一学期ももう終盤、四月からの部活を振り返って、どうだったでしょう?
新入部員は獲得できたでしょうか?
基礎練習、何をやって良いかわからなかったり、これでいいんだろうか、とは感じてはいませんか?
発声練習、「あめんぼ赤いなアイウエオ……」 腹式呼吸で、お腹ペコペコなんてやっていませんか?
両方とも、築地小劇場(もう80年くらい昔)時代からのメソードです。
意味が無いとは言いませんが、ちょっと退屈で、遠回りなメソードです。難しくいうと、ちょっとストイックです。
稽古はできたら、楽しく効率的であったほうがいいですね。「声を腹から出せ」と、よく言われますが、間違いです。お腹から声なんか出てきません。お腹は、せいぜい空いたときに「ぐ~」 こわしたときに「ごろごろ~」というのが関の山です。
声は、喉から出てきます。気管の上に声帯という筋肉があってこれが振動すことによって声が出てきます。だからだれでも声は出るんです。
ただ、声には響く声と響かない声があります。
声帯というのは、楽器でいうと弦、マウスピースにあたるものです。ブラバンの新入部員の人たちが、今このレベルじゃないでしょうか。
校庭や音楽室でブーブーとかピーピーとか、楽器とは思えない音を出していませんか。マウスピースで出たと思っても、楽器本体につけると、先輩たちのようにいい音が出ない。俗に「クサイ音」といわれます。わたしも中学のころはブラバンだったので、この時期「クサイ音」を出していました。
役者の声も同じです。声帯で出てきた声をうまく響かせないと「良い声」にはなりません。良い声というのは「良く響く声」のことです。
楽器は、弦楽器なら胴、金管楽器なら本体のラッパのところで共鳴させ、大きくてきれいな音になります。
声は、一言で言えば頭で共鳴させます。とくに顔の前方。
舌で上の前歯を触って下さい。そしてそのまま舌で上あごを奥の方になぞってみてください。最初の方は硬いでしょ、これを硬口蓋といいます。さらに奥を舌でなぞると柔らかくなって、ちょっとえづきそうになります。ここを軟口蓋といいます。
良く響く声というのは、この硬口蓋に声がぶち当たり、共鳴箱である頭の骨(特に前の方)が良く響いている声のことで、「マスク共鳴」といいます。最初に口を閉じてハミングしてみましょう。顔の前の方がビリビリと振動していることに気づきませんか? コツは、ハミングではありますが口の中を玉子一個はいるくらいのイメージで広げておくことです。ビリビリが自覚できたら、口を開けます。まだ息は鼻からだけ出していてください。ビリビリが消えてしまうようなら口から息が抜けている証拠です。ハミングすると声帯から出た声は鼻から出ざるをえず。だれでも顔がビリビリと振動します。難しくいうとホッペの中の空洞「前頭洞」が振動しているのです。
さて、口を開けてもビリビリしているようなら、そろそろと口から声を出してみます。とたんにビリビリが無くなりませんか? これは声が軟口蓋の柔らかい肉に吸収されてしまって響かなくなるからです。
そう、理屈は簡単なんです。声を硬口蓋にぶち当てられるようになればいいんです。
稽古で、一番声が硬口蓋にぶち当たる、口と喉のカタチを探ってください。うがいをするように真上を向いて声を出し、少しずつ顔を下に向けます。そのとき、口の中を大きく、すこしアゴを前の方にもっていくとスィートスポットが見つけやすいです。
次に体。姿勢良く立ちましょう。しかし力んだ「気をつけ」ではいけません。そしてきれいに歩いてみましょう。コツは腰で歩くということです。
次に顔。自然な笑顔が作れますか? ウィンクできますか? 案外できませんね。笑顔は虫歯が痛いのを堪えているような顔になっていませんか。ウィンクは目にゴミが入ったみたいにギュっとなっていませんか。慣れない人は片目だけつぶることもできません。アメリカ人なんかは子供でも自然にやってのけます。生活の中に習慣としてあるからです。
わたしは、今指導している生徒にAKBの「会いたかった」をやらせています。明るく響く声。美しい姿勢、笑顔が全部この中には含まれています。まあ、やりかたは様々です。役者の基礎を教えるのは、自転車の乗り方を口で説明するようにもどかしいものです。世に出回っている入門書もムツカシイもなが多いです。この春から『ホンワカ女子高生HBが本格的に演劇部にとりくむまで』という小説形式の入門書のブログを始めました『女子高生HB』で検索してください。 大橋むつお
本の書き方『となりのトコロ』を見本にして
今回は、戯曲(本)の書き方について、少しだけお教えしようと思います。とりあえず、下記の本の冒頭を読んで下さい。
そぼ降る雨のなか、バス停の前に貧相な少女ユキが傘をさし、たたずんでいる。手にはもう一本。大きめの古い男物の傘。背中には、小さな子どもを背負っているように見える。
バス停の下手よりに古ぼけた街灯。それがささやかにバス停の周囲を照らしている。背後には鎮守の森。雨音しきり。ときにカエルの鳴き声。ややあって、下手から、のり子がボストンバッグを持ち、スケッチブックを頭にかざし、雨をしのぎながらやってくる。バス停の時刻表と携帯の時間を見比べ、わずかでも雨のしのげそうなところをさがす。二三度場所を変えるが、どこも大して変わりはない。
この間ユキは無関心。やがて……
のり子 ……バスが来るまで一本傘貸してくれないかなあ……
ユキ ……(一瞬ドキリと身じろぎするが、聞こえないふりをする)
のり子 ええと……バス……来るまででいいんだけどね……
ユキ ……
のり子 あなたも、バス……待ってんでしょ?
ユキ ……
のり子 次のバスまで四十分もあるのよね……
ユキ ……
のり子 ここのバスって……遅れるのよね、よく……
ユキ ……
のり子 二本持ってんでしょ。今さしてんのと、手に持ってんのと!
ユキ ……(黙って、さしていた傘をのり子にさしかけて、渡してやる)
のり子 え……ありがとう。
ユキ ……(傘を渡すと、またもとのところへもどり、もう一本の傘はささずに大事そうに持ち、黙ってぬれている)
のり子 どうしたの……ささないの、その傘。
ユキ ……
のり子 怒った?
ユキ ……(かぶりをふる)
のり子 じゃあ、さしなよその傘。あたし一人さしてちゃバツがわるいよ。
ユキ いいんです。
のり子 よかないよ。
ユキ いいんです。
のり子 なんだか、これじゃ、あたしがむりやり傘とりあげて、いじめてるみたいじゃないよ……返すよ。
ユキ いいの、それはあなたに貸したんだから。
のり子 返すよ(傘の押し付けあいになる。ユキの背中の子どもの異常に気づく)あんた、その背中の……ブタ?
ユキ 人形、ぬいぐるみの人形……
のり子 うそよ。今あたしのことギロってにらんで、牙むいてうなったわよ。ガルル……
芝居は最初の三分間が勝負です。ここで観客の興味をひいておかないと、あと取り戻すのはたいへんです。本についても同じことが言えます。
最初の三ページほどで、読者の興味をひいておかないと、最後まで読んでもらえません。要件は二つ。
①状況を「おもしろい!」と思ってもらえること。
②全体の芝居に関わる伏線を張っておくこと。この芝居はユキが傘を二本持っていて、一本をのり子に貸して、自分は黙って雨にうたれているという状況。そして、ユキの背中の人形です。観客、読者は、「あれ、どうなってるんだろう!?」と思います。大事なことは、それが芝居の流れや、テーマと関わっていることです。ただのハッタリではいけません。この芝居の冒頭の状況と伏線はテーマに大きく関わっていて、ドラマの最後のところで「なるほど!」とカタルシス(心的浄化)に結実します。結末を知りたい人は、青雲書房の「新鮮いちご脚本集 1」の、『となりのトコロ』 または、この初夏に門土社から出される『モンド ドラマパケット』でご覧下さい。
本を書くのには、平均的に言って、季節が一つ変わるくらいの期間がいります。ざっと三ヶ月でしょうか。むろん作家によってその差はまちまちで、わたしの言っているのは、あくまで標準です。故井上ひさしさんなどは、一年かかられることもありました。ここで紹介したわたしの『となりのトコロ』は、今のかたちに収まるまで、二十年近くかかっています。二十年前大阪の府大会で上演して以来五十あまりの中高の演劇部、劇団で演っていただき、改稿を重ねてこのカタチになりました。初稿でコンクールに臨んだときにも、四回ほど手を加えています。戯曲は作家の頭の中でできますが、役者によって肉体化する過程でどんどん変わっていくものです。また、そうでないと、なかなか生きた本にはなりません。今から創作にかかり、初稿の上がりが九月の頭頃でしょう。これをヒントに、そろそろ書き始めてください。もう時間はそれほどありません。戯曲は、建物に例えると基礎にあたります。基礎のしっかりしていない建物は、その上に立派な家を造ってもモロイものしかできません。建物でも、しっかりしたものは基礎工事に時間がかかります。演劇の三大要素は「観客・戯曲・役者」の三つです。 良い本を書いてください。
本の書き方は、こんな短い、パンフレットのようなもので分かるものではありません。これは、あくまでもヒントです。回を改めて本の書き方に、もう一歩踏み込んでお話したいと思います。
本編をアップロ-ドしておきました小規模演劇部用戯曲で検索してください。
劇作家 大橋むつお
『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』 青雲書房より発売中。大橋むつおの最新小説! お申込は、最寄書店などでお取り寄せいただくか、下記の出版社に直接ご連絡いただくのが、一番早いようです。ネット通販ではアマゾンや楽天があります。青雲に直接ご注文頂ければ下記の定価でお求めいただけます。 青雲書房直接お申し込みは、定価本体1200円+税=1260円。送料無料。 送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。 大橋むつお戯曲集『わたし 今日から魔女!?』 高校演劇に適した少人数戯曲集です。神奈川など関東の高校で人気があります。 60分劇5編入り 定価1365円(本体1300円+税)送料無料。 お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。 青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351 大橋むつお戯曲集『自由の翼』戯曲5本入り 1050円(税込み) 門土社 横浜市南区宮元町3-44 ℡045-714-1471大阪春の演劇まつり参加の、劇団大阪による公演でありました。劇団大阪は創立40周年にあたり、創作脚本を公募され、その最優秀に選ばれた石原燃さんの『フォルモサ』を上演されました。
作品は、戦前の明治末年、日本統治下の台湾が舞台。高砂族と総称される台湾の山岳原住民の人類学的調査を依頼された、総督府嘱託の人類学者百木太郎の苦悩を描いたドラマです。彼は東京帝大の人類学者森尾を助け、当時蛮族と呼ばれていた原住民の調査にあたるが、その調査が滅び行くことを前提とした調査であり、皇民化政策の一環であり、彼らの文化を失わせるものであり、帰順せぬ者は征伐されると知って懊悩する。そして、百木はせめて彼らを移住させ、生存の道をさぐろうとして周囲の者との軋轢の末、強制的に日本に送還され、送還される船上から海に身を投げて行方不明になる。これが大筋であります。
芝居は百木の妻アイの手紙(?)の朗読から始まる。意図は分かるのだが読まれてしまうと、聞き逃したところが分からない。ドラマとして見せて欲しいと思いました。ただ「毒婦たれ」という言葉がキーワードなのだろうと思いましたが、劇中アイの苦悩が一人称で終わった感じがして、百木の理解者たろうとしたアイの心情に共感……したいのに、しきれないもどかしさを感じました。ラストも、アイの手紙と百木の助手をやった宮田の手紙の読みあいで、建前としての宮田(在台日本人の理解と意志の限界のシンボル)と、本音としてのアイの言葉のかみ合わなさを象徴的に表そうとした演出意図であると汲み取りました。ドラマとは感じさせるもので、くみ取らせてはどうなんだろう……と、思いました。
役者は、さすがに劇団大阪で、大半の役者さんの役の形象は見事でした。ただ、百木の原住民への思いが、始めから「ありき」 所与の前提になっており、百木の思いがドラマとして昇華しきれていない感じがして、これも置いてけぼりを食った感じになりました。
作者ご自身の、お言葉で語っておられますが、創作にあたり台湾の学者楊先生の森丑之助(実在の日本人学者)について語られた話がもとになっているようです。初稿があがった段階で楊先生に見てもらわれたようで、正直に楊先生のお言葉が書かれていました。「百木太郎は丑之助とは別の人物だし、あなたの創作上の意図はとてもよくわかります。でも、森丑之助は本当に寛容で優しい立派な人だったんですよ」 楊先生は、遠慮がちにではありますが、石原さんの作品に違和感をおぼえられたんではないでしょうか。この作品は日本人に対する目の冷たさを感じる……と言っては失礼なのですが。登場人物(百木の養女、タイヤル族のハナコを除いて全て日本人)が、百木は一途ではありますが、タイヤル族をはじめとする原住民への思いが、なにか内向きに自己完結して、観客として共感できません。他の日本人は、小市民的か独善的で、同じ日本人であることが恥ずかしくなるような形象であったことが残念です。
作品では触れられておりませんが、パンフに書かれていた抗日蜂起、いわゆる霧社事件のほうが、双方の誤解と、日本がとった対応の残虐さがよく分かったのではないでしょうか。なんせ日本軍は毒ガスを使い、親日的な高砂族同士たたかわせたのですから。
ただ、ここで基本的な見解の相違になると思うのですが、日本の台湾統治は、当時としては非常に成功した例であると思っております。親日感情の良さは李登輝元総統の言葉を持ち出さずとも、台湾旅行をした人たちが、たいてい感じてくることであります。この21世紀の感覚で当時を見ては、見失うものが、どうしても出てきます。
さらに巨視的に民族が、他民族に与えた耐え難い残虐行為をとらえるなら、わたしは東京大空襲を作戦立案したアメリカのカーチス・ルメイを取り上げます。東京大空襲は、広島、長崎の原爆を上回る10万人の日本人を焼き殺し、戦後は航空自衛隊の創設に功績があったとして日本政府は勲章まで与えています。ここにアメリカ人のプラグマティズムと、日本が戦後置かれた国際的、地政学的な悲しい位置を感じるのです。しかし、わたしは建築で言えば二級建築士、三階建て以上の建物は建てられません。石原さんは一級建築士であります。建てた作品に違和感はあるとはいえ、ちゃんと耐震基準をみたした建物をお建てになったと思います。
演劇的には、傾向の違いを感じますが、40年の長きにわたって、これだけの堅牢な劇団を経営し、発展させてこられてきたことは、後輩として敬意の念を禁じ得ません。これからも、益々のご発展を期待いたします。
劇作家 大橋むつお
第35回大阪春の演劇まつりの参加作品です。演出の鈴木君とは学生時代に何度かエキストラの仕事をまわしてもらったり、古い付き合いですがビッグになったなあと思います。劇団往来は、大阪でも屈指の劇団になりました。さて、今回はブレヒトでもなく、原爆がテーマでもなく、お気楽で楽しいエンタテイメントでした。
とある町のゲイバー「アクエリアス」に勤めるオカマの明菜はオカマ歴26年のベテラン。親友で店のママでもある夢路が、経営不振のためニューハーフ、ハードゲイ、オナベを取りそろえた。さあ大変、店ではニューハーフ対その他(主にオカマ)の対立となった! そんな中、明菜は密かに心を寄せている萬太郎から、一人娘の千里を預かって欲しいと頼まれる。仕事のトラブルで、しばらく町を離れなければならなくなった萬太郎に代わり、一週間後に私立のお嬢様中学の受験を控えている千里である。子供を育てたことのない明菜と生意気娘の千里の戦いも、火ぶたを切っておとされた……
この芝居、あらゆる意味でてんこ盛り! キャストが48人、正にORAI48! それも往来だけでなく、落語家の桂春駒さん、桂春蝶さん、よしもとクリエイティブ、CEL,SABカンパニー、ムーンビームマシン、HIA,ステージ21、舞夢プロ、とてんこ盛り。とばすギャグもてんこ盛り。ラストはもちろんのこと劇中にカルカチュアライズされた人間性がてんこ盛り。挿入歌は4曲まで数えましたが、途中で数えるのを忘れるくらいに上手い歌と踊りのエンタメのてんこ盛り。 もう満腹でした。
道具や照明、衣装があか抜けて上手いのは、みなさんその道のプロなので、当たり前なので省略しますが、店と萬太郎のアパートを盆を回して転換する手際は大したものでした。わたしたちの常識で、なるべく転換や暗転は避けるのですが、舞台はテレビのカット割りのように変わっていきます。エプロンや花道の使い方も上手く、とにかく客を飽きさせません。明菜を演った要冷蔵さんは昨年の芝居では旧陸軍の将校を演っていたので、同じ舞台で冴えないオカマさんを演っているので、そのギャップの大きさに(おそらく演出も意図しないところで)笑ってしまいます。
48人も出しながら、ハーモニーの取り方も絶妙でした。所属もまちまち、キャストの年齢も、十歳ぐらいから、還暦前後の方まで、それぞれの色を出しながら全体の芝居の色もしっかり出していました。みなさんお上手なのですが、特に子役の子達が上手いです。昨年の芝居では、言われたとおりに演ってますという感じだったのですが、すごく自然に(むろん、自然に見えるように演出は苦労されたのでしょうが)子供たちの集団を作っていました。欲を言えば、今少し子供たちの個性が明確だとよかったと思いましたが、生きた子供として形象されていました。中でも準主役と言っていい千里を演った今津さんと南雲さんは、千里と奈津子を交互に演っていたようですが、大人の役者と対等な演技ですばらしかったです。わたしの悪い癖で、台詞を喋っていない役者に目がいってしまいます。店のシーンなど上下にボックス席があるのですが、上手で芝居を演っていると下手のボックス席に目がいきます。そういうとき、やや小芝居になっていて、店全体の盛り上がりがもっとできたと感じました。千里の今津さんは、その点きちんとできていました。相手役の台詞や演技の中できちんと自分の演技ができていて素敵でした。ラストで明菜といっしょに食事の準備をするところなど、それまでの千里の葛藤を踏まえた上で、ちゃんと和解のカタルシスを表現できていました。作品も余計なラストを書かず、明菜と千里の食事の準備で、和解とハッピーな未来を暗示させるところで筆を止めていることに好感が持てました。
桂枝雀さんが、生前こんなことをおっしゃっていました「新劇の人は、真面目に芝居しすぎですわ。演るほうが楽しまんと、観てる人は楽しなりまへんで」 まことにその言葉通り、みなさん舞台できちんと楽しんでいらっしゃいました。当然、楽しめるだけの力と、稽古をなさった上であることは言うまでもありません。
劇作家として一言。 わたしなら明菜の誕生日を4月4日の設定にして、エピソードを一つ増やしたかなあ、と、思いました。4月4日はオカマさんの日なんです。3月3日のひな祭りと、5月5日の端午の節句のちょうど真ん中……
劇作家 大橋むつお
第三十五回大阪春の演劇まつり、第三弾は劇団未来の『はいせんやあれへん しゅうせんや』と、和田澄子さんの作品『西瓜と風鈴~61年目の夏~』の二本立てで、演出は共に波田久夫さんでした。
『はいせんやあれへん しゅうせんや……?』は「上町台地」「おおさか商い地図」の群読から、八人の俳優による八つの詩の朗読に移り、それを西尾さんのナレーションと、ホリゾントに写した動画とスライドが暖かく……そう暖かいのです。戦争を語りながら暖かい。不思議な体験でした。
群読で、大阪全体の描写を少しコミカルなタッチで描写。そのあと、大阪各地で空襲に遭った人たち個々の詩になっていきます。こういう戦争体験の話や詩はときとして、感情過多になるものなのですが、抑制された表現が効果的に観客の心に、そのころの大阪、そのころの大阪の人々の心を感じさせてくれました。八つの詩の中に「わたしの八月十四日」というのがあります。みなさんご存じでしょうか、終戦(敗戦)の前日、大阪の砲兵工廠を爆撃したB29の大型爆弾が国鉄の京橋駅の省線(今の環状線)と片町線(今の学園都市線)の交差するあたりに落ち多くの人たちが亡くなりました。この詩が、二本目の芝居『西瓜と風鈴』の伏線にもなっています。
「戦争を知らない子供たち」である私も、もう還暦が近くなってきました。親はバリバリの戦争世代。学校の先生たちもそうでした。ときにアルコールが入ったり、説教の折などに「戦時中の話」を聞かされました。正直「またかいな」と、思ったものです。しかし、戦時中に大人だった人はしだいに減ってきました。生存されている方も九十前後。なかなかお話はうかがえません。還暦近くになり「自分とはなんだろう」と、ガラにもなく思うことがあります。その時に「あの戦争」は避けて通れません。なぜなら、私たちを育て、教え諭してくれた大人達は戦前の教育を受け、戦争の体験をして、その教育と体験をもとにそれをしていたからです。団塊の世代や、それに続く我々断層の世代のDNAの中には確実にそれが入っています。食事のときのしつけに始まり、ケンカなぞしたときの対処法。友だちとの付き合い方。「駆逐本艦」という遊び。日の丸への思いなど、左右の考え方の違いはあっても、我々は、その「戦争を生きてきた大人達」に育てられたのです。
わたし個人も折に触れて、戦争体験者の話を聞くようにしています。うちの母の実家は真宗の寺でした。戦時中に釣り鐘を金属供出に出した話や、玉音放送の前日に、ようやく防空壕を掘り出し、十五日に重大放送があると聞き、村中総出で、放送に間に合うように防空壕を掘りました……そして、降って湧いたような終戦。村の人たちは、蝉時雨の中、掘ったばかりの防空壕を見つめていたそうです。 終戦により日本の軍隊は無くなったと思われていますが、近衛師団の一部を一年だけ禁衛府衛士として残したことは、ほとんど知られていません。わたしの義兄のお父さんがやってらっしゃいました。また、世に有名な「国防婦人会」は大阪が発祥の地であることも知られてはいません。思想の違いはあったとしても、それらを記録ではなく記憶しておくためにも、未来の今回の静かな取り組みは有意義であったと思います。
『西瓜と風鈴』は、戦時中慰問袋に風鈴と写真を入れて送ってくれた女学生に恋心を抱き、復員後に西瓜をぶらさげて、その女学生の家を訪れる元兵士の物語です。復員して訪れると、女学生は終戦の前日の空襲で亡くなったことを知り、愕然としますが、その後も六十一年にわたり毎年西瓜をぶら下げて、お盆になると福山からやってきます。八十路の半ばに達した彼は、置き手紙を置いて「今年が最後」という暗示を残して帰っていきます。彼が残した手紙を家族たちが読んで、ある真実が分かります。女性らしく……と言っては叱られるかもしれませんが表現が、やわらかな絹の手触りのように細やかなのです。備前焼の風鈴の話、仏間に下げられた数個の風鈴が優しく女学生の人となりを表すように、優しく鳴ります。上手いですね、作者も演出も。
ただ、二点。絹の手触りにかすかにひっかかるものがあります。ただ一人浴衣の若い女性が出てきます。「これはだれやろ?」と思ってよく見ると、遺影の女学生の写真と同一人物のよう……帰宅後パンフを見ると、死んだ女学生として書かれていました。幽霊だったのでしょうか? どうも一度見ただけでは判然としません。しかし淡い水彩画のような芝居は見事でした。こういうドラマを今の高校生にも見せてやりたいなあと思いました。ただ、今の若い人たちに見せるのにはもう一工夫というか、もう一風吹かせる必要があると思いました。しかし、もしこれを読んでいるあなたが若い、演劇を目指す人ならぜひ観て欲しい芝居ではあります。 もう一点、元兵士のおじいさんに生の加害責任、現在意識を持たせたことが、そこにだけ生の絵の具を落としてしまった水彩画のような違和感になってしまいました。
未来のスタジオは、爆撃に遭った京橋の近くの野江のあたりにあります。かすかに聞こえる電車の音が、ふとこの芝居の中にいるような錯覚を覚えさせました。そこまで演出効果を考えておやりになったとしたら、未来という劇団、さすがに大阪の老舗劇団であると思いました。
最後に一言、一度スタジオを出て、今少し広い劇場でおやりになってはいかがでしょう? それだけの力のある劇団ではあると思います。ただ、あの洞窟のような劇場というのは、四十年も芝居をやってきた人間としては魅力的な空間ではあります。
劇作家 大橋むつお
第三十五回大阪春の演劇まつりの第二弾であります。別役実の、共に男一人、女一人。道具も、照明もそう凝ったことをしなくてもできる芝居。しかしその分、演出と役者には高い表現力が求められます。
『トイレはこちら』は、首つり自殺をしようとする女と、トイレの場所を道行く人に教えることで百円もらう仕事を始めようとする男との、かみ合わない会話と、なぜか部分で見ると、変に理屈が通っている不条理劇です。同じ別役の芝居で男女二人の『受付』という芝居があります。人によっては『受付』を高く評価し、この二本の芝居を低く評価するものもありますが、この劇団きづがわさんの芝居を観て、そうでもないな……いや、『受付』のように変な批評性が無く、人間への温かい視線に的を絞って、上演されたことによって、わたしの中での別役作品のランク付けが変わってしまいました。人生に生きる目的を失った女が、トイレの場所を教えることで稼ぎにしようとする男に「そんなことで、稼げるわけがない」と、論争することに生き甲斐を見いだし、そのうち男は自分自身がトイレに行きたくなり、実は、その近辺にトイレがないことが発覚。笑わせてくれる。しかし、その掛け合いの中で人間への愛おしさを感じてしまうのは、新発見でした。別役=不条理=よう分からん。という図式だったのが後述の『この道……』とあわせて、分かりやすい芝居に見せてもらえたのは、演出と、達者な役者さんの演技であったと思います。
別役さんの芝居は不条理でありますが、演技そのものには、とてもリアルな演技をする力が求められます。わたしは、演出するときのクセで、役者が台詞を喋ると、喋っていない役者に目がいきます。きちんと聞いて、反応できていないと、どんなに自分の台詞を上手に喋っても、芝居そのものは痩せたリキミだけの芝居になりますが、役者、特に「女」を演った、橋野さんはきちんと舞台で生活できていて、生きた演技になっており観客のみなさんの反応もよかったように思いました。
『この道はいつか来た道』は、ホスピタルを抜け出した男女が、電柱とポリバケツのある、ある場所で出会い(度々会っていることは、芝居の後半で分かります)会話が始まり、男が「結婚しませんか」というあたりから、いっそう話が面白くなり、飛躍と思わせる展開も、ホスピタルの話が出てくるあたりから、なるほどと納得させられます。 役者さんはお二人とも、お達者で、安心して見ていられました。ポリバケツをあたかも人格のあるもののように扱ったり、互いに半端な道具を出し合い、お茶にするところなど、笑いながらもほのぼのとさせられます。ただ中盤以降、なぜか芝居が、緩みというか、ややリアリティーを失います。失うといってもけして破綻はしません。役者さん二人は自然な呼吸の中で芝居を続けられました。下手な役者だと力みかえったり、どうかするとアドリブに走ってしまうのですが、そういうことはいっさいありません。ラストの雪が舞い散る中、二人の死を暗示させる、ほのぼのした幕の下ろし方は大したものであります。
ただ、前回の息吹さんと同様に、観客の人たちの年齢の高さには、少し驚きました。これは劇団自身長続きしてきたことの証明でもあると思うのですが、若い人たちにも観てもらいたいな、と思いました。前回の息吹さんも含め、今の高校演劇が失ってしまったもの、ドラマの原点がありました。大阪府高等学校演劇連盟の先生や生徒諸君にも観てもらいたい作品でありました。
最後に、小屋の狭さはいかんともしがたいものがあります。膝つきあわせての観劇もいいし、赤テント、黒テントになじんだ世代でもあるので「ま、いいか」とも思うのですが、もう一回り大きな額縁で観られたらなと感じました。ま、これは、そういう施設を無くしてきた行政の問題であり、各劇団は、その中で懸命にやっていらっしゃることは、よくわかっております。
どうです。若い人たちもこういうお芝居を観にいきませんか。きっと得るものがあると思います。
劇作家 大橋むつお
第35回大阪春の演劇祭りの皮切りの上演です。作者は沈虹光さんで、中国の方です。もちろん日本語に訳されて(訳 菱沼彬晃)います。演出はベテランの坂手日登美さんです。Aチーム、Bチームに分かれ、計5回の公演です。わたしは3日のマチネーでしたのでBチームのお芝居でした。小屋はドーンセンターの一階のパフォーマンススペースで、いささか狭く、どんな道具立てにされるのか、楽しみにしていました。間口5間 、奥行き2間ちょっとを、狭さを感じさせない道具立てでした。下手から、団地の階段、ドアを挟んでリビング、左奥が方先生の部屋へ通じるドア、バルコニーに出るサッシと続き、トイレのドア、キッチンへ通じる廊下の設定。上手はドア付きの切り出しを挟んで、劉強(リュウ チャン)米玲(ミーリン)の部屋。実にコンパクトに過不足のない道具立てでした。
【楽しくて、難しいリアリズム】さて、中味です。長江沿いの2LDKの団地にルームシェアリング(共同生活)をしている元小学校の先生だった方(ファン)女史、何事にも一言多い、62歳のおばさん。そして劉強、米玲の30代の夫婦。いつもイザコザが絶えず、夫婦は、面白半分で、「伴侶を求む」と、雑誌に方先生の名前で広告を出します。方先生が結婚すれば、自分たち夫婦だけで、この2LDKが全部使えるとの企みであります。ところがこの広告を見て、定年間近の、長江を上り下りする船の高船長が花束を抱えてやってくる、何も知らない方先生との出会いは、チェーホフの「熊」や「結婚の申し込み」を思わせる、軽妙で、ユーモアに溢れたやりとりです。最初は手厳しく高船長を追い出した方先生だが、ドラマの進展の中で、しだいに高船長に惹かれていく。劉強と米玲夫婦も、ケンカしたり、ヨリをもどしたり。そこに二人の仕事仲間である雷子(レイツ)や、方先生と高船長のことに興味を持って取材に来るテレビ局のスタッフなど、人と事件な絡め方が実に上手く、その絡みにより、それぞれの登場人物の性格、人間性が説明ではなく、ドラマとして描かれており、同業の劇作家として、とても良い刺激をうけました。役者さんたちも演出の意図をよく汲み取り、こういう芝居にありがちな、無理で不自然な、今風のデフォルメや軽薄なギャグなどなく。自然な演技で、作者が持っている、人間への温かい思いが伝わってきました。素直でヒューマンなリアリズムが、そこにはありました。できたら低迷している大阪府高校演劇連盟の先生や、生徒諸君にも観ていただきたい作品でありました。
しかしリアリズムというのは難しいものですね。みなさん好演でしたが、ところどころで惜しいところがありました。なぜ怒るのだろう、笑うのだろう、泣くのだろう……感情や、行動の変化になる演技が、デッサンしきれていません。例えば、業を煮やした高船長、止めてくれるのを待ってしまっていました。ドアの前で、ほとんど足踏みになってしまいました。船乗りらしく決然とドアを開けて階段まで行ってもよかったと思いました。その方が止める方はもっと強い力で止められ、芝居にアクセントがついたと思いました。米玲と、劉強がケンカして和解するところなど、役としてではなく、個人の恥じらい、ためらいが出てしまい、互いに抱き合うところなど、演技として弱く、せっかく芝居の中に入り込もうとしていた観客が冷めてしまいました。
他にも何カ所か、デッサン仕切れていない演技がありましたが忘れてしまいました。健忘症というわけではないのです。大きなところで、演出も演技もしっかりしていて、きちんと最後のカタルシスへ観客をひっぱっていってくれたからです。
金曜の昼としては、上々の入りでした。劇団が長い演劇活動で、確実に固定した観客をつかんでいる証拠です。ただ、わたし(58歳)より若い観客があまり見あたりませんでした。演劇を目指す若い人たちは、こういう芝居を観ておくべきだと思いました。この芝居は良い意味で定石通りなのです。本も演出も手堅く、ところどころ「あれ?」というところがありましたが、基本のデッサンは骨太でした。こういうリアルなデッサン力は貴重です。これからもこういうリアルで、「人間て、いいなあ」と感じさせてくれる芝居を見せてください。
最後に一つだけ……長江の大きさを感じさせて欲しかったです。この本の人間を見る目に繋がります。なんと言っても広いところでは向こう岸が見えません。明治時代に日本にやってきた中国の人が瀬戸内海を見て「日本にも大きな川があるじゃありませんか!」と言ったぐらい、長江は大きいです。その大きさと、ゆったりした流れは、大人(たいじん)の風格と優しさを感じさせます。演技か演出で、感じさせて欲しいと願うのは、大河と言えば淀川程度の想像しかできない、せせこましい大阪人だからかもしれませんが。
劇作家 大橋むつお