昨夜から冷たい雨です。
ひめちゃんたちは、みんな貧乏カッパでお散歩です
夕方、15歳半の小次郎パパはそこらまでの1人散歩です。
パパも、この間シャンプーやさんに行ってきました
明日天気になーれ
円空仏の寺・禅桂寺(みどり市大間々町浅原)から東に少し行くと、「薬師堂のカヤ」の表示があります。
左折してまもなく到着です。
11月27日、お久しぶりの訪問です
「薬師堂のカヤ」の説明板です。
樹高約20m、樹齢700年ですか
この木は雌木です。
カヤの実がいっぱい落ちてます。
御堂の額は、「瑠璃殿(るりでん)」です。
薬師如来は瑠璃光如来とも言うそうですから、地元(浅原東下組)の人々はそう呼んでいるのでしょう。
前回来た時は、全く気になりませんでした。
でも地元のこだわりは大事です。
御堂の周りを左から回ります。
現役の墓地としても利用されているようで、りっぱな墓石も多数あります。
僧形の墓石も若干見えます。
見上げて、カヤの木です
700年、世の移り変わりを見続けてきたんですね
鎌倉末期からずーっと、ここで世の移り変わりを見て来たのです
瑠璃殿を一周すると、御堂の前の道沿いに気になる石造物です。
道祖神です
ここはかつて人々が往来した、メインストリートだったかも知れません
廻国供養塔も目立ちます
宝暦12年(1762)とあります。
廻国巡礼の旅は、本来は各国一ヶ所で全国66ヶ所を廻る旅でした。
けれども、18世紀に入ったころから一国一ヶ所に限定せず、四国・西国・板東・秩父などの霊場を組み込んだりして、しだいに多くの寺社を参拝するようになったと言います。
中世の六十六部は専門の宗教者だったけれど、江戸時代には俗人が回国巡礼を行う事もあったと言います。
また、廻国の途中で信者が出来ると、その村の御堂や庵に定住することもあったと言います。
移動が制限されていた江戸時代に、ここ浅原にも、全国を廻る廻国巡礼をする人々がいたのです
瑠璃殿の前の道は、まっすぐではありません。
でも道がまっすぐになったのは近年のことで、以前は道はまっすぐではなかったのです。
道祖神があり、廻国供養塔がある、いかにも円空さんが歩きそうな道です。
円空さんは、この道を通って小平(おだいら)に行ったかも知れません