志忠屋繁盛記・5
『トコ&トモ、新人お巡りさんをイジル』
トコ(叶豊子)は、志忠屋のカウンターで、タキさんや、Kチーフが手際よく料理を作っているのをみているのが好きだ。
タキさんが、トコの顔ほどもある手で小気味よくタマネギを刻んでいるのを見ているだけで、なんだか魔法のように思え。そうやって、調理を見ていることが彼女にとって癒しであり、普段は、なんだか思い詰めたような顔になり、ときにハンパな馴染み客には誤解を与える。
――叶さん、なにかマスターに深刻な話があるんとちゃうやろか……?
実のところは、ただ呆けているだけで、それで仕事の疲れを癒しているのである。
ところが、今日のトコは、少し違った。トモちゃんが復帰したこともあって、ひどく楽しげで、タキさんも、Kチーフも、そうであろうと思っていた。
ただ、当のトモちゃんは、そればかりではないように感じていた。
少し明るすぎる……と言っても、トコが喋りまくったり、アハハと馬鹿笑いしているわけではない。
BGで流れている、ジャズに軽くスゥイングしながら、リズムをとり、ニコニコしている。
ちょうど、ナベサダの「カリフォルニアシャワー」がかかっていたので、そのノリは、ごく自然で、投げかけてくる話題も、トモちゃんの娘のはるかのことなどで、ごく普通。
しかし、トモちゃんは、そこに微妙な違和感を感じた。さすが作家……というほど売れているわけではないが。
店の前を、交番の大滝巡査部長がパトロールに出るのが、見えた。トモちゃんは閃いた。
「ね、トコちゃん、これから二人でカラオケいこうか」
「え、いいんですか。わたしは嬉しいけど!?」
「いいでしょ、もう今日は十分働いたでしょ、わたし」
「まあ……」
タキさんは苦笑いで応えた。
「OKね、じゃ、トコちゃん、行こうか!」
「うん!」
遊園地へ行く子どものように、トコは喜んだ。
「ちょっと、すみません……」
トコは、びっくりした。店を出て角を曲がったら、すぐにトモちゃんが交番に入ったからである。
「はい、なんでしょうか!?」
まだ制服が板に付かないところが初々しい新米の若いお巡りさんだった。若い頃の米倉斉加年(ヨネクラマサカネ)に似ていると思ったのは、二人が見かけよりも歳をくっている証拠である。
「あの、この近所に志忠屋って、イタリアンのお店があるの、ご存じないかしら?」
トモちゃんの質問に、トコは思わず吹き出しそうになった。
「シチュー屋でありますか?」
「あ、そのシチューじゃなくて、志すの志に忠犬ハチ公の忠」
「は、ハチ公で、ありますね」
お巡りさんは、壁の地図とにらめっこを始めた。
「……南森町の一番出口から、少し行ったところだって聞いてきたんですけど……」
トコも、調子を合わせてきた。
「一番出口というと、すぐ横ですが、イタリアンのお店となりますと……」
お巡りさんは、見当違いの堺筋や天神橋筋を探している。
「お巡りさん、ひょっとして東北の人?」
「あ、分かりますですか?」
分かるもなにも、アクセントが完全な東北訛りである。
「なんとなく、雰囲気が」
「いや、気を付けてはおるんですが……」
「ううん、とっても真面目なお巡りさんて感じですよ」
「はあ、恐れ入りますです。ええと、ピエッタ……ミラノ……ちがうなあ……」
「ごめんなさい、お手間とらせて」
「いいえ、お二人は東京の方でありますか?」
「ええ、わたし、南千住。この子は葛飾の柴又」
「あ、それって寅さんで有名な!?」
トコは、瞬間で柴又の出身にされてしまった。
「自分は寅さん、大好きなんです。駅前に寅さんの銅像ができましたでしょう!」
「あ……ええ。カバンもって腹巻きに雪駄でね」
トコは適当に答えたが、若いお巡りさんは、本気で嬉しくなった。
「自分は、行ったことはないんですが、寅さんの映画はDVDで全部観ました。やっぱりマドンナは、浅丘ルリ子のリリーさんですね!」
「は、はい、そうですね!」
寅さんの映画をあまり観たことがないトコは、頭のてっぺんから声が出た。
「あ、志忠屋でしたね、志忠屋……」
「お巡りさんは、東北のどこ」
「はい、石巻です」
「石巻……じゃ、大変な被害に……」
地図をたどっていた、お巡りさんの指が止まった。
「はい……妹が……でも、二日目に発見されました。どろんこでしたが、女性警官の方が、きれいにしてくださって……まるで眠ってるみてえに」
「そうだったの……」
「生きていたら、ちょうど高校三年です」
「うちのはるかといっしょ!?」
「は、高校生のお子さんがおいでるんですか?」
「あらいやだ、歳がばれちゃう」
「いんや、なんだか、お二人ともとてもお若くて、なんだかキャリアのオネーサンて感じですよ」
「お恥ずかしい」
トコが、正直に照れた。
「で、大阪には?」
「はい、伯父がいましたんで、転居して、その年に警察学校に入ったです」
「そう、苦労なさったのね……」
「はい……いいえ。あれで自分は警察官になれたんです。それまで、警察官て、当たり前のように思ってました。でも、あの震災じゃ、警察も、自衛隊も、アメリカ人の兵隊さんもどろんこになって……妹が見つかったときは、いっしょに……こんたにめんこい子が、こんたにめんこい子がって、泣いてくださって。自分は、自分の妹をめんこいなんて、言ってやったことねえもんで……あ、こんな話ばっかしてまって、志忠屋でしたね……」
トモちゃんもトコも、とてもお巡りさんに申し訳ない気持ちでいっぱいになってきた。
「あ、そうだ!」
お巡りさんの顔が、パッと明るくなった。
「隣がレストランなんで、そこで聞いてみます。いや、先週の非番の日に大滝、あ、ここの先任の巡査部長なんですけど、連れていってもらって。うん、あそこのマスターならきっと……」
その十秒後、お巡りさんは、志忠屋の自動ドアをくぐった。
「先日はどうも……あ、隣の交番の秋元と申します。いま交番に志忠屋ってイタリアレストラン探してご婦人が来られてるんですが、本官は、恥ずかしながら近辺の地理に慣れておりませんので、マスターならきっと……」
「志忠屋は、うちやけど」
と、タキさん。
「え……あ、はあそうであったんですか。いや、失礼いたしました!」
「ごていねいに、どうもありがとうございました!」
二人は、最敬礼でお礼を言った。
「いいえ、どういたしまして。灯台もと暗しでした。自分こそ恥ずかしいかぎりです」
秋元巡査は、任務を成し遂げた清々しい顔で敬礼した。
「お巡りさん、よろしかったら、お名前うかがえません。お巡りさんに、こんなに親切にしていただいたの初めてなもんですから」
「は、はい、自分の名前は……」
「お名前は……?」
「……秋元康であります」
世の中には、いろんな秋元さんがいるもんだと思いつつ、二人は志忠屋に戻った。いや、戻らざるを得なかった。
秋元巡査は、二人が志忠屋の自動ドアに入るまで、敬礼しながら見送ってくれたのである……。
『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』
10月25日に、青雲書房より発売。
青雲書房直接お申し込みは、定価本体1200円+税=1260円。送料無料。
送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。
お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。
青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351
また、アマゾンなどのネット通販でも扱っていただいておりますので、『まどか、乃木坂学院高校演劇部物語』で、ご検索ください。
このも物語は、顧問の退職により、大所帯の大規模伝統演劇部が、小規模演劇部として再生していくまでの半年を、ライトノベルの形式で書いたものです。演劇部のマネジメントの基本はなにかと言うことを中心に、書いてあります。姉妹作の『はるか 真田山学院高校演劇部物語』と合わせて読んでいただければ、高校演劇の基礎連など技術的な問題から、マネジメントの様々な状況における在り方がわかります。むろん学園青春のラノベとして、演劇部に関心のないかたでもおもしろく読めるようになっています。
『トコ&トモ、新人お巡りさんをイジル』
トコ(叶豊子)は、志忠屋のカウンターで、タキさんや、Kチーフが手際よく料理を作っているのをみているのが好きだ。
タキさんが、トコの顔ほどもある手で小気味よくタマネギを刻んでいるのを見ているだけで、なんだか魔法のように思え。そうやって、調理を見ていることが彼女にとって癒しであり、普段は、なんだか思い詰めたような顔になり、ときにハンパな馴染み客には誤解を与える。
――叶さん、なにかマスターに深刻な話があるんとちゃうやろか……?
実のところは、ただ呆けているだけで、それで仕事の疲れを癒しているのである。
ところが、今日のトコは、少し違った。トモちゃんが復帰したこともあって、ひどく楽しげで、タキさんも、Kチーフも、そうであろうと思っていた。
ただ、当のトモちゃんは、そればかりではないように感じていた。
少し明るすぎる……と言っても、トコが喋りまくったり、アハハと馬鹿笑いしているわけではない。
BGで流れている、ジャズに軽くスゥイングしながら、リズムをとり、ニコニコしている。
ちょうど、ナベサダの「カリフォルニアシャワー」がかかっていたので、そのノリは、ごく自然で、投げかけてくる話題も、トモちゃんの娘のはるかのことなどで、ごく普通。
しかし、トモちゃんは、そこに微妙な違和感を感じた。さすが作家……というほど売れているわけではないが。
店の前を、交番の大滝巡査部長がパトロールに出るのが、見えた。トモちゃんは閃いた。
「ね、トコちゃん、これから二人でカラオケいこうか」
「え、いいんですか。わたしは嬉しいけど!?」
「いいでしょ、もう今日は十分働いたでしょ、わたし」
「まあ……」
タキさんは苦笑いで応えた。
「OKね、じゃ、トコちゃん、行こうか!」
「うん!」
遊園地へ行く子どものように、トコは喜んだ。
「ちょっと、すみません……」
トコは、びっくりした。店を出て角を曲がったら、すぐにトモちゃんが交番に入ったからである。
「はい、なんでしょうか!?」
まだ制服が板に付かないところが初々しい新米の若いお巡りさんだった。若い頃の米倉斉加年(ヨネクラマサカネ)に似ていると思ったのは、二人が見かけよりも歳をくっている証拠である。
「あの、この近所に志忠屋って、イタリアンのお店があるの、ご存じないかしら?」
トモちゃんの質問に、トコは思わず吹き出しそうになった。
「シチュー屋でありますか?」
「あ、そのシチューじゃなくて、志すの志に忠犬ハチ公の忠」
「は、ハチ公で、ありますね」
お巡りさんは、壁の地図とにらめっこを始めた。
「……南森町の一番出口から、少し行ったところだって聞いてきたんですけど……」
トコも、調子を合わせてきた。
「一番出口というと、すぐ横ですが、イタリアンのお店となりますと……」
お巡りさんは、見当違いの堺筋や天神橋筋を探している。
「お巡りさん、ひょっとして東北の人?」
「あ、分かりますですか?」
分かるもなにも、アクセントが完全な東北訛りである。
「なんとなく、雰囲気が」
「いや、気を付けてはおるんですが……」
「ううん、とっても真面目なお巡りさんて感じですよ」
「はあ、恐れ入りますです。ええと、ピエッタ……ミラノ……ちがうなあ……」
「ごめんなさい、お手間とらせて」
「いいえ、お二人は東京の方でありますか?」
「ええ、わたし、南千住。この子は葛飾の柴又」
「あ、それって寅さんで有名な!?」
トコは、瞬間で柴又の出身にされてしまった。
「自分は寅さん、大好きなんです。駅前に寅さんの銅像ができましたでしょう!」
「あ……ええ。カバンもって腹巻きに雪駄でね」
トコは適当に答えたが、若いお巡りさんは、本気で嬉しくなった。
「自分は、行ったことはないんですが、寅さんの映画はDVDで全部観ました。やっぱりマドンナは、浅丘ルリ子のリリーさんですね!」
「は、はい、そうですね!」
寅さんの映画をあまり観たことがないトコは、頭のてっぺんから声が出た。
「あ、志忠屋でしたね、志忠屋……」
「お巡りさんは、東北のどこ」
「はい、石巻です」
「石巻……じゃ、大変な被害に……」
地図をたどっていた、お巡りさんの指が止まった。
「はい……妹が……でも、二日目に発見されました。どろんこでしたが、女性警官の方が、きれいにしてくださって……まるで眠ってるみてえに」
「そうだったの……」
「生きていたら、ちょうど高校三年です」
「うちのはるかといっしょ!?」
「は、高校生のお子さんがおいでるんですか?」
「あらいやだ、歳がばれちゃう」
「いんや、なんだか、お二人ともとてもお若くて、なんだかキャリアのオネーサンて感じですよ」
「お恥ずかしい」
トコが、正直に照れた。
「で、大阪には?」
「はい、伯父がいましたんで、転居して、その年に警察学校に入ったです」
「そう、苦労なさったのね……」
「はい……いいえ。あれで自分は警察官になれたんです。それまで、警察官て、当たり前のように思ってました。でも、あの震災じゃ、警察も、自衛隊も、アメリカ人の兵隊さんもどろんこになって……妹が見つかったときは、いっしょに……こんたにめんこい子が、こんたにめんこい子がって、泣いてくださって。自分は、自分の妹をめんこいなんて、言ってやったことねえもんで……あ、こんな話ばっかしてまって、志忠屋でしたね……」
トモちゃんもトコも、とてもお巡りさんに申し訳ない気持ちでいっぱいになってきた。
「あ、そうだ!」
お巡りさんの顔が、パッと明るくなった。
「隣がレストランなんで、そこで聞いてみます。いや、先週の非番の日に大滝、あ、ここの先任の巡査部長なんですけど、連れていってもらって。うん、あそこのマスターならきっと……」
その十秒後、お巡りさんは、志忠屋の自動ドアをくぐった。
「先日はどうも……あ、隣の交番の秋元と申します。いま交番に志忠屋ってイタリアレストラン探してご婦人が来られてるんですが、本官は、恥ずかしながら近辺の地理に慣れておりませんので、マスターならきっと……」
「志忠屋は、うちやけど」
と、タキさん。
「え……あ、はあそうであったんですか。いや、失礼いたしました!」
「ごていねいに、どうもありがとうございました!」
二人は、最敬礼でお礼を言った。
「いいえ、どういたしまして。灯台もと暗しでした。自分こそ恥ずかしいかぎりです」
秋元巡査は、任務を成し遂げた清々しい顔で敬礼した。
「お巡りさん、よろしかったら、お名前うかがえません。お巡りさんに、こんなに親切にしていただいたの初めてなもんですから」
「は、はい、自分の名前は……」
「お名前は……?」
「……秋元康であります」
世の中には、いろんな秋元さんがいるもんだと思いつつ、二人は志忠屋に戻った。いや、戻らざるを得なかった。
秋元巡査は、二人が志忠屋の自動ドアに入るまで、敬礼しながら見送ってくれたのである……。
『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』
10月25日に、青雲書房より発売。
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このも物語は、顧問の退職により、大所帯の大規模伝統演劇部が、小規模演劇部として再生していくまでの半年を、ライトノベルの形式で書いたものです。演劇部のマネジメントの基本はなにかと言うことを中心に、書いてあります。姉妹作の『はるか 真田山学院高校演劇部物語』と合わせて読んでいただければ、高校演劇の基礎連など技術的な問題から、マネジメントの様々な状況における在り方がわかります。むろん学園青春のラノベとして、演劇部に関心のないかたでもおもしろく読めるようになっています。