秋のある日、駅で暴漢に襲われ、学校では食堂の工事現場の鉄骨に潰されそうになるけど、聖也が時間を止めて救けてくれた。
犯人は、なんと、これまた幼馴染(?)の吉永紗耶香。紗耶香も宇宙人で、聖也を抹殺するために、あたしを殺そうとした。
あたしは聖也の命の素になる宇宙エネルギーを、聖也に合うように変換できるから。
そのために殺されそうになり、救けられもしたんだって……でも、それだけ?
そのまま電車に乗ったから、三人とも一人ぼっち。
紗耶香は、駅から学校に着くまで、友だちとごく普通に喋っていた。まるで先週の事件などなかったかのように。
「ちょっと、こっち来て」
校舎のドアで気配、ヨッコと目が合う、ヨッコは涙をうかべ、くちびるを噛んだかと思うと反対側のドアからグラウンドに駆けていった。
後ろ姿に呼び止めると、それは全校朝礼の準備をしている放送部の子だった。背格好とヘアスタイルがいっしょだと制服姿はとっさに間違える。
――どこだ……あ、あそこ!――
ヨッコはグランドに出るとすぐに曲がって、正門の方に向かっていた。
「ヨッコ……」
ヨッコは登校のピークになった生徒の群に逆らって、学校の外に行こうとしている。
「ちょっとごめん、通して!」
ほんの数秒の違いで校門の外に出るのは三倍くらいの時間がかかった。
そして校門の外にヨッコの姿はなかった。たぶん裏通りを縫って駅の方に行ったんだろう……。
とっても気がかりだけど、紗耶香が突然現れたことを放っておけないので、振り返りながら聖也のところにもどった。
あの紗耶香がもどってきているのなら、あたしも聖也も命を狙われる。
中庭でキョロキョロしていたら、図書館棟の窓から聖也がオイデオイデをしているのに気づいた。
聖也が指し示した司書室の壁には教室で楽しく喋っている紗耶香の姿が写っていた。
「この紗耶香は残像なんだ」
「残像?」
「紗耶香は消えてしまったけど、設定が強力だったんで、外形だけが残ってしまったみたい」
「外形?」
「アンインストールされていないアバターみたいなもの……見てごらん」
カーソルが動いて紗耶香の姿がアップになる、さらにアップされると接近し過ぎたCGのように……紗耶香の身体の中はガランドーだった!
「この紗耶香ってCGなの!?」
「みたいなもんさ、紗耶香がやった設定だけが自律的に動いてる。当然みんなの記憶も設定のまま残っているから、ごく自然に紗耶香として受け入れている」
「あたしたちを攻撃してくることはないの?」
「それを心配したんだけど、そういうコマンドは紗耶香の意識が入っていないと発動しないようなんだ。この紗耶香アバターはオレにも愛華にも幼馴染みの同級生、そう接していればいいと思う」
そう言うと、聖也は手を一振り、壁の画像はモニターごと消えた。同時に定例の全校朝礼のアナウンスがあり、聖也といしょにグラウンドに向かった。
整列しているとポンと肩を叩かれた。
「……ヨッコ!?」
「ぐるっと回って裏門から入ってきた。あとで話。いいよね?」
日没偈(にちもつげ)の読経が遠くから聞こえてきた。詩織の意識は、まだ乱れを残してはいたが、ゆっくりともどった。
優しげな声が斜めに降ってきた。
「あ……あたし……」
「寝てたらええよ。意識は戻ってきたみたいやけど、まだ落ち着いてないさかい」
詩織は体に違和感を感じていた。まるで、蛹(さなぎ)が変態することにとまどっているように。
そっと顔に手をやると、顔の肉がムクムクと変わるのが手のひらに伝わった。
「すみません、鏡を……」
沙織が、手鏡を顔の上に持ってきてくれた。
「顔が……」
詩織の顔は、一秒に五回ほどの割で変わっていった。あまり驚きはしなかった。心は、しっかりと詩織に戻っていたから。
「バグね……」
「収まるまで、ちょっと話聞いてくれはる?」
「ええ……」
「100ひく100はなんぼかしら?」
「……ゼロ」
「そやね。ほんならX=1 Y=1の点を、このグラフに示してくれはる?」
「どないして?」
「書いた点は面積を持ってしまう。点には面積がないわ」
「そう、点には面積あれへんし、ゼロは目に見える形では表現でけへん。そやけど、頭では理解できる……そやね?」
「うん……」
「仏さんの衆生済度のお気持ちもいっしょ。目ぇには見えへんけど、たしかにあります」
「衆生済度とは……」
「極楽往生……平たく言うたら、人がゼロになること、それを救いととらえること。往生するまで人間はアホなことばっかり。そのアホをアホのまま認めて、来るべき往生を待って、感謝します」
「他力本願……」
「そう、過ちのまま人間を認める。せやけど、できるだけ過ちを犯したり、失敗せんようには見守る……言葉で言えるのは、そこらへんまで」
詩織の顔は、ようやく詩織の顔に落ち着いた。
「沙織さんは、あたしの前にドロシーといっしょの寮にいたんだよね?」
身づくろいをしながら、詩織は尋ねた。
「そう、M機関の精神的な支柱を確かなもんにするために、うちは比叡山に出張。まあ、サイボーグとしての機動力やら戦闘能力では、うちは型落ちやさかいね。教授も適材適所、よう心得てはります」
「身づくろいなんか、デジタルでやったら一瞬なんだけど、こうやっていちいち人らしくやると、なんだか新鮮」
詩織は、カットソーにコットンパンツ、姿かたちは幸子の姿で塔頭をあとにした。ベラスコは詩織姿の詩織を探していた。幸子の姿はアンインストールしてある。詩織が最高の条件でいられるのは詩織の姿だと理論的には思っているから。デジタルな理論では合理的な考え方である。
詩織は不合理だった。幸子の姿で、人間らしく新幹線でラボに戻る。そして、できるだけ幸子として戦ってやることが、幸子への思いやりであり、M機関の精神性をまもることだと思ったからだ。
のぞみの車窓から見える西の空は茜色に染まっていた。詩織は、久しぶりに明日の朝日が楽しみに思えた。
「……潤香先輩のこと助けたの、乃木坂さんじゃないの!?」
乃木坂さんは、花柄のときと同じ反応をした。
「……ソデのとこで平台に頭ぶつけたからじゃ……ないの?」
「まどか君、君なんだよ」
「わ、わたし!?」
「あの日、潤香君は出かけようとして、屈んで靴を履こうとして君のことを思い出したんだ。君は、あの芝居の稽古中、ずっと潤香君の真似をやっていただろう?」
「え、ええ……」
わたしは何度やっても、オッサンが水虫の手入れしてるようにしかできなくて、このシーンになると、箱馬に腰掛けて、パクろうとして必死。一度など仰向けにひっくり返って道具のパネルを将棋倒しにして、怒られて、笑われて、大恥だった。
「そんな……わたしが原因だなんて……」
「大丈夫だよ。潤香君は間もなく意識も戻って、もとの元気な潤香君に戻る。そうでなきゃ君に言える訳がないじゃないか」
「ほんと、ほんとに潤香先輩は良くなるの!?」
「幽霊は嘘は言わないよ。なあ、みんな」
「それって……」
「そう、潤香君が階段から転げ落ちた前の夜。でも、その時は、それだけで済ますつもりだった」
「それがどうして……」
「だって、そのあと立て続けだったろう。潤香君はまた頭打ってしまうし、意識不明になってしまうし。まさか君が代役やるなんて思いもしなかったし。そして例の火事……」
「あれは……」
「幽霊でも、火事を防ぐ力はないよ。垂れた電線をしばらく持ち上げて発火を遅らせるのが精一杯。だから、みんなが倉庫を出たところで力尽きて手を放した……これで、みんなを助けられたと思ったら、どこかの誰かさんが火が出てからウロウロ入ってくるんだもの」
「それは……感謝してます」
「感謝……だけ?」
意地悪な幽霊さんだ。
「彼も、まだ未熟だ。大切に育んでいきたまえ。それから貴崎さんは辞めちゃうし、演劇部は解散……すると思ったら、起死回生のジャンケン……ポン。そいで君達三人組が、事も有ろうに、ここで稽古を始めちゃった」
「ごめんなさい、無断で」
「いいんだよ。幽霊が言ったら可笑しいけど、僕の生き甲斐になってきた」
「ハハ、幽霊さんの生き甲斐」
「と、いうことで、宜しく頼むよ!」
そこで、軽いめまい目眩がして、座り込んでしまった。
「まどか、大丈夫?」
「保健室行こうか?」
里沙と夏鈴が覗きこんできた……そこは、中庭のベンチ。
「あ……もう大丈夫。わたしずっとここで?」
「ずっとも、なにも、急に立ち上がったと思ったら、バタンとベンチに座り込むんだもん」
「あ、もう授業始まっちゃう!」
「なに言ってんのよ、たった今座り込んだとこじゃないよさ」
「何分ぐらい、こうしてたの?」
「ほんの二三秒だよ」
そうなんだ……妙に納得するまどかでありました。
「元気だったら、明日のことだけどさ……」
風の吹き込まない中庭は、冬とは思えない暖かさ……かすかに聞こえてきました。
『埴生の宿』の一番。
のどかなりや 春の空 花はあるじ 鳥は友……🎶
その友の小鳥のさえずりのようなお喋りの中、それは切れ切れにフェードアウトしていきました。
せやさかい・109
中学一年生のあたしは十三歳、ついこないだまでは小学生やった。
普段の生活は、学校と家との往復で、世間が狭い。
せやさかい、一歩学校や家を出ると初めての体験が多い。
この夏にエディンバラに行った時は、それこそ初めてばっかりでビックリしたんやけど、テイ兄ちゃんの車を下りたばっかりのあたしは、エディンバラの空港に下りた時よりも感動してる!
何に感動してるかと言うと、サービスエリア!
学校のグラウンドよりも広いとこにたくさんの車が停まってる。駐車したとこからサービスエリアの建物に行くのに一苦労。
ひっきりなしに車が通るとこを渡らならあかん。信号も横断歩道もない。
「年末の帰省ラッシュやからなあ、みんな、先にトイレ行っといでや」
やっと渡り終えると、テイ兄ちゃんが注意した。
行ってビックリ、四十個ほどの個室があるっちゅうのに、女子トイレは長蛇の列!
あんまり切羽詰まってなかったんやけど、並んでると催してくる。
あと一人で番が回って来るいうときには、ほんま、ちょっとヤバかった(;'∀')
「おー、いろいろあるよ!」
フードコートを見つけた頼子さんが駆けだす。
ショッピングモールのフードコートもすごかったけど、ここも負けてへん!
おまけに人手がすごいから、もう天神祭りか祇園祭かいう賑わい!
「三十分しかないから、あんまりゆっくりでけへんで」
テイ兄ちゃんが釘をさす。
結果、女子四人で別々のを買って、みんなで、ちょっとずつ頂くことにする。
焼きそば たこ焼き ラーメン イカ焼き フライドポテト 焼き立てメロンパン チーズケーキ ホットドッグ
「あんたら、大丈夫かあ?」
コーヒーすするだけのテイ兄ちゃんは目ぇ剥いたけど、きっちり予定時間には完食!
サービスエリアの看板の前で記念写真を撮って、再び車中の人になる。
十三歳は世間が狭い続き。
頼子さんが卒業後はエディンバラの高校に行かならあかん話の続き。
詩(コトハ)ちゃんも留美ちゃんも、むろんあたしも、愕然として息をのんだ。
「けど、向こうの学校は九月からとちがうん?」
鋭いツッコミはテイ兄ちゃん。
「はい、もともと決めかねてるんで、とりあえず、大阪の高校に入りたいとも思ってるんです……」
頼子さんの返答に、一同は胸をなでおろしたんです。
でも、年明けには担任の先生に返事をせんとあかんくて、そうそう余裕のある話でもないらしい。
「まあ、除夜の鐘を撞いて煩悩振り払って結論出します!」
頼子さんの覚悟と、心配しいのわたしらを載せて、車は師走の名神高速を北上した。
「お姉ちゃん、やっとこれだけになった!」
詩歩の髪の毛は男の子と見まごうばかりの短髪になり、引き取り手の無かった聖書を手にしていた。
「詩歩……」
詩織は涙声になった。女学校でも自慢だった長く美しい髪と、大事にしていた文学書を売って、リュック一杯の食糧に替えたのである。
「本だけだったら、お芋一貫目にしかならないから、どうしようと思ったら、すいとん屋のオバサンが『あんたの髪の毛なら高く売れるよ』って、教えてくれたの」
詩織は爆発しそうな気持ちを、なんとかなだめた。こんなところに女学校の二年生と四年生がうろついていては、ろくなことが無い。
「あ、お嬢ちゃん。十円少なく渡しちゃったから、取りにおいでよ」
怪しげなカモジ屋のオヤジがえびす顔で言った。
「ほんと、十円あったら、お芋が、もう少し買える!」
オヤジのあとを着いていきかけた詩歩の手を詩織が掴んだ。
「よしな。もう日が暮れかかってるし、あんな奥の道に行っちゃダメ!」
「お姉ちゃん……」
オヤジは、路地の左右に目配せをした。怪しげな男たちが六人ほど現れ、ニヤニヤしながら二人に近づいてきた。
「詩歩、逃げるよ!」
詩織は、詩歩が持っていたリュックを男たちに投げた。たちまち、通行人や浮浪者がたかって、男たちが駆け出すのに手間取った。
「髪の毛は、また伸びる。本だっていつか買えるようになる!」
人ごみの中、姉妹はバラックの裏道を走った。目の付く表通りでは、すぐに追いつかれるからだ。
「とにかく逃げよう。捕まったら売り飛ばされる!」
男たちの仲間は意外に多いようで、一本向こうの通りに出ても、それらしい男たちが目につく。あるいは恐怖心が、そのように見せているのかもしれなかった。二人は、ほとんどパニックになりかけていた。
そして、広小路に出たとたん、眩しさに立ちすくんでしまった。
「シット!」という英語だけ聞こえて意識が無くなった。
トラックに乗っていた大尉の階級章をつけた米兵が、無線で連絡をとった。
「心肺停止だが、脳に損傷なし。Gに適応と考えられる。すぐに送る」
詩歩の死体と、瀕死の詩織はトラックに乗せられ、いずくともなく連れ去られた。
あくる日、首全体を白布で巻かれた詩歩と、まるで眠っているような詩織の遺体が、姉妹の家に運ばれた。
同乗していた日本の警察官が、気の毒そうに両親に伝えた。
泣きの涙で二人の娘の骸を受け取った。詩織を持ち上げたとき、測量技師であった父は、わずかに詩織が軽くなったような気がした。
そうして、詩織の脳は、60年以上保管され、義体に埋め込まれサイボーグとして蘇った。バーチャルな意識をダウンロ-ドされて。
教授は、この情報を暗号化してアップロードした。暗号化してもベラスコたちには解読される。でも構わなかった。この情報はベラスコも知っている。その上で詩織に情報を与えパニックに陥らせた。教授は、一か八かで情報を流したのだ。
詩織が正しく覚醒して、戻ってくることに期待しながら……。
「そんなんじゃないよ……でも、その子はね、死ぬときに――お母さん――と言って……でも、そう言いながら、僕のことも思ってくれたんだ。僕も同じころに死んだから。その思いは伝わったよ。生きてたころは……なにを言わせるんだよ、幽霊に!」
「ごめんなさい、立ち入ったこと聞いて」
「その子は、将門様のところへ行った。ほら、千代田区のビルの間にあるだろ」
「ああ、将門の首塚。小学校のとき社会見学で、ことのついでに寄ったわ」
「ハハ、将門様が、ことのついでか」
「ごめんなさい」
「いいよ、世の中が平和な証拠だ。将門様はね、そういう霊たちを集めて面倒を見てくださるんだ」
「その子は、まだ将門さんのところに?」
「ううん、十二年ほど前にね、僕とまどか君みたいに相性のいい女の子と出会ってね、その子がとっても心根のいい子だから、やっと元の姿を取り戻して……去年の暮れにやっと往ったよ」
「いく……?」
「あの世って言ったら分かるかな。往復の往と書く……で、往く前に挨拶に来てくれたんだ。六十何年かぶりの再会だった……」
ひとしきり、桜の花びらが風に舞った。
乃木坂さんがため息をついた……すると、乃木坂さんの後ろに、セーラー服にお下げの女の子の姿が浮かんだ。モンペに防災ずきんみたいなのぶらさげて、胸に大きな名札みたいなの縫いつけて、穏やかに乃木坂さんを見下ろしていた。わたしの視線に気がついて、乃木坂さんが振り返った。
「あ…………」
乃木坂さんが棒立ちになった。女の子が寄り添って、潤んで、熱い眼差しになった!
「抱きしめてあげなさいよ。抱きしめて! 乃木坂さん! わたしに遠慮することなんかいらないんだからさ! こんな時にフライングしなきゃ男じゃないわよ!」
乃木坂さんは切なそうに見つめるだけ……その子は、その間、しだいに影が薄くなっていく……あ、と思った。その子は急に桜の花びらの固まりになって、次の瞬間、花吹雪になり、粉みじんになって飛んでいってしまい、その花びらさえも雪が溶けるように消えていってしまった。
「あれは……あれは、桜が作った幻だよ。幻に……」
「想いがあってのことじゃないの……!」
わたしの平手打ちは、虚しく空を切り、勢い余って、わたしは転んでしまった。
「意気地なし……あんなの、あんなのって無いよ……」
泣いているわたしを、乃木坂さんが抱き起こしてくれた。
「わたしのことは触(さわ)れんの……?」
「焼き芋だって受け止められるただろ」
「わたしって、焼き芋並なの!?」
「その気にならなきゃ、なにも触れないけどね」
「ご、ごめんなさい。つ、ついね……」
「ううん、ああいう人間的な思いが僕たちの救いなんだよ。お礼を言うのは僕の方さ。あの……あの、もう少し、君達の側に居てもいいかなあ。今日こうやって君を呼んだのは、そのためなんだ。君の前で姿を隠しておくのが、だんだん難しくなってきて。でも、なんの前触れもなく現れたらびっくりするだろう」
「うん、心臓止まる」
「だよね」
「でも。里沙とか夏鈴とかには秘密にしとくから」
「じゃ、いいのかい!?」
「うん、三人じゃ寂しかったから。そうだ、見ていて気になることとか言ってくれる。演出とかいないから」
「任しとけ、これでも生きてる頃は演劇部……しまった」
「卒業者名簿見て、正体あばいちゃおうかな」
「そりゃ無理だよ。卒業前に死んじゃったから。それに学籍簿も空襲で焼けちゃってるしね」
「残念……あ!」
わたしの中で、なにかが閃いた。
ヨッコの脚は普通だ。自分の脚って、上から見ているせいで太く感じるもんなの。言っても慰めとしかとらない。
この三日、日本と、その周辺で特異な現象がおこった。
防空識別圏に入ってきた中国の戦闘機に自衛隊のスクランブルがかかった。
中国軍機は自衛隊機の40メートルにまで接近。非常に危険な事態になったが、直後信じられないことが起こった。亜音速で飛ぶ日中二機の戦闘機の間に、若い女性が割り込んできたのである。女性はライダースーツのようなものを着て、二機の戦闘機を揶揄するように、飛び回った。中国戦闘機のキャノピーに貼りつき、ピースサインをし、キャノピーの側面にニコニコシールを貼っていった。女性の顔は、パイロットが密かにファンになっている中国の女優にそっくりだった。パニックになった中国戦闘機はダッチロールのあと失速し、あわや海面にぶつかりそうなところで姿勢を取り戻した。
自衛隊機は基地に戻るまで付きまとわれた。中国軍機同様、キャノピーに顔が付きそうになるまで接近。その顔はAKBの選抜メンバーのそれにころころと変わっていった。そして信じられないことに亜音速で、AKBの歌を20曲も歌いながら踊って見せた。その様子は日中双方とも映像が残されたが、両国とも公表はひかえた。
スカイツリーの順番待ちをしている人たちの間に、突如女の子が降ってきた。女の子は空中で数回転すると、ネコのような身軽さで着地……したかと思うと5人に分身、ももクロのヒット曲3曲を披露して姿を消した。これはたくさんの人たちが目撃。数十分の間に動画サイトに投稿され、一日中大騒ぎになった。
首都高で、居眠り運転していたセダンが、急に減速。後続のトレーラーは急ブレーキをかけたが、運転席とトレーラーの部分がへの字に曲がるジャックナイフ現象を起こし、防護柵を突き破って、真下の一般道に落下しそうになった。
しかし、トレーラーは、一般道に激突する3メートル手前で止まった。ウンちゃんは気づかなかったが、一般道を走っていた車や通行人は信じられないものを目撃した。
なんと鉄腕アトムが、落ちるトレーラーを持ち上げて、高架にもどしている。これもたくさんの人に目撃され、動画サイトを賑わせた。
そして、昨日は30分間二回、東京中のスマホが使えなくなった。ともに通勤通学のラッシュ時だったので、この日はスマホによる事故が半減した。
東京湾にゴジラが出現し、遅れて出現した戦艦大和が46サンチ砲の集中砲火を浴びせた。数十万人の人が目撃したが、これは映像には撮れなかった。大半の人は映画会社の壮大なCMだろうと思った。
「みんな詩織がやったことだな……」
ラボで、ため息ついて、教授が呟いた。
ドロシーは、4日前、寮で起こったことをモニターに映して、ため息をついた。
「おそらく、この幸子アンドロイドが、詩織の秘密をバラシて、詩織はパニックになってしまったんだろう」
「早く話しでおくべきだったすか……」
「いや、我々が話しても結果は同じだよ。詩織の覚醒は、もうほとんど100%だが、それを支えるだけの自我が戻ってこない」
「したらば、なにしたらええんだすか?」
「わたしに考えがある。完全ではないが、これにかけてみるしかないだろう……」
教授は、コンピューターのキーをいくつか押した……。
「いい香り……」
「春のゴーストブレンド」
ヒラヒラと、桜の花びらがカップの中に落ちてきた。
「あら……」
「僕の演出」
「フフフ……気が利いてる」
長閑に二人で笑った。
「お名前とか聞いていいですか。わたし……」
「仲まどか君だよね……僕の名前は勘弁して」
「どうしてですか……?」
「え……あなたのことしか分からない」
「そう、こんなにはっきり分かり合えるなんてめったにないんだ……みんな羨ましがってる。ここにいるのは、みんな戦争で死んだ人達。僕もそうだけどね」
「そうなんだ……」
「とりあえずは、乃木坂でいいよ。この成りだから、ここの生徒だったってことは隠しようがないからね」
「じゃ、乃木坂さん」
「ハハ、みんな笑ってる。喜んでくれてるよ」
「……こ、こんにちは。みなさん」
乃木坂さんは、とても嬉しそうに言った。こんな嬉しそうな人の顔って初めて見た。
それまでは、一人牢獄に何年も、とてつもない孤独と切なさの中に閉じこめられやっと笑顔になった……そんな感じがした。
爛漫な春の風情と、花びら一つ入った紅茶の香りが、それを際だたせる。
その切なさが、ぐっと胸にきて、鼻の奥がツンとしてきた。
わたしは思わずくり返した。
「乃木坂さん……乃木坂さん! 乃木坂さん!!」
くり返した分だけさらに胸が熱くなってくる。
「ありがとう……なんだよ。君が泣くことないだろ」
「エヘヘ、人の名前呼んで、こんなに喜んでもらったの初めてだから!」
「え……」
「ほら、携帯出そうとして、ポケットに手を入れたら勢いでスカートのホック取れちゃって脱げそうになっちゃってさ」
「そ、そりゃ……そうだけど、花柄の下着なんか見えなかったからね」
「え……見えちゃったんだ!」
恥ずかしいより、笑っちゃった。幽霊さんでも赤くなるんだ……!
「ち、違うよ。ぼくはね、まだきちんとした人間の形してるだろ?」
「うん、言わなきゃ幽霊だって分からない」
「人によってはね、人間の姿で幽霊になれないほど痛めつけられた人もいるんだよ」
「それって……ゾンビみたいな?」
「アハハ、そんなの幽霊の僕が見ても怖いよ。そんなんじゃないんだ……あまりに激しい空襲の火で焼かれるとね、骨どころか魂まで焼けてしまうんだ」
「それって……」
「幽霊になってもね、キューピーのお人形ぐらいに縮んじゃって……目も鼻も口も無くなって、幽霊同士でも意思の疎通が難しくなって……むろん焼き芋を受け止めることなんかできない……」
乃木坂さんは、遠くを見る目になった。
「乃木坂さんは、そういう人を知ってるんだね……それも、ごく近しい人……でしょ」
魔法少女マヂカ・116
建物と建物の間に屋根と囲いがしてあって、ちょっとしたトンネルになっている。
トンネルの中は手前半分が剥き出しのコンパネで、向こう半分がピンクに塗られ、境目には『国境』と書かれた張り紙。国境を跨るように自販機があって、定価の半額ぐらいの値段でジュースやお茶を売っている。
突き当りはピンクのドアで、丸眼鏡のおじさんはインタホンに向かって声をかけた。
「バイトの子たちを連れて来たぞ」
「ハ~イ、いま開けま~す」
アニメ声の返事があって、ドアが自動で開くと、直ぐにピンクの壁。左に折れて右に曲がると控室のようなスペースに、テーブルとロッカー。
一体ここはなんなのだ?
「お待たせなのニャ~」
ネコミミのメイドさんが入ってきた!
「みなさんの世話をするミケニャンなのニャ。とりあえず、書類に必要事項を書いて欲しいのニャ」
ミケニャンが書類を配ろうとするのを制止して聞いた。
「あの、いったいなんのバイトなんですか?」
「あら、錬金術師のテツゾウさんからは聞いてニャイのかニャ?」
ミケニャンは丸眼鏡のおじさんを見て小首をかしげた。
「どうも、ここの説明は苦手でな。重子はおらんのか?」
「国境を超えたら、そっちの名前は禁止なのニャ。もう一度ニャ、錬金術師のテツゾウさん」
「あ、えと……バジーナ・ミカエル・フォン・クゼルンシュタイン三世?」
「もう、錬金術師のテツゾウさんは何度まちがえたら覚えるニャ? バジーナ・ミカエル・フォン・クルゼンシュタイン三世(⋈◍>◡<◍)。✧♡ニャ」
「めんどくさい」
「ん?」
「バジーナ・ミカエル・フォン・クルゼンシュタイン三世」
「ん~、語尾にリスペクトの響きが無いニャ」
いったい、ここはなんなのだ?
パンパカパンパンパ~~~~~~~~~ン(^^♪
みんなの腰が引けたところに、ファンファーレが鳴って、ベルばらのマリーアントワネットみたいなのが現れた!
「父上、いつになったら、妖精の国のしきたりに慣れてくださるのかしら」
「だから、重子……」
「「バジーナ・ミカエル・フォン・クルゼンシュタイン三世(⋈◍>◡<◍)。✧♡ニャー!!」」
「とにかく、あとは頼んだぞ!」
そそくさと、丸眼鏡、いや、錬金術師のテツゾウさんは帰って行ってしまった。
「ようこそ、わが妖精のキャピタル、ツマゴメへ。これより、そなたたちのイニシエーションの義を執り行うとしようぞ! ミケニャン、この者たちのために、現世の言葉を指し許すぞ」
バジーナ・ミカエル・フォン・クルゼンシュタイン三世(⋈◍>◡<◍)。✧♡がセーラームーンのような決めポーズで右手を掲げると、天井からタペストリーが下りてきた。
アキバ メイド系飲食店連合会規則……という表題から始まって、就業規則めいたものが、活字にして一万字はあろうかという量で書かれている。
ミケニャンはネコミミカチューシャを取って眼鏡をかけると、擦れたチーママみたく喋り始めた。
「えと、うちは『メイド喫茶ツマゴメ』っての。ツマゴメで分かると思うんだけど、妻籠電気店の裏を拡張して作った店なんだけど、今は、完全こっちがメイン。見りゃわかっでしょ。求人とか出す時は電気店の方が通りがいいんで、そーしてるわけ。でもてえ、うちの重子」
ポカン!
「イテ! もとい、バジーナ・ミカエル・フォン・クルゼンシュタイン三世(⋈◍>◡<◍)。✧♡はアキバ メイド系飲食店連合会の会長も務めていてえ、まあ、アキバのメイドとお店の面倒をまとめてみてるわけ。でもって、あんたたちは、年末年始に手が足りていない加盟店のヘルプに出てもらうワケ。就業規則とか待遇とかは、ここに書いてあるし、あんたらに渡した書類にもあっから目ぇ通しといて。じゃ、さっそく割り当てとか決めたいんでえ」
「あ、あのう……」
どうなるかと、面白がって見ていると、友里が手を挙げた。
「あん? なに?」
「あ、えと……メイド喫茶のバイトだなんて聞いてないんですけど」
「そら、知らねーな。てか、あんたらに断られっと、年末年始のアキバのメイド系は立ち行かないのよ。ま、乗り掛かった舟と思って務めてね」
友里は、それ以上は言えずに座ってしまう。他の六人は程度の差はあるが、面白そうに聞いている。
「というわけで、明日からよろしくニャ(^▽^)/」
パンパカパンパンパ~~~~~~~~~ン(^^♪
ミケニャンが元に戻って、バジーナ・ミカエル・フォン・クルゼンシュタイン三世(⋈◍>◡<◍)。✧♡がにこやかにご退出になり、我々のアルバイトが始まった。
今年も、余すところ四日となった。
「ヨッコが聖也のこと好きなんだ」
「え!?」
「声おおきい、このままスポーツ公園に行って」
少年サッカーをやっていた。
7番の選手がフリーキックしようとしている、ラグビーの五郎丸みたくシュートの前のおまじない。それが効いたのか、ボールはそのままゴールに吸い込まれ一点を先取。選手も野次馬の観客も温かい歓声をあげる。グラウンドを見てさえいれば、話していても不自然じゃない。あたしは、そこまで気を使っている。
「ヨッコの記憶って聖也が作ったバーチャルじゃん。そのバーチャルで恋するなんてかわいそうだよ」
「うん……」
「聖也は、この三月に地球にきたばっかで、うちの高校にきたのはほんの先週。リアルには口もきいたことないと思うよ、ヨッコとは」
「……だよな」
「なんとかしてやって」
「ヨッコの記憶を書き換える」
3番の選手がロングシュートした。
「ばか」
「そうだよな、あの距離じゃ……とられた」
「ばかは聖也の方よ、スマホのアプリじゃないんだよ人の心は」
「じゃ、どうすりゃ……」
「…………」
飛び込んできたボールをキーパーが阻止、送球相手に悩んでいるようで二三度ボールを構えてはフィールドを見まわしている。
「わかった、とりあえず自然な形でヨッコに会ってみるよ」
フェンスを突き飛ばすようにして身を起こすと、聖也は駅の方角に歩きはじめた。
「どこに行くのよ?」
「学校、ヨッコ、この時間はまだ部活だろから」
詩織は幸子アンドロイドといっしょにブランコに移った。ブランコの上は大きな木が枝を張り、適度な木陰をつくっている。幸子アンドロイドは、ブランコを大きく揺らし、詩織の揺れにシンクロさせながら話し始めた。
「世界の順調な成長発展を助ける……でも、現状認識が真逆」
「あたしたちベラスコは、歴史に介入して、世界をあるべき姿に導こうと思っている。ソ連の崩壊まではいっしょだったのに」
「あたしたちM機関は、崩壊させて良かったと思っている。あとは多少の混乱があっても、人間が自分たちの力でなんとかしていくわ」
「ベラスコは、もっと介入しなければと思っている。アラブの混乱、中国の覇権主義と、そのあとにやってくる大崩壊。食い止めるのは、アメリカでさえ無理。あたしたちが介入して、修正を加えながら今世紀中に世界の安定を図らなきゃ、人類は大変な危機に陥る。その見通しが違うだけ。世界の発展を願うのは同じだから、ベラスコとM機関は、また手を結べる可能性があると思うの……」
シンクロしていたブランコの揺れが合わなくなってきた。
「それは、どちらかがどちらかに飲み込まれることにしかならない……悪いけど」
「……そう……やっぱね……もう一つ、あなたに……言っておかなきゃならないことがあるの」
「……なに?」
「……詩織、あなたもサイボーグなのよ……」
「え……?」
「生身の人間が幸子に擬態したり、ハイジャックの犯人を捕まえたりできると思うの?」
ブランコの揺れは小さくなっていった。
「加藤詩織は、66年前に米軍のジープに跳ねられて、ほとんど死にかけた。現に戸籍上は死んだことになっている。ほら……」
幸子アンドロイドは、目の前に詩織の戸籍謄本を映してみせた。加藤詩織、死亡により除籍と斜めの線が引かれていた。
「じゃ、あたしは……」
「脳だけが取り出され冷凍保存され、アメリカに送られた。詩織の脳を生かす義体が開発されるのに、60年かかった。そして脳を移植し起動させるのに6年。詩織はドロシーとは違って戦闘用に特化されている。で、その能力はまだ完全には始動していない。これから、M機関にも、あたしたちにも分からない力が始動しはじめる」
「うそ……あたし、カンザスに家族いるもん。妹の詩歩もお婆ちゃん、ひいばあちゃんも、家族みんな」
「それは、M機関が作ったバーチャルな家族」
蝉達の鳴き声がカットアウトした。
「ひいばあちゃんこそが、詩織そのもの……M機関は、詩織の能力が完全に覚醒するまでは人間であると思い込ませるために作ったバーチャル。あたしたちがプログラムを破壊したけどね……今すぐ答えをくれとは言わないわ。ゆっくり考えて結論が出たら呼んで。あなたのことは分かったから、いつでも連絡受けられるから。じゃ……」
幸子アンドロイドは、ゆっくり歩いて公園を出て行った、彼女の乗っていたブランコが小さく揺れ続けた。
蝉の抜け殻が一つ、ぽとりと墜ちてきた。
でも、最初読んだとき面白かったお芝居も、やってみると難しさだけが際だってくる。
だって、この芝居、新派、新劇、歌舞伎、狂言、吉本などなど、ありとあらゆる芝居のエッセンスのテンコ盛り。そもそも最初から、歌舞伎風の口上で始まっちゃう。
――東西東西(とざい、とーざいー……てな感じで言います)一段高うはございますが、口上なもって申し上げます。まずは御見物いずれも様に御尊顔を拝したてまつり、恐悦至極に存じたてまつります……てな感じで、かみまくり(ほんとに舌噛んじゃった)
動画サイトで、それらしいのを見たりして研究中。前途多難のキザシ。
そこへもってきて、あの気配……だんだん強くなってきて、このままじゃ稽古になんない! と思い始めた明くる日の昼休み。三人で、明日は潤香先輩のお見舞いしようって、中庭で相談ぶっていた。
あんまりはっきり聞こえるんで、思わず口に出てしまった。
「え、なにが……?」
わたしは無意識に立ち上がった。
「まどか……」
「どうしたの……」
二人の声が遠くなっていく……気がついたら、談話室の前にいた。
「……埴生の宿も、わが宿。玉の装い、羨まじ……♪」
その人は、旧制中学の制服を着て、ピアノを弾きながら唄っていた。
窓の外は桜が満開。小鳥のさえずりなんか聞こえて、春爛漫の雰囲気……そよと風が春の香りを運んできた。
春の香りは、桜の花びらになって頬を撫でていく……何枚目かの花びらが、左目のあたりをサワって感じで通っていって、わたしは我に返った。
「……おお、わが窓よ~楽しとも、たのもしや♪」
その人も、ちょうど唄いきり、ゆっくりと笑顔を向けてきた。
「ごめんね、こんな誘い方をして」
「あなたは……」
「あけすけに言えば……幽霊……かな」
あんまりのどか長閑な言いように、予想した怖さは、どこかへいっちゃって、暖かい笑いがこみあげてくる。
「……フフフ」
「よかった。怖がらせずに話しができそうだ」
「さっきまでは、怖かったんです」
「うん、だから昼間にお招きしたんだ。僕の趣味で春にしたけど、よかったかな」
「はい、わたしも、この時期が大好き」
「君は、僕の気配が分かる。このままじゃ脅かして、稽古を台無しにしてしまいそうだから、僕の方から挨拶しておこうと思って」
「でも。とても幽霊さんには見えません」
「ハハ、それはよかった」
「ノブちゃんみたいな幽霊さんもいますから」
「そうだね、ちょっと漫画みたいな幽霊さんだけど、あんな感じ」
「怨めしや~、なんてやるんですか?」
「めったにいないよそんな人。まあ、掛けて話そうよ」