タキさんの押しつけ映画評・15
『最強の二人』
この映画評は、わたしの友人で映画評論家のタキさん(滝川浩一)が個人的に、仲間内に回しているものですが、面白くてもったいないので、タキさんの了解を得て、転載しているものです。
久し振りのフランス映画、本作はフランス歴代3位の大ヒット作で、ドイツを始めヨーロッパ各国でもヒット。セザール賞主演男優賞を授与されている。
パラグライダー事故で全身不随になった富豪フィリップが介護人の面接をしている。黒人ドリスはその面接を受けに来たのだが、端から採用される気はなく 失業保険金を受け取るための書類にサインが欲しいだけだった。しかし、数多い応募者の中から採用されたのはドリスだった。
かくしてシニカルな富豪と、粗野で無教養な黒人青年のコンビが誕生、一切噛み合わないこの組み合わせがやがて奇跡を生み、二人は強い絆で結ばれていく……というストーリー。
これは実話がベースであり(ドリスのモデルは黒人ではない) ご両人共に健在である。
しみじみ人生を語る映画を撮らせればイタリア人がNo.1であり、人生を謳歌する映画はフランス人が上手い。本作は確かに名作であると思う、見ていて胸の真ん中がほんのり暖かくなってくる。ただ、パンフレットには「大爆笑」 「涙が溢れる」 などと最大級の讃辞が踊るが…ちょっと待った!
各シーンは微笑ましくはあるが「大爆笑」には遠い、「涙が溢れる」どころか これじゃ泣けない。ヤバイ!俺の感性が鈍くてこの作品の良さが理解できないのだろうか……で、知り合いのフランス人に聞いてみた所、彼女も、その友人達も「良い映画だとは認めるが、何故ここまでヒットしたのかは理解の外だ」との返答。良かった、とりあえず私の感性だけがおかしい訳ではなさそうだ。
では、どこに問題が有るのか…「最高の人生の見つけ方」をご覧に成っているだろうか。ジャック・ニコルソン(富豪)とモーガン・フリーマン(自動車工)は共に末期癌で余命短い。この全く境遇の違う二人が、それぞれ人生でやり残した事を命あるうちにやり尽くそうと旅に出る…っていう話で、本作のベース実話を参考にしたんじゃないかと思えるほどなのだが、この作品こそが「大爆笑」と「溢れる感動」というに相応しい。あなたが未見であるなら衷心から一度ご覧になることをオススメします。
さて、フランス映画とハリウッド映画の間には、製作作法(哲学ともいえる)、映画文法に大きな隔たりが有る。また、フレンチとヤンキーの観客の好みも違う。ただ、この違いは昔から有るのだが、古くは「望郷」(ペペル・モコ/ジャン・ギャバン主演)や「ヘッドライト」から一連のフィルム・ノアール、「パリのめぐり逢い」などのクロード・ルルーシュ、最近ではリュック・ベッソン作品にはもっと観客を引きつける工夫がされている。本作はこれらとは系譜を異にする…いわば「潜水服は蝶の夢を見る」と同じジャンルと見るべきなのかもしれないが、各シーンの作りから判断するに「潜水服~」よりはハリウッド映画に近い作りになっている。 ならば、本物の感動実話をベースにしながら、この乾いた感覚は何なんだろうか。 要するに感情移入する一歩手前でシーンが切れているのだが、ハリウッド作品のように「感動の押し売りはしない」って事にしては、「ほんの後一歩」の所まで作り込んである。役者が巧すぎて演出意図以上に味わいが出てしまっているとも考えられる。 思うに、実在のモデル達をリスペクトするあまり、ドキュメンタリー性に拘り過ぎたかってのが、当たらずとも遠からずなんだと思う。ただ、作りは間違いなく輸出を意識しているので、ならば娯楽性にもう少し気を使った方が良かったんじゃないかと思われる。 この辺りに男優賞は取れても作品賞は逃がしている原因があるのだろう。
こんな書き方をしておいて 今更の感はあるが、感動のお薦め作品である事は間違いない。 ここからは余談であるが、本作の原題は「INTOUCHABLS」 パンフレットにはなぜか英語で「UNTOUCHABLS」とある、いずれも形容詞で「触れてはならない」 「触れることが出来ない」と言った意味だが、フランス語の場合、この形容詞が複数形(語尾に“S”が付く/フランス語では主語が複数形だと それに掛かる形容詞も複数形になるらしい)になると、名詞扱いになって、いわゆる インドの「不可触民」を指す言葉となる。思えば英語のほうも、FBIエリオット・ネスのドラマのタイトルであり、マフィアを指す表現であり その裏には「穢れた奴ら」が隠喩として隠されている。 主人公二人に掛かる形容詞だから複数形であり、名詞形としてドリスとフィリップの階級(カーストに引っかけてある)を暗喩し、そして まさにこの二人の友情には何人たりとも触れるべからす、とまぁトリプルミーイングなタイトルなのだと考えるのは深読みのし過ぎだろうか。フランス人の間にも同じように考える人がいるそうである。余談でござる。 アッハ、ここまでお読みいただいたアナタ、長々とご苦労様でございましたぁ。
『最強の二人』
この映画評は、わたしの友人で映画評論家のタキさん(滝川浩一)が個人的に、仲間内に回しているものですが、面白くてもったいないので、タキさんの了解を得て、転載しているものです。
久し振りのフランス映画、本作はフランス歴代3位の大ヒット作で、ドイツを始めヨーロッパ各国でもヒット。セザール賞主演男優賞を授与されている。
パラグライダー事故で全身不随になった富豪フィリップが介護人の面接をしている。黒人ドリスはその面接を受けに来たのだが、端から採用される気はなく 失業保険金を受け取るための書類にサインが欲しいだけだった。しかし、数多い応募者の中から採用されたのはドリスだった。
かくしてシニカルな富豪と、粗野で無教養な黒人青年のコンビが誕生、一切噛み合わないこの組み合わせがやがて奇跡を生み、二人は強い絆で結ばれていく……というストーリー。
これは実話がベースであり(ドリスのモデルは黒人ではない) ご両人共に健在である。
しみじみ人生を語る映画を撮らせればイタリア人がNo.1であり、人生を謳歌する映画はフランス人が上手い。本作は確かに名作であると思う、見ていて胸の真ん中がほんのり暖かくなってくる。ただ、パンフレットには「大爆笑」 「涙が溢れる」 などと最大級の讃辞が踊るが…ちょっと待った!
各シーンは微笑ましくはあるが「大爆笑」には遠い、「涙が溢れる」どころか これじゃ泣けない。ヤバイ!俺の感性が鈍くてこの作品の良さが理解できないのだろうか……で、知り合いのフランス人に聞いてみた所、彼女も、その友人達も「良い映画だとは認めるが、何故ここまでヒットしたのかは理解の外だ」との返答。良かった、とりあえず私の感性だけがおかしい訳ではなさそうだ。
では、どこに問題が有るのか…「最高の人生の見つけ方」をご覧に成っているだろうか。ジャック・ニコルソン(富豪)とモーガン・フリーマン(自動車工)は共に末期癌で余命短い。この全く境遇の違う二人が、それぞれ人生でやり残した事を命あるうちにやり尽くそうと旅に出る…っていう話で、本作のベース実話を参考にしたんじゃないかと思えるほどなのだが、この作品こそが「大爆笑」と「溢れる感動」というに相応しい。あなたが未見であるなら衷心から一度ご覧になることをオススメします。
さて、フランス映画とハリウッド映画の間には、製作作法(哲学ともいえる)、映画文法に大きな隔たりが有る。また、フレンチとヤンキーの観客の好みも違う。ただ、この違いは昔から有るのだが、古くは「望郷」(ペペル・モコ/ジャン・ギャバン主演)や「ヘッドライト」から一連のフィルム・ノアール、「パリのめぐり逢い」などのクロード・ルルーシュ、最近ではリュック・ベッソン作品にはもっと観客を引きつける工夫がされている。本作はこれらとは系譜を異にする…いわば「潜水服は蝶の夢を見る」と同じジャンルと見るべきなのかもしれないが、各シーンの作りから判断するに「潜水服~」よりはハリウッド映画に近い作りになっている。 ならば、本物の感動実話をベースにしながら、この乾いた感覚は何なんだろうか。 要するに感情移入する一歩手前でシーンが切れているのだが、ハリウッド作品のように「感動の押し売りはしない」って事にしては、「ほんの後一歩」の所まで作り込んである。役者が巧すぎて演出意図以上に味わいが出てしまっているとも考えられる。 思うに、実在のモデル達をリスペクトするあまり、ドキュメンタリー性に拘り過ぎたかってのが、当たらずとも遠からずなんだと思う。ただ、作りは間違いなく輸出を意識しているので、ならば娯楽性にもう少し気を使った方が良かったんじゃないかと思われる。 この辺りに男優賞は取れても作品賞は逃がしている原因があるのだろう。
こんな書き方をしておいて 今更の感はあるが、感動のお薦め作品である事は間違いない。 ここからは余談であるが、本作の原題は「INTOUCHABLS」 パンフレットにはなぜか英語で「UNTOUCHABLS」とある、いずれも形容詞で「触れてはならない」 「触れることが出来ない」と言った意味だが、フランス語の場合、この形容詞が複数形(語尾に“S”が付く/フランス語では主語が複数形だと それに掛かる形容詞も複数形になるらしい)になると、名詞扱いになって、いわゆる インドの「不可触民」を指す言葉となる。思えば英語のほうも、FBIエリオット・ネスのドラマのタイトルであり、マフィアを指す表現であり その裏には「穢れた奴ら」が隠喩として隠されている。 主人公二人に掛かる形容詞だから複数形であり、名詞形としてドリスとフィリップの階級(カーストに引っかけてある)を暗喩し、そして まさにこの二人の友情には何人たりとも触れるべからす、とまぁトリプルミーイングなタイトルなのだと考えるのは深読みのし過ぎだろうか。フランス人の間にも同じように考える人がいるそうである。余談でござる。 アッハ、ここまでお読みいただいたアナタ、長々とご苦労様でございましたぁ。