もともと「赤坂」にあった会社で働いたのが、私の正社員としてのスタートだった。
すごい前のことで、まさに “キャリアの出発点” だ。
だから、「赤坂」は、私にとっては、非常に懐かしい街である。
私が毎日出向いていた頃の赤坂は、大人の街で、高級感が匂ってくる雰囲気があった。
政治家が談合をしていた黒塀の高級料亭や日本料理店が、いくつも並び・・・・
裏通りには、おしゃれな年代ものの(大人向けの)バーがあったりもした。
また、昨今ほど韓国という国や料理・ドラマなどが、まだまだ身近ではなかった頃から、
赤坂には “見事な「コーリャン通り」” というものが(すでに)存在していて、
多くの韓国料理店や韓国食材を売る店が ハングル文字を前面に押し出していた。
残業帰りのタクシー内(深夜宅送)では、(発音がよく)きちんとした日本語を話す私に、
「日本語、上手だね」とか、
「なぁんだ、日本人なの?」とか、
頻繁に声をかけられるぐらい、韓国人のホステスさんと間違えられていた(笑)。
ランチは焼肉カルビランチによく行ったし、石焼ビビンバや冷麺を初めて食べたのも赤坂で
(当時の私にとっては)衝撃的な経験だった。
赤坂は、そういう意味では、韓国と私を結びつけた街だとも言える。
今日は、仕事で「赤坂」にカンズメ状態だった。
すべてが終わった後に、駅周辺をぶらぶらと歩いたのだが・・・・
懐かしい店や、あったはずのコンビニがなくなっていたりした。
かなり大きく変わってしまったものだ。
当時、主張していたビルが跡形も無くなり、公園のような広場になっていたり、
行列のできていた店があった場所は、「空店舗:募集!」の張り紙が貼られていた。
駅前のTBSをはじめとする たくさんの高層ビルが 栄華を誇っているかのように、
天空にそびえ立っていたが、(当然のことながら)建設されたのは、まだ新しい。
細い道を入っていくと、変わらない薄暗いバーの看板や、有名な蕎麦屋が残っていたが、
ほとんどの町並みにある店は、昔のたたずまいを変え、オーナーが変わったりして、
雰囲気は(現代風に)変わってしまっている。
昨今は、「赤坂の韓国料理店」だけでも、美味しい店や、有名な店の変遷が甚だしい。
たとえ縁が無くても、時々は行って、食事をしたり、前の会社のメンバーと会ったりして
韓国料理は(恋しくなると)わざわざ赤坂へ行って、頻繁に食べていた。
(だから、赤坂の情報は、たえず収集していたようなものだった)
どこの店も、どこの街も、そうなんだろうけれども・・・・
回転はとても速いようである。
高層ビルは、風の通る道をさえぎり・・・・・どんどんアスファルトの照り返しが、
熱くて「たまらない」という環境を、つくり出している。
赤坂は、非常に魅力的な街だと思うが、今の私には「息抜き」をする場所が無い。
そして、思い出に浸る場所も ほとんど なくなってしまった。
日枝神社はあるが、キャピトル東急ホテルが なくなってしまったように・・・・
やはり、何か “物寂しい印象” がしてしまったのは、否めない。
料亭が続いていた赤坂の街は、今やパチンコ店やチェーンのファーストフード店が
建ち並ぶようになり、昔のイメージとは程遠い感じである。
過ぎてしまった「果てしない年月」が、このような気持ちを呼び起こしてしまうのだ。
やっぱり、齢をとるはずだ・・・ネ。