去る3月2日、朝日新聞は前日の文在寅大統領の演説を取り上げた「日韓歴史対立、融和へ果断な行動を」という見出しの社説において、<文大統領が日韓関係の改善を表明しているからには、日本もそれなりの宥和的姿勢を示すべきだ>であると主張した。
ここではその趣旨そのものではなく、その社説の一部、<歴史の事実を回避するような態度は、慰安婦問題での日本政府としての考え方を表明した1993年のいわゆる「河野談話」にも逆行する>という部分に焦点を合わせたい。
政府間の日韓慰安婦合意があってもなお、韓国で慰安婦問題がくすぶり続けるのは、その合意が「慰安婦は被害者で、日本が加害者」という構図になっているからで、そしてその構図は1993年に発出された「河野談話」を下敷きにしている。
ついては、「河野談話」はいかにしてつくられたかを考察する。
「河野談話」が作られた経緯は、当時の石原信雄副官房長官が2014年2月20日、国会で説明している。その説明で明らかになったことは、証人として韓国側で提供した16人の自称慰安婦の証言に誤りや疑わしい点がいくつもあったにもかかわらず、日本政府はその証言の裏付けを取らなかったことである。
そして、裏付けを取らなかった理由について、石原氏は「当時はそんな雰囲気ではなかった」と答えている。
では、その当時の“雰囲気”はどのようなものだったのか。
慰安婦拉致を最初に報じたのは、1991年8月の朝日新聞大阪版である。その翌年、朝日新聞は慰安婦強制連行に日本軍が関与していたことを示す資料が見つかったと報じ、当時の加藤紘一官房長官はその報道の真偽を確かめずに謝罪した。その謝罪は韓国でも大々的に報じられ、丁度折悪しく韓国を訪問した宮澤喜一首相は度々謝罪せざるを得なかった。
なお、その半年後、朝日が発見した「日本軍関与」の文書は、“悪質な女性仲介業者がいるから注意せよ”など、強制連行とは関係ないものであることが判明した。朝日は日本政府を攻撃するために、自社に都合のいい部分だけを取り出したのである。
その後来日した盧泰愚大統領は「日本の言論機関がこの問題を提起し、わが国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまった」(『文藝春秋』1993年3月号)と語っている。
河野談話はこうした時期(1993年―H5年、8月)に発出された。当時、朝日新聞は日本を代表するクオリティーペーパーとして認識されていたから、朝日の記事を疑う人はいなかった。さらに、それまで朝日が流布していた“日本悪者論”により、日本人のほとんどが自虐思想に染まっていたこともある。だから、宮澤喜一、加藤紘一、河野洋平などの諸氏は朝日の“慰安婦拉致キャンペーン”を信じ込んでいたと思われる。
2014年になって朝日は誤報を認め十数件の記事を撤回したが、韓国人はその撤回記事を無視した。朝日の誤報撤回は、燃え盛った山火事をヘリコプターからバケツで水を撒くようなものだったのである。
その後、「河野談話」を見直そうとする動きは自民党内にあったが、逆に2007年に米国下院は、慰安婦を「二十世紀最大の人身売買」とする決議を可決し、その認識は今でも変わっていない。それどころか、日韓関係の改善を望むオバマ政権(バイデンはその時の副大統領)は日本政府に圧力をかけ、日本が全面的に謝罪して10億円を支払う2015年の日韓慰安婦合意が締結された。
ここで、話を3月2日の朝日新聞の社説に戻す。朝日の「歴史の事実を回避するような態度は・・・1993年のいわゆる『河野談話』にも逆行する」という主張は、<慰安婦拉致を認めたままにせよ>と言っているのに等しいが、それでは2014年の誤報撤回と矛盾するのではないのか。
日本政府が韓国に対し「2015年の慰安婦合意を遵守せよ」と主張し、バイデン大統領も韓国に「これ以上関係をこじらせるな」と迫っているから、韓国政府はそれに従わざるを得ないだろう。しかし、“拉致”を信じる韓国人には心理的不満が残るに違いない。
真の日韓の親善には、“拉致”をどこかの時点で修正し、真実の歴史を韓国人に伝えなくてはならない。今となっては16人の自称慰安婦の証言を検証することは困難だと思うが、せめて河野洋平氏が真実を述べることを願う。
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