ライトノベルベスト
『美男高校他球防衛部』
「おい、あいつら全員野球部に入れちまえ!」
監督の伊藤が、唾を飛ばしながらキャプテンの野々村に叫んだ。
監督は実力の割に声がでかいので、メガホンを通した声は場内放送のマイクも拾って、市民野球場全体に響き渡った。
なんといっても、3対0で迎えた9回裏の攻撃で、臨時で入れた他球防衛部の連中が出撃。あっと言う間にノーアウト満塁でホームランをかっ飛ばしたのである。まさに奇跡の救世主である。こんな連中を放っておくのはもったいない。
「だめです監督、あいつらとの契約は、この試合限りっすから。明日は、あつらサッカー部の助っ人です」
そう、花田充(みつる)を始めとする五人の他球防衛部は、名前の通りピンチに陥った球技部のお助けをやるという変わったクラブなのだ。
ボールを使うクラブなら、野球から卓球部まで、なんでも来いの助っ人クラブだった。創部は去年だが、もう九クラブを敗北の縁から救っている。
変わったところでは壊滅寸前の演劇部まで救った。演劇部は文化部の玉であるとして臨時部員となり、去年のコンクールでは関東大会まで進出。惜しくも選外であったが、その審査に不服を申し立て、信じられないことに東京地方裁判所で係争中である。
「花田、これで間に合うか……?」
副部長の角野が、こっそり聞いた。
「野球はポピュラーな分得点が低い、なんとかしなくちゃ、時間がない……」
「演劇部で全国大会までいけたら、ギリギリなんとかなったんだが」
「あたしたちだって、がんばったのよ」
女子部の瑠璃は聞き逃さなかった。美男高校と異名をとる宇宙(そら)学園高校の中でも紅一点の美人と言っていい。今日の試合は長い髪をショ-トボブにして、胸をサラシでつぶして参加していた。
「裁判の結果を待っているわけにはいかない。なにか手を考えなくちゃな」
「しかし、悔しいわよ。だれが観たって、あたしたちの芝居がピカイチだったのに」
「あそこまで、演劇の審査がいい加減だとは計算外だったな」
角野が瑠璃に同調すると、他の部員たちも大きく頷いた。
「だいたい、大阪から来た審査員が……」
「言うな、過ぎたことだ。夏までにもう50ポイントは稼がなきゃ、あれは……救えない」
他球防衛部のメンバーは眉間にしわを寄せながら駅への道を急いだ。で、パチンコ屋の前で瑠璃の足が停まった。
「どうした瑠璃?」
「うちの生徒がパチンコしてる」
「みのがしてやれよ、制服でやってるわけじゃないんだから」
「ううん、待ってて!」
瑠璃は一人制服を着ていない(なんたって、男ということで、今日の野球部を助けてやった)のでズカズカと店に入り、負けのこんでいる三年の滝川の横に座った。で、あっという間にフィーバーになった。やっと滝川が気が付いた。
「おまえ……他球防衛部の瑠璃、おまえパチンコの腕ハンパないぞ……」
「玉半分あげるから、質問に答えて」
「な、なんだよ……」
滝川は、緊張と感心で汗が流れてきた。
「パチンコ、部活にしない?」
宇宙高校は、美男が多く真面目で通っていたが、裏に回れば滝川みたいなのもいる。仲間が4人いると聞いて、その場で宇宙高校パチンコ部にしてしまった。むろん非合法部活である。ただ大事なのは青春を賭けた部活であるという自覚であった。
あくる日曜のサッカー部の試合を勝利で終わらせると、全員私服に着替えて、夜の9時まで掛けて合計50台のパチンコ台を終了させてしまった。
希少部活(日本でただ一つ)のポイントは高かった。一気に30ポイントを稼いだ。
「これで、オレたちの星も、地球も救われる……」
花田が感無量で呟いた。
他球防衛部は、11万光年先のミランダ星から地球に送り込まれていた。地球もミランダも気候変化や自然破壊に晒されていた。
宇宙の神が言った。
「地球に宇宙高校を作った。そこの球技部を助ければ、そなたたちの誠意と認め、破滅寸前の両方の星を救ってやろう。ただ地球の方が寿命が短い。一年で成し遂げなければ、この話はチャラじゃ」
他球防衛部は、みごと使命を果たし、夏休みには母星に帰って行った。ただ瑠璃だけが、しばらく地球に残った。
去年の演劇部の審査の裁判結果を見届けるためである。結果は勝訴だった。
「やったー!」
しかし、演劇部の全国組織は即時上告した
あまりのアホらしさに、瑠璃も帰途に就いた……。
タキさんの押しつけ読書感想
『大橋むつお:ノラ バーチャルからの旅立ち』
昨年の春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
これは悪友の映画評論家・滝川浩一が身内に流している書評ですが、もったいないので転載したものです。
なんか、ほのぼのと胸の中から暖かくなる作品達やね、一気に読み切ったよ。
俺はノラが一番好きやね。好みのSF設定だし、落ちが二重になってるし。 WOWOWで「イヴの時間」のアニメやってました。テレビ放送があって(? 知らんけどね)それの劇場版らしい。
タイトルと同じ名前の喫茶店があって、アンドロイドが普通に存在する未来、その喫茶店では人間とロボットを区別しない、それがルールですと、わざわざ入り口はいった所のボードに書いてある。
ちょっと別な事をしながら見ていたから……でも、ノラを読んでから、何か気に成ってきた。もっかい見るわ。
ちょうど旧タイプが破棄されるタイミングで記憶回路が初期化されても、ノイズ入りで在るかなきかの記憶にすがっているロボットが悲しい……そこだけ、妙に覚えてます。他に、恋人が死んで引きこもった女の子の所に、その恋人ソックリに偽装されたロボがやってくるってのもあったなぁ。何? こういった設定が流行ってたんかい? 俺、最近 深夜帯のアニメを全く見てないから解んねーでんす。
クララは、やり方によっては、立派に不条理劇になるよね。そのバヤイ、ちょっとしたホラーテイストがまざるとええんやない? ただ、そうすると、始めのチャット部分に弱い所があるかな。ハイジが来てからラストまでが短いから、チャット部分で匂わせるか、それでラストにドンってひっくり返す。まぁ、大橋さんはそんなつもりで書いてないから、俺の勝手な読み込みやけどね。でもな、これでクララはほんまに一歩踏み出せるんかな。ちょっと書き足りないんじゃない? 結論は観客に預けるにしても、問題点をも少しはっきり見えるようにしたほうがええような…… 。
星に願いを……も、可愛いね。ただ、志穂がトコとトシ君の関係を知らなかったって所が……ムムゥなんだよな、王子の存在もファンタジーと現実の間に浮いたまんまに成ってるように思えるし。この距離感は嫌いやないけどね。
すみれの~は懐かしいねぇ、高演の芝居を思い出すなぁ……あれが優勝じゃないなんて、いかん!怒ってたのを思い出したよ。この本が埋もれちゃうなんて(いや、これだけがそうなるってんじゃなく。今は本の回転が早いからなぁ)もったいなさすぎやね。誰か推薦図書とかにしてくれへんのかなぁ。 とにかく、書き続けてね、継続は力だよ。 ネット小説もええけどさ、脚本も続けようぜ。 高校生向けだけじゃなく大人向けにも書いてみようよ。
大橋むつおは埋もれたらあかんでぇ。
小説大阪の高校演劇・4
『また、ブリジストンめが!』
またブリジストンが……!!
性懲りもなく五年前のコンクールの審査にケチをつけとる。許せん奴や!
五年前のコンクールでブリジストン(石橋幸平)の本が選外になったのを恨んで、未だに連合にケチをつけとる。
ネカマになって、匿名でコメントを書く。ボキャ貧なんで書くのに二時間もかかってしもた。そやけど書き終ってエンターキーを押すと、ちょっと胸がスッキリ。気が付くと午前5時過ぎ。オレの昼夜逆転も、来るとこまできたかなあ。またオカンの嫌味やなあ。
ブリジストンは合同合評会で、審査にケチをつけよった。合評会いうのは、みんなの苦労を労って、明日への活力にする場や。それをブリジストンはワヤクソにしてしまいよった。
――審査内容と審査のレジメの内容が異なるのは審査の放棄!――
なに言うとんねん。審査員は気の優しい人で、せめてレジメで慰めよいう気持ちが分からんのか!?
だいたい合評会いうのは(ここで辞書をひく)……何人かの人が集まって、ある作品・問題などについて批評し合うこと……?
批評……事物の価値を判断し論じること。「批評」は良い点も悪い点も同じように指摘し、客観的に論じること……?
むむ……ブリジストンは悪い点を指摘しとった。ほんなら、ブリジストンの発言を制止したR高校の先生の方が間違うてる?
わけ分からんようになってきた。
「作品に血が通っていない、思考回路、行動原理が高校生のそれではない」確かに、レジメからはスッポリ抜けてる。
いや、せやから、これは審査員の優しさで……。
「帰りの電車の中で、あの学校にもなんらかの賞をあげるべきだったと思った」
な、これは審査員の優しさやねんて!
オレは、自信を持つために優子にメールした。あいつも昼夜逆転やから、まだ起きてるやろ。
優子の返事はすぐに返ってきた。
――そんなこと言われたら、絶対ムカつく。審査員殺したろかと思う!――
え、ええ?
――これて、ブリジストンの芝居のことやで――
と、打ち返す。
――まだ、そんな古いこと言うてんのん?――
――オレとちゃう。ブリジストンがブログで書いとんねん!――
――あのオッサンのことは、シカトするて先生らも、みんなも言うてたやないの――
――せやかて、あいつのおかげで、恒例の全国大会のバスツアーも無くなってしもたやんけ。忘れたんか!?――
――ああ、あれ。もうええねん――
――なんでやねん!?――
――悪いけど、あれ流れたからHと付き合いはじめてん。ほんなら、もう寝るさかい。ばいばい――
それっきり、優子は電源落としやがった。
なんのことはない、ブリジストンおちょくったために……優子の気持ちが離れてんのを確認しただけや。
と思うたら、優子からメール。
――たまには学校行きや。大学五年生はハズイで――
小説大阪の高校演劇・3
『演劇部ブログかブログ演劇部か』
クラブのブログは四月に入ってアクセスが10万を超えた。二年で10万。いけてると思う。
R高校の13万には及ばへんけど、大阪の演劇部としては敢闘してると思う……思うねんけど……思うねんけど……。
自分がブログを書く番になったら、正直しんどい。
その日やった練習のことを300字ほど書いて、おしまい。セーヤンなんかは、部員の個人的な変化を書いたりするけど、あたしはよう書かへん。
「近頃〇〇の演技は『聞く』ということができるようになり役者として成長。今後の活躍が期待される!」
と、去年の秋に書いたけど、うちは予選敗退。〇〇は個人演技賞ももらわれへんかった。〇〇はしばらく凹んでた。
せやから、あたしは個人のことは書かへん。日直の学級日誌みたいに、その日の稽古の内容を羅列して「がんばります」で締めくくる。
うちは偏差値がちょっと高いから、お行儀はええ。言われたことには「ハイ!」と元気よく返事もするし挨拶もしっかりしてる。
去年来た芦原先生は、こない言う。
「おまえら返事と挨拶はええねんけどな、進路実績が伴えへん。見かけ倒しの茶臼山やのう。悔しかったら国公立に二ケタ合格してみいや!」
「はい!」
「おちょくっとんのか!?」
とキレられた。悪気はあれへん。元気な返事が習慣になってるだけ。
最初は「この新入りが!」とむかついたけど、うちの学校の進路実績は、確かにお寒い。それと演劇部が重なってくる。
うちは兼業部員も認めてるせえか、数だけは20人もいてる。
演技演出部と製作部に別れてる。製作は制作のミスタッチとちゃいます。舞台で演じること以外の作り物を道具から音響まで全部やるから、下に衣が付く「製作」です。
最初は本格的とか、かっこええとか思たけど、今は、ちょっと違う。兼業部員もいてることやさかい、必要に応じてみんなでやった方がええと思う。それに主力は演技演出やと思う。
いくら裏の道具・照明・音響がよかっても、去年の御手毬高校みたいに予選落ちすることもある。
むろん審査に不満があることは言うまでもない。せやから御手毬高校には「かわいそう」と「ざまあ見ろ」との二律背反。
二律背反いうたら、再び審査。
審査基準がないよって、審査員は、どうしてもダブルスタンダードになる。
分かる、ダブルスタンダードて?
自分の好みに合う芝居やったら、無意識に「ええとこを探す」 好みに合わへんかったら「悪いとこを探す」 つまり二重の基準で観てしまういうこと。
悔しいけど、常々大阪の高校演劇を批判してるブリジストンと同じ意見になってしまう。
「あかんやろ、こんなことブログに書いたら!」
セーヤンが文句を言う。あたしも、このままブログに載せるつもりは無い。思うこと並べて、そこから削ったり表現を変えたり。結局は学級日誌みたいなもんになってしまうねんけど、最初から大本営発表書いてどないすんねん!
正直、うちはセーヤンがいてるから演劇部に入った。
イケメンやったし、カッコ良かったし、優しかった……気いつきました?
全部過去形。今のセーヤンはちゃう。
最初は聖也先輩やった。苗字と違うて名前にさん付けいうとこに、うちらの憧れと尊敬があった。それが今は落語の登場人物みたいにセーヤンや。本人には親しみの現れ言うたある。しかし実際は、値打ちが下がったことの現れ以外のなんでもない。
うちは正直、高校演劇が嫌になってる。
地区総会なんかでは先生もセーヤンみたいなやつもええカッコ言いよるけど、地区の講習会のテンションの低いこと、平気で休みよるし、遅刻はしよるし、台詞も課題も半端にしか準備してけえへん。盛り上がるのは休憩中の雑談。
コンクールも地区予選は、観客が少ない。
「みんな仲間の芝居も観よう!」と、地区総会で決まる。
そやけど、観客席はガラガラ。どないかすると上演してる学校のキャスト・スタッフの方が多い。
こないだ『ちちんぷいぷい』でサブカルチャー部のある女子高を紹介してた。
クラブの名前を縛らんと、そのときそのときやりたいことをやる。なんか無責任みたいやけど、月に一回みんなで企画書出して会議にかけて、OKの出たものを全員で力とアイデアを出しながら実現していく。もちろん編集は入ってるやろけど、今の演劇部よりは面白そう。
さあ、清書しよか……。
あ、間違うてエンターキー押してしもた!
……まあ、ええわ。うちの署名はしてないし、気いついたらセーヤンが削除して書き直すやろ。
小説大阪の高校演劇・2
『生徒もおらへんのに……』
今日も無言で玄関を閉めると学校に向かった。
この無言には、大した意味は無い。
一人暮らしだから、ずっと一人暮らしだったから「行ってきまーす」の習慣が無い。
早い話が六十を前に、未だに独身なのだが、別に独身主義者でもない。
結婚のチャンスはあった。それも大恋愛だった……と、自分では思っている。
既婚の男性教師の4%程度が元教え子と結婚している。結婚にまでは至らないが、教え子や元教え子と恋愛関係にあった者は結婚に至った者の倍はいるだろう。
通勤電車の中でびっくりした。Y子にそっくりな女生徒を見かけた。
むろんY子ではない。あいつはとっくにオバサンになっているだろうし、そもそも制服が違う。同じ路線で行ける伝統的女子高の制服をY子のように端正に着こなしていた。
花粉症なのだろうか、可愛くクシャミをかみ殺した。クシャミはアクビと違って完全にはかみ殺せない。字で現すと「クシュ」といった具合になる。
それが、Y子に生き写しだった。もしY子が有名タレントになっていたら、ソックリさんでテレビに出れば優勝間違いなしだ。
そんなバカなことを考えていると、一つの「有りうる予測」にたどり着いた。あの子はY子の娘かもしれない……!
この電車は、Y子が住んでいるT市の方からやってくる。Y子には大学生と高校に通う娘がいる。
スマホのバイブが着信を伝えたのだろう、その子は鞄からスマホを取り出した。吊り広告を見るふりをして首を動かす刹那、その子をまともに見た。半開きのサブバッグの中のノートの名前が見えた。苗字の一字だけが確認できた「原」が苗字の下に付いていた。Y子の今の苗字も下に「原」が付く。
オレは、通過待ちのI駅で車両を乗り換えた。平静を装い続ける自信が無くなったからだ。
Y子は、一年生の連休明けに、うちのクラブに入ってきた。
二年の時には担任になってしまった。そのころから、オレはあいつを意識し始めた。言っておくがオレは真っ当な教師だ。生徒を好きになったことなどおくびにも出さない。
「商品には手をつけない」
これは、教師の不文律である。
だが「忍ぶれど……」や「以心伝心」という言葉があるように、いつの間にかY子に気持ちは不確かながら伝わった。
三年の合宿にT山青少年の家に行った。夜空がきれいで最終日の夕食後、みんなで花火をやって、そのまま星空の観察会になった。
なぜか、Y子がオレの横にいた。そして気づくと他の生徒は、ほとんど宿舎に戻り、残っているのはオレとY子の二人になった。
「あたし、先生が好き。先生も多分そうでしょ……」
「え、あ……」
「その通りやったら、何も言わんとってください。そうやなかったら何か言うてください。十数えます。数え終わったら、あたしも宿舎に戻ります……」
二人の間は三十センチは空いていたが、互いの心臓の音が聞こえそうだった。
オレは何も言わなかった。Y子は一瞬熱いまなざしをオレに向けて、何事も無かったように宿舎に戻った。
卒業後Y子はR大学に進み、週末の二回に一回ぐらいの割でクラブを見に来た。そして、その夏のさ中Y子と将来を誓った。
それから、雲の上を歩くような気持ちでデートを重ね、二人の距離は三十センチを超えて縮んだ。
縮んで肌が触れ合うほどの距離になったとき、Y子の心に変化がおきた。
同じクラスで同じR大学に進んだ〇原と親しくなり、クラブにも顔を出さなくなった。
――もうお会いしません――
そう言いだして、それまでのオレへのお礼やら、〇原に心が移ったことは、自分の成長であり、その成長を促してくれたのはオレであることなどを紙屑が燃えるように言って、一方的に電話を切った。若いなりにけじめをつけ、オレの心が崩れ切る前に電話を切ったのだろう。
それからは、演劇部だけがオレの生き甲斐になった。早くに親を亡くし完全無欠な独身男には、クラブに全精力をかけるだけの時間的な余裕があった。また、クラブで実績を挙げることで、心の平衡を保ち、気づくと大阪でも有数な名門演劇部になった。
三年前に、三月ほど入院することがあり、戻ってみると、クラブは無残にも崩壊していた。オレは、オレの王国を作っていたに過ぎないことに気づいた。
それからは、クラブに熱が入らず、去年の夏には部員はゼロになってしまった。この新学年に部員が集まらなければ廃部である。定年も近い。それでいいと思った。
学校に着くと直ぐに大阪府高等学校演劇連合への加盟申請をやり、加盟費も自腹で払った。
そして、今朝電車で見かけた女生徒、その学校のSにメールを打った。
――貴兄の演劇部に〇原という生徒はいるか?――
Y子の娘なら、必ず演劇部に入っていると確信したからだ。
大阪の高校演劇は、芝居も人間のからみも面白い……。
小説大阪の高校演劇・1
『先生がいなくなって三日目』
乙女先生がおらんようになって、三日がたった……。
三日で、こんなに変わるとは思わへんかった、人もクラブも学校も……あたしも。
四日前までは普通に部活やってた。ジャージに着替えてストレッチやって、発声練習にエチュードの練習。部活の最後は新入生の勧誘について、乙女先生とも話し合うてた。
「やっぱり短うてもええから、芝居を見せたいなあ」
と、ノン子が正論を言う。
「うんうん、映画の宣伝みたいに部分を繋いで、カットバック風にさ、ワンシーン十秒以内で暗転で繋いで、バックにナレーションと音響」
「で、カミングスーン、HYOUTANYAMA・D・Cてか、それ予告編のパターンやろ。うちら、まだ次の芝居も決まってへんねんで」
ルーチンが異議申し立て。
「ちゃうちゃう、去年コンクールでやった奴を演るねんがな。台詞も入ってるし、道具も衣装も音響も残ってる。相手はピッカピッカの一年生。予告編風にまとめなおすやんか」
「うーん、アイデアやと思うけど、それでも再編集して、進行台本ぐらいは要ると思うねん」
「予告編て、助監督が編集すんねんやろ。編集て、案外しんどいで」
お父さんがテレビ局のスーちゃんが半畳を入れる。
「その辺は、乙女先生に……」
「あ……そらあかんわ。乙女先生、明日からいてへんねんで」
そう、乙女先生こと早乙女先生は、三月末日で定年退職。もう手足をとって面倒見てくれる先生はいてへん。
去年のコンクールを思い出す。乙女先生最後のコンクールやさかい、あたしらは何が何でもの敢闘精神でがんばった。部員同士のいさかいもあったけど、師弟愛の御旗の元に一致団結して、ガッツリ観客の反応もあった。
せやけど、あたしら瓢箪山高校演劇部は、思わんダークホースに最優秀を持っていかれてしもた。
「あの伝わらない孤独感が、とても現代の高校生を現していました!」
と、審査員の激賞とともに八戸ノ里高校に持っていかれた。
正直、八戸ノ里は箸にも棒にもやった。
台詞は聞こえてけえへん、役者は絡まへん、ストーリーは分からへん、照明、音響は文化祭のクラス劇並。そんでも、大阪は審査員は神さま。白瀬いう演劇評論家の審査員に、他の顧問審査員もOB審査員も引きずられよった。審査発表のとき、最優秀とった八戸ノ里自身、一瞬「信じられへん」いう沈黙になって、あとは、お決まりの涙と嬌声。あたしらは悔しいのと乙女先生への申し訳なさで顔もあげられへんかった。
正直、ここにブリジストンが居てたら、猛反撃してたと思う。
ブリジストンいうのは、大阪の高校演劇では最古参になる石橋幸平。苗字がブリジストンの創始者の石橋といっしょなんで、ブリジストンで通ってる。
大阪だけやないけど、高校演劇には審査基準がない。ブリジストンはブログやSNSで「審査基準は絶対必要!」と言うて、敬遠されてる。露骨に「あのブリジストンめが……」と言う先生やらOBもいてる。あたしは一言言いたかった。せやけど乙女先生が黙ってるのに、生徒のうちらが言うわけにはいかへん。
ノン子らが、新入生の勧誘に、予告編的にでもして、もう一回やりたい気持ちは、よう分かる。
結局乙女先生の最後のアドバイスで決まった。
基礎練でやってるエチュ-ドを五分やって、あとは『恋チュン』で、カーニバル的に盛り上がろということになった。
『恋チュン』のコスも、スーちゃんのつてで、瓢箪山短大のサブカルチャー部から借りて来てくれて準備は万端。
しかし、今日は、それどころや無かった。
三月末で退職した民間人校長がパワハラで、朝からテレビを賑わしてる。噂は聞いてたけど、訴訟まで持っていかれるとは思わへんかった。朝からマスコミが取材に来て、学校全体が落ち着かへん。
そのせいか、新顧問の匠のオッサンは稽古用の視聴覚室とるのん忘れとる「ごめん、忘れてた!」の一言残して、どっか行ってしまいよった。取材されたら困ることでもあるのか、他の先生らとの井戸端会議か。
「先輩、またテレビ局が……」
唯一の新二年生のタマちゃんがいう。
そうです。マスコミは来るけども、部員は半分も来ません。いろんな意味で愛想つかしたみたい……それも言い訳に聞こえるくらい、瓢箪山高校演劇部の足元はあぶないのです。
希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場⑩
日曜日の由利鎌之です
二週つづけて、ボク由利鎌之がおとどけします。理由はありません。三好部長の指示です。
なんといっても昨日はAKBの総選挙でした。新人の進出ぶりとサッシーの返り咲き、小林よしのりの予想外れまくりが面白かったですね。
AKBは秋元康さんのアイデア賞ですね。
おニャン子もなかなかだったそうですが、人気をお金出して調査するんじゃなくて、CDに投票券を付けて、CD一枚に投票券一つ。CDの売り上げは伸びるし、イベントとしても面白い。そしてメンバーの普段見られない緊張した生の姿が見られる。誰でも考えそうなアイデアですけど、なかなか思いつくものではありません。秋元康という人は、本当に名プロディユーサーだと感心することしきりです。
CDを買いさえすれば、誰でも何票でも投票できるので、一見不公平にも見えますが。何枚も買うことがオシメンへの肩入れの強さだと言えるので、ボクはありだと思います。
それに結果は、はっきりと数字で表れます。
この数字で表れるところが、高校演劇の審査と根本的、かつ重大な違いだと思います。
多くの部活の審査は数字で出てきます。数字による審査が担保されない限り、高校演劇の審査は信用できません。
だからボクたちは連盟には加盟していますが、コンクールには出ません。あ、三好部長も言ってますね。
で、何をするかというと、ボクたちは演劇の本道をいきます。
つまり、互いに技量を磨き、将来演劇人として立てるように努力します。
たとえエキストラであろうともオーディションを受け、演劇ごっこではなく演劇を目指します。
ボクたちは、高校演劇をこう定義します。
高校生がやる演劇。それだけです。
今年、講習会に来た演劇部の生徒が史上最高の700人を超えました。三好部長は認めないでしょうが、ボクは『幕が上がる』の影響だと思います。ここ二三年の資料を分析しても、例年よりも二百人も多い講習会が開けたことの説明がつかないからです。
数年前に『もしドラ』が流行し、野球部のマネージャー志望の女子高生が一時的に増えました。正直野球部ではアリガタ迷惑であったようです。野球部のマネージャーというのは、けしてもしドラに出てくるような存在ではないからです。野球部のモチベーションを上げるのは、あくまでも監督、コーチ、部長(キャプテン)だからです。マネージャーは、芝居で言えば黒子です。『もし黒』なんか出てたら、設定のアホラシサに、だれも飛びつかなかったでしょう。
ブームが過ぎれば全国の野球部は、元に戻りました。演劇部のちょっとしたブームは半年ともたないでしょう。なんせ、普段の練習と水準の低さ。兼業部員が多く、なかなか稽古が成立しないこと。小マシな学校は稽古時間が運動部よりもストイックで長く、女子部員も多いことから、保護者からのクレームは意外に多いので、コンクールの時期までには消えていく生徒が多いのではというのが、ボクたちの見通しです。
話題は変わりますが、うちの学校で制服化の動きがあります。
ちょっと理解しがたいでしょうが、学校からではなく、生徒や保護者からなのです。
話が長くなりそうなので、明日に譲ります。
それから、三好部長のオシメンは宮澤佐江です……ナイショですが。ボクは秋元康です。
希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場⑨
幕が上がってアゴが出た
演劇部ってのは、よく分からねえ。
ネットで検索しても連盟の加盟校数が素直に出てくるのはめったにありゃしねえ。高野連なんか、加盟校数から総部員数(170312)卒業までの歩留まり(約80%)までつまびらかに出てきやす。
高校演劇には、全国高等学校演劇協議会ってのがあるんで、ネットで探ると、トップに出てきた看板にぶっとんだ。
全国高等学校演劇協議会は映画「幕が上がる」に協力しています。
恥ずかしくねえのかねえ。「幕が上がる」は興収2・6億円あまりだそうで、ジブリが大抵50億をいくのと比べても、なんとも見劣りはなはだしく、「ベイマックス」の90億円は別格としても、AKBのドキュメンタリー映画にも及ばねえ。本だって平田オリザの現場を全く理解も出来て居ねえファンタジー。やっぱ全国大会の審査員をやってもらった義理ですかねえ。
上の方を見ると、何年前から書いてあんのか「全国約2000校が加盟している高校演劇の全国組織です」と字は小さく数字は大雑把にあった。高野連は過去20年にわたって数字を挙げていらっしゃる。その数4030校。単純に見ても演劇部の概数の倍はあるんでやす。
県によっては演劇部なんざ壊滅同然で、県単位の連盟さえ組織されていなくって、失礼ながら協議会自体、その実数が掴めてねえんじゃねえんでしょうかね。
ちなみに、日本の高校の数は4,963校でござんす。
その伝でいくってえと……野球部は81%の存在率。演劇部は40%ってえ数字になりやす。頂点は東京の約50%、お寂しい某県じゃ10%に満たねえ。平均的な大阪が額面42%、ただし部員ゼロって学校まで、顧問が役員をやっていなさるので数のうち、化けの皮はコンクールで禿げやす。コンクール不参加校が、およそ20校。実質90校がいいとこで、やっと35%と言ったところ。
うちの有頂天演劇部は、コンクールには出やせん。
とくに去年のヘッポコ審査員に無茶な審査をやられて拗ねてるわけじゃねえんで、目が覚めたってのか、先が見えてきたってのか、なんと申しましょう。ま、いいとこは後輩や、お仲間に譲るってことで、今日は御免こうむりやす。
幕が上がってアゴが出る……てなみっともねえことにはならねえことを祈っておりやす。
部長 三好清海
希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場⑧
その筋から……
昨日は申し訳ございませんでした。その筋からブログのアップロードを差し止められてしまいました。
もとい、ご指導により、アップロードを差し控えました。
最初は、記事の部分的な削除指導でしたが、ご指導のままに削除箇所を伏字にいたしますと以下のようになりました。
五月雨を 集めて速し 最上川 とか申しますが梅雨本番の今日この頃〇〇は〇〇〇〇と感じます。〇年〇月の○○○○○において○○商業高校が○○した○○○○〇は、どう〇ても〇〇で○○○○は○○○○と思います。そもそも○○○○というものは○○○が○〇して○○○○するものでございますが、○○○○商業高校は○○○○が○○○して、どう見ても○○○が○で○○で○○○でございました……。
以上のように冒頭を直しただけで、この始末。とてもアップロードしても中身の分かる代物じゃございません。致し方なく○○○○○のご指導の本音を飲み込み、掲載中止といたしました。
しかし、伏字と言うものは余計に興味をそそられるものでございますね。文中に人物名で〇〇オ〇〇などと出てまいりますが、読む人が読めば、これだけで人物が特定されます。ほとんど伏字だらけのものを出してもよかったのですが、よほどの暗号マニアでもない限り最後まで読めたものではありませんので、差し控えということにさせていただきました。
思い出せない更地(『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』より)
地下鉄の出口を出て、百メートルほど歩いて
「え?」
斜め向かいのお店が並んだ一角が工事用シートで囲まれていた。シートに隙間があって、中が見える。シートの中は……更地になっていた。更地……つまり何もない空き地。
こないだまで、ここには何かのお店があったはず……はずなんだけど、思い出せない。駅の出口を出ると、ちょっと行って乃木神社。道路を挟んで乃木ビル。ブライダルのお店、コンビニと続いて……あとはそんなに意識して歩いているわけじゃないから記憶もおぼろ……パン屋さん。うん、あそこは覚えてるってか、時々お弁当代わりにパンを買っていく。で、その隣り……へー、建築事務所だったんだ。その上は五階までテナントの入ったビル。ビルの名前は街路樹に隠れて見えない……で、その隣りが、シートで囲まれた更地。
一週間前には、何かがあった。もう半年以上この道を通っているのに思い出せない。
気になるなあ……と、思っているうちに通り過ぎてしまった。
人間なんて、こんなものでございますね。毎日通っている道でも、その全てを覚えているわけじゃありません。曲がり角の要所要所や、なんとなくの街のたたずまいで覚えているものなんでございます。
だから、途中の家一軒一晩で消えても思い出せません。人間やブログも同様で、ほんの二三日で言われなきゃ思い出せない、数か月もたてば言われても思い出せないことがあります。
なんだか隔靴掻痒(かくかそうよう=靴の上から痒い足を掻くようなもどかしさ)の感ですが、今日はこのへんで御免こうむります。
演技組 穴山小子(あなやましょうこ)
希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場⑦
一掛け二掛け三掛けて……①
一かけ 二かけて 三かけて
四かけ 五かけて 六かけて
橋の欄干(らんかん) 腰かけて
遥か向うを 眺むれば
十七八の 小娘(こむすめ)が
片手に花持ち 線香(せんこ) 持ち
お前はどこかと 問うたれば
わたしゃ九州 鹿児島の
西郷の娘に ございます
明治十年 戦争に
討死なされた 西郷さん
お墓参りも せにゃならぬ
このわらべ歌ご存じでしょうか。ご存じで「セッセーノヨイヨイヨイ」の掛け声で手遊びができる人は、まあ、還暦を超えた……そう、関東、山陰、南九州あたりでしょうか。
あたしは、これが出来ます。102歳になるひい祖母ちゃんに教えてもらった……というより、お相手をさせられているうちに覚えてしまったようなわけです。
むろん子どもの頃です。
手遊びなんて、今の子どもはしないでしょう。子どもの手遊び……スマホかゲームを連想するのが並の神経なんでしょうね。
でも、あたしは好きなんです。
演劇部なんてオタク部活に入った最大の理由は、演劇部のみんなができたからです。実に変なクラブです。
どこから話そう……あたし西郷さんが好きなんです。西郷さんて写真が一枚もないんです。みんな上野の山の銅像を西郷さんと思っているようですが、除幕式の時、奥さんが言いました。
「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ」
でも、上野の西郷さんは、あそこに百年以上も立っているんです。あたしの西郷さんは、あの西郷さんです。
右足がわずかに短いので、五ミリほどの銅版をかましてあります。それから連れている犬の名前は「ツン」と言います。薩摩犬はもっと小さいのですが、少し大きめに作ってあります。表情、体格、ちょっと右足を踏み出したところなど、絶妙なフォルムです。
役者で、このフォルムがとれる人はいません。姿勢がとても自然で、演劇のことばでは「ぶら上がった姿」と言います。平たく言えば、その人が一番その人らしく力を抜いて立ち上がった姿とでもいいましょうか。
ぶら上がっているのに山のように静かで大きな人格を感じさせます。
みなさん西郷さんの名前は「隆盛」だと思っていますよね。
本当は「隆永」っていうんです。
明治になって国民全員の戸籍を作ることになったとき、西郷さんは無頓着な人で「おはん、ついでにおいのもやってたもんせ」ということで代理に友人をたてました。
「西郷様の忌み名は、なんと申される」
江戸出身の役人が聞きます。西郷さんは日常は「吉之助」で、周囲からは「せごどん」や「吉之助さー」と呼ばれていました。
で、友だちは忌み名が思い出せず、とっさに出たのが「隆盛」でした。
「そりゃあ、おはんジ様(祖父)ん忌み名じゃが。ガハハハハ」
で、特に訂正もせずに通してしまいました。
弟さんを西郷従道といいますが、これも間違いです。ほんとうは「隆道」と言います。ところが薩摩弁は江戸の人間には分かりにくく、何度も聞きなおされ、音読みで「リュウドウじゃ!」と言いました。江戸の役人は「ああ、ジュウドウでござるな。ならば従道でしょう」と一人合点に決めてしまいました。いいかげんくたびれた友人は訂正もせずに西郷兄弟のところにもどってきました。
あたしは、こういう薩摩人が好きです。また、こういう西郷さんのような人物を演じられる役者がいないことが残念です。
ほんとは、この手遊び歌について語りたかったんですが、長くなるので次にします。
演技組 筧 十世(かけい とよ)
希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場⑥
なんかね~梅雨が近いせいかなあ
うちは公立なんで、決まりがうるさくって、ようやく昨日から冷房が入ったの。
で、この生暖かいアンニュイは、どこかへ行くと思ってたのね。それが今日になっても生ぬるいまんまなのよ。
教科書ひらいて、板書もちゃんととって、先生の説明ってか授業もちゃんと聞いてるんだけど、なんか古いフランスのからくり人形のオートマタにでもなった気分。
オートマタ分かんないかな……等身大の人形でね、ネジ巻いとくと、人間みたいに本当にノートに字ぃ書くの。インクがかすれてきたら、ちゃんと自分でインク壺に羽根ペンつけて、インクの補充までやんの。教室見渡してると、このオートマタ以下ってのが何人かいる。教科や時間帯によっても違うんだけどね。シャーペン持ったまま寝てる子とか、大胆なやつは、机にしがみつくようにして寝てんだもんね。うちの学校は厳しいから寝てたら起こされるんだけど、5時間目とか体育のあとなんか最悪。先生は授業やってんだか起こしに回ってんだか分かんなくなる。オートマタならネジ巻きゃいいんだけど、人間のネジってどこにあるか分かんないもんね。
シャレっぽく言ってるけど、オートマタ以下の人間てどーよ。
でオートマタ以下の人間起こしまくってる先生って虚しいと思う
正直、こんな学校だとは思わなかった。
なんか希望ヶ丘青春高校って看板が空々しく思えてくる。
これが、希望……? これが青春……?
で、考えてみた。
というか三好部長の言う通り観察してみた。
いろんな答えが頭に浮かんできたんだけど、全部書いてらんないから、一番と思われるの書きます。
先生が、授業下手すぎ。生徒を観客に例えれば、先生は役者だよね。
芝居って、厳密には劇場だけでやるもんじゃない。島田 正吾さんていう新国劇の名優さんは、晩年はマンションのリビングやお座敷で、「シラノ・ド・ベルジュラック」を翻案した「白根弁十郎」を演っていた。だから、先生は38人の観客相手に50分の芝居演ってるのと同じなんだと思う。
スタニスラフスキーってモスクワ芸術座の偉い人が言ってた。
「つまらない役なんてないんだ。つまらない役者がいるだけ」だって。
日本の大学の教員養成課程は昔よりはシビアになってきたらしいけど、決定的に欠けているのは人にどう伝えるかというスキルを教えないこと。欧米じゃディベートや演劇を教職課程の中に組み込んでる大学があるくらい。
先生だけじゃないけど、人に伝えるスキルを日本人も学ばなきゃと思った。
放課後の部活で、由利鎌之先輩に聞いた。
由利先輩は二つ前のブログを書いてるから分かると思うんだけど、性別不明。うちはスカート穿いてるからと言って女子とは限らない学校なんだけど、由利さんは本当に分からない。
あたしは中学でも演劇部だったから、男がどんなに女に化けても見破る自信あるんだけど。例えば足の組み方、女性は股関節が男と違うんで足を組んで、さらに足首でももっかい組める。由利さんは、これが出来る。でも受けるオーラは、時に男以上に男らしい。
その由利先輩に聞いたら、明るく笑われちゃった。
「授業がつまらないのは当たり前。先生が下手に思えるのも当たり前。なんでつまらないか分析しなくちゃ演劇部じゃない。つまらない授業の観察しっかりやって、再現できるとこまでやってごらん。甚八が先生の声色使って女の先生口説いたぐらいにね」
我ながら、すごい演劇部に入ったもんだと思います。
三好部長からは、真面目すぎてつまらないブログだと言われました。勉強します。
演技組 望月六女(もちづきろくな)
希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場➄
与話情浮名横棒(よはなさけうきなのよこぼう)
タイトルにルビを振るのは情けないが、読めなきゃ元も子もない。
去年某地区予選で、いささか奇態な審査が行われたことは旧聞になりかけだが、釈然としない。
しかし、このことは別の部員が触れているので、もう書かない。
鬼は来年の事を言うと笑うらしいが、済んだことを言うとどんな顔をするんだろう?
もう七十年も前の戦争のことを言いつのる国がある。天に唾するはなんとかと言うが、いずれおのが身に返ってくるのは世の習い……と、そこまで大きな話をするつもりはない。
一昨年の巳地区の審査も奇態ではあった。
世上に広まる噂では、審査に不審を持った出場校が「なぜ自分たちは、優秀賞と言う名の選外であったのか」を聞きただすために、審査員を呼んだということになっているが、実態は真逆のよう……と言ったら少しは鬼程度のリアクションはしてもらえるだろうか。
実際は、呼びもしないのに、審査員が進んで弁明に向かったらしい。
よほど自信のない審査をやったか、審査後の反応に困惑したかのいずれか、または、その両方であろう。
おれは、いささか高校演劇の昔や裏の話には詳しいつもりだが、今さら言っても詮無いことが多いので、撫でる程度にしておこう。
この学校の部員たちは、事の異常さに気づいた。
でも相手は名こそ惜しけれの天下のプロ演劇人。粗略にも扱えず「お説ごもっとも」の微笑を絶やさなかったが、この某審査員が帰ったあとは「なんだと、コノヤロー! どの口が言ってやがんだ!」と容赦がない。
俗に言う「憤懣やるかたなし」の心情である。
忍ぶれど色に出にけりナントヤラ。回りまわっておれごとき者の耳にも入ってくる。
生徒は、当然顧問には報告するし、愚痴にもなる。これはいかんと、大人が二人質問状を審査員に送った。
「子どもを間諜にして異を唱えるはなにごとか!」と曲解、この二人に原稿用紙にして四十枚の〇〇書を送ってきた。仄聞ではあるけれど、あまりに大人げない所業にただ嘆息。
弱い犬ほどよく吠えると、締めくくっておく。
近頃演劇部のブログがちょっとしたブームだ。中には息切れし消えてなくなったものも多いが、コトリ高校は健闘中である。部長の三好は仲良しこよしお人よし、あまり触れるところが無かったが。おれは言う。
大本営発表みたいなことしか書かないなら止めておけ!
太宰治の名言に、こんなのがある。
「明るさは滅びのしるしであろうか、人も家も暗いうちは滅びはせぬ」
そんな明るさを彼らのブログから読み取ってしまうのは眇めであろうか。
今年の連盟の講習会は東京や大阪の高校演劇同様七百人を超える盛況であったそうな。おれは、こう答えておこう。
春はライオンのようにやってきて羊のように去っていく。竜頭蛇尾。鶏頭狗肉。
いかん、またつまらないことを書いてしまった。書いたことは書きなおしてはいけないのが仁義。そのままとする。
今日の昼休みは、ちょっといいことをやった。
うちの学校にとても人柄のいい、そう若くもない先生がいる。この先生が、ある女の先生が好きなんだが、コクるなんてことはもちろん、本人の前では息もできないというくらいに惚れてしまい、先日はひどい過呼吸に陥り救急車を呼ぶ仕儀とあいなった。
岡惚れで死なれちゃ後生が悪いので、今日は教官室で二人羽織。
おれが、机の下で先生の声色。先生は大汗かいて口パク。とんだシラノ・ド・ベルジュラック。
で、なんとかお付き合いまではこぎつけた。次回もよろしくと言われてるけど、あとは自分の甲斐性。
グッドラックではあった。
根津甚八
ライトノベルセレクト
『啓蟄の少女』
啓蟄と書いて(けいちつ)と読む。
三月の五日か六日ぐらいから始まって二十日の春分の日ぐらいを、そう言うらしい。
意味は、冬ごもりしていた虫たちが、春の兆しに目覚めて穴倉や地面から顔をのぞかせるということで、春本番のイントロを表す。
天気予報のオジサンが言っていあたので、かっこいいなあと思って覚えてしまった。三回リビングでテーブルの上でなぞったら字まで覚えてしまった。
覚えてから思い出した。この字は学年末の国語のテストに「読み仮名を書きなさい」で出てきた。もう一週間早く天気予報でやってくれていたら、国語の成績は一点ぐらいは上がったのに。
今日は朝から雨だ。
「あ、パンが無い!」
お母さんがパジャマ代わりのジャージのまま、台所で突っ立っている。
「悪い、買ってきて瑞穂」
あたしは、クラブの地区発表会があるので早起きして……いや、しすぎて、テレビを点けながら、ボンヤリ外の雨を見て居た。朝ごはんは抜きでもいいかなと思っていたけど、お母さんが早起きしたので、どうやらありつけそう……と思っていたら、これだ。
「はいはい、今んとこ家でまともな格好してるの、あたしだけだもんね」
傘を広げて、コンビニへ。土曜の早朝、それも、この雨なので、誰ともでく合わさない。
最近まで畑だったところを埋め立てて、コインパーキングと、コンビニができた。ローファーに防水スプレーして、氷雨の中をコンビニへ。
マンションとコインパーキングの間に畑を潰したままの、十五坪ほどの土地があることに気づいた――なんで、ここだけ空いてんだろう――そう思いながらコンビニへ。
コンビニってえらいもんだと思った。便利だからじゃない。新築なのに、建材の臭いなんか、まるでしない。あたしんちは幼稚園のころに越してきたけど、新築だったので建材の臭いがひどく、肌にも少し湿疹ができた。
もっとも、そんなデリケートなのは、あたし一人で、他の家族は何ともない。お父さんなんか「近頃の新築は臭わないな」なんて鈍感。
昔は、新建材やクロスの接着剤の臭いなんかで、相当だったらしい。今のあたしだったら生きていけないかもしれない。
食パン二つと、ジャガイモのスナックを買って、人気のない氷雨の中に戻った。
すると、例の十五坪の土の中から、あたしぐらいの女の子が、モゾモゾと這い出てくるところに出くわした……ちょうど胸の下あたりまで這い出てきたところで目が合った。
金縛りにあったように体が動かない。やがて、その子はあたしを見据えたまま、全身を現した。身に一糸もまとわず、そぼ降る雨の中で雨水を滴らせながら、あたしに近づいてきた。
「あんた、見てしまったのね……」
あたしは微動だにできなかった……。
「……近頃の子は、こんなナリしてるんだ」
そう言うと啓蟄の虫のように這い出してきた女の子は、あたしと同じ制服姿になった。
気づくと家の玄関の前にいた。
朝ごはんを食べて演劇部の地区発表会に行った。
あたしは、気の進まない演劇部員だ。去年一年間演劇部にいて嫌になった。
高校演劇は、一言で言って自己満足の世界だ。創った芝居も客観的な評価がされない。
軽音とか、吹部、ダンス部には運動部並の評価基準がある。
演劇部にはないので、講師や審査員が、自分の主観で言いたい放題。ストライクゾーンが人によってまるで違う。
黒いものを白いとさえ言う。ある県では、原爆か反戦の芝居をやっていれば、必ず最優秀になるとも聞いた。
今日は、見本に去年のコンクールでいい成績を残したクラブが凱旋を兼ねてサンプル上演する。
S高校の『氷雨の中でも』という芝居、出来はいいんだろうが、あたしは問題を感じる。民族系の学校に行っていた主人公が都立高校に転学、そこで自分がクラスを変えて文化祭で成功し、自分の進路決定の正しさを、傷つきながらも自覚する、よくある自分探しの物語。
「竹島は竹島の竹島だ!」
と終盤近くで主人公が叫ぶ。
これは、まとまらないクラスにじれ、みんなからの協力も得られなくなった時に「余計なこと言わないで、わたしは、わたしの道を行くんだ」という意味で叫ぶ。
なんで「竹島は竹島の竹島」かと言うと、主人公の父親が、国籍のある国と日本の板挟みになったとき、思わず出てくる口癖で、そういう父を主人公は、どこかで「逃げている」と批判的である。だのに、最後に「自分は、それでもがんばるんだ!」という時に、父の逃げとも言える口癖を叫ぶだろうか。
それに日本人として聞いていると、ひどく冷めてしまう。また主人公の「がんばるぞ!」というシーンで叫ぶので、期せずして『竹島問題棚上げ論』に拍手させられる。とても違和感がある。
あたしは、感じたことをそのままSNSで書いてしまう。半分は備忘録のつもりだ。あたしの他にも平田さんという東京の高校演劇に詳しい人がネットで批判していた。
昼休みに、高校演劇の指導に熱心……と言えば聞こえはいいが、高校演劇から抜け切られない演劇ゴロの大学生たちが、あたしのところにやってきた。
「SNSで、これ書いたの君だろう」
だろうも何もない。あたしは顔写真も経歴も正直に書いている。
「はい、そうです」と答えるしかない。
「おまえ、平田みたいなやつだな!」
あたしは閃いた。平田さんのブログに汚いコメントを投稿したのは、こいつらだ!
「なんだ、こんなひどい評書いといて、その反抗的な顔は!」
あたしは、普段なるべく平静、あるいは無関心な顔をすることにしている。そのあたしが顔に出るんだからよっぽどだ。
「ちょっと待ってよ」
割って入ってきたのは、あの啓蟄少女だ。啓蟄少女はオニイサンたちを会場の外に連れ出し、数分後に帰ってきた。
「もう、これで二度と余計なことは言ってこないから」
「あの人たちは?」
それには答えず、あとを続けた。
「瑞穂ちゃんて、真っ直ぐで敏感なんだね。あたしが土から這い出してきたこと、まだ覚えてるんだもんね」
まるで友達のように啓蟄さんは、あたしの横の席に座った。
「加奈ちゃんてどうして……」
「虫は、人知れず地面から這い出て、小さいながら任務を果たし成虫になっていくの」
「任務?」
「うん、人間だけじゃ難しい問題を解決にね……その啓蟄の瞬間を瑞穂ちゃんは見てしまった。でも、直ぐに忘れるわ。今だって教えてもいないのに、あたしのこと加奈ちゃんと呼んだでしょ。じゃ、よろしくね」
そう言って加奈ちゃんが立ち上がったころには、筋向いの幼馴染の後藤加奈ちゃんになってしまっていた……。
希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の
鉄火場④戯れに恋はすまじき……
日曜祭日考査中もブログは休んじゃいけないという三好部長の申しつけで、本日は、ぼく由利鎌之が担当します。
ぼくは性別不明ということでお願いします。
上の左側の写真の四人の一人がぼくです。で右側のアップが楽屋でのぼくです。
「ぼく少女」というわけではありません。あえて性別は伏せております。わが自由が丘青春高校は偏差値もお行儀もいいのですが、制服がありません。だから、その日その時の気分で好きな格好で登校しています。
だから見かけでは、性別さえ判然としない者が、学校には数人おります。ま、その中の一人と思ってください。
高校三年間、演劇部をやっていれば恋する役も回って来るかな……というわけでもないんですが、芝居を演るものは恋の一つもできなきゃいけません。
故森繁久彌先生もおっしゃっておいででした
「役者は人生のピンとキリを知っておかなきゃいけないよ」
で、試しに……と言っても、最初から企んだわけじゃないんですけど、去年の地区発表会のおりに程よい重さの道具があったので、重くて持てないふりをしたんです。
てっきり、すぐそばにいるO高校の男子が声を掛けてくれると思ったんです。
しかし、こいつが度し難い……草食系。有り体にいえば玉無し野郎。すみません、下卑た言葉を使いました。
この鉄火場ブログは、文法上の間違いが無い限り打ち直しはしないというのが仁義です。
で、この玉無し野郎の替りにやってきたのがO高校の顧問。ま、即興のエチュードのもっとシビアなものなんで、中断することもできず、ご親切に甘える風にして「ありがとうございます」と言いました。
言っておきますが、このO高校の先生の対応は間違っています。
本来ならば、顧問として「女子高生」が困っているのを見過ごしにした玉無し男子生徒を指導すべきです。しかし、こちらも仕掛けた都合、意に反して引っかかった、この顧問を相手にせざるをえません。
額にうっすらと汗がにじむころ、そっと額の汗を拭くふりをして、うなじとTシャツの袖の中、腋の下が先生に見えるようにしました。
明らかに男として反応されました。
「ありがとうございました」
きっちり挨拶するときも、胸の谷間が自然に見えるように工夫もしました。
「おい、鎌の字、初手からやりすぎだぜ」
三好先輩は、ほとんど姿も見せないのに、部員のわずかな挙動も見逃してはおられません。解散後チクリとご意見されました。
しかし、三好先輩もなかなかのお方、さりげなく部員名簿を椅子の上に置き、O高校の先生の目に触れるようにし。
「この由利鎌之っての、なんだか男みたいな名前に見えますけど、カマユキじゃなくてカマノって読みましてね。家は古風な置屋で、もちろん今は……あ、穴山さん!」
ごく自然に、O高校の顧問の先生が写メる間をお作りでした。
それから……いろんなことがあって、この顧問の先生とは個人的にもお付き合いすることになりました。お付き合いと言っても先生の身分に関わるような一線は越しません。
ところが、先日劇団〇〇の公演を御一緒させていただいた時には「帰りには迫られるなあ」と予感しました。
インターミッションの間に化粧室へ行くふりをして、駐車場の先生の車のブレーキオイルを程よく抜いておきました。
詳しい描写は、個人の特定につながりますので、ほんのさわりを……。
「ん、ブレーキの利きが甘いな……」
目の前に二トントラックが迫ってきました。
ぼくは、とっさにシートベルトとドアロックを外し、車の外に転がり出ました。先生の車は、あえなくトラックに衝突。中破といった壊れよう。
「あの時、先生は、わたしの身を案じ、ドアから出してくださったんです。あの機敏な行動がなければ、わたしも無事じゃありませんでした」
ぼくの怪我? これでもスタントの資格持ってるんで、ほんのかすり傷。まあ、他校の「女生徒」を車に乗せていたことは少し問題になりましたが、勇敢な自己犠牲で救ったことでチャラです。
戯れに恋はすまじき……それにしても、あのO高校の草食系、今年こそは……。
高校ライトノベル
『真夏の夜の夢ー御手鞠version 2018』
夕方にゲリラ豪雨があったので心配したが、客足は過ぎるほどに順調だった。
大阪でも珍しく舞台設備の充実した御手鞠高校の演劇部では、定期的に自主公演が行われる。
自主公演では既成の脚本、秋のコンクールでは創作劇というのが、長年の間にできた慣習である。
前回の『ジャパンドール』は既成本ながら、なかなかの好評で、今回はシェ-クスピアの『真夏の夜の夢』に挑戦するのだ。正確には『夏の夜の夢』であるが、顧問である山阪は、あえて通称である『真夏』にした。
今年は例年にない暑さで、このタイトルは、図らずもピッタリになったと、山阪は苦笑した。
偶然だが、真夏という名前の部員がいる。正確には冬野真夏という、なんとも苗字と名前がケンカしたような名前である。
名前のせいではないだろうけど、真夏は、いささか情緒不安定である。
一年生で見学に来た頃から、山阪はこの子に目を付けていた。
第一に教師として。この子の敏感過ぎる性格は、下手をすれば団体生活である学校についていけず、最悪の場合はハミゴ、成績不振、不登校、退学と道が見えるようであった。見学中も、誰も笑わないところで、大笑いしたり、一人ハンカチを濡らしていたりした。なんとかしてやりたいと思った。
第二に、役者や作家としての才能である。
「泣いてごらん」
基礎練習で、そういうと真夏は十秒もしないうちに涙をこぼし、大泣きして過呼吸になってしゃくり上げた。みんなびっくりした。
「真夏、なんで、そこまで泣けたんや?」
好奇の目で見るみんなの前で、真夏は平然と言った。
「うち、みんなにハミゴされたこと想像したんです……」
真夏のイマジネーションは群を抜いていた。想像した世界は実に緻密で、中には部員自身が触れて欲しくないような性格の描写や、どこかで観て記憶に残っていたのだろう、部員同士のささやかなイサカイを何十倍にも増幅し、自分に向けられたものとして表現した。
笑いのエチュードをやらせたときもそうで、真夏の笑いには誇張されてはいるが、きちんとした裏付けがあった。
ただ、部員は忘れかけていたイサカイや性格上の問題をえぐりだされて、面白くなかった。そして、真夏には、それが理解できなかった。芝居をやるためには、自分の欠点や失敗も含めて材料である。材料を見て怒っていたのでは、家庭科の調理実習などできないだろうと、真夏は思うのであった。
「先生、この芝居には道具はいりません。素舞台でいきましょ」
「あ……でも、このプランで、照明も考えたし、演出も……」
部長が、取りなした。もう本番まで三週間を切っていた。
「誤りを改むるに、恥ずべきは無して、いいますよ」
「え、うちらの芝居間違うてる言うのん!」
「うん」
ケンカと言うよりは、全員対真夏になり、結果的には真夏を降ろさざるを得なくなった。
真夏は平気で、道具係に専念……片手間にやり、自分で本を書いていた。
本番直後、真夏への気遣いもあり、みんなでタイトルも決まっていない真夏のプロット(完成品と言っても良いのだが、本人はプロットだと謙遜ではなく、思っていた)
まるで、一人芝居であった。登場人物は五人だが、真夏は完全に使い分けていた。これに、少々の演出を加えれば、一本の芝居として成立する。
「まあ、五人やったら、うちでやる芝居としては登場人物が少ないなあ……」
「そんなこと……」
と言いかけて、真夏は黙ってしまった。
「その、大泣きいうとこ、号泣にしたほうが、言葉立つんちゃうかな……」
気の優しい野々村結衣が、取りなすように言った。
「それはあかん! 号泣は大勢の人間が泣く様や。一人で泣くのは大泣きや!」
真夏の剣幕に、結衣も俯いてしまった。
そんな真夏に、一度チャンスをやろうと思い、自主公演に『夏の夜の夢』を真夏に任せた。自分は妖精のパックを演ると宣言し、一週間でアラアラの本を書き上げてきた。タイトルは『真夏の夜の夢』となっていた。
この『真』の一字の重さと覚悟は、真夏と、顧問である山阪にしか分からなかったが、山阪は誰にも言わなかった。
道具は、平場の舞台に脚立が二本と数脚の椅子があるだけだった。照明はつけっぱなしで、転換そのものも明転で芝居の中に組み込んだ。
「せめて、ピンフォローぐらい……」
結衣の意見も却下。
「シェ-クスピアの時代には、照明なんかありませんでした」
と、真夏。
芝居は上々であった。
「先生、ありがとうございました。初めてうちの演りたいようにやらせてもろて本望です。うち演劇部におらんかったら、学校も続きませんでした……これ、受け取ってください」
「なんやこれ?」
落とし切れていないパックのメイクの目から涙がこぼれた。受け取ったモノは退部届であった。
「あと、半年。このままの勢いで卒業します」
「真夏……」
真夏は、一瞬笑顔を見せて、楽屋に駆け込んだ。
「山阪、元気そうじゃないか。今の芝居よかったぜ!」
声の主は、芸術大学時代の同期で、今は東京のS劇団で中堅の演出をやっている稲川だった。
「高校演劇って、もっと力んでるだけのものかと思ったけど、いやいや、今のは、役者が生きてたよ。みんなよかったけど、パックがいいな。高校演劇にゃもったいない」
山阪は、稲川の言葉に少し抵抗を感じた。ポーカーフェイスのつもりでいたが、稲川には分かってしまった。
「すまん、そういうつもりじゃないんだ。あの子、学校じゃ生きにくいタイプだよな。それを、あそこまで生かしたんだ。教育者としてのお前は一流だよ」
「どうも、誉め言葉として聞いとくよ」
「まんま、誉め言葉だぜ。だから、まんまのまんま言うぞ」
「なにを?」
「パック、オレによこせ」
「は!?」
「残りの半年、腐らせとくつもりか。楽屋、あっちだな……」
「お、おい、稲川!」
その秋から、真夏はS劇団の研究生になった。取りあえずは土日だけだが、稲川は、特待生として交通費を支給されるようになった。
「もう秋ですけど、真夏ですみません!」
劇団での、真夏の最初のあいさつだった。「続けて」という声に、真夏は十分も喋ってしまった。
「真夏君は、いい先生にならったんだね」
劇団のボスに、そう誉められ、真夏の演劇人の人生がはじまった。鰯雲の向こうに自分の人生が広がっていくのを感じた。