過日のプロジェクトメンバーの中に、ある企業の代表の方がいらっしゃった。
私よりも、年上で、経験も(もちろん)豊富な人である。
仕事のために、地方に出かけたときのことだった。
夕食後の宿泊先では、だいたいラウンジやフリースペースで(あるいは部屋で)、
お酒をかこんだ懇談会が、なんとなく始まるのが常である。
私は、所属が違うので、それほど気を遣うことでもないのだが・・・
ひとつだけ気になったことがあった。
私に対することで、心に強くひっかかった言葉だったからである。
「君のような人間は、めずらしい。しかし、みんながそんなやり方をしていたら、
この業界はつぶれてしまう・・・ような気がする。
君を決して否定しているのではなくて、現実を言っているまでだからね」
しかし、その語り口は、何か稀有なモノを見るような言い方で、明らかに私にとっては、
(批判はされずとも)快適な雰囲気ではなかった。 たとえ何を言われても、私の感想は、
大切なものが守れない業界であれば、つぶれてしまったり、改訂を余儀なくされることは
自然の流れではないかという印象をもったことと・・・・もう一つは・・・・
そういう業界に執着する意味があるのかと、素朴に疑問を感じた。
現代の社会では、とにかく・・・・
会社の意向や、企業代表者の経営方針が、全ての舵(指針)となっている・・・。
私は、前の会社で、労働条件が無謀で、私が紹介した人材の報酬を支払わなかったので、
代理人として(私が矢面に出て)180万円ぐらいを交渉して、支払ってもらった。
第三者の代理人として、書面にも、きっちりと署名・捺印して、最後まで闘った。
その後、私の番になると、「代理人(弁護士)をたてるので、待っていてください」と
言われ、数ヶ月の期間・・・連絡がなかったので、メールで問い合わせたら、一方的な
理解不能なメールが届いた。
それは、交渉拒否の内容だった。
そのため、1ヶ月の準備期間を経て、裁判所に訴状を提出した。
最近、非常に 簡潔に、安価に、執り行われる「労働審判」という仕組みを使用した。
結果としては、私は希望額には満たなかったものの・・・・最初は「一銭も払わない」と
言っていた会社は、三桁万円以上の単位の追加報酬を支払うことで示談した。
私は、示談する必要性も感じなかったし、法律違反をして、労働者をコケにする大会社の
横暴さを世の中に問いたかったぐらいだった。
あらゆる媒体&方法を使いながら・・・・。
だから、途中では・・・「私は、決して示談はしない」と、何度も言い張った。
しかし、相手の会社としては内容を公開されては困るので、また、同様に大所帯の上に、
先方には(違法行為という)弱みがあって、おそらく示談金をつむ結果となったのだろう。
(この状況が公開されれば、かなりシリアスな現実となることは明白であった)
弁護士同士の暗黙の打合せがあって、私は当方の弁護士に説得をされた・・・。
上記の件を称して、冒頭の中小企業代表の発言に通じる。
すべてが労働基準法に則り、遂行されているとは思えないし、そんな簡単なことは、
私ごときでも理解はしている。
ただ、労働を提供してる従業員に対する「相当なる対価」は、それなりのものが必要だ。
でなければ、当初の約束され、契約された労働条件を守るべきだろう。
追加で仕事を無理に押し付けたり、労働者の立場を横暴な態度で変えたり、過度の労働を
長期間にわたって強いるのは、健康を害する要因である。
従業員としての人権を考えても、あまりにもひどい扱いに辟易する。
何かがあった場合は、ちゃんと双方が前向きに話し合って、状況を共有してから、
労働内容や労働条件についても確認するべきだ。
私は、果敢に提訴したことにより、周囲からは「あぶない人」のように思われているかも
しれないけれども、「正当な権利を主張した」だけである。
また、通常の人間関係があって、「仕方がないかぁ」と思える配慮があれば、このような・・・
ドロドロの裁判劇を演じることもなかっただろうと、(今は)しみじみ感じる。
誰もフォローしないで、会社のイメージを貶めることになった事実は、私にとっても
非常に遺憾な現実として残っている。
( 事後対応を きちんとしてくれていたら、私は 裁判には しなかっただろう・・・)
元凶となった現場の担当者は、「うつ病」で、虚言と妄想、そして記憶障害に侵され、
産業医に「休暇命令」をもらって、上司に申請しても、休めない状況で働かされていた。
結局、このことが大きな現場の問題となり、小さな穴が 大きなバクハツを引き起こした。
私は・・・
これまでは、「人間関係ありき」で、うまく仕事を遂行して、敢行してきたわけで・・・
過去に 「もめたりしたことは一度も無い」。
私が果敢に挑んで行った上場している大会社は、そういう「人と人とのつながり感」や、
従業員に対する「権利」などは、全く無視された会社だった。
実際、“横暴な言葉と態度が普通だった”ことで、こういう結果になっただけである。
ただ、結論から言うと、当初、裁判なんて「ストレスだけだ」とみんなに言われたが、
自分に対する「勇気」と、自分を受け留める「自信のようなもの」が備わり、私には、
かなり得たものが多かったと思っている。
貴重な人生経験にもなった。
一人の人間が、上場会社を相手にした闘いという事実は、かなり大きな意味をもつ。
毎回、裁判所に、弁護士を三~四人も連れてくるなら、その弁護士料の金額だけで、
示談金がすぐに成立しただろうに・・・。
いつもそう言いながら、私の担当弁護士と 笑っていた。
もちろん、前例をつくりたくなかったのは解るが、それなら尚のこと誠意をもって、
会社は私と対峙するべきだったのではないかと、(時間を経た今は)冷静に感じる。
当時、多くの従業員は、「泣き寝入り」をしていた。
その会社は、二重契約をしたり(これは違法行為である)して、契約社員を派遣したり、
現実には力量のない人間が正社員として高給を取り、派遣社員や登録メンバーの仕事を
斡旋した金額で、かなり急成長した悪徳会社(私が感じた限りでの判断です)である。
取締役はじめ、数名との話し合いは全て録音したが、彼らの発言を吟味して分析すると、
本当に違法な現実が浮き彫りになり、矛盾ばかりの発言ばかりだった。
まさに「まやかし」と「詭弁(きべん)」の繰り返しで、あきれ果てる内容だった。
だからこそ、本当に、当時は、「公表したい」という気持ちが大きくなっていったのだ。
誠実ではない姿勢と、違法にあたる行為は、いつか・・・天罰がくだると、今も思っている。
30年後に、その会社が、今の位置にいるとは、決して思えない。
持続不可能な会社であり、そういうシステムであり、立て直す力量を持たない大会社だ。
私は基本的にフリーなので、たくさんの会社や、プロジェクト現場にかかわり・・・・
いくつかのセオリーを身につけてきた。
その中でも、あのような悪徳な誠意のない態度で接する会社は、生涯、はじめてだった。
従業員を、言いなりになる「虫けら」のように考えているような一方的な態度だった。
だから、訴状を突然に突きつけてしまったが・・・・彼らは、私が、そこまでするとは
思っていなかったらしい。
他の皆と同じように、きつく書いた交渉拒否メールで終わると思っていたのだと思う。
しかし、そのメールも、結果として、横暴な証拠の一部として提出されることになった。
日本人は、何故・・・・「泣き寝入り」をする人が多いのだろう。
過大な自己主張は嫌われるし、私も理解ができない。
しかし、当然の「人間としての労働者権利」は、「主張する」のがよいのではないか―と
考えている私は・・・・稀有な存在なのだろうか。
会社にクビをきられるから、とか・・・・生活に困るから、など・・・・理由をあげたら、
ほとんど私だって同じ状況である。
しかし、周囲の人は、「交渉(実行)することが難しい」という。
其々に、条件は違うのはわかるが・・・市民団体もあるし、相談や弁護料の問題だって、
最近はいろいろな対処方法がある。
そして、会社の労働組合をつくり、一人ではなく、みんなで闘うということだって、
時機をみれば実行不可能なことではないはずなのに・・・・。
何故、立ちあがって、交渉をしないのだろう。
喧嘩するのではなく、上手く関係を構築するため、必要な経路だと思うのだけれど・・・。
私にしてみれば、一労働者として、また一人の人間として、最低限の権利と待遇を
手にするためには、「勇気をもって上申することも、必要ではないだろうか」と思う。
この経済状況があってのことだと思うが、泣き寝入る人が、どんどん増えているような
印象がするのだが、現実はどうなのだろう。
私は、「うつ病」になる前に、現在の自分を取巻く環境を見直すことが大切だと感じる。
過剰労働の果てにあるのは、生きがいのない、働き甲斐のない「自分欠落思想」であり、
健康的な生き方だとは思えない。
とにかく、自分の心と感情を大切に、考えてほしいものである。
自分の人生を切り開くのは、会社でも上司でもなく、自分自身であるということを・・・。
現在の会社では、過剰労働で、昨年の新入社員の全員15名が、この一年で辞めて行った。
仲のよかった人は、頭痛に苦しめられ、しばらく休んで他の会社へ行くと言っていた。
本当に、「健康的な生活」を送ることの大切さを感じる。
私は、あの時、裁判所に訴状を出さなかったら、“精神的にかなりまいった” と思う。
後悔が残っただろうと、予想されるからだ。
結果オーライであるが、私個人は、本当に「これでよかった」と心から感じている。
話題は、変わって・・・・・
今日は、ヒロシマの原爆記念式典。
昨年もこれについてはブログで触れたが、やっと米国関係者が今年初めて参加した。
反対派も多い中で、「オバマ大統領の強い意志で実現した」と伝え聞くが・・・
本来であれば、これは、昨年に実現してしかるべきことである。
ノーベル平和賞を頂いたからには・・・・という背景も感じられて、素直には喜べず、
ただ、現実としては、亀の歩みながら一歩一歩前進していることは認めつつも・・・
「核廃絶」への道は遠いからこそ、私たちの願いが強くなっていくのを 感じる。
私よりも、年上で、経験も(もちろん)豊富な人である。
仕事のために、地方に出かけたときのことだった。
夕食後の宿泊先では、だいたいラウンジやフリースペースで(あるいは部屋で)、
お酒をかこんだ懇談会が、なんとなく始まるのが常である。
私は、所属が違うので、それほど気を遣うことでもないのだが・・・
ひとつだけ気になったことがあった。
私に対することで、心に強くひっかかった言葉だったからである。
「君のような人間は、めずらしい。しかし、みんながそんなやり方をしていたら、
この業界はつぶれてしまう・・・ような気がする。
君を決して否定しているのではなくて、現実を言っているまでだからね」
しかし、その語り口は、何か稀有なモノを見るような言い方で、明らかに私にとっては、
(批判はされずとも)快適な雰囲気ではなかった。 たとえ何を言われても、私の感想は、
大切なものが守れない業界であれば、つぶれてしまったり、改訂を余儀なくされることは
自然の流れではないかという印象をもったことと・・・・もう一つは・・・・
そういう業界に執着する意味があるのかと、素朴に疑問を感じた。
現代の社会では、とにかく・・・・
会社の意向や、企業代表者の経営方針が、全ての舵(指針)となっている・・・。
私は、前の会社で、労働条件が無謀で、私が紹介した人材の報酬を支払わなかったので、
代理人として(私が矢面に出て)180万円ぐらいを交渉して、支払ってもらった。
第三者の代理人として、書面にも、きっちりと署名・捺印して、最後まで闘った。
その後、私の番になると、「代理人(弁護士)をたてるので、待っていてください」と
言われ、数ヶ月の期間・・・連絡がなかったので、メールで問い合わせたら、一方的な
理解不能なメールが届いた。
それは、交渉拒否の内容だった。
そのため、1ヶ月の準備期間を経て、裁判所に訴状を提出した。
最近、非常に 簡潔に、安価に、執り行われる「労働審判」という仕組みを使用した。
結果としては、私は希望額には満たなかったものの・・・・最初は「一銭も払わない」と
言っていた会社は、三桁万円以上の単位の追加報酬を支払うことで示談した。
私は、示談する必要性も感じなかったし、法律違反をして、労働者をコケにする大会社の
横暴さを世の中に問いたかったぐらいだった。
あらゆる媒体&方法を使いながら・・・・。
だから、途中では・・・「私は、決して示談はしない」と、何度も言い張った。
しかし、相手の会社としては内容を公開されては困るので、また、同様に大所帯の上に、
先方には(違法行為という)弱みがあって、おそらく示談金をつむ結果となったのだろう。
(この状況が公開されれば、かなりシリアスな現実となることは明白であった)
弁護士同士の暗黙の打合せがあって、私は当方の弁護士に説得をされた・・・。
上記の件を称して、冒頭の中小企業代表の発言に通じる。
すべてが労働基準法に則り、遂行されているとは思えないし、そんな簡単なことは、
私ごときでも理解はしている。
ただ、労働を提供してる従業員に対する「相当なる対価」は、それなりのものが必要だ。
でなければ、当初の約束され、契約された労働条件を守るべきだろう。
追加で仕事を無理に押し付けたり、労働者の立場を横暴な態度で変えたり、過度の労働を
長期間にわたって強いるのは、健康を害する要因である。
従業員としての人権を考えても、あまりにもひどい扱いに辟易する。
何かがあった場合は、ちゃんと双方が前向きに話し合って、状況を共有してから、
労働内容や労働条件についても確認するべきだ。
私は、果敢に提訴したことにより、周囲からは「あぶない人」のように思われているかも
しれないけれども、「正当な権利を主張した」だけである。
また、通常の人間関係があって、「仕方がないかぁ」と思える配慮があれば、このような・・・
ドロドロの裁判劇を演じることもなかっただろうと、(今は)しみじみ感じる。
誰もフォローしないで、会社のイメージを貶めることになった事実は、私にとっても
非常に遺憾な現実として残っている。
( 事後対応を きちんとしてくれていたら、私は 裁判には しなかっただろう・・・)
元凶となった現場の担当者は、「うつ病」で、虚言と妄想、そして記憶障害に侵され、
産業医に「休暇命令」をもらって、上司に申請しても、休めない状況で働かされていた。
結局、このことが大きな現場の問題となり、小さな穴が 大きなバクハツを引き起こした。
私は・・・
これまでは、「人間関係ありき」で、うまく仕事を遂行して、敢行してきたわけで・・・
過去に 「もめたりしたことは一度も無い」。
私が果敢に挑んで行った上場している大会社は、そういう「人と人とのつながり感」や、
従業員に対する「権利」などは、全く無視された会社だった。
実際、“横暴な言葉と態度が普通だった”ことで、こういう結果になっただけである。
ただ、結論から言うと、当初、裁判なんて「ストレスだけだ」とみんなに言われたが、
自分に対する「勇気」と、自分を受け留める「自信のようなもの」が備わり、私には、
かなり得たものが多かったと思っている。
貴重な人生経験にもなった。
一人の人間が、上場会社を相手にした闘いという事実は、かなり大きな意味をもつ。
毎回、裁判所に、弁護士を三~四人も連れてくるなら、その弁護士料の金額だけで、
示談金がすぐに成立しただろうに・・・。
いつもそう言いながら、私の担当弁護士と 笑っていた。
もちろん、前例をつくりたくなかったのは解るが、それなら尚のこと誠意をもって、
会社は私と対峙するべきだったのではないかと、(時間を経た今は)冷静に感じる。
当時、多くの従業員は、「泣き寝入り」をしていた。
その会社は、二重契約をしたり(これは違法行為である)して、契約社員を派遣したり、
現実には力量のない人間が正社員として高給を取り、派遣社員や登録メンバーの仕事を
斡旋した金額で、かなり急成長した悪徳会社(私が感じた限りでの判断です)である。
取締役はじめ、数名との話し合いは全て録音したが、彼らの発言を吟味して分析すると、
本当に違法な現実が浮き彫りになり、矛盾ばかりの発言ばかりだった。
まさに「まやかし」と「詭弁(きべん)」の繰り返しで、あきれ果てる内容だった。
だからこそ、本当に、当時は、「公表したい」という気持ちが大きくなっていったのだ。
誠実ではない姿勢と、違法にあたる行為は、いつか・・・天罰がくだると、今も思っている。
30年後に、その会社が、今の位置にいるとは、決して思えない。
持続不可能な会社であり、そういうシステムであり、立て直す力量を持たない大会社だ。
私は基本的にフリーなので、たくさんの会社や、プロジェクト現場にかかわり・・・・
いくつかのセオリーを身につけてきた。
その中でも、あのような悪徳な誠意のない態度で接する会社は、生涯、はじめてだった。
従業員を、言いなりになる「虫けら」のように考えているような一方的な態度だった。
だから、訴状を突然に突きつけてしまったが・・・・彼らは、私が、そこまでするとは
思っていなかったらしい。
他の皆と同じように、きつく書いた交渉拒否メールで終わると思っていたのだと思う。
しかし、そのメールも、結果として、横暴な証拠の一部として提出されることになった。
日本人は、何故・・・・「泣き寝入り」をする人が多いのだろう。
過大な自己主張は嫌われるし、私も理解ができない。
しかし、当然の「人間としての労働者権利」は、「主張する」のがよいのではないか―と
考えている私は・・・・稀有な存在なのだろうか。
会社にクビをきられるから、とか・・・・生活に困るから、など・・・・理由をあげたら、
ほとんど私だって同じ状況である。
しかし、周囲の人は、「交渉(実行)することが難しい」という。
其々に、条件は違うのはわかるが・・・市民団体もあるし、相談や弁護料の問題だって、
最近はいろいろな対処方法がある。
そして、会社の労働組合をつくり、一人ではなく、みんなで闘うということだって、
時機をみれば実行不可能なことではないはずなのに・・・・。
何故、立ちあがって、交渉をしないのだろう。
喧嘩するのではなく、上手く関係を構築するため、必要な経路だと思うのだけれど・・・。
私にしてみれば、一労働者として、また一人の人間として、最低限の権利と待遇を
手にするためには、「勇気をもって上申することも、必要ではないだろうか」と思う。
この経済状況があってのことだと思うが、泣き寝入る人が、どんどん増えているような
印象がするのだが、現実はどうなのだろう。
私は、「うつ病」になる前に、現在の自分を取巻く環境を見直すことが大切だと感じる。
過剰労働の果てにあるのは、生きがいのない、働き甲斐のない「自分欠落思想」であり、
健康的な生き方だとは思えない。
とにかく、自分の心と感情を大切に、考えてほしいものである。
自分の人生を切り開くのは、会社でも上司でもなく、自分自身であるということを・・・。
現在の会社では、過剰労働で、昨年の新入社員の全員15名が、この一年で辞めて行った。
仲のよかった人は、頭痛に苦しめられ、しばらく休んで他の会社へ行くと言っていた。
本当に、「健康的な生活」を送ることの大切さを感じる。
私は、あの時、裁判所に訴状を出さなかったら、“精神的にかなりまいった” と思う。
後悔が残っただろうと、予想されるからだ。
結果オーライであるが、私個人は、本当に「これでよかった」と心から感じている。
話題は、変わって・・・・・
今日は、ヒロシマの原爆記念式典。
昨年もこれについてはブログで触れたが、やっと米国関係者が今年初めて参加した。
反対派も多い中で、「オバマ大統領の強い意志で実現した」と伝え聞くが・・・
本来であれば、これは、昨年に実現してしかるべきことである。
ノーベル平和賞を頂いたからには・・・・という背景も感じられて、素直には喜べず、
ただ、現実としては、亀の歩みながら一歩一歩前進していることは認めつつも・・・
「核廃絶」への道は遠いからこそ、私たちの願いが強くなっていくのを 感じる。