朝、今にも泣き出しそうな空の下、ひめちゃんと獅子丸は、堀之内の北を廻ってきました。
いつの間にか、ひめちゃんちの数少ないバラに大きな実が付いています。
お昼近くになると、本降りの雨です
久しぶりに、みんな小屋の中で過ごしてます
万日堂付近に、史跡巡りの案内があり、指さしている方に向かいます。
まもなく八幡宮に到着です。
入り口には、訪問者を拒絶するロープが張ってあります
さっきは諦めましたけど、今度は何としても駐車しなければなりません。
ロープの前に、ちょっと駐車して、大急ぎで参拝です。
遊具もあって、本来は人を受け入れたはずですけど、人を拒絶するようになった理由があるのでしょう。
狛犬は見当たりません。
とりあえず、拝殿で参拝です。
脇には八幡神社の獅子舞の説明板があります。
平成12年の日付です。
神社の由緒もあります。
ちょっと分けて、確認です。
建久年中、京都の石清水八幡宮より、新田義重が勧請した。
もとは別の場所にあって、安永年間に現在地に建立されたのですね。
安永年間といえば、世良田の毛呂権蔵が、上野国をあちこち旅し『上野国誌』を著した頃です。
『上野国誌』もそのうちに、精読しなければなりませんね。
左上のうす黄色の部分は、写真がボケボケで残念
本殿は、堅くガードされているようです。
拝殿前から鳥居を振り返ります。
一の鳥居の向こうは、空き缶がいっぱいでした。
さて、車が邪魔だとクレームが来ないうちに退散しましょう。
ジョイフル本田に寄って、ひめちゃんたちのお買い物をしていきましょう
もうすぐジョイフルという所まで、車のナビは新田赤堀町でした。
この先の左の方には重殿水源があり、中世においては戦略上重要な場所だったのでしょう
ところで、新田義重が石清水八幡宮から勧請した8社の八幡宮とは何処でしょう?
いろいろ検索しましたけど、具体的にどこか分かりません
でも、(旧尾島町)岩松八幡宮は、新田義重が石清水八幡宮から勧請した八幡宮です
18年の3月に訪問してありました。
こちらも奉納の獅子舞をしていると、近くの青蓮寺で出会ったおじさんは言ってました