せやさかい・001
ここで降りるん?
財布を出したお母さんは「そこで停めてください」と運転手さんに言う。
お祖父ちゃんの家は、ここからやと、まだ五百メートルはある。いつもは、お祖父ちゃんの家の前で降りるんやけど……ひょっとしてタクシー代にまで困ってるんやろか?
「今日から住むとこや、どんな街か知っとかならあかんやろ。ほら、こっちが堺東の駅の方や」
タクシーでやってきた四車線の北を指さすお母さん。駅に着いた時に降ってた雨は上がってお日さんが顔を出してる。せやけど、道路は、まだまだ水浸し。おニューの靴で歩いて行くのは気が進まへん。
「そんで、そこのファミマの道を西に入っていくんや」
運転手さんがトランクから荷物を出してくれる間にザックリと説明。「そんなん分かってるわ」と言うてみるけど、ファミマが目印やったのは初めて気ぃついた。お母さんに素直になられへんのは、この四月で中学生になる思春期のせいばっかりやない。ないけど、胸に仕舞い込む。
「信号青になった」
スマホに意識とられてるお母さんに言う。「分かってる」と返すお母さんも、ちょっとツッケンドン。お母さんは、ええ歳して、どこか思春期を引きずってるようなとこがある。
信号を渡ると住宅地。
「角を二つ曲がるから、よう覚えときや」
これまでは、堺東の駅からタクシーで来るばっかりやったから、正直道は分からへん。大人しい付いていく。
三階建てのマンションが見えたとこで、お母さんがクイっと首を捻る。
左手にキャリーバッグ、右手にスーツケース持ってるからしゃあないねんけど、せめて「右に曲がる」くらい言うてほしい。
チラ見したら、ちょっと目尻に力が入ってる。
「今のが、介護喫茶の『ひらり』覚えたか?」
「うん」
次の曲がり角は駐車場やったけど、今度は言わへん。
お母さんの胸にも、いろいろ迫ってくるもんがあるんやろと思て、駐車場の『コトブキパーキング』看板をしっかり覚える。
「「ハーーーー」」
親子そろてため息、ちょっと気まずいけど互いに知らん顔しとく。
わたし、田中さくらは今日から酒井さくらと苗字を変えて堺の街で生きていきます。
ちょっと振り返った道の向こうには小高い山が見えた。
それが仁徳天皇陵やと思いだしたころにお祖父ちゃんの家の前に着いた。お爺ちゃんの家には大きな屋根付きの門がある。門には『安泰山如来寺』の看板が掛かってる。
「いくで」
実家に入るのに「いくで」はちゃうやろと思うねんけど「うん」と返事して足を踏み入れる。
そのとたん。
「ヒヤ!」
「……いや?」
「ちゃうちゃう、屋根の雨水が落ちてきて背中に入った」
ほんまに水が落ちて来てんやけど、うろんな顔のお母さん。
「そうなんだ」
口癖の東京弁を言うと、ズンズンと庫裏に向かって歩いて行く。
「ハーーー」
無意識にため息が出て、またお母さんに睨まれる。
見上げた空は完全に回復して青空が覗いてる。
わたしの心はお天気ほどには切り替わってはいてません。
☆・・主な登場人物・・☆
- 酒井 さくら 安泰中学一年 この物語の主人公
- 酒井 歌 さくらの母 亭主の失踪宣告をして旧姓の酒井に戻って娘と共に実家に戻ってきた。