朝、ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。
後ろから、タバサねーちゃんと小次郎パパがやって来ます。
ひめちゃんは、一応おねーちゃんをたてています。
でも、微妙?
二人はお父さんを連れて追い越して行きます。
ひめちゃんと獅子丸は、堀切を抜けて、沼の方に行きます。
ここは、昔は水田だったはずです。
ガマの穂が目立ちます。
新らしい木崎宿の道標の次の信号を、左にみて直進です。
次の信号の角に、貴先神社(きさきじんじゃ)があります。
南から回り込んで、駐車場に入ります。
信号の所に戻り、鳥居から入り直しです。
一の鳥居の額は、ちょっと焼けているような感じです。
新田町誌基礎資料第8号『村々の沿革と絵図』(木崎)によれば、
(木崎の)鎮守は貴先神社(祭神大己貴命)がある。当宿が整備される以前から祠があったと伝承する。寛文八年(1668)社殿を再建するが、明治三年宿の火災で類焼、同七年再建される。~中略~明治五年太政官による娼妓解放令が公布された。同八年「娼妓貸座敷取締規則」の施行によって旅籠屋は「貸座敷」と名将をかえ、同十四年には二三軒の貸座敷が見える。木崎宿が明治に入って「色里」として全盛期を迎えるのもこの時期である。
木崎宿の一番華やかな時代の記憶なのですね
二の鳥居をくぐります。
こちらは、貴先神社とはっきり見えます。
変わった形の灯籠があります
見返り鹿かな?
拝殿の向拝には、龍ではありません
馬と馬子と武士が見えます。
例幣使街道の昔を懐かしんでかな?
龍は横の方にいました
社殿の周りを一回りです。
本殿は拝殿にすぐ続いています。
本殿の屋根の下には、鳳凰?
後ろには石造物があります。
東に廻ります。
屋根の下には鳳凰ですね。
龍の上には鳳凰です
決して大きくはないですけど、かつての木崎宿の繁栄が偲ばれる凝ったこだわりの社殿です
この日はちょうど、境内の草刈りの日でした。
「こんにちは。きざき神社ですか、きさき神社ですか?」
「きさき神社だよ。お妃様のきさきだよ」
「ありがとうございます」
新田の銘木・ヒヨクヒバ(比翼ヒバ)を見ながら、お別れです。
さてさて、初期の目的地・新田の赤堀八幡宮を目指しましょう