2012年11月25日に開催された「邪馬台国の会」において、安本美典氏が述べた神武天皇実在論説(但し、当日の講義は「神武天皇実在説」ではなく、「神武東征の年代」だった) の要約は下記の通り。
神武天皇がまったくの架空の人物だったとすると、『日本書紀』はなぜ「神武天皇が九州からやってきた」と記述したのか。なぜ、「皇祖は大和に降臨した」と書かなかったのか。「国家を統一する力は九州から来た」とするからには、否定しがたい伝説があったからだと考える方が妥当である。
神武東遷説を補強する事象は次の通り。
(1) 卑弥呼は天照大神であった可能性が強い。その活躍した時期を239年として、第25代の雄略天皇(活躍した年は479年)までの一代の年数の平均は9.56年。この方式に基づいて計算すると、神武天皇が活躍した時期は286-7年と推定できる。(没年を基準にすると、神武天皇の没年は292-3年)
(2) 3世紀後半に文化の変化がおきた。
弥生時代後半に製造されたと推測できる鉄の鏃は、福岡県を中心に出土する。
弥生時代~古墳時代前期に製造されたと推測できる絹製品も福岡県を中心に出土する。
古墳時代または4世紀代に製造されたと推測できる三角縁神獣鏡は、奈良県を中心に出土する。
巨大前方後円墳(全長100m以上)は、奈良県周辺に多く存在する。
したがって、3世紀後半に文化の変革が起きたと考えられ、これは神武東遷説に符合する。
注 図は当日聴講者に配布された資料から複写したもの。
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