推理小説作家の高木彬光(1995年没)の作品『邪馬台国の秘密』は、専門家も顔負けの鋭い洞察で古代史の謎に迫っており、非常に面白い小説である。あら筋は、私立探偵神津恭介が入院中に『魏志倭人伝』を読み、助手の力を借りてベッドディテクティブならぬベッドトラベルで、邪馬台国の場所を比定するというもの。
邪馬台国の場所の比定については、北九州説とか畿内説など諸説あるが、そのほとんどが『倭人伝』には所要日数または方向に誤りがあると推定している(例外は古田武彦説)。しかし、神津恭介(つまり高木彬光)は『倭人伝』通り読み解いて結論を導く。
神津恭介が推理した行程
邪馬台国は大分県の宇佐周辺だという結論にはさして新味はないが、九州上陸地点を博多の東北にある神湊としている点は、神津恭介の助手が賞賛するように「前人未踏」である。定説では、魏使は朝鮮半島から対馬、壱岐を経て、『倭人伝』にある末蘆国と思われる佐賀県の東松浦半島に上陸してから、伊都国と思われる福岡県糸島半島にやってきた、としている。ここまではほとんど異説が存在しない。
定説による行程
神津はそれではつじつまが合わぬと考える。その考えを要約すると次のようである。
卑弥呼の時代、北九州の海岸線には今よりも険しい山々が迫っていたから、草木が茂った道を歩む「陸行」はかなり難儀だったろう。しかも魏使の一行は卑弥呼に下賜する鏡など重い荷物をたくさん持参していたのだから、できるだけ「水行」したかったはずである。そして、上陸してから東へ進むのだから、できるだけ目的地に近い場所に上陸する方が楽である。特に5月から8月までは、南または西南の風が吹くのだから、壱岐から東へ進み、宗像市の神湊(こうのみなと)あたりで上陸したのではないか。『倭人伝』では、壱岐までは方角を示しているが、壱岐から先の航路には方角の記載がないことも、神湊上陸説を裏付ける。
神湊から東の海岸線は波が荒いし暗礁が多いから、「水行」は危険である。したがって、宗像から先へは「陸行」しただろう。「陸行」の行程を『倭人伝』通りに辿っていけば、上の「神津恭介が推理した行程」のような位置関係になる。
邪馬台国は不弥国に隣接していたと考えられ、具体的には宇佐周辺。『倭人伝』には「南至邪馬台国女王之所都水行十日陸行一月」とあるが、これは出発地点である帯方郡からの所要日数であり、「自郡至女王国萬二千余里」にその距離が示されている。こうした条件を満たすのは宇佐である。
宇佐には宇佐大神宮があり、その祭神は応神天皇、神功皇后、比売(ひめ)大神の三柱で、中央が比売(ひめ)大神。この比売とは卑弥呼ではないか。後年、朝廷がこの宇佐大神宮を伊勢神宮より重視したという記録があり、比売大神イコール卑弥呼説を示唆している。
そういわれてみれば確かに東松浦半島上陸説には矛盾があり、神湊上陸説にはなるほどと思わせる説得力がある。しかし、この説を踏襲する研究者がいないのはなぜだろう? 小説だからか?
さて、古田武彦はその著作『邪馬壹国の論理』(ミネルヴァ書房 2010年刊)の中の「神津恭介氏への挑戦状」において、神津(つまり高木)を散々にこきおろし、『邪馬台国の秘密』は自著の『邪馬台国はなかった』の盗作だと非難している。
確かに『…秘密』には古田の『…なかった』の記述にそっくりな箇所がいくつかある。その一つは、『倭人伝』を修正せず、そのまま読み解くという態度である。もう一つは、「水行十日陸行一月」は、帯方郡から邪馬台国までの所要日数で、邪馬台国は不弥国と隣接していたという点。
前者については、古田を除くすべての研究者は、『倭人伝』をそのまま読み解こうとしたが、それではどうしても自分が比定する場所に辿りつけないので、やむなく『倭人伝』の誤りと推定したはずだ。つまり、「『倭人伝』通りに読み解こう」という態度は、すべての研究者に言えること。神津のアプローチを「自分と同じだ」という理由で盗作と決めつけるのは的はずれだと思う。
後者については、「水行十日陸行一月」の出発点がどこかでは諸説あり、古田がそれを帯方郡と比定したことは画期的であって、神津恭介が簡単に古田と同じ結論に至った点についてはかなり疑問を感じる。神津恭介の助手が「この点は『先人の学説の模倣』といわれないでしょうか?」という疑問を投げかけており、高木が古田説を参考にしたことを窺わせる。ここは率直に古田説を引用したと述べるべきだった。しかし、それでは小説の筋が崩れてしまうから、状情酌量の余地がある。
一方、古田は「高木が『…なかった』(1946年刊)を読んで盗作していることは間違いない」と非難しているが、高木は『…秘密』の中で、何度も古田説に触れているのだから、「高木は『…なかった』を読んだに違いない」という古田の批判は見当違いである。ことによると、高木は『…秘密』(初版は1948年)が古田に非難されたので、その後(文庫本は2006年刊)修正したのかも知れぬ。しかし、それなら古田の『邪馬壹国の論理』(2010年刊)における批判もしかるべく修正されるべきだった。
高木は『…秘密』において、「いままでの研究家の―その中でも特に頭の悪い男は…」とか「…そういう低能連中が、徒党を組んで、先輩の説を金科玉条のようにあがめたてまつり…」と、世の研究家たちをこきおろしているから、古田が怒り心頭を発したことは容易に想像できる。しかし、盗作だと決めつけたのは過剰反応のように思える。しょせん『…の秘密』は小説なのだから…。
読んで以来数十年「高木彬光・九州説」を信じていたが、数年前に奈良女の小路田泰直教授の本を読んで畿内説に替わりました。