今朝の赤城山は、うっすらと雪化粧していました。
ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ました。
葛塚城の東の堀切も工事が入ってます。
どうなってしまうのかな
岩神沼に到着です。
白鷺(しらさぎ)と鴨(かも)がいます
ひめちゃん、はいポーズです
摩崖仏の後ろをまわって帰ろうとしましたけど、ひめちゃん何としても更に北に行くと譲りません。
遠くに雪を頂いた山が見えます。
三国の山々かな?
そういえば、三国峠の手前・猿ヶ京の「おがんしょめぐり」も、春になったら再開しなくては
昨年の暮れ、高崎からの帰りに、前橋の善昌寺に寄りました。
善昌寺という名前に惹かれたからです。
ひめちゃんちのある、旧勢多郡新里村にも善昌寺があります。
善昌とは、新田義貞の重臣・船田善昌の善昌だといいます。
新里の多くのお年寄りは、「新田義貞は善昌寺に埋葬されているんだ、新田義貞の御屋敷は新里にあったんだ。」と信じています。
そんなバナナ
新田生まれのひめちゃんちのおかあさんには、理解できません
まあ、とにかく同名の寺ということで寄ってみました。
え、この紋所は那波氏です
開創600年が2007年、ということは1407年にできたということです。
室町時代初期です。
いきなり白蛇のお出迎えです。
横向きの方が、絵になるかな?
こちらの額は、「善昌法道」です。
いい雰囲気です
おや、何か貼り紙があります。
御朱印は大本山円覚寺百観音納経帳のみとなります。
どういう意味?
大本山円覚寺百観音納経帳なんて持ってくる人は、めったにいないでしょう
要するに、御朱印は拒否しているのかな
善昌寺つながりで、ちょっと親しみを持ってきましたけど、残念
まあ、ちょっとだけ境内の散策をしていきましょう
大黒様、どんないわれでここにおいでなのですか?
元気が出そうな赤い屋根です
三寶大荒神ですと。
どんな神様なのでしょう?
こちらは千手観音です。
やっぱり那波家の家紋です
門があるので、くぐって出ます。
こちらが本来の山門でしょう。
ここらへんは、いろいろパワーがつまった一角のようです
善昌寺つながりで、少し話でもできればと思いましたけど、残念でした
そんな訳で、訪問から時間が経ってしまいました
最近、『茨城・栃木・群馬の城郭』(日本城郭大系第四巻、新人物往来社)で、力丸城(りきまるじょう)を見付けました
善昌寺は、力丸城の裏鬼門にあるのです
環濠住居を纏結(てんけつ)した自然発生的な、列郭式構造、力丸氏の館から発展したもので、中央の本丸は90m×90m、東西の堀に「折」があり、南と北の虎口には土橋が着いていた。力丸佐介宗也とその子伊賀守の時、天正十八年(1590)に没落、廃墟と化し、二、三年前にまったく破壊されてしまった。
参考文献として、毛呂権蔵『上野国志』が、あがっています
世良田(太田市世良田町)の船田善昌館跡に住んでいた、毛呂権蔵も来ていたのです
毛呂権蔵は、二つの善昌寺を訪問していたのです
そういえば、中学の同級生に力丸君(りきまるくん)がいました。
力丸君お元気ですか