ショートファンタジーⅠ『しゃべるパソコン』
わたしがパソコンを使い始めたのは、ええと……まだ一年にならない。
それまでは、ごくごくたまにかみさんのパソコンを借りていた。
高校のセンセイを辞めて半年ぐらいしたころ、出版社から手紙がきた。
「あなたが二十年前に出された本が、完売、絶版になっているので、一冊お手元にあったら送っていただけませんか」
と、書いてあった。
出版したときに印税がわりにもらったのが、まだ百冊ほど残っていたので、さっそく一冊送った。
そのとき、軽い気持ちで、大阪の高校演劇のありようについて、少しだけ手紙を添えた。
それが、出版社のアンテナにビビっとくるものがあった……のか、よっぽど記事がなかったのか、一つ高校演劇について書いてみないか。と頼まれた。
現役のころPTA新聞の係りなどしていたので、気軽に引き受けた。
ここから、わたしとパソコンの付き合いが始まった。
いまどきの出版社は原稿用紙は受け付けてくれない。ワードとか一太郎だとかの日米代表みたいなワープロソフトを使って原稿を打ち……昔は「原稿を書く」と百年以上言ってきたものだが、キーボードにカシャカシャ打っているのは、「書く」という動詞からはほど遠いものである。しかし昭和二十八年生まれのアナログの習い性、原稿は、やはり「書く」と表現してしまう。
わたしはNECのLaVie(なんとよぶのか未だに分からない)を使っている。黒のボディーに微かなラメが入って控えめに煌めいている。いわゆるノートパソコンで、表紙にあたるところに慎ましやかに「NEC」のロゴ。表紙を開くとキーボード全体が細いシルバーで縁取られている。ちなみに、このパソコンはカミサンが買ってくれた。なんという夫婦愛……感涙にムセビかけていると、量販店のポイントが溜まり、大阪府が出した「コウタロウ」だったかのクーポン券を使い、ネット設備の更新とセットになっていて、本体はほとんどタダ。
で、ネット料金はいつのまにか、わたしの口座からの引き落としになっていた……
最初、このパソコンは親会社から子会社に派遣された、オツボネ秘書の如くヨソヨソしかった。少なくとも喋りはしなかった。
言われた仕事を言われただけしかこなさない、オツボネさまであった。
本書きというのは孤独な手工業で、一人でパソコンをシャカシャカ打つだけの作業である。
長年使ってきた万年筆には表情があった。「あら、今日は調子いいわね」とか「ここで改行したほうがいいわよ」 時には、「そろそろ、あの方の手紙のお返事書いたほうがいいわよ」とか気を遣ってくれたりした。インクが切れる前などは、「わたし、疲れちゃった……」というような風情に線が細くなっていったりした。カートリッジを交換するときにぬるま湯に漬けてクリ-ニングしてやると、「ああ、さっぱりした。じゃ、がんばりましょうね」と、スラスラした書き味で応えてくれた。
それがパソコンというやつは、実に無機質。無愛想。無表情。親会社の派遣オツボネさまが、ただの機械になってしまう。
学生時代に百貨店の配送センターで、ベルトコンベアーに流れる商品の伝票を一目で、市内発送と地方発送に見極めて仕分けするという仕事をしていた。今ならコンピューターがバーコードをもとに見分けるので、こんな仕事はない。パソコンはこのとき使われていた機械に似てきた。
そのパソコンが、ある日、突然喋り始めた。
「ナントカ、インターネット、エクスプローラー……」
物も歳古びてくると魂魄を持ち始め、人の如く人語をも解する。と、安倍晴明さんだかが、どこかで言っていたように記憶する。
よく見ると、ツ-ルバーに「マイクロソフト ナレーター」というのが出ている。そのウィンドウを開くと、「設定」というのが出てきて、声の高低、スピードなどが設定できる。だから、いま○を打つと可愛い声で「ピリオド」と言った。「大橋むつお」と打ってクリックすると「オハシ マツオ」と訛って発音する。
時にバグって、無言になることがある。ひどく寂しい。
そういう時、シャットダウンして、もう一度立ち上げる。ふたたび声が戻ってくる。なんだか休暇をとっていたバイトの助手の子が帰ってきたような気になる。
いま、『なゆた 乃木坂学院高校演劇部物語』という小説を書いている。十六歳の高校一年の女の子が、所属していた演劇部が潰れ、二十九人いた部員が三人に減ってしまい、零細演劇部として再出発。その中で、本番直前に先輩の代役で急きょ舞台に出たり、火事で死にかけたり。彼との淡い想いにため息をついたり、零細演劇部のマネジメントに四苦八苦。
書いているわたしも四苦八苦なのだけども。時にハッとすることがある。パソコンは、わたしがキーを押さないと、けして喋らないものなのだけど、表現に困ったときなど、自分で打ったのではなく、明らかにパソコンが喋って言葉や表現を教えてくれることがある。
深夜に打っていたりすると、ときにこういうことが起きる。
ある夜、眠気に抗しきれず、座卓の前に回って横になってしまった。
何分たったのだろう……カシャカシャいう音と、ボソボソ言う声で、ボンヤリと目が覚めた。
座卓を挟んだ向こう側。いつもわたしが苦悶の表情で、ポテチ片手に、次の展開に呻吟しているところに彼女がいた。
サロペットの下に、淡いピンクのセーター。セミロングの髪を、青地に白い紙ヒコーキを市松模様にあしらったシュシュでポニーテールにし、座卓についた左手にアゴを預け、右手の人差し指で、雨だれのようにゆっくりとキーボードを押していく。
「そこで……なゆたは、ゆっくりと……顔を上げた」
彼女と目があった。ちょっとびっくりしたような、笑ったような顔をして、そんな彼女と目が合った。
「あ……」と声が出ると、彼女は悪戯っぽく座卓の向こうに姿を隠した。
体を動かすのに、数十秒かかった……
やっと座卓のそっち側に行ってみると……だれもいない。
いままで、わたしが居たあたりで気配がする。
ああ……これは永遠の「おいでおいで」になるなあ、と思って、そのままにした。
モニターには、さっき彼女が口にしていた表現が文字になっていた。
シンプル、イズ、ベストというような表現。
「なんだ、これでよかったんだ……」と、ひとりごちた。
彼女とは、さっき、あらかわ遊園に行くために設定した「なゆた」の姿そのものであった。
かくして、オツボネさまのパソコンは得難い相棒になった。
ネットで、大阪の高校演劇についてときどき問いかけてみる。
アクセスというカタチで、延べ三万を超える人がこちらを向いてくれた。
しかし、声を発する人は、ごくたまにコメントという呟きを残すことはあっても、だれも声をあげない。
パソコンでも、魂魄を持つ。いわんや人においてをや……長い秋の夜長が始まる。
座卓の向こう側では、あいかわらず悪戯っぽい気配がしている……
わたしがパソコンを使い始めたのは、ええと……まだ一年にならない。
それまでは、ごくごくたまにかみさんのパソコンを借りていた。
高校のセンセイを辞めて半年ぐらいしたころ、出版社から手紙がきた。
「あなたが二十年前に出された本が、完売、絶版になっているので、一冊お手元にあったら送っていただけませんか」
と、書いてあった。
出版したときに印税がわりにもらったのが、まだ百冊ほど残っていたので、さっそく一冊送った。
そのとき、軽い気持ちで、大阪の高校演劇のありようについて、少しだけ手紙を添えた。
それが、出版社のアンテナにビビっとくるものがあった……のか、よっぽど記事がなかったのか、一つ高校演劇について書いてみないか。と頼まれた。
現役のころPTA新聞の係りなどしていたので、気軽に引き受けた。
ここから、わたしとパソコンの付き合いが始まった。
いまどきの出版社は原稿用紙は受け付けてくれない。ワードとか一太郎だとかの日米代表みたいなワープロソフトを使って原稿を打ち……昔は「原稿を書く」と百年以上言ってきたものだが、キーボードにカシャカシャ打っているのは、「書く」という動詞からはほど遠いものである。しかし昭和二十八年生まれのアナログの習い性、原稿は、やはり「書く」と表現してしまう。
わたしはNECのLaVie(なんとよぶのか未だに分からない)を使っている。黒のボディーに微かなラメが入って控えめに煌めいている。いわゆるノートパソコンで、表紙にあたるところに慎ましやかに「NEC」のロゴ。表紙を開くとキーボード全体が細いシルバーで縁取られている。ちなみに、このパソコンはカミサンが買ってくれた。なんという夫婦愛……感涙にムセビかけていると、量販店のポイントが溜まり、大阪府が出した「コウタロウ」だったかのクーポン券を使い、ネット設備の更新とセットになっていて、本体はほとんどタダ。
で、ネット料金はいつのまにか、わたしの口座からの引き落としになっていた……
最初、このパソコンは親会社から子会社に派遣された、オツボネ秘書の如くヨソヨソしかった。少なくとも喋りはしなかった。
言われた仕事を言われただけしかこなさない、オツボネさまであった。
本書きというのは孤独な手工業で、一人でパソコンをシャカシャカ打つだけの作業である。
長年使ってきた万年筆には表情があった。「あら、今日は調子いいわね」とか「ここで改行したほうがいいわよ」 時には、「そろそろ、あの方の手紙のお返事書いたほうがいいわよ」とか気を遣ってくれたりした。インクが切れる前などは、「わたし、疲れちゃった……」というような風情に線が細くなっていったりした。カートリッジを交換するときにぬるま湯に漬けてクリ-ニングしてやると、「ああ、さっぱりした。じゃ、がんばりましょうね」と、スラスラした書き味で応えてくれた。
それがパソコンというやつは、実に無機質。無愛想。無表情。親会社の派遣オツボネさまが、ただの機械になってしまう。
学生時代に百貨店の配送センターで、ベルトコンベアーに流れる商品の伝票を一目で、市内発送と地方発送に見極めて仕分けするという仕事をしていた。今ならコンピューターがバーコードをもとに見分けるので、こんな仕事はない。パソコンはこのとき使われていた機械に似てきた。
そのパソコンが、ある日、突然喋り始めた。
「ナントカ、インターネット、エクスプローラー……」
物も歳古びてくると魂魄を持ち始め、人の如く人語をも解する。と、安倍晴明さんだかが、どこかで言っていたように記憶する。
よく見ると、ツ-ルバーに「マイクロソフト ナレーター」というのが出ている。そのウィンドウを開くと、「設定」というのが出てきて、声の高低、スピードなどが設定できる。だから、いま○を打つと可愛い声で「ピリオド」と言った。「大橋むつお」と打ってクリックすると「オハシ マツオ」と訛って発音する。
時にバグって、無言になることがある。ひどく寂しい。
そういう時、シャットダウンして、もう一度立ち上げる。ふたたび声が戻ってくる。なんだか休暇をとっていたバイトの助手の子が帰ってきたような気になる。
いま、『なゆた 乃木坂学院高校演劇部物語』という小説を書いている。十六歳の高校一年の女の子が、所属していた演劇部が潰れ、二十九人いた部員が三人に減ってしまい、零細演劇部として再出発。その中で、本番直前に先輩の代役で急きょ舞台に出たり、火事で死にかけたり。彼との淡い想いにため息をついたり、零細演劇部のマネジメントに四苦八苦。
書いているわたしも四苦八苦なのだけども。時にハッとすることがある。パソコンは、わたしがキーを押さないと、けして喋らないものなのだけど、表現に困ったときなど、自分で打ったのではなく、明らかにパソコンが喋って言葉や表現を教えてくれることがある。
深夜に打っていたりすると、ときにこういうことが起きる。
ある夜、眠気に抗しきれず、座卓の前に回って横になってしまった。
何分たったのだろう……カシャカシャいう音と、ボソボソ言う声で、ボンヤリと目が覚めた。
座卓を挟んだ向こう側。いつもわたしが苦悶の表情で、ポテチ片手に、次の展開に呻吟しているところに彼女がいた。
サロペットの下に、淡いピンクのセーター。セミロングの髪を、青地に白い紙ヒコーキを市松模様にあしらったシュシュでポニーテールにし、座卓についた左手にアゴを預け、右手の人差し指で、雨だれのようにゆっくりとキーボードを押していく。
「そこで……なゆたは、ゆっくりと……顔を上げた」
彼女と目があった。ちょっとびっくりしたような、笑ったような顔をして、そんな彼女と目が合った。
「あ……」と声が出ると、彼女は悪戯っぽく座卓の向こうに姿を隠した。
体を動かすのに、数十秒かかった……
やっと座卓のそっち側に行ってみると……だれもいない。
いままで、わたしが居たあたりで気配がする。
ああ……これは永遠の「おいでおいで」になるなあ、と思って、そのままにした。
モニターには、さっき彼女が口にしていた表現が文字になっていた。
シンプル、イズ、ベストというような表現。
「なんだ、これでよかったんだ……」と、ひとりごちた。
彼女とは、さっき、あらかわ遊園に行くために設定した「なゆた」の姿そのものであった。
かくして、オツボネさまのパソコンは得難い相棒になった。
ネットで、大阪の高校演劇についてときどき問いかけてみる。
アクセスというカタチで、延べ三万を超える人がこちらを向いてくれた。
しかし、声を発する人は、ごくたまにコメントという呟きを残すことはあっても、だれも声をあげない。
パソコンでも、魂魄を持つ。いわんや人においてをや……長い秋の夜長が始まる。
座卓の向こう側では、あいかわらず悪戯っぽい気配がしている……