黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

インド紀行 3 (『今昔物語集』にもあるビンビサーラ王の牢獄)

2020-02-19 21:48:29 | インド紀行

夕方、ひめちゃんは小次郎パパと、東の牧場の方にお散歩しました。

ヤギさんいるかな?

最初はどこにいるかわかりませんでしたけど、通りに面したフンスのすぐそばにいました。

鼻を突き出して、ご挨拶です

 

ひめちゃんたちは、さらに上のシブヤ沼を目指します。

ここは、たしかかつては鯉の養殖をしていたと思います。

赤城山がなんとなく春めいています

ここには、カモがよくいます。

画面に入りきらないくらい、たくさんのカモがいました

 

帰りがけに、塀の上で、のんびりくつろぐ猫を見かけました。

インドでは、屋外で猫を見かけることはありませんでした。

 

 

添乗員さんの旅のレポートによると、ナーランダ大学跡の次に、七葉窟を遠望して、ビンビサーラ王の牢屋を訪ねてます。

写真を整理してみると、どうもナーランダ大学跡の次に七葉窟、その次に竹林精舎に行ってます。

お忙しいので、落ちてしまったのでしょう。

盛りだくさんの日程、ありがとうございます

竹林精舎は次回に、今日は、七葉窟を遠望とビンビサーラ王の牢獄です。

 

ナーランダ大学跡から竹林精舎をめざします。

途中、七葉窟を遠望です。

七葉窟とは、「釈迦の弟子アーナンダをはじめ約500人が集まり仏教を体系的に文書として記録した第一結集が行われた」所だそうです。

通り過ぎて行くのは、馬車だったと思います。

それなりの史跡なのでしょう。

登るのは大変そうです。

普通に犬がいます。

ここは写真を撮っただけでした。

 

その後、竹林精舎を見学です。

報告は次回に

 

 

竹林精舎の後、霊鷲山(りょうじゅせん)に向かう途中、ビンビサーラ王の牢獄に立ち寄りました。

添乗員さんの旅のレポートによると、

ビンビサーラ王が息子のアジャセ王子に投獄された牢屋をおまけでご覧頂きました。王妃が面会時に体に塗ったはちみつで栄養を取りました。

 

ここが牢獄の跡だと云います。

 

ところで、ビンビサーラ王ってどんな人?

古代インドに栄えたマガダ国(現在のビハール州辺り)の王。在位は紀元前6世紀頃、または5世紀頃。彼の治世にマガダ国はその勢力を大きく拡大した。彼は釈迦の教えを聞き仏教に帰依したと伝えられる。仏典に寄れば釈迦より5歳年少であったという。(ウィキペディア)

釈迦と同時代に生きた人なのですね

なぜ、息子に牢獄に押し込められたのでしょう。

 

いろいろ検索してみると、なんと『今昔物語集』にも登場しているといいます

ところが『今昔物語集』は膨大な分量の説話集で、かの有名な古典文学大系や古典文学集成は、本朝(日本)の部分しか扱っていません

図書館でいろいろ探してみると、少しだけ天竺(インド)・震旦(中国)の話を扱っている本がありました

市古貞次・小田切進編 日本の文学 古典編 22『今昔物語集 上』 (ほるぷ出版 昭和62年)です。

その中に、この牢獄の話がありました。

阿闍世王(あじゃせおう)、父ノ王ヲ殺セル語(こと)   巻3第27
今ハ昔、天竺ニ阿闍世王、提婆達多(だいばだつた)ト得意、智音(ちいん)ニシテ、互イニ云フ事ヲ、皆金口(こんく)ノ誠言ト信ズ。調達(てうだつ)、其の気色(けしき)ヲ見テ、世王ニ語リテ云ハク、「君ハ父ノ大王ヲ殺して新王ト成レ。我レハ仏ヲ殺シテ新仏ト成らん。」
阿闍世王、提婆達多ガ教ヘヲ信ジテ、父の頻婆沙羅王(びんばしゃらおう)ヲ捕ヘテ、幽(はる)カニ人離レタル所ニ、七重ノ強キ室ヲ造リテ、其ノ内ニ籠メ置キテ、堅固ニ戸ヲ閉ジテ、善ク門ヲ守ル人ヲ設ケテ、誡(いまし)めて云ハク、「努々(ゆめゆめ)、人ヲ通ハス事無カレ」ト。

ほかにも説はあるようですけど、『今昔物語集』では、釈迦のいとこにそそのかされたのです

ことの真偽はともかく、約1000年前に、遠く離れた日本で、この牢獄の出来事が記録されていたということに、ビックリです

 

コメント
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