロテスト・フォーク“時代は変わる”でも聴いてちょっくら反省でも...

プロテスト・フォークなら“チューリップのアップリケ”の方がいいんじゃねぇ?

 


土曜日の公園のように

2020年03月07日 | Chicago

待ちに待った土曜日の朝。

朝早く起きてあの満員電車に乗らなくても済むのはウイーク・デーをしっかりと勤め上げた何よりのご褒美。

とは言え皆様に誇れるほどの大した仕事をこなしているわけでも無いが。

その悪魔のような満員の通勤電車も、ここのところそれほど混んでいなくすこぶる快適である。例の伝染病対策として時差出勤が奨励され大手の企業を中心にそれが実施されているのだろう。

それは私の周りでも。

ある得意先が始業時間を30分ずらして9時半に変更したと聞いてなるほどと納得。

もしこの期間限定のドリルがそれぞれの日々の生活に影響がないのであれば、一連の問題が解決した後もぜひ続けていただければなんて自分勝手なことを思い描いたりしている。

願わくは、現在の困難が素早く解決され早く元に戻って欲しいと…

 

(1972年のシカゴの大ヒット曲)


そんな時代もあったねと… その2

2020年03月06日 | CCR and John Fogerty

ジャケを飾るCCRのメンバーが扮するジャグバンド、ウイリーとプアーボーイズがディープ・サウスのとある鄙びた街角にあるグローサリー・ショップの前で演奏。

私の大好きなアルバム・ジャケで、中身の音楽と見事シンクロしていてなかなかの雰囲気を醸し出している。

1969年に出た彼らの通算4枚目のオリジナル・アルバム、Willy And The Poorboysは同年に出した3枚目のアルバムでもあり、なんとそれら3枚が全てマルチ・ミリオン・セラーで、アルバムからのシングルを次から次へとヒット・チャートに送り込み、1969年は彼らにとって人気絶頂期だったと言える。

(トム兄貴の笑顔がなんとも言えずよろし〜)

(邦題はクリーデンス・ロカビリー・リバイバルとバンド名を文字ったものが採用された。まあ、何と無くわからないでもない)

翌年さらに2枚のミリオン・セラーのアルバムを出すも、1972年駄作とも言えるアルバム、Mardi Grasを出した後まさかのしり切れとんぼのような解散するとは夢にも….

さらに追い打ちをかけるように、その後はメンバー間で訴訟合戦を繰り広げることに。

Willy And The Poorboysのジャケットにはまだ和気あいあいに見えるメンバーの姿が収まっている。

ジョン・フォガティーがもしこのジャケットを今眺めれば、何を思うだろうか...

まさか、そんな時代もあったねと〜♪なんて歌うのかな?

(懐かしのリバティー・レーベル)


そんな時代もあったねと…

2020年03月06日 | JAPANESE

本日は御本家登場。

中島みゆきの1976年5月に発売されたデビュー・アルバム、“私の声が聞こえますか”に収録されている“時代”の一節で有る。

シングルでは一足早く前年の9月に“アザミ嬢のララバイ”、そして12月のポプコン・グランプリ獲得の“時代”で既に全国的に人気を確立。

重苦しい内容の歌詞を淡々とした歌唱でサラッと歌い上げる芸風に引き込まれた。

あんな時代も あったねと♪

いつか笑って 話せるわ♪

私の人生、失敗や失望なんか結構あったけどね、ホント今じゃほとんど笑い話。

 


こんな時代もあったねと… その2

2020年03月05日 | PROG ROCK

この曲を初めて聴いたときはぶっ飛んだ。

オランダのプログレ・バンド、Focusの1971年のセカンド・アルバム、Moving Waveに収録されていたHocus Pocus、邦題は悪魔の呪文で邦題としては久々にイメージがピッタリ。

さらにその高速バージョンが有るとのことで手にしたのが、1973年の彼らのライブ盤、At The Rainbow。

(本日はアメリカ盤でも。当時サイヤー・レーベルから発売された)

これを聴いてスタジオ盤の倍以上ぶっ飛んだ記憶が….

タイス・ファン・レールの人間離れしたヨーデルには、こちらもア〜ア〜ア〜ア〜ギャ〜とつられて狂気のハモリについ参加してしまう。

ヤン・アッカーマンの早弾きのギターが冴える高速Sylviaもいい〜

あれから47年経つ。

若き日のように大音量で聴けば吹っ飛びそうになるが、流石にそれは自重しなければならない。

高齢化した体は高速化されたHocus Pocusにはもう付いてはいけないのだ。

(オランダ盤のジャケ、二つ折りのゲートホールド・タイプ)

 

(お馴染み、英盤と日本盤は三つ折りの変形ジャケ)


こんな時代もあったねと…

2020年03月04日 | JAPANESE

1975年に河島英五とホモ・サピエンス名義でメジャー・デビューしたときのアルバム、人類。

当時の記憶は定かではないが、確か私の兄が友人からが貸してもらったのがこのレコード。

その頃 ロックばっかり聴いていて和モノはほとんど聴かなかったし、興味もあまりなかったのだがこのアルバムの曲に関しては何となく断片的に記憶している。

(懐かしいベルボトム・ジーンズ)

(これまた懐かしい!フレヤーのパンツに厚底のシューズ。河島英五は確か背丈が180センチ以上あったから、この手の厚底シューズを履くと巨人に見えたのではないか?)

特に“何かいいことないかな”、“てんびんばかり”それに“さよなら”のこれら3曲のメロディーだけは歌えなくとも未だに覚えている。反対に酒と泪と男と女という大ヒット曲が収録されていたのにも関わらず、この曲はお酒のコマーシャルの印象が強い。

若干23歳だった河島英五が同世代もしくはそれよりも下の世代の若者の心の中を代弁しているかのようで、独特の歌い回しで且つ力技で押さえつけるような歌唱が当時新鮮だった。

あれからちょうど45年、今再びこのアルバムを手に取り聴いてみて、改めて非常に示唆の富む内容だと思った次第。

例えば、人生の後半に当たるこの歳になると、もちろん正確には分かりはしないものの、この先人生どう転ぶかある程度見えてくるわけだが、“何かいいことないかな”の歌詞の通り不思議なことに未だに何かいいことないかと何かを探している自分がいる。

大きい小さいは別にして人類の欲望ってやっぱり死ぬ一歩手前まで続くんだと….

(和モノ・フォークなのにレーベルは何故か洋楽が専門のエレクトラ・レーベル)


名前は小川だが侮る事なかれ

2020年03月03日 | West Coast Rock

1979年オーストラリア出身のリトル・リバー・バンドの最大のヒット・アルバム、First Under The Wireが発売される。アルバム・チャート全米2位となり 、前作Sleeper Catcher 同様ミリオン・セラーを記録しプラチナ・アルバムを獲得。

サウンド的には強いて言えばアメリカ西海岸の香りを含んだ非常に親しみやすいAOR路線かな?

(それにしてもキャピトルのパープル・カラーのレーベルって本当に地味!日本におけるリトル・リバー・バンドの認知度と同じくらいか?)

これだけの成功を収めるとアメリカのマーケットを重要視しアメリカ移住となるのが定番であるが、彼らは活動の基盤はオーストラリアで、このレコードもオーストラリアのメルボルンで録音されたそうな。

まあ当時彼らがアメリカに移住して税金対策をしようなどと考えたかどうかは定かではないが、少なくとも自分たちの出身地を誇りに思っていたことは間違いない。アルバム・ジャケットに記載されたProduced In Australiaという表記がそれを物語っていると言える。

(誇り高きProduced In Australiaの表記)

名前は小川だが侮る事なかれ、流れる水は後の大河の一滴になる。

なるほど、これを言いたいがため、否!

これを飲みたいがため。

ご明察! 先ほど近所のスーパーにティシュ・ペーパーを買いに出掛けた際ついでに買ってまいりました。

麦焼酎、大河の一滴。

それにしてもティシュもトイレット・ペーパーも売り切れってどうなのよ!

運よく最後の3個残ったお徳用パック一個なんとかゲット!

それにしても1箱四百円もする高級ティッシュはいくらかの売れ残りがあり、買い占めと言っても誰しもやはり高級品には二の足を踏むセコさが売り場に漂っていたみたいで….

どうせ買い占めるなら高級ティシュも全部まとめて買い占めろって!

その方がかえって清々しく感じるのだが....


ウェス・モンゴメリー のRoad Song

2020年03月02日 | JAZZ・FUSION

CTIのクリード・テイラーとタッグを組んだウェスのイージー・リスニング系ジャズ・ギター三部作の最終が1968年のアルバム、Road Song。

Fly Me To The MoonからビートルズのYesterdayやI’ll Be Back、そしてS&GのScarborough Fairとフォークの名曲Where Have All The Flowers Gone?など親しみのあるメロディーのてんこ盛り。

リラックスできてドライブのお供にぴったり。

ドン・セベスキーのアレンジするオーケストレーションと絡み合うウェスの爪引く華麗なギター・ワークを今一度楽しもうではないか。

しかし残念ながらこれを残してそれほど時を経ず彼はあっけなくこの世を去ってしまう。

続編もっと聴きたかったな〜

 


オールマンがドゥービーに改名?

2020年03月01日 | Southern Rock

メンバー間の意見の相違あるいは対立により1976年解散に追い込まれたオールマン・ブラザーズ・バンドは、1978年に再結成を果たし翌年のオリジナル・スタジオ・アルバム、Enlightened Rougeを出すも所属レコード会社だったキャプリコーン・レコードが倒産。

そこで新たにアリスタ・レコードと契約を交わし活動を続行。そして1980年にアルバム、Reach For The Skyをそのアリスタから発売。 

(オン・タイムでレコードは購入しなかった。2008年に紙ジャケ化された時に即お買い上げ)

アリスタと言えば、70年代コロンビア・レコードの社長として大成功を収めたクラウス・ディビスが背任の疑いで解任され、その後彼はコロンビア映画の傘下だったベル・レコードのコンサルタントに就任し、それを土台に設立された新興レーベル。

ベルは、オズモンズ、デビッド・キャシディーやトニー・オーランド・アンド・ドーンなどらお茶の間ポップ・アーティストらが在籍、そして新レーベル設立後もバリー・マニロウ、メリサ・マンチェスターやベイシティー・ローラーズなど同様にポップ路線のアーティストが数多く在籍。

そこでコロンビア時代の昔取った杵柄とでも言えば良いのか、レーベルの間口を広げるためロック路線も拡充。アウトローズ、キンクス、アラン・パーソンやルー・リードらと契約を結んだ。

オールマン・ブラザーズとの契約もその路線に沿ったものかと….

芸風は初期の泥臭いブルース色は薄らぎ、大ヒット・アルバム、Brothers And Sistersあたりのポップ路線を狙ったものですかな? 

ただキャプリコーンのような南部のレーベルと違って、ニューヨークを拠点とするアリスタの垢抜けたイメージから全体的に売れ筋ポップ路線での制作が不問律となっていたのか、演奏や歌唱にやや軽さを感じ、聴きようによってはドゥビー・ブラザーズのような雰囲気が。

もちろんこの業界売れてなんぼの世界なので、頑なに己のスタイルを通そうとしても結果が伴わなければ契約は切れる。

このアルバムからシングル・カットされたオールマンらしさが無い軽快なロックンロール・ナンバー、Angeline。

ディッキー・ベッツとこのアルバムの共同プロデューサーであるマイク・ローラーとジョニー・コッブが曲作りに加わっていて、なんとしてもヒットに繋げたいレーベルの意向が見え隠れしないでも無い。

しかし私としては、このアルバムがオールマン・ブラザーズにそぐわないなどと言う否定的な見解は持たない。

この過渡期の時代があってその後のバンド活動に繋がって行くわけだから、これはこれで彼らにとって必要なアクトだと。

それに先入観なしでこのアルバム実際聴いてみてれば、オールマンードゥービーなかなかよろし〜と思うのであります。