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黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの空っ風街道・硯石訪問記

2020-12-04 21:14:03 | 群馬県・旧勢多郡

寒い寒い朝でした。

ひめちゃんは、小次郎パパとお散歩です。

霜がしっかり降りた草むらです。

おや、西の空に有明の月があります

「すわ、雪か」と思いきや、籾殻に降りた霜でした。

堀之内の北方を廻って帰りました

 

 

石つながりでいろいろ検索すると、空っ風街道の脇に、硯石(すずりいし)があります。

赤城南面道路・国道353号線の一本上の道が、空っ風街道です。

新里農産物直売所の少し東を北に入ると、空っ風街道が始まります。

ひたすら西に行けば、やがて右に見えるはずです。

行けども、行けども、大きな石などありません。

 

そろそろ諦め掛けたとき、大きな石が見えました。

説明板も見えます。

やっとたどり着いた、硯石です。

北橘町の最上部にあたるこの地には、昔赤城山の麓を東西に横切るみちがありました。この古道の近くにある天然石が「硯石」です。赤城山が噴火した際に押し流されてきた大石で、石の上部にはいくつかの凹凸があります。その凹みにいつも水がたまっているので、その様子を硯に見立てて「硯石」と呼ばれています。

この硯石に次のような伝説が残っています。東国に教えを広める広めるための旅の途中、親鸞聖人一行が赤城山の麓にさしかかった時、関東平野と波立てて激しく利根川をみて、かたわらにあった大石の窪みにたまった水で墨をすり、歌を一首詠んだと言われています。このことにちなんで、この大石が「硯石」と名付けられたと伝えられています。

 

昨年の秋、親鸞聖人ゆかりの地を廻るツアーに参加しました。

栃木県真岡市の高田山専修寺(せんじゅじ)や茨城県の稲田禅房西念寺&玉日姫御廟などを廻りました。

越後から上野を通過しなければ、下野(栃木県)や常陸(茨城県)には行けません。

親鸞聖人が、東国ヘ行くときここを通ったのですか

上野国では、板倉の宝福寺に足跡を残していますね。

越後から、上野の何処を通って板倉にまで行ったのか、とても気になります

 

やっと着いたね、さすがのあたちも疲れました

1時間近く、ノンストップだったものね、お疲れ様

クンクン、誰かワンコさんが寄ったかな?

大きな石だね

 

空っ風街道を振り返ります。

赤城山の中腹を、裏から見ている感じです。

ひめちゃんちから見える山とは、全く違う山です

 

空っ風街道、まだまだ続きそうです

そのうちに、始点から終点までドライブしてみましょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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橘山の御霊石・小石神社

2020-12-03 16:17:00 | 群馬県・中毛

ひめちゃんちの師走のバラです。

悪条件の中、よく咲いてくれました

イングリッシュローズ、ザピルグリムです。

つるバラ、パレードです。

向こうには、まだまだ咲きそうなムタビリスです。

つるバラ新雪です。

アーチが壊れてしまったままです。

来春にはなんとか対策をしましょう。

師走の名残のバラ、また来春も逢いましょう

 

ひめちゃんは、小次郎パパを待ちます。

パパと堀之内の北を廻ってきました。

久しぶりに、堀之内の内曲輪を通ります。

内曲輪の真ん中を走るのは市道です。

今は豚舎に挟まれた空間で、通るのがはばかられる感じです。

イノシシ対策でフンスが設置され、葛塚城の石の残骸は見えにくくなってます。

 

 

 

細井尼の面影を尋ねて、県道76号線を西に走りました。

その行き着く先には、バラ園があります。

バラ園の近くに、小石神社があります。

小石神社には、橘山の霊石が祀られていると言います

では、76号線をもっと先まで行って、小石神社に参拝しましょう

駐車場はなさそうなので、とりあえずバラ園を目指します。

ナビの指示通りお難なく到着です。

バラ園から、歩きます。

事前学習が不十分で、ちょっとわかりにくく遠回りして、やっと到着です

 

住宅地の中に、違和感なく鳥居があります。

正面の鳥居ではなく、脇の鳥居に出ました。

 

鳥居をくぐると、拝殿です。

 

わあ、御利益ありそうな石です

縁結びの石と言うことです。

 

手水社は、シンプルです。

 

現代的な狛犬です。

もう初詣の幟です。

 

左の狛犬の奥に、「八雲立つ・・・・・・」の歌碑が有ります。

 

拝殿で2礼2拍1礼、「よきご縁に恵まれますように」心を込めて参拝です。

御霊石はこの中かな?

 

社務所で、御朱印と由緒書きをいただきました

小石神社の由緒  主祭神 素戔嗚尊

古き昔より上野国勢多郡の橘山に疫病除のご神徳がある天王石と呼ばれた御霊石があった。この御霊石は悪疫が流行したに喪チョコまれ、様々な病から人々を救ったといわれているが、村々を転々とした後、江戸時代の後期に前橋市横山町の路傍で風雨に曝されていたのを、地元の篤信家たちによって八坂神社に祀られる事となった。町の人たちは『おてんのさま』として親しまれ、その後明治四十年にしないの琴平宮と白山神社を合祀した際に小石神社と改称された。~中略~昭和四十六年に敷島公園内の此の地に遷座され、その後は敷島町・緑が丘町の歴史と共に歩んできており、今では両町内の氏神様・鎮守様として親しまれている。なお旧鎮座地であるスズランデパート屋上には、現在でも分社が祀られている。

 

歌碑の「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」は、素戔嗚尊の歌でした。

主祭神は素戔嗚尊なのです。

 

社務所のそばが正面の鳥居でした。

 

さて、鳥居を出ると、バラ園の駐車場が見えます。

なあんだ、まっすぐ歩いてくればよかったんだ

 

バラ園に戻ります。

さすがに、もう剪定が終わってます。

久しぶりのバラ園ですけど、薔薇なしです。

かろうじて、フンスに、小輪のつるバラが咲いています。

また、薔薇の季節に来ましょう

わりとすんなり来る道を見付けたので

 

 

 

 

 

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一里の渡しのとんび石

2020-12-01 15:04:45 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ます。

あ、雪化粧した浅間山です

手前の白い物体は、ワラロールにカバーを掛けたものです。

サイロを使わない、飼料用稲わらの保存方法です。

 

ひめちゃん達は、諏訪神社の向こうの高台を目指します。

ひめちゃんちょっと不安です。

大丈夫だよ、子供達の通学時間は過ぎてるよ

高台の向こうに浅間山です。

大丈夫だね、安心したわ

高台の中央から、ブロッコリー畑を廻ってUターンです。

ブロッコリー大好きの獅子丸は、これ以上ブロッコリーに近づけないように気をつけなければなりません。

食いつく心配があります

雪化粧した浅間山と榛名山がよく見えます

 

 

11月23日、上細井の信号から県道76号線で、榛名山を背に、東に帰ります。

 

ほどなく、市立前橋高校の向かい側に、史跡「鳶石(とんびいし)」があります。

ちょっと失礼して、路上駐車です。

説明板もあります。

利根川は洪水のたびごとに流れを変えました。むかし利根川は橘山付近から赤城山の裾野をけずって東南の方向に流れていました。桃木川や広瀬川はそのなごりです。15世紀中頃、今の利根川の流れになりました。上細井の河岸段丘と南の前橋大地を舟で渡ったので「一里の渡し」とよばれ、船頭がこの「鳶石」に舟をつなぎ、また、がけの上の船頭山(古墳)は、休み場所であったちお伝えられています。

すると前の道は、利根川が流れていたんですか

ここは「一里の渡し」で、この石に舟をつないだのですか

 

ここは上細井町、旧勢多郡南橘村(みなみたちばなむら)ですね。

あの橘山の南が南橘村、北が北橘村ですね。

勢多郡北橘村は、平成の大合併で渋川市になりました。

勢多郡南橘村は、早々と昭和29年(1954)に前橋市に合併しています。

橘山、重要な山ですね

 

 

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