神崎川物語
わたしの中に住み着いた少女
「え、また、あの役やるの?」
その子は、こたつの中に両手両足をつっこみ、こたつの上にアゴを載っけ、ミカンを見つめながら不足そうに言った。
セミロングの髪が、こたつにかかり、前髪のすき間から不満そうな片目が覗いている。
この子……この少女は、いつからか住み着いた。
最初は気配……いや、単なるインスピレーションだと思っていた。
わたしの作品は百五十本ほどあるが、その多くに十代の少女が登場する。
『犬のお巡りさん』の子ネコちゃんになったのが最初。
最近は『はるか 真田山学院高校演劇部物語』のはるかになったり、『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』では、まどかになったりした。
『乃木坂学院高校演劇部』では、はるかとまどかの二役をやらせたりしたので、ご機嫌ナナメである。
この少女の姿が見え始めたのは、『女子高生HB』の第一章を書き始めていたころであった。
「わたしはHB,シャーペンの芯じゃないよ……」
と、最初の一行を書いて、あとが続かず、座卓で唸っているときに、こいつが現れた。
目の前に気配を感じ、パソコンのモニターから顔をずらすと、目の前でコワイ顔をして、今のように、座卓にアゴを載っけて、わたしを観ていた。
それから、なんの不思議もなく、わたしの中に住み着いた。
「違うよ、四十年前から、ずっと住んでいるんだよ」
と、ホッペを膨らませる。
わたしが、本を書いているうちは、わたしが書斎代わりにしているリビングの片隅で遊んでいる。
わたしと違って、本が好きな子である。
大した本というか、ムツカシイ本は読まない。赤川次郎や、氷室冴子がお気に入り、数は少ないが浅田次郎の本も読む。
「わたし、ポッポ屋が好きなんだ」
ある日、機嫌のいいときに、事のついでのようにそう言った。
「あ、そうなんや……」
わたしの気のない返事をとがめるでもなく。わたしの好きなコーヒー牛乳を二つ冷蔵庫から持ってきて、一つをわたしの前に置き、もう一つは、自分で飲みながら、佐藤愛子が兄であるサトウハチロウの悪口を書いたエッセーを読んでいた。
「『妹』書き直してみる気ない?」
と、振ってきた。
『妹』はわたしが三十九年前に書いた戯曲で、十数回の上演実績がある。
しかし、十年ほど前に、北陸の劇団で演られて以来、上演はおろか、わたしの記憶の中でも引き出しにしまったものになっている。
「あれなあ……三億円事件がでてくるから、かなり手え加えんとなあ」
気のない返事をして、パソコンに目を落とすと、「テネシーワルツ」のメロディーが聞こえてきた。
「ん……」
顔を上げると、少女が目を潤ませながら、じっとわたしの顔を見て、「テネシーワルツ」をハミングしている。
「どないしたんや?」
「このドンカン!」
そう一言残して、少女は消えてしまった。
何分か、そのままボーっとして……気がついた。
「テネシーワルツ」は『ポッポ屋』で、出てくる曲である。
主人公の乙松が、亡くなった妻や、赤ん坊のうちに死なせた娘ユッコを思い出すときに出てくる曲である。
「そうやったんか……」
ドンカンなわたしは、やっと気づいた。
その少女は、わたしの……妹であった。
わたしは、三つ年上の姉と二人姉弟である……戸籍上は。
姉の上に、昭和二十四年生まれの兄がいた。月足らずで生まれ、この世に三十分しかいなかった。当時の医療技術では、育たない未熟児であった。取り上げた産婆さんは、父にこう言った。
「死産やいうことにしとくさかいにね」
たとえ、三十分でも生きていれば出生届をださねばならず、同時に死亡届も出さねばならない。
つまり、葬式を出さねばならない。当時臨時工であった、貧しい父にそんな余裕はなかった。だから産婆さんは気を利かして「死産」としたのである。
初めての子、それも待ちわびていた男の子。父と母の落胆は大きかった。
親切な、アパートの人たちが、ささやかな葬儀をやってくれた。
ミカン箱の棺にオクルミにくるまれ、ほ乳瓶一本と、ささやかな花々を入れてもらい、子犬のような大きさの兄はリヤカーの霊柩車にのせられ神崎川の河川敷に葬られた。父は目印に子供の頭ほどの石をおいて墓標とした。
しかし、そのささやかな墓は墓標ごと、その年のジェーン台風にさらわれてしまった。
まだ、二十四歳でしかなかった、父と母は落胆し、このことが貧しい夫婦の一生の負い目となった。
明くる年に、姉が仮死状態で生まれた。産婆さんの懸命の蘇生措置でやっと息をとりもどした。父と母は、初めての娘に「三枝子」という、パッとしないが、精一杯の想いをこめて、めでたい名前をつけた。「三枝の礼」からとった名前である。
その三年後にわたしが生まれた。姉弟の中でただ一人まともに生まれた子であった。名前を「睦夫」とつけた。愛称は「むっちゃん」で、こう呼ばれるのは女の子が多く、子供のころは嫌だった。大学にいって分かった。「睦夫」の「睦」は、さるやんごとなき方の名前から一字をとっている。しかし画数が多いので、ペンネームは「むつお」としている。
わたしは、嫌いなことはしない子であった。
一番嫌いなことは勉強で、高校二年で留年し、三年の二学期にも担任から、「卒業があぶない」と言われた。
普段、あまり口もきかない父が、始めて言った。
「睦夫、おまえには妹がおったんや」
衝撃であった。わたしの三歳のときに母が身ごもった。あいかわらず臨時工であった父と母に、三人の子を育てる経済力は無かった。
やむなく、その子は堕ろされてしまった。
女の子であった。
わたしは、十九歳で高校生をやっていたので、妹の姿は十六歳の高校一年生のそれであった。
「おまえが生きているのは、早産で死んだ兄ちゃんと妹のおかげやねんぞ」
無念の思いを、父は、そう表現したのである。
還暦までに半年を切ったわたしは、どこから見てもくたびれたオッサンであるが、妹は、いつまでたっても十六歳の少女のままである。
可憐であると感じるよりも、いつまでも、わたしが衝撃を受けた時の姿であることが、わたしには重荷である。
わたしは、母のお腹を隔てて、三ヶ月の間、妹といっしょにいた。
「生まれたら、あれもしたい、これもしたい」
という想いがあっただろうと、不甲斐ない兄は思う。
そして、自分が堕ろされると決まったとき、妹は、わたしに背負いきれないほどの想いを託していった。
わたしは、男の子のくせに針仕事が好きで、劇団をもっていたころ、たいていの衣装は自分で作った。オンチなわりには歌が好きである。物心ついて最初に読んだ本は『オズの魔法使い』『不思議の国のアリス』であった。
ママゴトも好きな変な男の子であった。高校に入って入部したクラブは、男子が一人もいない演劇部であった。
また気配がするので、パソコンのモニター越しに覗いてみると、こたつにアゴを載っけて妹が言った
「今度のはるかは、ポニーテールでいくわね」
妹の名前は、聞かずとも分かっていた。
栞(しおり)という。
わたしの人生のページに「ここ忘れるべからず」と挟まれた栞である。
「今度は、ひとのことじゃなくって、栞のことも書いてね」
そう、ナレナレシく言う。こいつには、いっぱい借りがある。
「はいはい、書かせてもらいます」
「はいの返事は一回だけ!」
で、とりあえず、この短編を書いている。
そのあいだ、妹はミカンの皮を剥いている。
「兄ちゃんも、わたしもビタミン不足だから」
「そう……かな」
「うん、そうだよ」
「栞は、ビタミンの何が不足してんねん?」
「このドンカン」
「なんやねん?」
「ビタミンIにきまってるじゃん」
Iが愛のカケコトバであることに気づいたころには、栞はパソコンのモニターの中で、まどかを演じておりました。
わたしの中に住み着いた少女
「え、また、あの役やるの?」
その子は、こたつの中に両手両足をつっこみ、こたつの上にアゴを載っけ、ミカンを見つめながら不足そうに言った。
セミロングの髪が、こたつにかかり、前髪のすき間から不満そうな片目が覗いている。
この子……この少女は、いつからか住み着いた。
最初は気配……いや、単なるインスピレーションだと思っていた。
わたしの作品は百五十本ほどあるが、その多くに十代の少女が登場する。
『犬のお巡りさん』の子ネコちゃんになったのが最初。
最近は『はるか 真田山学院高校演劇部物語』のはるかになったり、『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』では、まどかになったりした。
『乃木坂学院高校演劇部』では、はるかとまどかの二役をやらせたりしたので、ご機嫌ナナメである。
この少女の姿が見え始めたのは、『女子高生HB』の第一章を書き始めていたころであった。
「わたしはHB,シャーペンの芯じゃないよ……」
と、最初の一行を書いて、あとが続かず、座卓で唸っているときに、こいつが現れた。
目の前に気配を感じ、パソコンのモニターから顔をずらすと、目の前でコワイ顔をして、今のように、座卓にアゴを載っけて、わたしを観ていた。
それから、なんの不思議もなく、わたしの中に住み着いた。
「違うよ、四十年前から、ずっと住んでいるんだよ」
と、ホッペを膨らませる。
わたしが、本を書いているうちは、わたしが書斎代わりにしているリビングの片隅で遊んでいる。
わたしと違って、本が好きな子である。
大した本というか、ムツカシイ本は読まない。赤川次郎や、氷室冴子がお気に入り、数は少ないが浅田次郎の本も読む。
「わたし、ポッポ屋が好きなんだ」
ある日、機嫌のいいときに、事のついでのようにそう言った。
「あ、そうなんや……」
わたしの気のない返事をとがめるでもなく。わたしの好きなコーヒー牛乳を二つ冷蔵庫から持ってきて、一つをわたしの前に置き、もう一つは、自分で飲みながら、佐藤愛子が兄であるサトウハチロウの悪口を書いたエッセーを読んでいた。
「『妹』書き直してみる気ない?」
と、振ってきた。
『妹』はわたしが三十九年前に書いた戯曲で、十数回の上演実績がある。
しかし、十年ほど前に、北陸の劇団で演られて以来、上演はおろか、わたしの記憶の中でも引き出しにしまったものになっている。
「あれなあ……三億円事件がでてくるから、かなり手え加えんとなあ」
気のない返事をして、パソコンに目を落とすと、「テネシーワルツ」のメロディーが聞こえてきた。
「ん……」
顔を上げると、少女が目を潤ませながら、じっとわたしの顔を見て、「テネシーワルツ」をハミングしている。
「どないしたんや?」
「このドンカン!」
そう一言残して、少女は消えてしまった。
何分か、そのままボーっとして……気がついた。
「テネシーワルツ」は『ポッポ屋』で、出てくる曲である。
主人公の乙松が、亡くなった妻や、赤ん坊のうちに死なせた娘ユッコを思い出すときに出てくる曲である。
「そうやったんか……」
ドンカンなわたしは、やっと気づいた。
その少女は、わたしの……妹であった。
わたしは、三つ年上の姉と二人姉弟である……戸籍上は。
姉の上に、昭和二十四年生まれの兄がいた。月足らずで生まれ、この世に三十分しかいなかった。当時の医療技術では、育たない未熟児であった。取り上げた産婆さんは、父にこう言った。
「死産やいうことにしとくさかいにね」
たとえ、三十分でも生きていれば出生届をださねばならず、同時に死亡届も出さねばならない。
つまり、葬式を出さねばならない。当時臨時工であった、貧しい父にそんな余裕はなかった。だから産婆さんは気を利かして「死産」としたのである。
初めての子、それも待ちわびていた男の子。父と母の落胆は大きかった。
親切な、アパートの人たちが、ささやかな葬儀をやってくれた。
ミカン箱の棺にオクルミにくるまれ、ほ乳瓶一本と、ささやかな花々を入れてもらい、子犬のような大きさの兄はリヤカーの霊柩車にのせられ神崎川の河川敷に葬られた。父は目印に子供の頭ほどの石をおいて墓標とした。
しかし、そのささやかな墓は墓標ごと、その年のジェーン台風にさらわれてしまった。
まだ、二十四歳でしかなかった、父と母は落胆し、このことが貧しい夫婦の一生の負い目となった。
明くる年に、姉が仮死状態で生まれた。産婆さんの懸命の蘇生措置でやっと息をとりもどした。父と母は、初めての娘に「三枝子」という、パッとしないが、精一杯の想いをこめて、めでたい名前をつけた。「三枝の礼」からとった名前である。
その三年後にわたしが生まれた。姉弟の中でただ一人まともに生まれた子であった。名前を「睦夫」とつけた。愛称は「むっちゃん」で、こう呼ばれるのは女の子が多く、子供のころは嫌だった。大学にいって分かった。「睦夫」の「睦」は、さるやんごとなき方の名前から一字をとっている。しかし画数が多いので、ペンネームは「むつお」としている。
わたしは、嫌いなことはしない子であった。
一番嫌いなことは勉強で、高校二年で留年し、三年の二学期にも担任から、「卒業があぶない」と言われた。
普段、あまり口もきかない父が、始めて言った。
「睦夫、おまえには妹がおったんや」
衝撃であった。わたしの三歳のときに母が身ごもった。あいかわらず臨時工であった父と母に、三人の子を育てる経済力は無かった。
やむなく、その子は堕ろされてしまった。
女の子であった。
わたしは、十九歳で高校生をやっていたので、妹の姿は十六歳の高校一年生のそれであった。
「おまえが生きているのは、早産で死んだ兄ちゃんと妹のおかげやねんぞ」
無念の思いを、父は、そう表現したのである。
還暦までに半年を切ったわたしは、どこから見てもくたびれたオッサンであるが、妹は、いつまでたっても十六歳の少女のままである。
可憐であると感じるよりも、いつまでも、わたしが衝撃を受けた時の姿であることが、わたしには重荷である。
わたしは、母のお腹を隔てて、三ヶ月の間、妹といっしょにいた。
「生まれたら、あれもしたい、これもしたい」
という想いがあっただろうと、不甲斐ない兄は思う。
そして、自分が堕ろされると決まったとき、妹は、わたしに背負いきれないほどの想いを託していった。
わたしは、男の子のくせに針仕事が好きで、劇団をもっていたころ、たいていの衣装は自分で作った。オンチなわりには歌が好きである。物心ついて最初に読んだ本は『オズの魔法使い』『不思議の国のアリス』であった。
ママゴトも好きな変な男の子であった。高校に入って入部したクラブは、男子が一人もいない演劇部であった。
また気配がするので、パソコンのモニター越しに覗いてみると、こたつにアゴを載っけて妹が言った
「今度のはるかは、ポニーテールでいくわね」
妹の名前は、聞かずとも分かっていた。
栞(しおり)という。
わたしの人生のページに「ここ忘れるべからず」と挟まれた栞である。
「今度は、ひとのことじゃなくって、栞のことも書いてね」
そう、ナレナレシく言う。こいつには、いっぱい借りがある。
「はいはい、書かせてもらいます」
「はいの返事は一回だけ!」
で、とりあえず、この短編を書いている。
そのあいだ、妹はミカンの皮を剥いている。
「兄ちゃんも、わたしもビタミン不足だから」
「そう……かな」
「うん、そうだよ」
「栞は、ビタミンの何が不足してんねん?」
「このドンカン」
「なんやねん?」
「ビタミンIにきまってるじゃん」
Iが愛のカケコトバであることに気づいたころには、栞はパソコンのモニターの中で、まどかを演じておりました。