高校ライトノベル
『私家版・父と暮らせば・1』
まるで、連休中の小旅行の日程を決めるように簡単に決まってしまった。
「連休中は、前半と後半が晴れで、中頃は雨降るでえ」
「せやな、ほんでも二十八日は息子アコギのレッスンやしなあ……」
「あんまり先は、天気予報もあてにならんしなあ」
『それでは二十九日ぐらいでいかがでしょうか?』
そこで、通話口を押さえた。
「姉ちゃん、大丈夫か?」
「睦夫のとこ、よかったら、それでええで」
何事も早めを好むカミサンの顔が浮かんだ。で、送話口を解放した。
「ほんなら、それでお願いしますわ」
『何時頃お見えになりますでしょうか?』
「え~十一時ごろ伺いますわ」
『十一時でございますね。承知いたしました。それでは四月二十九日十一時にお待ち申し上げております』
父の納骨の日が決まってしまった。
二年前の2011年11月の朝九時頃に姉から電話があった。
「睦夫、じいちゃん(父)心肺停止状態て、施設から電話かかってきた!」
「え、ええ……」
五分後、再び姉からの電話。
「死亡が確認された。今から出といで」
「う、うん」
一時間かけて、父の介護付き老人ホームについた。
「睦夫、こっち。警察の人と話して」
「大橋睦夫さんですね。わたしN署の○○です」
鑑識の濃紺の作業服のお巡りさんが、警察のバッジをチラ見させながら、そこだけ非日常になった、父の部屋の前の椅子に誘った。そして、施設の人が発見してから、ここにいたるまでのいきさつを、区切るように説明してくれたが、何も耳には入らなかった。
「おっちゃん、事件性はない。ざっと検分したけど、まぶたの裏にチアノーゼもないし、ほぼ即死やわ……」
横の刑事が、なれなれしく喋る。その時、別の刑事がやってきた。
「病院は、あきませんわ。昔なんでカルテも……こちらは?」
「ほとけさんの甥ごさんで、本部の一課の主任さんや」
で、初めて気が付いた。なれなれしい刑事は、十数年ぶりに見る我が甥のなれの果て……いや、立派な刑事になった姿であった。
「詳しい死因は開いてみな分からへんねんけどな、ここか、ここや」
テレビドラマそのままの呼吸で、所轄の鑑識と入れ替わり、我が甥は胸と頭を示した。
「で、おっちゃんが遺族筆頭やさかい、おっちゃんがウンて言わへんかったら、病理解剖せなあかんねん。この上メス入れたんのはカワイソウやで」
まるで、刑事のように落ち着いて言うじゃないか……と思ったら、こいつは本物の刑事。わたしも混乱していた。
「とりあえず、じいちゃん見てくるわ……」
そう言って、わたしは父の六畳ほどの部屋に入った。
ありきたりだが、眠っているように穏やかな顔で父はベッドに横たわっていた。五十八年間の父との記憶が爆発した。
その数分間の記憶は、きれいに頭からぬけている。
「おっちゃん、どないする?」
甥が静かに問いかけてきた。
「病死……納得」
わたしの、その言葉で全てが動き出した。所轄のお巡りさんは無線で、わたしに話した倍のテンポで連絡を取り始めた。
「一時に検死のお医者さんが来ます。そのあと死体検案書ができますんで、取りに……」
「わしが、全部やりますわ」
と、甥が言う。
「あ、そうですね。ほんなら、そういうことで」
あとは、よくできた芝居のようにダンドリがよかった。甥は検死を待って、タクシーで死体検案書を受け取り、市役所に死亡届を出してくれた。
介護ヘルパー一級の姉は、かねて契約していた葬儀屋さんに電話、約束の三時にはピタリとお迎えの車がきた。
父はシュラフに入れられ、ストレッチャーに縛着されて、施設のお年寄りが三時のお八つを食べている横を、まるで本番中の舞台裏で道具の転換をやるように正確に、静かに、見事に搬送車に載せられた。助手席に乗るとすぐに車は発車した。施設の人たちは一礼すると、すぐに建物の中に戻った。役者やったら見切れるとこでハケたらあかんやろ。と、ついダメ出ししたくなる。
葬儀会館に着いてからは、営業のおばちゃんとの駆け引きである。
「家族葬、一本で」
まるで、飲み屋の注文である。
「そのご予算ですと……」
タブレットに入力して、さっと見積もりを見せる。メガネを忘れたことが悔やまれた。細かい数字がまるで見えない。ただ大きな数字で「総計」と書かれた字だけは見える。予算を二割もオーバーする。
あちこち削って、やっと予算に収まる。ただ祭壇の細目が見えなかったことが、あとで悔やまれた。
「ぼんさん呼んだら、いくらかかりますか?」
おばちゃんは黙ってVサインをした。二十万ということである。
「あ~ 親類が坊主なんで、そこ頼んでみますわ」
電話をすると二十分で飛んできてくれた。わたしの従弟である。
「むっちゃん、直で言うてくれてよかったわ。こういうとこ通すと、ひどいとこは四割キックバックで持っていきよる」
そこからは、二日興業の芝居のようであった。総議会館の人たちは、まことに丁寧と手慣れの間で葬儀を運んでくださった。
そして葬儀の一切が終わった。
意識したわけではないが、わたしは戯曲にしろ小説にしろ、種別ではコメディーの部類に入るものを書いている。最後でずっこけた。
「タクシーをお呼びしましょうか?」
葬儀会館のオバチャンが言ってくれた。
うかつに、わたしもカミサンも、息子も、通夜から、ここに至るまで自転車であった。
息子の前カゴに父の骨箱を。カミサンの前カゴには仏具。そして、わたしの前カゴには収まりきれない祭壇のキット。見かねたオバチャンがペットボトルのお茶を四本持ってきてくれて、息子の前カゴに入れてくれた。
「これで、なんとか揺れんですみまっしゃろ」
三日間世話になった葬儀会館の人がアクセントは別にして、むき出しの河内弁で喋ってくれた唯一のことばであった。
重くかさばる祭壇をハンドルに結びつけ、歩くような速度で家路につきながら考えた。十年以上施設で過ごさせた父。季節が一回りするぐらいは家に置いてやろう。
そうして、父の骨箱を目の前に、遺影を真横の壁に掛けて、一年有余の『父と暮らせば』が始まった。
『私家版・父と暮らせば・1』
まるで、連休中の小旅行の日程を決めるように簡単に決まってしまった。
「連休中は、前半と後半が晴れで、中頃は雨降るでえ」
「せやな、ほんでも二十八日は息子アコギのレッスンやしなあ……」
「あんまり先は、天気予報もあてにならんしなあ」
『それでは二十九日ぐらいでいかがでしょうか?』
そこで、通話口を押さえた。
「姉ちゃん、大丈夫か?」
「睦夫のとこ、よかったら、それでええで」
何事も早めを好むカミサンの顔が浮かんだ。で、送話口を解放した。
「ほんなら、それでお願いしますわ」
『何時頃お見えになりますでしょうか?』
「え~十一時ごろ伺いますわ」
『十一時でございますね。承知いたしました。それでは四月二十九日十一時にお待ち申し上げております』
父の納骨の日が決まってしまった。
二年前の2011年11月の朝九時頃に姉から電話があった。
「睦夫、じいちゃん(父)心肺停止状態て、施設から電話かかってきた!」
「え、ええ……」
五分後、再び姉からの電話。
「死亡が確認された。今から出といで」
「う、うん」
一時間かけて、父の介護付き老人ホームについた。
「睦夫、こっち。警察の人と話して」
「大橋睦夫さんですね。わたしN署の○○です」
鑑識の濃紺の作業服のお巡りさんが、警察のバッジをチラ見させながら、そこだけ非日常になった、父の部屋の前の椅子に誘った。そして、施設の人が発見してから、ここにいたるまでのいきさつを、区切るように説明してくれたが、何も耳には入らなかった。
「おっちゃん、事件性はない。ざっと検分したけど、まぶたの裏にチアノーゼもないし、ほぼ即死やわ……」
横の刑事が、なれなれしく喋る。その時、別の刑事がやってきた。
「病院は、あきませんわ。昔なんでカルテも……こちらは?」
「ほとけさんの甥ごさんで、本部の一課の主任さんや」
で、初めて気が付いた。なれなれしい刑事は、十数年ぶりに見る我が甥のなれの果て……いや、立派な刑事になった姿であった。
「詳しい死因は開いてみな分からへんねんけどな、ここか、ここや」
テレビドラマそのままの呼吸で、所轄の鑑識と入れ替わり、我が甥は胸と頭を示した。
「で、おっちゃんが遺族筆頭やさかい、おっちゃんがウンて言わへんかったら、病理解剖せなあかんねん。この上メス入れたんのはカワイソウやで」
まるで、刑事のように落ち着いて言うじゃないか……と思ったら、こいつは本物の刑事。わたしも混乱していた。
「とりあえず、じいちゃん見てくるわ……」
そう言って、わたしは父の六畳ほどの部屋に入った。
ありきたりだが、眠っているように穏やかな顔で父はベッドに横たわっていた。五十八年間の父との記憶が爆発した。
その数分間の記憶は、きれいに頭からぬけている。
「おっちゃん、どないする?」
甥が静かに問いかけてきた。
「病死……納得」
わたしの、その言葉で全てが動き出した。所轄のお巡りさんは無線で、わたしに話した倍のテンポで連絡を取り始めた。
「一時に検死のお医者さんが来ます。そのあと死体検案書ができますんで、取りに……」
「わしが、全部やりますわ」
と、甥が言う。
「あ、そうですね。ほんなら、そういうことで」
あとは、よくできた芝居のようにダンドリがよかった。甥は検死を待って、タクシーで死体検案書を受け取り、市役所に死亡届を出してくれた。
介護ヘルパー一級の姉は、かねて契約していた葬儀屋さんに電話、約束の三時にはピタリとお迎えの車がきた。
父はシュラフに入れられ、ストレッチャーに縛着されて、施設のお年寄りが三時のお八つを食べている横を、まるで本番中の舞台裏で道具の転換をやるように正確に、静かに、見事に搬送車に載せられた。助手席に乗るとすぐに車は発車した。施設の人たちは一礼すると、すぐに建物の中に戻った。役者やったら見切れるとこでハケたらあかんやろ。と、ついダメ出ししたくなる。
葬儀会館に着いてからは、営業のおばちゃんとの駆け引きである。
「家族葬、一本で」
まるで、飲み屋の注文である。
「そのご予算ですと……」
タブレットに入力して、さっと見積もりを見せる。メガネを忘れたことが悔やまれた。細かい数字がまるで見えない。ただ大きな数字で「総計」と書かれた字だけは見える。予算を二割もオーバーする。
あちこち削って、やっと予算に収まる。ただ祭壇の細目が見えなかったことが、あとで悔やまれた。
「ぼんさん呼んだら、いくらかかりますか?」
おばちゃんは黙ってVサインをした。二十万ということである。
「あ~ 親類が坊主なんで、そこ頼んでみますわ」
電話をすると二十分で飛んできてくれた。わたしの従弟である。
「むっちゃん、直で言うてくれてよかったわ。こういうとこ通すと、ひどいとこは四割キックバックで持っていきよる」
そこからは、二日興業の芝居のようであった。総議会館の人たちは、まことに丁寧と手慣れの間で葬儀を運んでくださった。
そして葬儀の一切が終わった。
意識したわけではないが、わたしは戯曲にしろ小説にしろ、種別ではコメディーの部類に入るものを書いている。最後でずっこけた。
「タクシーをお呼びしましょうか?」
葬儀会館のオバチャンが言ってくれた。
うかつに、わたしもカミサンも、息子も、通夜から、ここに至るまで自転車であった。
息子の前カゴに父の骨箱を。カミサンの前カゴには仏具。そして、わたしの前カゴには収まりきれない祭壇のキット。見かねたオバチャンがペットボトルのお茶を四本持ってきてくれて、息子の前カゴに入れてくれた。
「これで、なんとか揺れんですみまっしゃろ」
三日間世話になった葬儀会館の人がアクセントは別にして、むき出しの河内弁で喋ってくれた唯一のことばであった。
重くかさばる祭壇をハンドルに結びつけ、歩くような速度で家路につきながら考えた。十年以上施設で過ごさせた父。季節が一回りするぐらいは家に置いてやろう。
そうして、父の骨箱を目の前に、遺影を真横の壁に掛けて、一年有余の『父と暮らせば』が始まった。