6月28日、湯河原町図書館で“国際フォーラム in ゆがわら”なるイベントが開催された。案内によれば、ペルー・モンゴル・ブルガリアの出身者がパネリストである。彼らは湯河原町になんらかの縁がある外国人らしいが、私はなぜ彼らが湯河原(または日本のどこか)に住むようになったのかに興味を持って出席することにした。
まず、主催者のゆがわら国際交流協会から、協会(そしてこのイベント)の理念、“グローカルな町をめざして”の説明があった。グローカルとは、GlobalizationとLocalizationを組み合わせた造語で、“幅広い世界観を持って身近な地域活動を行うこと”である。その具体的な活動については、上のゆがわら国際交流協会をクリックしていただく。
パネリストは自己紹介のあと、それぞれ日本に来た動機や苦労話、出身国の紹介などを日本語で語った。
異色はモンゴルから来た元力士。四股名を大河といい、横綱の白鵬関と同じ頃に来日した。奥様はモンゴル人。来日した当初は日本語に苦労したらしいが、今では日常会話程度なら流暢に話す。私は30年米国に居住したが、彼は私の英語より上手に日本語を話す(笑い)。湯河原町に居住して仕事も持っているらしい。
ペルー出身のセシリア・ボルダンさんは、今から十数年前来日して、いったん帰国したが、夫君とともに再度来日。今は介護施設勤務。日本語がかなり流暢である。
ブルガリア出身のエリー・エレオノラ・村田さんは芸術家で、日本人の夫君とともに隣町の真鶴に住んでいる。日本語はたどたどしいが、同席した夫君に助けてもらいつつ、日本語でスピーチした。そして、スライドでブルガリアの風物を紹介した。
パネリストの意見として、湯河原の知名度が低いという問題点が指摘された。確かに、隣の熱海は外国人観光客が増えて賑わっており、閑散とした湯河原とは雲泥の差である。だが、湯河原には“閑静な温泉場”というウリがある。それでいいのではないか。外国人観光客が少ないことは、日本人観光客にとってはプラス要素である。
ところで、地方に住む外国人が増えていることは知っていたが、わが湯河原町にもこういう人たちがいるとは知らなかった。三人に共通していることは、山や海があり風光明媚な湯河原に魅せられたこと。私は5年前に湯河原に移り住んだが、湯河原を選んだ動機は彼らと同じである。言うなれば価値観を共有する方々であり、親近感を抱いた。彼らが湯河原で安定した生活基盤を築くよう陰ながら応援する次第である。
蛇足だが、当日の参加者はザッと70人。湯河原にこんなに国際交流に関心がある人がいるとは驚きである。私は来年もこのイベントに出席するつもりである。
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