世の中のニュースで、非常に心が寂しくなるものがある。
悲惨で、壮絶な理解不能な無差別殺人などと違って、人間本来の「あり方」について
考えさせられるような内容である。
それが、「高齢者所在不明問題」だ。
現代は、核家族が多くなって、「つながり感」や「絆」のようなものが希薄になってきた。
それにしても、自分の家族のことである。
いろいろな事情や、理由があるのだと(勝手に)推測しているが・・・・
家族(高齢者)の生死について、わからない・・・・ということは、本当に切ない現実だ。
年金詐欺などで理由が明確であれば、(たとえ違法でも)理解ができるものではあるが、
何故(家族の生存が)数十年にわたって不明なのに“何の対応もしないのだろうか”。
国民としての義務的な責任感という観点からも、私には理解ができない。
自分の家族に対して、あまりにも無関心すぎるのではないだろうか。
さきごろ、高齢者所在不明問題をめぐって、江戸時代生まれの人が生存状態にあることが、
全国:各地で明らかになっている。
三重県では、163歳の男性が(戸籍上では)生存していることになっているし・・・
大阪では、152歳の人が存命していることになっているらしい。
100歳以上の高齢者にいたっては、ものすごい人数になったと聞く。
市町村団体の怠慢か、それとも機械処理に頼りきった弊害か・・・どちらにしても、
あまりにも不可思議な現象だというしかない。
国民調査なるものが、おこなわれているというのに・・・どうして、このような現象が、
かくして全国で発生しているのか解らない。
何か類似事件が起こって、大きな問題にならないと、正式に調査をしない市町村の姿勢も
あほらしく感じられて、「ちゃんと仕事をしろ!」と叱りたくなってしまう。
安全で、経済的にも安定している立場にいる公務員こそ、日頃の仕事ぶりについて、
もっと緊張感と節度をもって対処してほしいものである。
私たちの税金は、理解不能な怠慢を擁護(ようご)するために、使用されてほしくない。
実際、黒船来航の時代の人が生きているとしたら、是非とも、拝顔したいものである。