黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

インド紀行 5 (お釈迦様が冬を過ごした霊鷲山)

2020-02-21 20:58:35 | インド紀行

ひめちゃんは獅子丸と堀之内を北に出ます。

後ろから、タバサねーちゃんとののこねーちゃんが、おとうさんを連れて追い越していきます。

ののこねーちゃんは、人間だと末期がんの状態です。
お医者さんは、「あとは痛み止めの注射だけです。」といいます。
やせ衰えながらも、しっかり食べて、しっかり歩いています。
ひめちゃんとの「ののしりあい」も、生きる張り合いのようです。
もうしばらく、生きられそうです

赤城山には薄い雲がかかってます。

この道路の向こうが、堀之内です。

菜の花は、みんなが大好きなアブラナではなく、小松菜か何かのようです。

 

 

 

添乗員さんの旅の記録によれば、霊鷲山(りょうじゅせん)は、

35歳で悟りを開き、その後亡くなるまでビハール州とウッタル・プランテーシュ州で説法を続け、冬は多くこの山に留まりました。香堂が山頂にあり、そこから岩が鷲のように見えます。約30分かけてのぼりました。あたりは自然がたくさん残ってます。

 

ウイキペディアによれば、

釈迦仏が在世した当時では、マガダ国の首都だった王舎城(ラージャグリハ)の東北、ナイランジャナー(尼連禅河=にれんぜんが)の側にある小高い山である。

この山は長らくの間、場所も忘れられていたが、1903年(明治36年)1月14日朝、大谷光瑞率いる第1次大谷探検隊が朝日に照らされたこの山を仏典上の霊鷲山と同一と確定した。

 

そうなんですか

忘れられていたんですね

 

早速のサルのお出迎えです。

 

人波に押されて上り始めます。

早くも犬の親子に遭遇です。

たくましく生きているのですね

 

「ゼイハア、ゼイハア」かなりの山道です。

モノレールがありますけど、行先は違う峰の日蓮宗のお寺とか。

自然に牛がいます。

おじさんたち何してるのかな?

 

かなり上ってきました

 

「霊山橋」とあります。

いよいよ、聖なる世界のようです。

 

少し行くと、聖なる場所がありました。

金箔はお金持ちが来ると、つけていくのだそうです

静かに合掌

 

まだまだ、先がありそうです。

ここもだれかこもったのかな?

 

さらに上ります、「ゼイハア、ゼイハア

華やかな世界になりました。

 

ここにもだれかこもったようです。

この岩の向こうに回り込みます。

 

やっと頂上です

霊山の雰囲気満点です

みんな靴を脱いでます

聖なる場所なのです

日本のお坊さんのようです

込み合っているので、無理をせずに退散です。

 

同行者と、「鷲の岩はどれかしら?」と話していると、「あれですよ。」と日本語が聞こえます

確かに鷲のように見えます

彼は、ポストカードセットを売ろうとしています。

5冊で500ルピーだといいます。

「階段ですよ、気を付けて

また、「階段ですよ、気を付けて

 

同行者のK氏に、「500ルピーって、いくらくらい?」

「780円くらいです。」と、計算してもらいました。

 

空港で現地ガイドさんに両替してもらった封筒を出します。

500ルピー1枚渡して、ポストカードセットと交換です

初めてルピーを使いました

お札の画像は、当然ながらガンジーです

 

それにしても、彼は日本語をどこで覚えたのでしょう?

必要で覚えたのでしょうね

日本人はたくさん来ているのかな?

 

また、バスに揺られて、ホテルに着いたのは、現地時間午後7時半過ぎでした。

本当に、朝6時にホテルを出て、夜8時にホテルに着く旅のようです

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする