『クララ ハイジを待ちながら』を天王寺商業高校演劇部が上演しました!
大阪府高等学校演劇連盟加盟校の天王寺商業高校演劇部が、わたしの最新作『クララ ハイジを待ちながら』を8月17日ピッコロフェスティバルに参加して上演してくださいました。
『クララ』は、わたしが常々申しております小規模演劇部の上演に特化して書いた作品群の最新作です。揺れ動く青春の心理を『アルプスの少女ハイジ』のクララに託して、不登校、引きこもりの問題を通し表現してみました。不登校、引きこもりというと、とかく暗いイメージで取り上げられがちですが、現実のそれは、一見平穏、時には明るくさえ見えます。これは私自身の30年に渡った教師生活からも言えることです。人間は長時間に渡って緊張感を保てるようにはできていません。太宰治の作品に、こんな言葉があります「明るさは滅びの徴(しるし)であろうか、人も家も暗いうちは滅びはせぬ」
そう、明るいがゆえに危機ををはらんでいるのです。ファンタジーな世界にアハハ……と笑っているうちに、人間の孤独さ、青春の脆さ、愛おしさが見えてきます。
天王寺商業高校演劇部は、大阪では珍しく、わたしの作品を取り上げてくださる演劇部です。この夏、天商野球部が、天商最後の野球部として夏の高校野球に臨む姿がテレビなどで報じられましたが、演劇部も、天商として最後の年になりました。部員は兼業部員も含めたった3人の絵に描いたような小規模演劇部です。そんな演劇部でもこれだけのことが出来る! という実践でありました。
大阪府高等学校演劇連盟には、天商のような小規模演劇部が沢山あります。連盟はこれになかなか有効な手だてが打てず苦慮されています。演劇の三要素は(観客、戯曲、役者)の三つです。ここに立ち戻った芝居作りのメソードが必要です。その答えを提示いたしました。
天商演劇部は当初、拙作の一つ『月に吠える』を上演予定でしたが、都合で出演できない生徒が出て、急きょ一ヶ月前に『クララ』への変更を思い立たれました。実質三週間という稽古日数の中で、ほとんどクララの一人芝居といっていいこの作品をよく仕上げられました。
この芝居は、青春の蹉跌といってもいい引きこもりを、クララがチャット相手である「アナタ」と会話することが柱になっています。大人や社会に対する不信感と、それに向かい合う不安が、ブラックユーモアのカタチで明るくコミカルに紡ぎ出されてきます。新入りのメイドのシャルロッテは、そんなクララを偉くて、チョッピリ情緒不安定、でもイタズラや会話はとても面白い姉か、友だちの女ボスを見るように慕っていきます。ロッテンマイヤー女史は、意見ばかりしていますが、これも叱りながらもハイジとの再会にクララの回復を期待します。クララは、ハイジが来ると「服を探さなくっちゃ!」と、部屋中ひっくり返し、最適な服を探します。ハイジが飽きて行ってしまってから、やっと服を決め、交差点までハイジを追いかけ「間に合わなかったわ……」と言って戻ってくることの繰り返し。
そして今回も、シャルロッテに手伝ってもらって、部屋中ひっくり返し「シャルちゃん、それ脱いで……!」と、シャルロッテのメイド服に目を付け「脱げ~!」と迫り馬乗りになります。あわや裸にされかけたとき、シャルロッテが叫びます「お嬢様は、お嬢様なんですから、クララ・ゼーゼマンでいらっしゃるのですから!」
「そう、そうよね……わたしは、わたし……クララ・ゼーゼマン……なのよね!?」と、普段着で部屋を飛び出します。ロッテンマイヤー女史は「いつもこうなんだから……」と、ため息。
わたしは、この話に答えを出していません。クララはやっと引きこもりから抜け出したのか、いつものように「間に合わなかった……」と帰ってくるのか。菊池寛の『父帰る』と同様な終わり方をしていますが、天商演劇部は「今度こそ間に合った」と暗示して幕を下ろしました。
天商野球部が、今年で最後になるとテレビやマスコミで取り上げられましたが、天商演劇部は、来年「新校」になっても(市岡商業高校、東商業高校と合併の演劇部になります。その苦労は察して余りあるものがあります)明るく前を向いてやっていこうというエモーションを籠め、クララに託して舞台化してくれました。その意気に感じてか、ご多忙の中校長先生も来られ、「カンゲキした!」と韻を踏んだのか、おやじギャグか分からない言葉を残していかれました。なかなか言語感覚のいい校長先生でした。普通、コンクールの本選でも校長が来られることは希です。それが塚口まで足を伸ばされました。血の巡りのいい学校であると拝察いたしました。
わたしも、昨年コーチをしておりましたので、たまに顔をだします。正直、一月足らずでこの芝居を演りきることは無茶だと思いました。つい数日前に伺ったときも、主役のクララをやったKさんが、なかなか台詞が入らず苦悩(苦労ではなく、苦悩)していました。幸いシャルロッテをやったYさんとは同級生、励ましあったり罵倒あったり。しかし本番は荒削りではありますが、この「クララ」の初演に相応しく初々しい芝居に仕上げてくれました。ちなみにKさんは陸上部の出身で、演劇は、高校に入って始めてです。Yさんは中学三年間演劇部でしたが、それを鼻にかけることもなく、一緒に仲良く汗を流していました。
ただ、難を言えば、二人の真面目さが役の形象にでてしまい、はじけきれなかったことでしょうか。 そういうと顧問のF先生が上沼恵美子そっくりな顔で、「こんな本書いたん誰やのん!」
おお、ツルカメツルカメ……