大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

滅鬼の刃・34『朝顔と西瓜・1』

2023-08-14 09:25:08 | エッセー

 エッセーラノベ    

34『朝顔と西瓜・1』   

 

 

「ほう、懐かしいなあ」

 

 声に振り返ると半玉のスイカをぶら下げた武者が立っています。

「せやけど、こんな北向きで育つんか?」

「昨日までは三階のベランダに置いたんだけどな、育ちすぎるんで移したんだ」

「なるほど、抑制栽培というわけか」

「まあな」

 栞が近所の小学生に分けてもらった朝顔の種を鉢に入れ、日の当たるベランダに置いていたらノンノンと育ちました。

 この調子では育ちすぎてしまうので、昨日から北側の玄関前に移したのです。

 北向きなので、もう花は開かないかと思ったのですが、まだ余力があるのか、キチンと咲いています。

「栞ちゃんのやろ?」

「ああ」

 付き合いの長い武者には、こういうことが似合わないジジイだと見抜かれています。

「昨日から、泊りがけでアルバイトに行ってるんで、ピンチヒッターだ」

「まあ、水と日当たりさえありゃ勝手に育つからなあ」

 

 今日は一階の元ガレージだった和室で喋ります。

 エアコンの電気代節約と、さっきの朝顔が見えるからです。

 

「子どもじみた花やけど、朝顔っていうのは、けっこう大人なんやなあ」

「ああ、大人だから、夏休みの自然観察にも使われる」

「そこへいくと、スイカいうのは、手のかかる子どもみたいなもんやろなあ……」

 ペペ

 ジジイ二人そろって種を吐き出します。

「わしらも朝顔みたいなもんやったなあ」

「ヒネた朝顔だ」

「教室いう植木鉢と、窓の日当たりさえあったら三年で卒業していった。あ、大橋は四年やったなあ」

「教室の日当たりが悪かったからなあ」

「ホームルームなんか、全部生徒でやってたなあ。学期の始めのホームルームでホームルーム計画話し合ったやろ」

「担任は横に座って聞いてるだけ」

「そうか、時どき口挟んでなかったか?」

「え、そうだったか?」

「グランドでバレーボールとかサッカーしたい言うたら使用許可とれよとか、音楽室借りてレコード鑑賞に決まりかけたら『音響機器は視聴覚部の許可』とか、お菓子買って来て茶話会言うたら『生活指導』と相談しとけとか」

「ああ、そういう意味か」

 武者は逆説めいた言い方をしているのだと気付きました。

「憶えてるか、社会のS先生、卒業式でクラスの生徒の名前読み間違えたの」

「あ、せやったか?」

「東(ひがし)って男子を(あづま)って読んじまって、横の先生に『そのまんまヒガシです』って注意されて」

「あはは、もう二十年後やったら大爆笑やったやろなあ」

「下の方の名前は、もう詰まりまくりで、さすがにヒンシュクものだった」

「ああ、せやったっけ」

「あ、ああ……すまん、講師時代の話だった」

 わたしは母校で三年間講師をしていたので、記憶がごっちゃになっています。

「て、いうか、S先生て担任したことあったんか?」

「え、ああ……」

 このあたりは武者の方が記憶が正確です。わたしは――有ったこと――は聞憶えていますが――無かったこと――については曖昧です。

 武者は在学した三年間でS先生が一度も担任していないことを憶えていたのです。武者は一二年上の先輩たちとも付き合いがあって、いろいろ情報を知っていたので、S先生が、ちょっと札付きであったことを生徒の頃から知っているようです。

 それから二三の先生を思い出しながら、半玉のスイカの半分を平らげました。

「ええ話もあったよなあ」

 先生の棚卸ばかりでは詰らないので方向を変えます。

「ええと……野球部が府大会で優勝した!」

「え、せやった?」

「応援賞で、一位とったぞ」

 高校野球というのは部活動に励みが出るようにと、優勝・準優勝の他にも各賞を用意しています。

 その中に応援賞というのがありました。

 特に応援団やチア部があるわけでもなく、吹奏楽さえ廃部状態だったので、有志の生徒たちが自主的にチームを作って応援したことが評価されて応援賞をもらったことがありました。

「ああ、三島由紀夫の事件があった年かぁ……」

 三島事件と重なったので、みんなの記憶から消えている……という、武者の気遣いなのですが、三島事件は11月。高校野球は7月でしたから、ハナから記憶にないのでしょう。

 

 武者を見送って振り返ると、朝顔はすでに萎んでいました。

 蕾が三つ四つあるので、まだまだ咲くでしょう。

 せめて、午後だけでもと心変わりして、三階のベランダに戻してやりました。

 明日の朝には一階に戻します。

 

 

☆彡 主な登場人物

  •  わたし        武者走走九郎 Or 大橋むつお
  •  栞          わたしの孫娘 
  •   武者走                   腐れ縁の友人

 

 

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滅鬼の刃・33『学校のにおい・2』

2023-08-09 09:56:38 | エッセー

 エッセーラノベ    

33『学校のにおい・2』   

 

 


 ニオイの話が続きます。


「中学校のころ、理科室の匂いが好きだった」

「ああ、ちょっと酸っぱいような焦げ臭いようなニオイがしてたなあ」

「よく実験をやってたから、いろんな薬品が混ざったニオイだったんだろうなあ。ろくに換気扇も無かったから」

「理科部やったか化学部やったかかがあって、そこの三年生なんか、放課後は制服の上に白衣を着てたりしてさ、なんかそこだけ学校の平均的な雰囲気から突き抜けてたよなぁ……あ、中三の秋にU先生に呼び出されてな」

「ああ、職員室に居るよりも理科の準備室に居ることが多い先生だったなあ」

「『時をかける少女』で、主人公の七瀬は理科準備室でラベンダーの匂いを嗅いで気を失なってさ、タイムリープの能力を身に付けるやろ」

「あ、ああ」


 武者もわたしも、中三から高校にかけて小松左京や筒井康隆をよく読んでいました。


「七瀬やないけど、理科室の匂いで運命が変わったんや」

「男七瀬か(^_^;)?」

「先生はなぁ進路指導の極秘資料を見せてくれたんや……ほら、進路希望調査をやったら、希望校ごとに成績順の資料作るやろ」

「ああ、懐かしいなあ」

 自分たちも高校の教師でしたので、三年の担任をやった時は同じような資料をもとに進路指導をしました。

「『武者走、これがA高校を受ける生徒の一覧や』って言うてな見せくれんねん。バリバリの個人情報やで、80人分ほどあってよ、成績順にダーーって並んでるんや。真ん中あたりに赤い線が入っててなぁ、そこから下は受けても落ちるってことや、説得して受験校を変えさせようって、まあ、当たり前の指導やな」

「ドンケツだったのか、おまえ?」

「ああ、俺が担任だったら、ぜったい受けさせへん」

「先生、どう言ってた?」

「『武者走は、A高受験者の中ではドンケツや。ええか、2ページ戻ったとこに赤い線が引いたあるやろ。ここから下の生徒は受けても落ちる、ぜったい落ちる、必ず落ちる』って言って、俺の目をジーっと見た」

「無言の指導だなあ」

「ああ、あの目で見られたら、十五の中坊は絶えられへん」

「だろうなぁ」

「直ぐには返答でけへん、俯いたら、理科部の女の子の名前が目についてなあ……ほら、CKさん。六年の時は大橋のクラスやったやろ。むろん、赤線のずっと上やけどな」

「あ、ああ(゚д゚)!」

 思わず感動の声が出てしまいました。

 金曜ロードショーだったと思うのですが『ローマの休日』をやっていて、ヒロインのアン王女を見てビックリしました。アン王女の父の王様が日本女性と浮気したら、こんな女の子が生まれただろうという感じの美人です。

 同じように感動した武者が、アン王女を演じたのはオードリー・ヘプバーンという女優さんなんだと教えてくれました。

「それでな――ぜったい受ける!――って決意したんや!」

「そうか、理科室の匂いが、それを増幅したんだな」

「いや、そうなんやけどな。CKさんの白衣は、いつも洗濯したての匂いがした」

「おまえ、嗅いだのかぁ?」

「ちゃうちゃう、狭い廊下やから、すれ違うと匂うんや」

「わざとすれ違ってたんだろ、理科室は南館の一階だから、用事が無きゃ行かねえとこだぞ」

「用があったんや、用が」

「用がなあ……まあ、いいけどな(*¬_¬*)」

「それで、併願することを条件に認めてもらってなあ……」

「ジジイが遠い目をすんな、気持ち悪いぞ」

「思うんや」

「なにを?」

「もし、あの進路指導が教室でやられてたら、オレ、A高校は受けてへんかったと思う」

「ん? 教室でも同じ指導だろうから、CKさんの名前は見えただろーが」

「ああ、けども、あっさり志望校は変えてたと思う」

「え、どうしてだ。CKさんの思い出は変わらんだろう」

「いや、理科室のニオイとのコントラストがあったからこそやったと思う」

「理科室の臭いで、CKさんの匂いが際立ったって言うんなら、ちょっと……フェチめいてないか。怪しいぞ」

「洞察力のないジジイやなあ」

「なんだ、仕返しか?」

「確かにな、理科室のニオイは妖しくて変なニオイや。そのニオイの中で化学部の実験やってる彼女は、ちょっと妖しいやないか。ほんの5%ほどやけど、お仲間て感じがしてな……ん、臭わへんか?」

「え……」

 なんだか、理科実験のような臭いがしてきました。

 ゲホゲホゲホ

 階下で栞が咳き込む声がします。

「どうした、栞!?」

 ゲホゲホゲホ

「ちょっとヤバイいぞ」

「栞!」

 

 階下に降りると、窓やサッシを全開にして栞が咳き込んでいます。

 

「ごめん、お祖父ちゃん、風呂掃除してて、洗剤注ぎ足したら……ゲホゲホ」

「あ、栞ちゃん、似たボトルやけど、メーカーが違うよ!」

 風呂場から、洗剤のボトルを取り出して、庭に放り出す武者。

 我が家にも新しいニオイの記憶が刻み込まれました(;'∀')。

 

 

☆彡 主な登場人物

  •  わたし        武者走走九郎 Or 大橋むつお
  •  栞          わたしの孫娘 
  •   武者走                   腐れ縁の友人


 

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滅鬼の刃・32『学校のにおい・1』

2023-08-03 13:38:32 | エッセー

 エッセーラノベ    

32『学校のにおい・1』   

 

 

 この暑いなか、武者は回転焼きを持ってやってきました。

 

「昔は、たこ焼きやってる店やったら回転焼きもやってたけどなあ、いまは回転焼きやってる店はめったにない。それが、M駅の近くで見つけてなあ、嬉しくなって買うてきた」

「このクソ暑いのに、元気なじじいだ」

「もう年やねんからさ、一期一会やろ。涼しくなってからなんて思てたら命がないかもしれへん」

「ハハ、まあいいさ、茶でも淹れよう」

「うんと熱いやつな(^▽^)/」

「はは、なんだか我慢会になりそうだ」

「そういやなんやなあ、夏場は冷やし飴とか冷やしコーヒーとかもやってたなあ」

「うんうん、でっかい氷をいくつも入れたとこに入ってて、柄杓ですくってコップに注いでくれるんだ」

「そうそう、二口目か三口目で、こめかみのあたりがキーーンと痛なってきよるんや」

「夏の風物詩だったなあ」

「冷房とかは無かったけど、昼過ぎになると、近所のおばちゃんらがホースで水撒いとったなあ」

「うんうん、小さな虹が立ったりして、水のニオイがしたっけなあ。水なのに、ちょっとかび臭くってさ。あれは一種の化学反応なのかなあ」

「あれは、飛び散った水滴が地面の砂やら埃を含んでて、それのニオイやて話やぞ」

「そうなのか?」

「ああ、せやから、アスファルトやコンクリートの道は匂えへん」

「なるほどなあ……そういや、昔の学校ってニオイがしたなあ……」

「ああ、そうやなあ……」

 

 回転焼きから、ジジイ二人の話は学校のニオイになってきました。

 

「昔の学校って床も廊下も板張りだったから油のにおいがしたなあ」

「うん、学期に一回ぐらい油引きしてたなあ、登校して油のにおいがすると、なんか新鮮な気持ちになった」

「あの油びきって、子どもがやってたっけ?」

「ああ、技能員室でバケツに入った油とモップをもらってさ、やってた」

「え、そうかぁ、それってワックスがけと勘違いしてないか?」

 わたしたちが現場の先生になったころは、どこの学校も教室は木のタイル張りで、これは油では無くてワックスでした。どちらもモップを使いますがにおいも見た目も全然違います。

「子供にやらせてたかなあ?」

「武者はやってないのか?」

「どうやったかなあ……生徒といっしょにやったことはあるけど、自分が子どもやったころはやってないかなぁ。先生らの仕事やったんやないのか?」

「低学年は先生がやってたけど、高学年は児童がやってたぞ」

「え、あ、そうかぁ……」

「おまえ、ずっとサボってたんじゃないのか?」

「あはは、よう逃げてた(^_^;)」

「それで、現職になってからは主に生徒にやらせてた?」

「ああ、教育の一環や。最初とか、時どきはいっしょにやってたけどなあ」

「女子とだろう」

「ああ、制服汚れたらかわいそうやからなあ」

 思い出しました。武者もわたしも学校の先生をやっていましたが、同じ学校に勤務したことがありません。

「武者、おまえの最後の勤務校はKだったと思うんだけど、その前は、どこだ?」

「あ、ああ、NとH」

「イニシャル合わせたら、NHKか」

「え、あ、ほんまや。あははは」

 ちょうどお湯が沸いたので、話題をもどす昼下がり。

 ついさっきまで喧しかった蝉の声が、いつの間にか止んでいました。

 

☆彡 主な登場人物

  •  わたし        武者走走九郎 Or 大橋むつお
  •  栞          わたしの孫娘 
  •   武者走                   腐れ縁の友人
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滅鬼の刃・31『H先生の大声』

2023-07-27 16:42:02 | エッセー

 エッセーラノベ    

31『H先生の大声』   

 

 

 武者走は、よく武者小路と間違われていました。

 

 武者走という苗字は稀で、武者小路は、みなさんご存知のように白樺派の大作家であります。

 学校の教科書や副読本にも必ず出ていて、作品を読んだことが無い人でも名前は知っておられるでしょう。

 飲み屋のお品書きの横に――仲良きことは美しきかな――と書かれた野菜の絵がありますが、あれの作者です。

 武者走のフルネームは武者走幸次(むしゃばしりこうじ)と云います。

 約めれば「むしゃこうじ」で、武者小路と言っても、そうそう間違いでもないというのが奴の理屈です。

 郵便物も『武者小路』と誤記されていても、ちゃんと届くそうです。

「でも、一度だけ新米の郵便屋が『武者足さんのお宅でいいんでしょうか?』って訊ねてきやがった」

「むしゃたり?」

「ああ『むしゃたり』って読みやがった(^_^;)。それ以来、武者小路の表札も出したある」

「アハハハ」

 お茶を出しに来て、そのまま居ついてしまった栞も笑います。

「武者のおじさん、よかったら晩ご飯食べてってください。スーパーの朝市でしめじいっぱい買っちゃったから炊き込みご飯にするんです」

「おお、そりゃありがたい。今日は息子夫婦も出かけてるから、コンビニ飯で済まそうと思ってたところや」

「じゃ、味には文句言わないってことで承ります(^▽^)」

 タタタタ

 古希のジジイには真似のできない軽やかさで階段を下りて行きます。

「いい娘さんになったなあ」

「その分、こっちもいいクソジジイになったけどな。で、初回のネタはなんだ?」

「おっと、その前に電話しとくわ」

 武者はスマホを持って廊下に出ます。

『……おお、おれおれ。今日は大橋んちで飯食って帰るから、あ、ああ、憶えてるぅ。とちくるって晩飯買って帰らんようにな「念のため電話」や。じゃあな、勤労中年』

「あいかわらず、声でかいなあ……」

「あはは、お互い小声じゃ通じひん職場におったからなあ」

「そうだな」

「息子にはウザがられてるけどな。連絡やら情報は、直に音声で伝えるのが基本や」

「確かにな」

「そういや、中学のH先生は声でかかったなあ」

「あ、ああ……」

 

 何年かぶりでH先生を思い出しました。

 

 転任の挨拶で朝礼台に立ったH先生は、地声で「気を付けえっ!!」とかましました。

 1200人の生徒が、ビシっと気を付けになります。

 人の体というのは吸音体で、それが露天のグランドに1200人も居るとマイクを通さない声など届くものではありません。

 70年の人生で、大声の人間に二人で会いましたが、二人とも恩師あるいは先輩の先生です。

 H先生は旧海軍の御出身で、乗っていた艦が魚雷にやられて、まる一日フィリピンの海に浮いておられました。

「先生の腕の傷、見たか?」

「あ、ああ……」

 元気な先生で、受け持ちの体育の授業は、冬でも半袖を通しておられ、右腕の傷がよく見えました。

 ただ、先生自身が無頓着で、明るく授業をやられるので、いつのまにか生徒も気にしなくなりました。

「あのころのオッサンは、チラホラ居たなあ……」

 昔は銭湯でしたので、たまにそういう人を見かけました。

 たいていは、戦時中の傷です。そして、たいていは銃創であったり、破片に肉を持っていかれたりの傷でした。

「火傷のケロイドいうのもあったなあ」

「あ、ああ……」

 ごく小さいころは、お袋に連れられて女風呂に入っていました。

 数は少ないのですが、女性の中にもそいう方がいらっしゃって、子ども心にも驚いた記憶があるのですが、ジロジロ見たりはしません。大人たちの態度で見て見ぬふりをするものだと思っていました。

「そうやったなあ、あのころの風呂屋は教育の場でもあった。せやけど、H先生の傷は、ちょっと違たやろ」

 そう言われて思い出しました。

 先生の傷は二の腕にあって、少し欠けているのですが、欠けた周囲には歯形のようなものがついていました。

 だからかもしれません、先生の傷のわけを聞いた話は聞いたことはありません。

 それを武者走は聞いたようなのです。

「あれはなあ、魚に食われた痕やそうや」

「魚に?」

「うん、漂流して、ほとんど死んでもたようになってると、ごく普通の魚が食いにくるそうや。魚は、みんな肉食やからなあ」

「え、そうなんか……」

 こういう秘密めいた話は、驚いたり感心した方が負けです。

 こっちも一発かまします。

「海軍にはな、高声電話というのがあった」

「こうせい電話?」

「ああ、高い声の電話と書く」

 古本屋で『丸』というミリオタ雑誌を見ていたので、少しばかりは知識があります。

「海軍は艦内通信には伝声管を使っていたんだけどな、なかなか明瞭には伝わらなかったので、音量を電気的に増幅して伝える電話が使われるようになった」

「へえ、そんなものがあったんか?」

「ああ、海軍は進んでいてな。新造の大型艦には冷房もあったし、照明は蛍光灯だった」

「え、蛍光灯なんて、俺の家は小学校に入ってからやったで」

「うちも、そうだったけどな。あ、高声電話。それをH先生に聞いてみたことがあるんだ」

「『ああ、あれはな、大きな声でなきゃ通じないから高声電話っていうんだ』だ、そうだ」

「え、そうなんかぁ」

「それで、遠くに味方の船が見えて、ここ一番の大声を張り上げたら気が付いて助けられたそうだ」

「あ、ああ、なるほど……」

 

 けっきょく、第一回目の内容に踏み込むことも無く、武者は栞のしめじご飯を食べて帰って行きました。

 

☆彡 主な登場人物

  •  わたし        武者走走九郎 Or 大橋むつお
  •  栞          わたしの孫娘 
  •   武者走                   腐れ縁の友人

 

 

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滅鬼の刃・30『栞と来客』

2023-07-21 16:20:36 | エッセー

 エッセーラノベ    

30『栞と来客』   

 

 

『お祖父ちゃん、お友だちがいらっしゃったわよ!』

 

 図書館に行くと言っていた栞が階段の下から呼ばわります。

 ドアホンの調子が悪いので、来客は玄関の戸を叩いています。

「はい、どちらさまでしょうか?」

「○○と申します、大橋さんは御在宅でしょうか?」

「あ、祖父ですね、少々お待ちください」

 というやり取りがあって、最初の『お祖父ちゃん、お友だちがいらっしゃったわよ!』に繋がります。

 

 栞は、こういうところがあります。

 来客があると、その声の調子でおおよそのところを察してしまいます。

 セールスや勧誘などは、いちいちわたしに次げずに対応し、たいていは撃退してしまいます。

 わたしへの来客も、勘なのか、どこかで憶えたのか「町会の○○さん」「公〇党の▢▢さん」「共〇党▢▢さん」「同窓の○○さん」「お友だちの○○さん」と告げる、あるいは呼ばわります。

 小さな家なので、たいてい栞の声も来客に聞こえてしまいます。

 単に「お客さ~ん」とか「誰か来てるよ」ではそっけないと思っているようです。

 来客も「お友だちの~さん」などと呼ばれると気分が良いようで、栞の評判は上々です。

 一度「お友だちの○○さんよ」と言って失敗したことがあります。

 やってきたのは、友人○○の息子でした。

 前の月に○○は亡くなっていて、葬儀の後、遺品の整理やら連絡を手伝ったお礼に息子さんがお礼に来たのを間違えたんですね。声がよく似ていたので、つい間違えたのです。

 栞は恐縮していましたが、息子の方は「ひょっとしたら、親父も付いてきたのかもしれません」と床しく思ってくれました。

 

 さて、今日の来客は武者走といいます。

 

 お気づきになったかもしれませんが、わたしのサブペンネームが武者走で、こいつの苗字をそのまま使わせてもらっています。武者走はずっと高校の先生をやっていたのですが、再任用も五年前に終わって、暇を持て余している不良老人です。

「もう古希も超えてしもたし、ちょっと現役時代のことを振り返っとこと思てなあ。自分で書いてもええねんけど、お前以上に根気も文才もあれへんし、ブログに書いてアクセス少なかったら凹むしなあ。お前やったら、しょっちゅう書いてて慣れてるやろ。気の向いた時でええからさ、まあ、散歩のついでに寄って語る感じでさ、文章にしてくれへんか」

「その気の向いた時っていうのは、俺のか? お前のか?」

「あはは、まあお互さまや(^_^;)」

 

 そこへ、栞がお茶を持ってやってきました。

 

「なんだ、図書館行くんじゃないのか?」

「ふふ、こっちの方が面白そうだし。お祖父ちゃん、引き受けたら?」

「簡単に言うなよ」

「お祖父ちゃんもネタ切れで、ここのところ停まってたじゃない」

「そうか、ひんなら話は決まりや!」

「おいおい」

「おいおい書いてくれるんだそうです」

「そうか、話は決まった。そうや、記念に一杯やろうや。栞ちゃん、お代は俺が持つからデリバリーでなにか頼んでくれへんか」

「あ、やったー! 晩御飯の心配無くなったぁ(^▽^)/」

 

 ピザと寿司と缶ビールで盛り上がり、肝心の記事のネタは次回からと言うことで、迎えに来た息子に介抱されながら悪友は帰っていきました。

 はてさて、どうなることやら。

 

☆彡 主な登場人物

  •  わたし        武者走走九郎 Or 大橋むつお
  •  栞          わたしの孫娘 
  •   武者走                   腐れ縁の友人

 

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滅鬼の刃・29『二回目』

2023-05-26 17:26:00 | エッセー

 エッセーラノベ    

29『二回目』   

 

 

 うっかり同じテーマで二回書いてしまいました。

 

 23回と28回、タイトルも同じ『元日の新聞』で、いやはや焼きが回りました。

 28回目を書き終えて、三日目に栞に指摘されました。

「え、そんな馬鹿な……」

「ほらぁ(^_^;)」

「あちゃ~~」

 

 それで、今日は『二回目』をテーマに書いてみようと思い立ちました。

 

 五十数年前、うかつにも高校二年を2回やってしまいました。

 早い話が落第したわけです。

 当時、生徒の身でありながら高校演劇の役員をやっていたわたしは、年度末の役員会を終えて帰宅して、茶の間の沈鬱な空気に――ヤバイ――と思いました。

 小学校に入って間がないころ、いつもとは一本違う道に入り込んで、大きな野良犬と目が合ってしまったことがあります。あの時の――ヤバイ――に似ていました。

 お袋は、担任の先生と、もう一人えらい先生が来て留年を宣告していった事実を目を合わせることも無く伝えました。

 

 親父は、こんな話をしました。

 

 わたしには、三つ年下の妹がいたと言うのです。

 わたしには三つ年上の姉がいて、ずっと、その姉との二人姉弟だと思っていました。

 姉は、勉強も出来て、弟のわたしから見ても器量よしで、しっかり者の姉ちゃんでした。

 ところが、わたしが生まれた三年後、三人目が宿ったことが分かって、親父とお袋は堕ろすことに決めました。当時の家計では三人目を育てることは無理と判断したんですね。

「……女の子だった」

 そんなつもりは無かったのかもしれませんが、言外に、女の子が生まれていたら――きっと落第などしないいい子だったろう――という、強烈な残念さを感じました。

 高校二年というのは修学旅行のある学年です。ご丁寧に、二度目の修学旅行にも行きました。

 わたしが親なら「バカモン! 二回も修学旅行に行くやつがあるか!」と叱っていたでしょう。

 親父は、あっさりと二回目の修学旅行費を一括で払ってくれました。

 修学旅行は二回目も同じ信州方面。同じコースを同じバス会社のバスで、あれ?っと思ったらバスガイドさんまで一回目と同じ人でした(^_^;)。

 留年と修学旅行に関しては面白い話もあるのですが、それは、また別の機会ということにします。

 

 二回目というテーマに戻ります。

 

 ちょっとした運命のいたずらで孫娘の栞といっしょに暮しています。

 娘の娘で、正真正銘の孫娘なのですが、早くに引き取ったので、なんだか子育ての二回戦という感じです。

 栞も「二回目の父親だ!」などと言って、境遇を面白がっているように言います。

 わたしも「二回目の娘だ!」と言って調子を合わせております。

 これも踏み込むと奥が深すぎますので、主題に入ります。

 

 主題は「二回目の人との接し方」です。

 

 大人になってからでも半世紀以上生きておりますと、初対面の人とはソツなく接するようになります。あるいは出来るようになります。

「どうも、お世話になります」「大橋と申します」「武者走などと大層なペンネームですが」「いやあ、今日は暑いですねえ」「お噂はかねがね」「ごいっしょさせていただきます」「お隣り、よろしいでしょうか」「あ、そうだ」

 切り出し方はさまざまですが、切り出して、その反応で(あまり話しかけない方がいい)とか(この話題でいこう)とか(こっちの話の方が)とか感じながら接していきます。

 友だちがイタ飯屋を経営していて、仕事の帰りなど看板までいたものですが、テーブルが二つに、カウンター席が八つほどでしたので、ちょっと客同士の距離が近いのです。

 その客も、友人であるマスターの友だちや知り合いが多く、こちらもマスターの友人。場合によっては「こいつ、古い友だちで大橋っていうんだ」的に振られます。

 こういう時に「あ、ども」だけでは、なんとも素っ気なさすぎるので、まあ、互いに気を遣ってしまう訳ですね。

 それで、話題を探るわけです。

 

 持病で、月に一回病院に通っていました。十年ほどはお袋の車いすを押して週一回病院に連れていきました。二年ほどは父を別の病院に、老人ホームにも通いました。

 待っている間に、隣の人と話になることもあります。こちらは馴染みの患者、あるいは付き添いなので、病院や施設の事情にも詳しいので、時どき訊ねられます「薬局はどちらでしょう?」「待ち時間長いですか?」「問診票のここ、どう書くんでしょう?」「トイレどこでしょう?」「ちょっと見ててもらえます?」など、ちょっとしたやり取りなのですが、病院の待ち時間は一時間を超えることはザラなので、控え目にしながらも話すことがあります。

 そういう人たちと、二度目に会った時が、ちょっと厄介です。

「あ、先日は……」

 向こうから話しかけてこられたり、話しかけるのではなく目礼などされると、話さざるを得ません。

 そうすると、もうなおざりな話では済まないような気になって、話題を考え、返事を考えしたりできりきり舞いになってしまいます。お天気の話がいちばん無難なんですが、そうそうお天気の話ではもちません。趣味の話は押しつけがましいし、そうだ、前回はなにを話したっけ、えと……えと……。

 一番困るのは――え、知ってるようなんだけど、どこで会ったかな? 勘違いかなあ?――とか悩みます。

 あ、二回目なんだけど名前が出てこない! えと……お名前は……(-_-;)

「あ、先日はどうも(^_^;)」と、適当に先手を打って「え、初めてですが?」的に返されたら目も当てられません。

 間違いなく――適当なやつだなあ――と思われます。

 さらに困るのは、こちらが最初気づかなくて、相手が先に気付いて――失礼なやつ、シカトしやがって――と気まずくなる時ですねえ。

 電車の向かいのシートで、なんだか不機嫌な年寄りが座っていて――なんだ、この爺さんは?――と視線を避け、しばらくしてから――あ、先輩だ!――と気づいたあとの気まずさ(-_-;)。

 

 ププ( ´艸`)

 

 ここまでキーボードをたたいていると、後ろで二回目の娘が噴き出しました。

「もう、神経質な文章書いてぇ、もう、お風呂入ってしまってよね」

「え、晩御飯まだだぞ」

「え……」

 真顔になる二回目の娘。

「え、あ……ハハ、うそうそ」

 冗談でかましたのですが、翌朝、学校に行くまで心配そうな顔をされたのには参りました(^_^;)

 

☆彡 主な登場人物

  •  わたし        武者走走九郎 Or 大橋むつお
  •  栞          わたしの孫娘 

 

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滅鬼の刃・28『元日の新聞』

2023-01-21 22:36:14 | エッセー

 エッセーラノベ    

28『元日の新聞』

 

 

 元日の新聞を一文字も読むことなく古紙回収に出してしまいました。

 

 幼稚園の頃には、ろくに文字を読めないにもかかわらず読んでいました……いや、眺めていたというのが正しいでしょうか。

 ヘッドラインの文字の面白さや、写真の面白さ、四コマ漫画、風刺漫画、広告の新鮮なデザインなどを子ども心に楽しく眺めていました。

 くしゃ~み三回 ルル三錠♪

 風邪薬のフレーズは、テレビが来る前に新聞の広告で知っていました。

 

 そうそう、夕刊だったと思うのですが、連載小説も面白かったですねえ。

 うちは、ほとんど産経新聞でした。おかげで、朝日や毎日の色には染まらずにすみました。

 むろん、子どもが新聞の銘柄を選ぶわけはなく。大正生まれの両親の都合です。当時は、産経が他紙よりも安かったのが理由でしょう。

 あ、連載小説です。

 産経の連載と言うと、わたしぐらいの歳では司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』ですね。小学生には難しい字がいっぱいありましたが、日露戦争の旅順攻略、203高地のくだりや、奉天会戦、日本海海戦などは拾い読みでしたがワクワクして読んだ、いや眺めていました。

 203高地を奪取に成功したと聞き、児玉源太郎が、すぐに野戦電話を掛けるところがあります。

「旅順港は見えるか!?」

 電話を受けた隊長が、こう言います。

「はい、丸見えであります!」

 丸見えという言葉が面白く、また雰囲気を良く表しています。子ども心にも嬉しくて、安心して思わず笑ってしまいました。旅順の下りは長くて三か月ぐらいやっていた記憶がありますので――やったあ!――というカタルシスがありました。

 小学生でも、ある程度は読める、眺められるようにお書きになった司馬さんはすごいですね。

 まだ、ろくに字が読めない頃は、小説の真ん中に載っていた挿絵を眺めて喜んでいました。『坂の上の雲』の前は今東光氏の『河内太平記』でした。文章はさっぱり読めませんでしたが、挿絵は、子どもの目ではありますが漫画的に面白く、納得もしていました。

 例えば、戦で人の首を獲る時は、相手をうつ伏せに組み伏せ、兜の眉庇に手をかけ喉首を晒して、鎧通で一気にかき切るのを見てなるほどと思いました。テレビや映画では、馬乗りになって突き刺したら、次の瞬間に首が取れていたので納得していなかったんですね。

 挿絵の人物の描写も、時には三頭身や四頭身。戦の様子などは幼稚園で見た猿蟹合戦と被ってワクワクしていました。

 

 あ、また少しずれてますねえ。元日の新聞です。

 

 元日の新聞は、一面と他の何ページかがカラー印刷でした。今でこそ、新聞の色刷りは当たり前ですが、当時は新鮮でした。三つ上の姉が、富士山の写真が載っているのを見て「うわあ、天然色やあ!」と叫んでいました。

 当時は、カラーとは言わずに天然色でした。

 カラーという言葉が天然色を凌駕するのは、カラーテレビの普及と重なっていると思います。

 テレビ欄は、普段の夕刊ぐらいの別冊になっていて、三が日分のテレビ番組表が載っていて、新番組の特集とかがあって、本紙よりも家族で取り合いでした。

 東海道新幹線のことを『夢の弾丸列車』という見出しで出ていたのは、ローマオリンピックの次の年の元日の新聞だったと記憶しています。紙面の半分近くが新幹線の完成予想図、いや、イラストでした。そして、三年半後、新聞の通りの新幹線が開通し、首都高速が開通。親父の給料もボチボチ上がって、ひょっとしたら高校ぐらいは行かせてもらえるかと思いました。

 なんというか、自分の成長と日本の成長が並行していて、世の中は、どんどんいい方向に向かっているんだと思えました。むろん、不便なことや、しんどいことも多くありましたが、総じて面白い時代ではありました。面白さの予感と元日の新聞の分厚さと天然色ぶりが重なりました。

 

 今年の元日の新聞は、孫の栞が年賀状といっしょにポストから出してくれていました。

 

「あれ、お祖父ちゃん読まないの?」

 上目遣いに聞いてきました。

「え、ああ、あとでな」

 実は、年賀状を見ているうちに忘れてしまったのです。

 おでこの一つもたたいて「あ、いかんいかん」と座りなおせばよかったのですが、栞の目つきがお見通しと言う感じで、つい見栄を張って、とうとう読む潮を失ってしまいました。

 廊下の古新聞の山に置いてあるのは承知していましたが、昔の少年雑誌並みに分厚い新聞が目に留まると、ついつい日延べになって、今朝気づいたら栞が他の古新聞もろとも縛ってしまっていたという次第です。

 嗚呼、やんぬるかな!

 

☆彡 主な登場人物

  •  わたし        武者走走九郎 Or 大橋むつお
  •  栞          わたしの孫娘
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滅鬼の刃・27『嵐も吹けば風も吹く』

2022-10-07 14:41:56 | エッセー

 エッセーラノベ    

27『嵐も吹けば風も吹く』

 

 

 鼻歌を口ずさむってことありますか?

 

 週に五度くらいは散歩に出ます。たいてい自転車で、10~20キロ、時間にして1~2時間。時には30キロを3時間くらいかけて走ります。

 春や秋、お天気がいいと、つい鼻歌が口を突いて出てきます。

 レパートリーに脈絡はありません。フォークソング、アニソン、オールディーズ、ポップス、どうかすると、インターナショナルの次に轟沈を口ずさんでいることもあります。

 人生のあちこちで聞いたり憶えたりした歌が、脈絡があったり無かったり、浮かんでは口から出てきます。

 

 十八番というか、よく出てくる歌があります。数えたことはありませんが、十八曲以上あることは確かです(笑)

 そんな十八番の中に『ここに幸あり』があります。

 

 嵐も吹けば~風も吹く 女の道よ何故険し~ キミを頼り~に~ わたしは~生きる~♪

 

 ジェンダーフリーの方々からはNGで、張り倒されかねない歌詞なのですが、春や秋の晴れ渡った空の下を走っていると、似つかわしい歌です。わたしの中では『青い山脈』と双璧の人生の応援歌であります。

 鼻歌というのは、歌っている本人は気持ちのいいものです。ですが出くわした人には、いささかはた迷惑なものですから、人が多いところ、踏切や横断歩道では中断します。

 たまたま周囲に人影のない公園横の横断歩道で、歌いきりが悪いので「ここに幸あ~り、あ~おいそ~ら~♪」と歌いきってしまったことがあります。

「いやあ、テレビ結婚式やねえ(^0^)」

 わたしより5~6歳は年上と思われるオバアサンが斜め後ろから声を掛けてこられました。

 不意打ちでもありましたので、アハハと不得要領に愛想笑いするしかありませんでした。

 

 横断歩道を渡って思い出しました。たぶん花王石鹸かなにかがスポンサーであったと思うのですが、テレビで結婚式の中継をやる番組がありました。

 幼稚園か小学校の低学年のころですから、昭和の三十年代でしょう。

 徳川無声さんの司会だったと思います。

 毎週見ていたわけではありませんが、なんだかドキドキして神妙に見ていた記憶があります。

 たいてい横で、お袋が内職の針仕事をやっています。

 共に大正十四年生まれの親父とお袋は、終戦間もない時に所帯を持ちましたので結婚式をあげていません。

 子ども心に、ちょっとまずいかなあ……と思いながらも、その緊張感と晴れがましさが刺激的で、チャンネルを変えられませんでした。

 調べると、最初の頃は有名人の結婚式などをやっていたらしいのですが、わたしの記憶では一般募集で当選した三組ほどのカップルが同時に式を挙げておられたような記憶があります。

 中には、すでに結婚していて、わけあって式を挙げられなかったご夫婦なども出ておられたような記憶があります。

 戦争で瀕死の重傷を負った同士で結ばれたカップルがおられました。

 徳川無声さんが、しみじみとお二人の越し方を述べられるのですが、参列している親族知人の方々もことごとくが戦争体験者であります。あちこちから忍び泣きや嗚咽が聞こえてきます。

 シンとしていると思ったら、お袋が裁縫の手を停め、メガネを外して割烹着の裾で目を押えていました。

 子ども心に、このつぎは別のチャンネルにしようと思いました。

 もう少し書こうとおもったのですが、栞の「ただいま~」が聞こえてきましたので、またいずれかの機会に。

 

 

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RE滅鬼の刃・26『祖父をなんと呼ぶか』

2022-09-05 15:12:55 | エッセー

RE エッセーノベル    

26・『祖父をなんと呼ぶか』 

 

 

 お祖父ちゃんと暮らすことになった最初の日、お祖父ちゃんが聞きました。

「どうだ、栞、これからはお祖父ちゃんの事『お父さん』て呼んでみるか?」

 

 ショックでした。

 

 なんと言っていいか分からなくて、俯いていたら涙が溢れてきて、両手をグーにして目をゴシゴシ拭きました。

 それでも、涙は溢れてきて、その日初めて着た白のワンピースにポタポタ落ちてきて、シミになったらお母さんに怒られると思って、でも、もうお母さんに会うことは無くって、そう思ったら混乱して、ますます涙が止まらなくなって。

 でも、声を上げて泣くことはしなかったですね。

 声を上げて泣いたら、もう、張り詰めた髪の毛一本でもっているような心が壊れて、元に戻らなくなってしまいそうで、必死にこらえました。

 

 お祖父ちゃんを『お父さん』と呼んでしまったら、二つの大事なものが二度と返ってこない。

 

 一つは、おうち。子どもの言葉で『おうち』です。

 家庭、ファミリー、絆、そういったものです。それが『お父さん』という言葉で永遠に消えてしまいそうな、そんな怖れを感じていました。たとえ100点満点でなくとも、おうちはおうちです。

 ジブリの『ラピュタ』で、怖いシーンがありますね。

 パズーとシータがムスカ大佐に追い詰められて、二人で飛行石を握って「「バルス」」って言うじゃないですか。

 あれで、何百年、何千年続いたラピュタが分子結合を失ったみたいにバラバラになって落ちて行ってしまうじゃないですか。

 あんな感じで、怖くて言えませんでした。

 

 二つ目はお祖父ちゃんそのもの。

 お祖父ちゃんを『お父さん』て呼んでしまったら『お祖父ちゃん』が居なくなってしまうじゃないですか。

 わたしは、親の都合で、しょっちゅうお祖父ちゃんちに預けられていました。

 お祖父ちゃんは、いつも優しくって、何かの拍子で誰かの胸で眠ってしまって、目が覚めた時、お祖父ちゃんだったらホッとしました。もっと昔はお祖母ちゃんも生きていて、よく、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに挟まれて寝ていたもんです。

 お母さんでもよかったんですけどね。

 お母さんの場合、目が覚めたら、そこから、もうよい子を演じなければならないので、ちょっとくたびれるんです。

 お祖父ちゃんの姿をしたお父さん。そんなのは釈然としません。

 でも、大きくなって少し分かりました。

 友だちの中にお祖母さんと暮らしてる人が居たんです。その子が『お母さん』と呼んでいて、ちょっと「え? ええ?」って思って、その子は説明してくれました。

 その子にも、そこには居ないお母さんにも、むろんお祖母さんにも、なにも問題はありません。

 ただただ、居心地が悪いんです。

 お祖父ちゃんを『お父さん』と呼んでしまったら、目の前にいるのは『お父さん』と呼ばれるお祖父ちゃんの姿をした怪物になってしまいます。

 

 

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 なんで『お父さん』て呼ばなかったかって?

 キモイからに決まってんじゃん。

 ジジイと暮らすようになったのは五歳になってすぐだったと思う。

 五歳っていうと、もう赤ちゃんじゃない。でしょ? 異議無いよね?

 今ほど具体的にアレコレ知ってたわけじゃないけど、分ってたよ、これから大変だって。

 もう一年くらい、ジジイとは、いっしょにお風呂に入ってなかったし。

 お母さんは問題アリアリな人だったけど、そういうとこは、いっしょだったし。

 ジジイのとこは、しょっちゅう来てたというか来させられてた。ま、家庭の事情ってやつさ。

 でもさ、毎日ってわけじゃないよ。

 お母さんは破滅的な性格だったけど、ドラマとかは、橋田寿賀子とか好きでさ、そういうのに憧れあるのよ。

 渡る世間は鬼ばかりと笑いながら、渡る世間に鬼はなしとも願ってる。

 世間の鬼は自分だと自覚しながら、自分の相手をしてくれる世間には鬼ではないと憧れてんのよ。

 虫良過ぎ!

 憧れてんだったら、自分ちをそうしろって思ったけどさ。ま、それは置いといて。

 わたしもね、うちでは母親似の剥き出し幼女だったけど、ジジイんちじゃ仮面孫娘やってたわけ。

 加齢臭は、ま、いいとして、ベタベタされんのは勘弁してよですよ。

 いっしょにお風呂どころか、いっしょに洗濯もNG!

 わたしがね、小五から洗濯してんのは、そういうことですよ。

 家庭科の洗濯実習で手際がいいもんで、感心されて「あ、お祖父ちゃんと暮らしてますから」ってコソッと担任の先生に言ったら、EテレのMCてか、24時間テレビ的な微笑み返されてゲロ出そう。

 そういや、24時間テレビも苦しいみたいね。もう何年も続かないでしょ?

 わたしもね、こんな仮面孫娘、そう何年もやってるつもりないし。

 

 あ、突然思い出した。安倍さんてさ、一発目と二発目の間に倒れてるよね。動画、何回も見たし。

 弾が見つからないとか、現場検証が五日後って、もう終わってるでしょ。

 ま、思っただけでさ、わたし的には、そういうことには目をつぶって、統○協会がーとか、テレビのワイドショー的に生きて生きればいいっす。

 

 

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滅鬼の刃・25『親をなんと呼ぶか』

2022-06-06 16:32:01 | エッセー

 エッセーノベル    

25・『親をなんと呼ぶか』 

 

 

 自分の親をなんと呼んでいらっしゃったでしょうか。

 

 お父さん・お母さん  お父ちゃん・お母ちゃん  パパ・ママ  父ちゃん・母ちゃん  父上・母上  

 おっとう・おっかあ  おとっつあん・おっかさん  おでいちゃん・おもうちゃん  ムーター・ファーター

 ダディー・マミー   親一号・親二号  おとん・おかん

 

 散歩をしていると、たまに子どもが親を呼んでいるところに出くわします。たいてい、公園で遊んでいる小さな子が回らぬ下で母親を呼ぶ声です。

 たまに、スーパーとかで「おかあさん、これ買ってぇ」とか「お父さん、さき行くよ!」とかを耳にします。

 いちど、そばを通過中の車から「お父さん、ブレーキ!」という切羽詰まった呼びかけを聞いたことがあります。呼びかけたのは奥さんで、年恰好から見て旦那さんのことであったようです。

 自分の配偶者を「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶのは日本だけではないのかと思うのですが、これは主題から外れそうなので、別の機会に触れたいと思います。

 思い返すと、友だち同士やご近所同士の会話の中で三人称として使われているのを耳にするのが大半なのだと思い至ります。

「きのう、お母さんと買い物行って……」「お父さん、会社の帰りに猫拾てきて……」「お母さん、めっちゃ怒って……」「うちのおとんも歳やからねえ……」など二人称として聞こえてくることが多いですね。

 近ごろは流行り病のこともあって、屋外や電車の中で人の話し声を聞くことも稀ですが、おおよそは、こんな具合なのではないかと思います。

 

 なぜ、名前のことを書きだしたかというと、孫の栞が、あまり「お祖父ちゃん」と言わなくなったからです。

 これまでは「お祖父ちゃん、ごはん!」とか「お祖父ちゃん、あした燃えないゴミだよ」とか「お祖父ちゃんの年賀状多いねえ」とか枕詞のように言っていました。

「ご飯だよ」「あした燃えないゴミ」「はい、年賀状」とかで済まされます。

 まあ、そういう年齢なんだろうと思っているのですが、ちょっと寂しいのかもしれません。

 

 小学三年生のとき、国語科なにかの授業で時間が余ったのか「うちで、親の事をなんと呼んでいますか?」と先生が聞いたことがあります。先生は、みんなに手を挙げさせ、学級役員選挙のように「正」の字を書いていきました。

「お父ちゃん・お母ちゃん」というのが一番多かったですね。次いで「お父さん・お母さん」。「父ちゃん・母ちゃん」はクラスで二三人、「パパ・ママ」と同じくらい少数派だったと思います。

 わたしは「父ちゃん・母ちゃん」と呼んでいました。

 近所の子たちは「お父ちゃん・お母ちゃん」がほとんどであったように記憶しています。

 近所のニイチャンが「パパ・ママ」と呼んでいて、ええしの子や! と、たじろいでしまったのを憶えています。

 上皇陛下の結婚パレードを、そのニイチャンの家で見ていました。

 白黒の14インチで、カメラが引きになって馬車全体が画面に収まるようになると、人物の目鼻立ちもはっきりしないくらいの画質でしたが、姉とニイチャンと三人で見ていてドキドキしたのを憶えています。

 馬車が何度目かのアップになった時、急に画面が歪んで上下に流れるようになりました。昔のテレビは不安定でした。

「ママー! テレビ変になったー!」

 ニイチャンが叫ぶと、エプロンで手を拭きながらママがやってきて「こうするとね……」といいながら、テレビを張り倒しました。

 パンパン!

 すると、テレビは正気に戻って、ご成婚パレードの続きを映し出します。

 ご成婚は、昭和33年ですから、リアル『三丁目の夕日』の鮮やかな記憶です。

 ニイチャンは、町内でただ一人、校区の違う小学校に行きました。

「やっぱし、ええしはちゃうなあ」

 同い年で、ひそかにニイチャンとの集団登校を楽しみにしていた姉は、残念を通り越して嘆息していました。

 

 孫の栞を引き取るにあたって、ちょっと勇気を出して聞いてみました。

「どうだ、お祖父ちゃんの事『お父さん』て呼んでみるか?」

 学校へあがると、いろいろあるだろうと思い、聞いてみたのです。

「………………………」

 栞は、沈黙をもって答えにしました。

 数秒、わたしの顔を見上げて俯いてしまいました。気が付くと、両手をグーにして目をこすっています。

「そうかそうか、むつかしいよな、むつかしいこと聞いてごめんよ。ま、いままで通りでいこうか、とりあえず」

 ひそかに『パパ』という呼び方も思っていたのですが、それは止めて正解でした。

 

 わたしは、両親の事を「父ちゃん・母ちゃん」と呼んでいましたが、両親は自分の親(わたしの祖父母)のことは「お父さん・お母さん」と呼んでいました。

 母の里は、蒲生野(いまの東近江市)の真宗寺院で、五人居た叔父叔母も母と同様「お父さん・お母さん」でした。

 おそらくは、最初に所帯を持った町のマジョリティーに合わせたものだと思います。

 小三の調査で少数派と知って少しショックでしたが。おそらく、日本人の四人に一人ぐらいは呼んでいたであろう、この呼び方は好きです。『ニ十四の瞳』だったと思うのですが、大石先生の受け持ちの子が、親の事をそう呼んでいて親近感を持ったのを思い出して、コーヒーを淹れなおしました。

   

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RE滅鬼の刃・24『だいじょうぶかな』

2022-01-16 15:10:16 | エッセー

RE エッセーノベル    

24・『だいじょうぶかな』  

 

 

 元日の新聞を読んでいないのはわかってました。

 

 読んだ新聞を丁寧にたたむお爺ちゃんですが、折り方……というか広告の戻し方に特徴があります。

 広告の折り目と本紙の折り目を逆にするんです。

 たぶん、折り目を同じにしていると、一か月も重ねると折り目が重なったところが分厚くなりすぎるから。

 ただの習慣かもしれませんが。

 他にもあるんですが、内緒です。

 まあ、そんなで、読んでないことは知っていました。

 でも、読んだつもりになっていたら……と思うと言えませんでした。

 だからね、「出すのは、お祖父ちゃんやってよね」と念を押しました。

 もし、出すのも忘れるようだったら……ちょっと、あぶないじゃないですか(^_^;)

 まあ、ちゃんと出してくれていたので、一安心。

 

 お祖父ちゃん、このごろ人相が悪くなりました。

 多分、老眼がさらに進んでるせいです。

「メガネ買い直したらあ」

 言ってみましたが「まだだいじょうぶ」と言います。

「いまの度数分かってる?」

「え、えと……」

「机のここに貼ってあるから」

「え……ああ、これかあ」

 と、目を細めますが見えていません。

 貼ってあるのは、レンズの端っこに貼ってあった度数表示の豆粒ほどのシールです。

 次に買う時にスカタンしないよう(以前、同じ度数のを買って無駄になったことがあります)貼っておいたのです。

「そうそう、3.5だ。思ってたのといっしょだったぞ」

 ぜったい嘘です。

 老眼鏡というのは、普通に5.0まであるようです。

 一昨年の暮れに老眼鏡を買い直して、その度数が(3.5)でした。

 いちど目医者さんに行ったらと言うのですが、なかなか行きません。

 

 お祖父ちゃんは、座卓の横に未読の本を積んでいます。

 読んでしまった本は、まとめて下の部屋の本棚に移します。

 だから、いつも同じくらいの本が積んであっても、同じ本ではありません。

 それが、この数か月、本の移動がありません。

 取り越し苦労なのかもしれませんが、ちょっと心配のお正月でした。

 

 

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 だいじょーぶかよ!?

 言霊っていうのがあるから、はっきりとは言わないけども、きてんじゃないかって気がする。

 新聞は読むだけでも、目にも頭にも悪いもんだって、教えてくれたのは祖父ちゃんだけどさ。

 それなら、新聞止めちゃえばって思った。

 こないだ料金上がって、月に4400円だもんね。

 基本、年金生活の祖父ちゃんには、ちょっと贅沢品、てか無駄だと思う。

「また、嘘書きやがって!」

 ネットで情報とってるから、新聞の嘘とかいい加減さとか分かってるはずなのに、やめねえ。

 年間で52800円だぜ!

 もう、丸っと止めちゃえば清々しいのにね。そいで、その分栞にちょうだいよ。有意義に使うからさ!

 

 本だってさ、このごろ読んでないじゃん。

 座卓の横に『SAO』とか『こち亀』とか『アクセルワールド』とか『りゅうおうのおしごと』とかあるけど、ひとつも進んでない。

 廊下の本棚にさ『岩波歴史講座』って、読んだら呪われそうな本がズラリと並んでる。

 ケース入りなんだけど、もう黄ばんで、はんぶん朽ち果ててるの。

 たぶん、若いころに無理して買ったんだと思う。

 年齢とか経歴とから言っても、団塊の世代の尻尾でさ。まあ、サヨクなわけですよ。

 でね、一冊出して見てみたわけですよ。

「ゲ!?」

 吐きそうになったね!

 傷んでんのはケースだけで、中身真っ新!

 挟んである紐の栞も、なんだか押し花みたいにペッタンコ!

 ああ、積読は昔からなんだ!

 まあ、情けないような、安心したような……。

 だけどね、ちょっと心配になった。

 孫娘まで、ペッタンコにしないでよね!

 ちょっと、栞って名前がおぞましく思えた正月だったぜ。

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滅鬼の刃・23『元日の新聞』

2022-01-14 18:23:27 | エッセー

 エッセーノベル    

23・『元日の新聞』   

 

 

 明日は読もう……と思って二週間が過ぎました。

 

 気が付くと孫が、ヨイショっと掛け声をかけています。

 なんの掛け声かというと、明日の朝に出す一か月分の古新聞を玄関先に出す掛け声です。

 年末年始を挟んだので、いつもよりも重たいので、つい掛け声が出てしまうのでしょう。

 いまさら「読んでないから」とは言えません、元日の新聞。

 

 元日の新聞というのは、清々しいのですが、その分厚さに「まあ、昼から読むか」になって、「明日読もう」「明日は読もう」「明日こそ読もう」と思い続けて二週間が経ってしまったわけです。

 

 新聞は、物心ついたころから見ていました。

 親父が読んでいる横から眺めて、字は読めませんでしたが、なんとなく見ては、親父の「へー」とか「ホー」とか感心するのを真似していました。

 真似をすると、お親父もお袋もニコニコと喜んでくれて、それが嬉しくて新聞を見ていたように思います。

 幼稚園に行く頃には平仮名が読めるようになって、広告や見出しの平仮名を拾い読み。むろん意味など分かりません。でも、新聞を広げているだけで面白かったように思います。

 三面の四コマ漫画、これは読まなくても分かります。

 それから、二面に載っている時事風刺マンガ(政治家の顔は、これで憶えました)、広告の絵とか写真とか。そして、夕刊に載っていた連載小説……の挿絵を見て喜んでいました。

 あのころは、しょっちゅう大事件が起こっていました。また、新聞のコードも緩かったので、今では載せられないような写真が平気で掲載されていました。

 事故現場の写真とか平気で載っていましたね。さすがに遺体をもろに写していたのは記憶にありませんが、遠くに写っているものなどはあったと思います。三島由紀夫の事件の時は、首が写っていたように思うのですが、週刊誌に掲載されたものと混同しているかもしれません。

 犯人が逮捕され、手錠をはめられている写真などはザラでした。いつの時代からだったでしょうか、手錠をはめた手をレッグウォーマーのような筒状のもので隠すようになった方が違和感でした。

 今で言うと、面白い動画をYouTubeでぼんやり見ているのと同じ感覚でした。

 まあ、そういうところから新聞を読むようになって六十年あまり。

 

 その新聞の中でも、元日の新聞は特別でした。

 

 とにかく、めっぽう分厚いもので、たしか三部ぐらいに分かれていました。

 通常の朝刊と、正月の特集、それに新聞社の特別企画といったものが、それぞれ月刊誌ぐらいありました。

 それに、いつもは白黒の新聞がカラーだったのも正月だけだったと思います。

 郵便受けから出しただけで、新聞の紙とインクのにおいが香しかったですね。

 新聞を取り込んで玄関の戸を開けようとすると、もみ殻が落ちています。しめ縄の稲穂をスズメがついばんだ痕です。

 箒と塵取りで、それを掃除して、ゴミ箱(たいていの家がタールを塗った木製)に捨てると、通りの家々には日の丸が掲げられていました。

 その元日の新聞を、開くこともなく古紙に出してしまいました。

「出すのは、お爺ちゃんやってよね」

 年末最後の古紙回収に出し忘れたのをしっかり憶えている孫は、しっかりと念をおすのでありました。

 

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RE滅鬼の刃・22『わたしとラノベとお祖父ちゃんと』

2021-04-18 09:23:19 | エッセー

RE エッセーノベル    

22・『わたしとラノベとお祖父ちゃんと   

 

 

 わたしが所有する本は、教科書を除くと20冊ほどしかありません。

 普通の高校生と比べても、ちょっと少ない部類になると自覚しています。

 ときどき街の図書館に出かけて、表紙のイラストやタイトルの面白いのを借りて読むので、読書量は並の高校生よりは、やや多いという感じです。

 お祖父ちゃんは2000冊ほど持っています。

 大きいのは山川出版社の『国史辞典』とか『原色日本の美術』とか、鞘のようなケースに入った……辞典的な本。戯曲、時事問題とかの単行本。その他は、大方新書本と文庫本。

 読みたい本を全部買っていたら家中本だらけになってしまうので、中年になってからは必要な本は図書館で借りるようにしているんだそうです。

 わたしも、お祖父ちゃんの習慣が身について、子どものころから図書館を利用するようになりました。

 そのお祖父ちゃんが、今でも買って読む本がライトノベルです。

 わたしがもの心ついたころには、お祖父ちゃんの座卓の周囲にラノベが平積みになっていたので、それが普通だと思っていました。

 満足に字が読めないころから、お祖父ちゃんのラノベをパラパラとめくっていました。

 表紙が可愛くてきれいで、表紙をめくったところにイラストだけのページが2~4ページあります。たいてい登場人物の相関関係がキャラの説明といっしょに書かれていて、本の要所要所にもモノクロのイラストがふんだんにあります。

 ラノベで見たキャラがテレビのアニメになっていると、ついつい見てしまいますが、たいてい深夜アニメなので全編通して見たことは、ほとんどありません。

「栞は、ラノベ以外の本を読んだ方がいいよ」

 中学に入ったころに、お祖父ちゃんに言われました。

「え、なんで?」

「ラノベ以外にも、おもしろい本はあるからさ」

 お祖父ちゃんは、そういう言い方をしましたが、どうも違うのです。

 中学の図書室にもラノベは置いてありますが、うちにあるラノベは、ほとんど見かけません。

『冴えない彼女の育てかた』『エロマンガ先生』『中古でも恋がしたい』『可愛ければ変態でも好きになってくれますか?』などがありません。

 クラスの図書委員に聞くと有害図書だとかで置いていないんだそうです。

 わたしも、中二のころからは読まなくなりました。

 進路のこともあったし、読書そのものから外れてきたという感じです。

「それでも、栞は読んでる方だよ」

 お祖父ちゃんは言います。図書館で、年間で30冊くらい……人と比較したことが無いのでよく分かりません。

 ただ、お祖父ちゃんが、ラノベを読む変なお爺さんなのだと言うことは分かります。

 普通のお年寄りはラノベは読みませんよね(^_^;)。

 お祖父ちゃんが、シャンソンのライブに連れて行ってくれたことがあります。

 お客さんは、お年寄りがほとんどで、お祖父ちゃんの横にはお知り合いのシャンソン歌手が座っておられ、互いに挨拶をしたあと、読書の話になって「ラノベを読んでいます」という話になったのですが、その歌手のおばさんは、ラノベという言葉の意味がお分かりになっていませんでした。

「ラノベ?」

「ライトノベルです」

「ええと……」

 という感じでした。

 お祖父ちゃんの面白いところは、自分でもラノベを書くところです。

 むろん商業ベースに乗るようなものではなく、四冊出した本以外は『なろう』とか『カクヨム』とかの投稿サイトに出しているものです。

 わたしも、たまに読みますが、長い本だと連載200回を超えるものもあって、アクセスも二万を超えるものがあったりして、孫としては大したものだと思うのですが、どうでしょう?

 まあ、お祖父ちゃんの元気の元なので、これからもがんばってくれたらと思います。

 二日続いた雨も上がって日本晴れの日曜日、これからお布団を干します(^▽^)/

 

 

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 Sのドクロブログ☠!

 

 どっちかって言うと、ラノベは嫌い。

 そりゃ、子どものころは、それとは知らずにジジイのラノベ見て、見てたよ、字ぃ読めなかったから、それこそイラストとかを絵本代わりに見てた。

 可愛いし、きれいだし、それに大きさがちょーどいい。

 普通の絵本とかは、けっこうかさばるんだよ。A4サイズどころか、B4くらいの絵本、平気であるもんな。

 子どもってさ、お気に入りのものって持ち歩くじゃん。

 ガキンチョで、訳わかってないあたしは、そういうラノベをお母さんからもらった(憶えてないんだけど)ポシェットに入れて持ち歩くわけさ。

 それが、お友だちとか、お友だちのお母さんとかに見られるわけよ。

 反応は「アハハハ(^_^;)」だよ。

 ガキを叱るわけにもいかないだろうけど、その「アハハハ(^_^;)」で分かっちゃうよ。

 ああしはヤバイ物(ぶつ)持ってんだ……

 そういうのには敏感な子だったから。

 それで持ち歩かなくなって、長じて分かったよ、やばいラノベだって。

 そんなもん、子どもの目につくとこに置いとくなよな!

 他にも、ここでは書けないようなモノが、うちにはゴロゴロしている。

 全部、クソジジイの持ち物!

 あぶなくって、友だちなんて呼んだことが無いよ。

 でも、ラノベ見ることから読書の習慣がついた。

 読書家ってほどじゃないけど、月に二回くらいは街の図書館行って二三冊借りてくる。

 ちょっと変わった小説が好きかな。

 たとえば、こんなの。

 中学生の女の子が目覚めたら、前後にドアがあるきりでの部屋に閉じ込められてんの。気が付くと、自分の同じくらいの制服着た女の子が居て、ドアには、こう書いてある『相手を殺さなければ外に出られない』ってさ。最初は躊躇するんだけど、食べ物も何にもないから、やがて、その子を殺しちゃう。殺しちゃって、その子の持ち物の水とか僅かの食べ物とか奪って、ドアを開ける。しばらくいくと、同じような部屋で、そこにも女の子が居て、今度はナイフとかが置いてある。やがて、その子も殺しちゃう。その子は、なんにも持ってないんで、その子のお腹を割いて胃の中のものを食べる。そういうことを繰り返して、殺し方や人の食べ方を克明に描写している。

 タイトルはよしとくね。うる憶えだし、ネタバレするし。

 そういう本て、表紙もタイトルも穏やか。普通の文学書みたく見える。中身はすごいんだけどね。

 ためしに、学校の図書室に希望図書で出したら、あっさり買ってくれて、ショーケースの中に新刊図書としてディスプレーされてたよ。

 でさ、図書の先生に「こんなに過激なんですよ~」って、見せたわけ。

 その本は、近未来の日本でさ。忙しいとか、持てないとかの事情がある人間が、アンドロイドの異性とひと時を過ごすって話。

 まあ、アンドロイド相手にってか相手をしてもらってセックスするんだよ。

 そのプロセスが克明に書いてあって、もう、エロゲ真っ青ってしろもの。ラノベのパンチラなんて可愛いもんよ。

 でもさ、先生は言うわけよ。

「これは文学、芸術だからね、大丈夫なんだよ(^_^;)」

 おかしくね?

 試しにさ、ラノベ読んでるクラスの男子に「どーよ」って見せたら、真っ赤な顔して鼻血流してましたよ。

 瞬間、ほんの瞬間なんだけど、うちのジジイも間違ってないじゃんと思った。

 でもさ、いい年して、ラノベもどき書くのはやめてほしいよ。

 せめて、ペンネーム、あたしと同じ苗字にはしないでほしい。

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滅鬼の刃・21『ラノベが好きです』

2021-04-12 08:35:07 | エッセー

 エッセーノベル    

21・『ラノベが好きです』   

 

 

 ライトノベルが好きです。

 文庫サイズで、カバーは艶のある白地に主役と主役級のキャラのイラストが入っていて、たいていぶっ飛んでいたり、長ったらしいタイトルがデザイン文字や大きなフォントで印刷されています。背表紙も白地にタイトルの所だけシリーズのテーマカラーになっていて、長いタイトルが、どうかすると二行になって書かれています。挿絵というのかイラストが多いのも魅力です。

 平積みにされても棚刺しにされても、他の文庫本との違いは一目瞭然です。

 そのサイズから、文庫コーナーの一角に小さなラノベコーナーとして存在……していましたが、近年ではラノベ全体で他の文庫に迫る売り上げがあるので、文庫と同じくらいの大きく独立したコーナーになっています。

 ぶっとんだものや長いタイトルが多いのもラノベの特徴ですね。

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』などは、まだまだ普通の方で、『エロマンガ先生』『貴方がわたしを好きになる自信はありませんが わたしが貴方を好きになる自信はあります』とか『勇者が修羅場過ぎて世界を救っている場合じゃない魔王の呪いでヒロインたちを同時攻略しなければなりません』『男子高校生でライトノベルの作家をしているけれど、年下のクラスメートで声優の女の子に首を絞められている――Time to Play――』とか、賑わっております。

 ラノベに限らず文庫はすぐに溜まるので、そんなに多くは持っていませんが、それでもラノベだけで300冊くらいは書架や、座卓の横に平積みになっています。

 オッサンの読書環境としては、ちょっと珍しい部類に入るという自覚はあります(^_^;)。

 ライトノベルを読むようになったのは、出版社との関りからです。

 もう十数年前になりますが、戯曲でお世話になっている出版社から「高校演劇の入門書を書いてみないか」というお誘いを受けました。いきなりの単行本ではなくネットマガジンの連載記事としてということでした。

 演劇書と言うのは、戯曲も含め、そんなに売れるものではありません。まして、高校演劇に限定すると、読者層はさらに狭く小さなものになります。

 そこで、無い知恵を絞って「ジュニア小説」の体裁で書いてみることを思い立ちました。図書館で借りた本に、吹部に入った女子高生が、部活に馴染んで個人的にも部活としても成長していく物語があったのを思い出したからです。

 そこで、舞台を地元の大阪に置いて、東京からの転校生が演劇部に入部して、一年後にコンクールで優勝するまでの物語を書くことにしました。

 東京からの転校生としたのは、大阪に住んでいながら大阪弁で心情の機微を書くのは難しいと思ったからです。編集さんからも「主人公の言葉は標準語で」と言われても居ました。大阪弁は、なんだかんだ言っても方言の一種で、読者が限られるという理由でした。

 タイトルも『わけあり転校生の七カ月』という、ちょっとジュニアノベル風にしてみました。

 主人公が東京で通っていた高校を『乃木坂学院高校』としました。

 半ばまで書いて検索すると秋元康氏が、新しいアイドルグループ・乃木坂46を作ることを知りました。他にも『ラブライブ』というアニメの高校が音乃木坂学院であることも分かって、しまったと思いました。

 46の方もアニメの方も、ずっとずっとメジャーで、絶対パクリと思われるからです。

 しかし、ほとんど無名の本書きでもありますし、そんなに売れるはずもないので、そのままとしました。

 それからですね、書店に入ると意識的にラノベのコーナーを見るようになって、タイトルやイラストの面白さから自分でも買って読むようになりました。

 最初に読んだのは、たぶん『僕は友だちが少ない』『冴えない彼女の育てかた』『涼宮ハルヒの憂鬱』あたりであったと思います。

 それまで書いていた戯曲と違って、とても自由な世界だということが嬉しかったです。

 設定や、人物の行動や台詞、たいていのことが許されます。隠語や人を罵倒する表現も明るくぶっ飛んで書くことができます。

 試しに、ブログ小説として書いてみると、戯曲の十倍以上のアクセスがありました。高校演劇の入門書として書いた本も分冊で出してみましたが、う~ん、こっちのアクセスはイマイチですね。むろん、高校演劇の狭さと言うのではなく、わたしの力が及んでいないということなのですが。

 むろん歳を食ってから始めたジャンルなので、若い人が読んだら噴飯もの(という言い方も古い)なのでしょうが、オッサンやオジンが書いてはいけないというルールもありませんので、勝手にやっております。

 友人に話すと「よくラノベコーナーに立てるねえ」と感心されます。

 我々の世代には、ラノベはエロ本に近いものという認識があるように思います。友人の中には元学校の先生というのが多く、現職のころはラノベというと有害図書の一種という認識ですね。

 生徒からラノベを図書室に置いてほしいと要望されても眉を顰める人が半分以上です。

 ある友人の学校では『エロマンガ先生』や『冴えない彼女の育てかた』『中古でも恋がしたい』などを生徒の要望があったにもかかわらず、無視したり、買っても書架から外したりしています。

 ラノベ……いえ、ラノベもどきをブログに書いたり、投稿サイトに晒したりしております。

 いい年をして、まさにメッキの刃なのですが、たとえナマクラや模造刀であっても、刃は刃、持っている本人は、多少ともシャッキリいたします。

 若い人が読むと痛々しい代物なのでしょうが、オジンの勘違いとご寛恕いただければ幸いです。

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RE滅鬼の刃・20『ハウルの動く城 動かないお祖父ちゃんの腕』

2021-04-05 13:47:01 | エッセー

RE エッセーノベル    

20・『ハウルの動く城 動かないお祖父ちゃんの腕   

 

 

 お祖父ちゃんが不調なので、今回もわたしが書きます。

 

 大したことは無いと思うんですけど、背中や肩が痛くてかなわないみたいです。

 パソコンのキーボードに向かって、打った文章の確認にのために首を上げただけで肩から首にかけて電気が走るんだそうです。

「ちょっと筋違えただけやから(#^-^#)」と言い訳していますが、どうなることやら。

 実は、お祖父ちゃん、先月エアガンを買ったんです。

 訳は、こうです。

 最近、糖尿病の数値が思わしくないので、糖類をひかえているお祖父ちゃんです。

 お祖父ちゃんは、文章を書く時には、なにかしら口に入れる習慣があります。

 タバコもお酒もやらないお祖父ちゃんは、もっぱらお菓子を食べています。

 お煎餅とかポテチとか柿の種とか、歯ごたえがあるものが好きで、ケーキやチョコレートとかはやりません。

「いや、下戸の作家はお菓子食べてるやつが多いんだ」

「ほんとう?」

 と聞くと、浅田次郎さんとか、正岡子規とかを例に挙げました。

 お酒が飲めない正岡子規は、妹やお母さんに頼んで、町内のお菓子屋さんに通ったもんだと言います。

 浅田次郎さんも、お酒がダメな作家さんで、アイデアや文章に詰まると、すぐお菓子に手が出てしまって困るとエッセーに書いているのを見せてくれるお祖父ちゃんです。

 お祖父ちゃんも心がけていて、お菓子は生協に頼んだ子供のおやつ用の小さなパックに限っていたんですが、それでもお医者さんに叱られるので、エアガンに替えました。

 お菓子の代わりがエアガン?

 ちょっと不思議ですよね。エアガンを食べているわけではありません。

 実は、こうなんです。

 お菓子を食べる代わりにエアガンを空撃ちしているんです。

 弾が飛び出すとエアガンでも怖いのですが、空撃ちだと……やっぱりやかましいですね(^_^;)。

 バシ! バシ! バシ!

 三回ぐらいで収まる時もあれば、百回撃ってもダメな時もあります。

 でも、スナック菓子を一袋(300キロカロリー~500キロカロリー)食べてしまうよりはいいんです。

 エアガンには糖質もカロリーもありませんからね(^_^;)。

 

 お祖父ちゃんは、コルトガバメントとS&Wのリボルバーを使っていました。

 二丁ともエアコッキングと言う奴で、撃鉄や遊底をガシャンと引いて撃つんです。

 それが、滅法硬いです(^_^;)。

 ちょうど、この『滅鬼の刃』を書いている時に、背中と首筋にギクっときたそうです。

 意地っ張りなお祖父ちゃんは、よっぽどなければ「痛い!」とは言いません。

 特に、孫のわたしの前では、言いません。

 すぐに湿布をするとか手当をすればいいんですけど、それも、わたしが心配すると言って、わたしがお風呂に入っているうちに、コッソリやっています。

 湿布って臭いますから、内緒にしても無駄なんですけどね。

 それで、様子を見ていたんですけど。

 ある程度マシになっても、どうも、パソコンの前に座って文章を書くのは億劫なようです。

 

 一昨日のテレビで『ハウルの動く城』をやっていました。

 ネットサーフィンの真っ最中のお祖父ちゃんを視野の片隅に入れて、夕食の片づけやったり洗濯物を畳んだり、雑誌をパラパラめくりながら、ボンヤリ見ていました。

 ハウルの部屋が出てきて、思わず笑ってしまいました。

 散らかりようがお祖父ちゃんの部屋にソックリだからです。

 荒れ地の魔女の呪いで百歳のオバサンになったソフィーが、きれいに掃除して、全部片づけてしまいます。

「ソフィー! 僕の部屋片づけただろ!」

 下のダイニングキッチンを片付けているソフィーに目を剥いて怒るハウル。

 部屋を片付けられてしまうと、ハウルは魔力を失います。なんか、水っぽくなって溶けていっちゃうんですよね。笑ってしまいます、あのグダグダグニャグニャのハウルはお祖父ちゃんそのものです。

 ただ、ハウルと違って、なんの魔力もありませんが(^_^;)。

 わたしが、お祖父ちゃんと二人暮らししているのは、お祖父ちゃんのハウル的な性格と言うか性癖が原因の半分なんですが、それは、またいずれ。

 

 

http://wwc:sumire:shiori○○//do.com

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 クソジジイが七十になって、やっと二十歳になるあたしってどーよ!?

 今さら、身の不運を呪ったりしないけど、ほんと、心配なんですけど!

 大学にはいきたいし、就職しても、トーブンは独身のまんまで遊んでいたいって、女子高生としては普通の願望だと思うんですけど!

 そのためにはさ、健康でいてくれなくちゃ困るわけですよ!

 お菓子食べながらキーボード叩くのは自由だけどもさ、体は壊さないでよね!

 お菓子を控えてエアガンもけっこうなんだろーけどさ。

 肩と背中が痛くなったのは、エアガンの撃ちすぎじゃないと思うよ。

 クソジジイ、高血圧で肝臓悪くって、去年の秋からは糖尿だよ。

 コロナが第四波になろうかって今日この頃、クソジジイはコロナに感染したら一発だからね。

 志村けんとか相撲取りがコロナで死んじゃったてニュース聞くたびにハラハラしてんだよ。

 クソジジイ自身気にしてるのは、この一年電車に載ったり人に会ってないことでも分かるよ、分かってるよ。

 でも、口にしたら言霊ってあるじゃん。

 本当になってしまうんじゃないかって……だから「筋違えたあ……」って言っても否定しないんだよ。

 たぶん、自分でもヤバいと思ってるんだよな。

 ネットで検索したら、糖尿病の症状に、手足の先の痺れとか背中が痛くなるとかあった。

 あたし、まだ十七歳だからね。

 老人介護で、あたしの人生メチャクチャとか、まじ勘弁して!

 ハウルに掛けたクソジジイの事、あれこれ書きたかったけど、また今度!

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