高校演劇・小規模演劇部のマネジメント21世紀
(保存版) 初出:2015-02-20 07:24:57 大橋むつお
☆高校演劇への提言
古いブログを整理していて、この記事を見つけました。私が、積極的に高校演劇に関わっていたころのものです。
削除するには惜しい内容ですので、整理して残すことにしました。
いろいろ書いていましたが、コンクールの審査と、小規模演劇部経営の問題、創作劇に絞って残しました。
☆審査基準のない高校演劇
野球部の三大要素は「走」「攻」「守」です。打って走って守らなければ野球はできません。もっと分かりやすく言うと、ピッチャーがキャッチャーのミットまで球を投げられなくてはなりません。ベースを走って回れなければなりません。三割くらいの確率で打者はヒットを打てなければなりません。
演劇の三大要素は「俳優」「戯曲」「観客」であります。演じる俳優がいて、演じるための戯曲があって、それを観る観客がいなければならず。野球の走・攻・守と同じく三つとも重要です。
ですが、伝統校と言われる演劇部でも、観客席にも相手役にも声が届かない俳優が大勢います。戯曲は創作劇がほとんどで、一般的な演劇の感性から見ると大そう見劣りがします。
そうではないと言われるかもしれませんが、高校演劇が一般化しない(高校演劇の名作というものが一般はおろか、高校演劇世界の中でも認知されていません。観客がひどく少ない)ことを見ればあきらかです。
高校のダンス部や軽音の名門校をYouTubeなどで検索すると、多いものだと何万件ものアクセスがあります。演劇部で何万件ものアクセスを得ているところは、まずありません。
日本で二番目に演劇部が多い大阪の演劇部を例にとるとここ十年間の平均で、およそ90。演劇部員数は、約700人です。これはコンクール参加校数からの類推です。同じ自治体の弓道部員は約600名。人口的にはほぼ同じ規模といえるでしょう。
つまり、あまり隆盛であるとは言えないと思います。
隆盛にならない最大の原因が、コンクールの審査にあると考えています。
完全に把握できていませんが、高校演劇のコンクールには審査基準が無く、審査は審査員の『演劇観』に丸投げされています。
数ある高校の部活の大会やコンクールで審査基準がないのは、知っている限り演劇だけです。
その弊害は別のブログで述べていますので、簡潔に要諦を記します。
審査基準が無いと、審査は審査員の主観に任されます。大きな弊害が二点あります。
①主観で観ていると、自分の「演劇の素敵さ」にハマらないとこれはダメと思い、無意識に「落とすポイント」を探します。実際講評を聞いたり合評会のレジメを読んでも、こんなとこにケチつけるかというものを見かけます。
逆に、自分の「演劇の素敵さ」にハマると、無意識に「挙げるポイント」を探します。実際、こんなところを誉めるかというところにでくわします。
つまり、同列に観なければならない作品群をダブルスタンダードで見てしまうのです。オリンピックや、アジア大会などで、特定の国に甘い、あるいは辛い審判がなされ、時に観客からブーイングがおこることがあるのをご存じでしょうか。
ルールや採点基準が厳格になされていてもおこるのです。審査基準が無い危うさを分かっていただけるでしょう。
②事実上審査員は平等ではない……と書いたら驚かれるでしょう。通常コンクールの審査は、一般にその規模に応じ3~7名で行われます。そこには年齢、キャリア、現場にいるかどうかなどで、微妙な差が出ます。一般的にはキャリアのある先生。プロ演劇人の感性に引きずられがちです「あの人が言うんだから、ま、そうかな」になってしまいます。
☆審査基準試案
今、多くの高校生の演劇コンクールには審査基準がありません。これまでのコンクールでは審査結果に疑問が持たれたところもありました。そこで、出来うる限り単純で、客観性が担保される審査基準を作ってみました。
①作品にドラマ性があるか
ドラマ性とは、葛藤と読み替えてもいい。いわば、人間の物理的・心理的イザコザ。それが、作品に書けているか。この評価は既成、創作を問わない。作品の種類によってはエモーションと理解してもいい(能や音楽劇の場合、並のドラマツルギーで評価できないことがある)
②観客の共感を得られたか
劇的な感動(人間が葛藤することや、その変化への観客の感動)を観客に与えられたか。
③表現に対する努力は十分であったか
演出、演技、道具、音響、衣装、照明、などが作品を表現する上で、効果的になされていたか。
以上の三点(③については項目別)に10段階評価を行い、最高点と最低点を除外して平均値を出す〈予選では10段階評価のみで、最高点・最低点の除外はやらない〉上位1/3の作品につき、さらに論議し、最優秀以下の受賞作品を決定する。その場合、一定の点数に至らない場合(例えば満点を100点とした場合、80点に満たない)上位コンクールへの出場権は与えるが、最優秀の称号は与えない。
本選以上では、審査員に顧問審査員・OB審査員なども加え7名程度とし、点数集計において、最高点と最低点は除外し、平均値を出す(予選は審査員が3名なので、これは当てはめない)
※審査の点数化へのこだわり
審査をしていて「これはだめだ」と思うと、無意識に「落とす理由」を探します。言うならば「減点方式」で、辛い審査になりがちです。実際「そんな理由で落とすか」ということがありませんか?
逆に「これはいける」と思うと、無意識に「上げる理由」を探します。言うならば「加点方式」で、甘い審査になりがちです。実際「そんな理由で上げるか」ということがありませんか?
だから、全ての出場校を、最初は0点として、上記の項目について加点していくのです。これで無意識な主観による「加点」「減点」が、かなり防げます。
点数化しない限り、同じコンクールで「甘い加点」と「辛い減点」のダブルスタンダードに陥る可能性が高くなります。
☆こんなお便りをいただきました
審査基準 (東京某区審査員)2014-11-09 10:01:04共感いたします。
自分は中学校演劇部の指導員をさせていただいていることから、数年前から区のコンクールの審査もお願いされるようになりました。
長くなるので詳細は省きますが、審査基準は自分で考えねばなりませんでした。
自分の好みが審査に影響しないようにするため、発声・動き・感情表現・演出・衣装と小道具・音響・装置・照明をそれぞれ1~5項目について採点するようにいたしました。
まだまだ改良の余地のある審査基準ですが、真摯に取組んでいる部員たちの思いに応え、皆が納得できる基準を作っていこうと思います。
関東は、わたしの居る地方とは違い、学校ごとのコーチではなく、行政区(市や区)ごと指導員の方がおられ、他よりは相互のフィードバックや指導方針についての意見の交流ができるようになっています。他の地域でも参考にしていい制度と思います。中学や高校の演劇に対する運営の有り方が、連盟に一元化されておらず、いろんなところから声が挙げられる仕組みになっているようです。
そんな指導員の中にも、審査について同じ意見をお持ちの方がおられるのは嬉しくも、心強くかんじましたので、コメントの扱いではもったいないので、とりあげさせていただきました。
☆これからの小規模演劇部の有り方
演劇の基本は、役者・観客・戯曲の三つです。
小規模演劇部というのは、このうち役者が少ないクラブを指します。少ないのなら少ないなりのやり方があります。
登場人物が少なく、道具があまりなく、音響や照明に変化のない芝居です。世の中探せばそういう本はいくらでもあります。
たとえ大人数の芝居でも、やりようによっては少人数でやれます。野村萬斎さんが、たった5人ほどでマクベスをやられました。わたしが書いた『ロミオとジュリエット』のオマージュも登場人物は5人です。三谷幸喜さんの『ベッジパードン』は、3人で、11人の登場人物をこなしていました。
著作権の切れた古典など、上演許可もいりませんし、レジー(脚色)も自由です。扱いとしては創作劇の範疇に入ると思います。そういう工夫をするためには、普段から戯曲を中心に本を読んでおくなどのインプットが必要です。
たとえば『犬のおまわりさん』という童謡があります。何気なく口ずさんでいるうちに『犬のおまわりさん』という登場人物4人の芝居ができました。ハイジを動画サイトで見ていたら、あのあとクララはどうなったんだろうと思い『クララ ハイジを待ちながら』という2人の芝居が書けました。『にんじん』の著作権が切れたので、これを大橋流に書き直そうとも企んでいます。
要は、感度のいいアンテナを絶えず張っておくことです。
TPOにあった芝居をしましょう。文化祭や新入生歓迎会では本格的な長い芝居は不向きです。コントやAKBの『なんとかをやってみました』でいいと思います。観客の状況を考えて演目は決めた方がいいでしょう。
一定の技術は身に付けましょう。
野球に例えれば、ボールが投げられること、ボールがキャッチできること。ホームベースから一塁まで普通に走れることぐらいの技術です。この技術は年に数回の講習会などで身に付くものではありません。演技に関しては演劇部は体育会系と思ってください。
野球部などは年単位のスパンで、練習・調整をやっています。演劇も基本は同じストイックで長い訓練が必要です。その気になれば一年ほどの試行錯誤で、自分たちに合ったメソードが見つかります。本屋さんに行けば基礎練習の本は何冊かあります。
個人的には、スタニスラフスキーの『俳優修業』 リー・ストラスバーグの『メソード演技』などがお勧めです。
高校野球、軽音、ダンス部などが隆盛なのは、時代の流れもありますが、一般の観客の鑑賞に堪えるものを見せてくれるからです。狭い高校演劇の中で自足していては未来がありません。
以上、演劇の三要素に従って、小規模演劇部の有りよう、いたしようについて述べました。
☆連合演劇部の可能性
生徒の絶対数が減ってきているので、一校単独で部活が維持できないところが出始めています。部活の花形と言われる野球部にも、そういう学校が出始めています。
管理や監督の問題が生じますが、もう考え初めてもいい時期なのかもしれません。OHPや、コンクールへの参加に、合同演劇部の参加を考えてもいいのではないでしょうか。
基本は、高校演劇の灯を消すな。で、あります。
☆芝居を観ましょう
と言うと、仲間の芝居は沢山観ている。という声が聞こえてくるかもしれません。
わたしが言うのは、一定水準以上のプロの芝居です。高校の部活で、自分がやっているプロの試合や作品をもっとも観ていないのが、演劇部です。プロ野球を観ない高校野球など考えられませんね。
でも、プロの芝居は高く、また、その多くは東京に一極集中しています。チケットも10000円を超えるものがザラにあります。
そこでお勧めするのが、DVDで出されているものです。劇団新感線は、物理的にも「すごいなあ」と思って観るしかないほどスケールが大きいですがヒントになるものは、いっぱいあります。三谷幸喜の作品などは、登場人物も比較的少なく、より参考になります。『なにわバタフライ』『桜の園』これは、なんとAKBのヘビーローテーションから始まっています。観客の掴み方が非常にうまいです。『笑いの大学』『ホロヴィッツとの対話』などお勧めです。また、仲代達也の『授業』も秀逸でした。『授業』は、昔、高校生がコンクールで演ったこともある、案外、高校生でもチャレンジ出来る作品です。さあ、100円握ってTSTAYAに行こう!
2017 4 14 劇作家 大橋むつお