黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

その名は善昌寺(降龍山善昌寺)

2020-02-01 21:19:23 | 群馬県・中毛

今朝の赤城山は、うっすらと雪化粧していました。

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ました。

葛塚城の東の堀切も工事が入ってます。

どうなってしまうのかな

岩神沼に到着です。

白鷺(しらさぎ)と鴨(かも)がいます

ひめちゃん、はいポーズです

摩崖仏の後ろをまわって帰ろうとしましたけど、ひめちゃん何としても更に北に行くと譲りません。

遠くに雪を頂いた山が見えます。

三国の山々かな?

そういえば、三国峠の手前・猿ヶ京の「おがんしょめぐり」も、春になったら再開しなくては

 

 

昨年の暮れ、高崎からの帰りに、前橋の善昌寺に寄りました。

善昌寺という名前に惹かれたからです。

 

ひめちゃんちのある、旧勢多郡新里村にも善昌寺があります。

善昌とは、新田義貞の重臣・船田善昌の善昌だといいます。

新里の多くのお年寄りは、「新田義貞は善昌寺に埋葬されているんだ、新田義貞の御屋敷は新里にあったんだ。」と信じています。

そんなバナナ

新田生まれのひめちゃんちのおかあさんには、理解できません

 

まあ、とにかく同名の寺ということで寄ってみました。

え、この紋所は那波氏です
開創600年が2007年、ということは1407年にできたということです。
室町時代初期です。
 
いきなり白蛇のお出迎えです。

横向きの方が、絵になるかな?

 

こちらの額は、「善昌法道」です。

いい雰囲気です

おや、何か貼り紙があります。
御朱印は大本山円覚寺百観音納経帳のみとなります。
どういう意味?
大本山円覚寺百観音納経帳なんて持ってくる人は、めったにいないでしょう
要するに、御朱印は拒否しているのかな

 
善昌寺つながりで、ちょっと親しみを持ってきましたけど、残念
まあ、ちょっとだけ境内の散策をしていきましょう
 
大黒様、どんないわれでここにおいでなのですか?

 

元気が出そうな赤い屋根です

三寶大荒神ですと。
どんな神様なのでしょう?


こちらは千手観音です。

やっぱり那波家の家紋です


門があるので、くぐって出ます。


こちらが本来の山門でしょう。

ここらへんは、いろいろパワーがつまった一角のようです


 
善昌寺つながりで、少し話でもできればと思いましたけど、残念でした
そんな訳で、訪問から時間が経ってしまいました


 
最近、『茨城・栃木・群馬の城郭』(日本城郭大系第四巻、新人物往来社)で、力丸城(りきまるじょう)を見付けました

善昌寺は、力丸城の裏鬼門にあるのです
環濠住居を纏結(てんけつ)した自然発生的な、列郭式構造、力丸氏の館から発展したもので、中央の本丸は90m×90m、東西の堀に「折」があり、南と北の虎口には土橋が着いていた。力丸佐介宗也とその子伊賀守の時、天正十八年(1590)に没落、廃墟と化し、二、三年前にまったく破壊されてしまった。
 
参考文献として、毛呂権蔵『上野国志』が、あがっています
世良田(太田市世良田町)の船田善昌館跡に住んでいた、毛呂権蔵も来ていたのです
毛呂権蔵は、二つの善昌寺を訪問していたのです
 
そういえば、中学の同級生に力丸君(りきまるくん)がいました。
力丸君お元気ですか
 
 
 
 
 
 

コメント
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