ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。
雨が上がったばかりで、路面はまだ濡れています。
でも貧乏カッパを着ないでお散歩出来てよかった。
おや、向こうに怪しい光が見えます。
虹です
雨上がりの虹です
諏訪神社前からの虹です。
浅間山の残雪にコラボして、なんとも不思議な美しい光景でした
11月20日、大手神社を参拝した後、県道67号線で帰ります。
群馬県に入る手前、小俣で鶏足寺に寄ります。
ナビに従って、奥の駐車場に到着です。
本来の山門ではなく、脇門からの参拝です。
鮮やかな紅葉です
もしかしたら、紅葉が一番きれいな時かな?
実は、常広寺の和尚さん達と、数年前に訪問しました。
上野国山上の常広寺には、竜骨の由来を記した「竜骨伝記」がありました。
けれども、大正12年1月1日の火災で、半分焼失してしまいました。
ところが、焼ける前に、これを写して記録した人が2人いたのです。
上野国新田郡世良田村の毛呂権蔵と下野国小俣鶏足寺の和尚です
毛呂権蔵は『上野国志』の中に記録しています。
鶏足寺の和尚の記録は、群馬県立文書館の鶏足寺文書の中にありました。
「竜骨伝記」を復元する過程で、こちらへもご挨拶ということでうかがったのです
お久しぶりの鶏足寺です。
青い幟があります。
あちらで御朱印がいただけそうです
前回時には、御朱印はやっていないということで、初めて御朱印を頂きます。
御朱印をお願いして、境内散策です。
木陰の厨子の中に、木製の不動明王です
火炎も木で表現しています。
朱が残っています。
本堂で参拝です。
合掌
説明板を確認です。
大同四年(809)東大寺の定恵上人が世尊寺という寺を建てたのが鶏足寺の始まりです。その後比叡山の円仁上人(慈覚大師)により寺域が拡大整備されました。
天慶二年、平将門の亂平定に際し、常裕法印は、秀郷の請をうけ将門調伏の修法を行いました。功により秀郷に将門を倒し、寺も鶏足寺と改められ、寺領をふやし、寺の基礎を不動のものとしました。
将門の足を祀るという話は、ありませんね。
将門調伏の修法を行ったのですね
本堂の隣には、紅葉と布袋様です。
さりげない賽銭箱がステキ。
紅葉に誘われて、奥に進みます
紅葉の向こうに御堂がコラボです
階段が工事中です。
参拝には回り道が必要なようです。
こちらからの景色もいい感じです。
静かにたたずむお地蔵様の隣に、天魔閣とあります。
記憶にありません
失礼します
閻魔大王がおいででした。
合掌
天井絵もあります。
竜がいそうです。
紅葉の鶏足寺、もう少し散策続けます
(つづく)