黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

蕨沢川物語・冬将軍に耐えて(八幡神社前のサザンカ園)

2021-01-25 15:56:03 | 群馬県・旧勢多郡

昨日の朝、ひめちゃんと小次郎パパは、初雪の中をお散歩です。

昼間には消えてしまった淡い雪でした。

今朝も、ひめちゃんは小次郎パパとお散歩です。

赤城山はまだ雪化粧しています。

帰り道、ミーナちゃんが待ってます

ひめちゃんは、「アタチの方が強いんだぞ、ワンワン

パパはシッポを振ってご挨拶です

バイバイ、またね

 

 

県道3号線が蕨沢川を横切る、「さがはし」です。

右折すると、膳(ぜん)八幡神社の方に行きます。

この橋の北側では、兎川(うさぎがわ)が蕨沢川に合流しています。

 

県道の南に、「砂防指定地蕨沢川」の地図があります。

南に上毛電鉄が走ります。

ちょうど電車が通過です

 

地図の現在地から川沿いに北上します。

 

今度の橋は「やはたはし」です

やはた、ん?

やはた、八幡かな?

この道の先には、膳(ぜん)の八幡神社があります

 

あれ、サザンカ保存園ですって

「どうぞご自由にお入り下さい」ですって

ここは、山上なのですか

膳八幡神社のすぐ前ですよ

旧新里村山上と旧粕川村膳の境界は複雑に入り組んでいるようです

 

とにかく、ちょっとお邪魔します

梅が咲き出しています

寒いけど、早春の風景に出会えました

 

サザンカと椿が植わっているようです

 

寒風に耐えて、頑張って咲いている花々です

この時期、ひめちゃんちの椿はほとんど寒さに縮こまって春を待ってます。

思いがけず、冬将軍に耐えて咲いている花々に出会えました

 

まもなく、膳八幡神社です。

『桐生老談記』によると、膳氏は山上の諏訪神社から桐生氏打倒を目指して出撃したそうです。

膳には、八幡神社があるのに

 

参拝していきましょう

拝殿には消毒液が用意されています

でも、鈴を鳴らさずに鳴らしたつもりで、2礼2拍1礼で参拝です

 

 

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滝沢不動尊参道の乳母石

2021-01-23 14:04:28 | 群馬県・旧勢多郡

朝、ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

堀之内の出口にあるミニカーのサーキット場には、もう埼玉ナンバーの車が止まっています

雨予報だけど、レース予定なのかな?

ひめちゃんたちは、久しぶりに岩神沼に行きます。

 

あ、白い大きな鳥がいる

カモさんも悠然と泳いでいます。

本当にお久しぶりのシラサギです

今までで一番大きいような。

あ、飛んで行っちゃった。

赤城山は、雪が降ってるのかな?

ひめちゃんは空を見上げています

シラサギさん、戻ってきました

忘れ物かな?

まもなく再び飛び去ります。

ポツポツ、雨粒が落ち始めました

さあ、早く帰りましょう

 

 

 

大前田からの帰り、赤城南面を適当に東に帰ります。

あれ、見たことある三叉路に出ました。

この右の道には、確か乳母石なるものがあるはずです。

左の道は何度も通ってますけど、右はめったに通りません。

行ってみましょう。

あれ、大きな灯籠があります。

いつもは全く気にならずに通り過ぎるのですけど、ちょっと確認です。

文字が見えます。

「滝沢不動尊」ですって

文政十丁亥(ひのとい)年かな?

文政十年(1827)、滝沢不動尊の管理は(新里村)関の龍興寺(りゅうこうじ)がやってますね。

そうすると、龍興寺からの参詣の一行は、関の摩崖仏を通って、ここを通って、粕川沿いに登って行ったのでしょうか?

右の道は、滝沢不動尊の参詣ルートだったのです

ここは滝沢不動尊の参道なのです

 

 

右の道を行ってまもなく、「前橋市苗ヶ島町の七つ石 平釜石」です。

由緒等はありません

 

 

もう少し行くと、史跡・乳母石です。

人間の背丈ほどの巨石です。

説明板がありますけど、文字が全くありません。

石の上には、石造物が見えます。

まさか登って見るわけにも行かず、手を伸ばして撮影します。

道の文字がありそうです。

いろいろ検索すると、この石は子どもの夜泣きを鎮める霊験あらたかな石だそうです。

とりあえず、合掌

 

 

そのまま北上して国道353号線を右折、東に帰ります。

途中、旧粕川村の直売所跡の大きな案内図を確認です。

滝沢不動尊の参道は、千本桜のちょっと下になります。

かつては、ほぼまっすぐに上る道があったのでしょう

意外なところで、滝沢不動尊の参道に出会えました。

滝沢不動尊のご開帳は、1月1日と5月5日ということです。

そのうちに、ご開帳の日に行けたらいいな

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史跡を通って「風の広場おおまえだ」に行こう(大前田紀行5)

2021-01-22 15:16:14 | 群馬県・旧勢多郡

今朝、ひめちゃんは小次郎パパと、第一陣で堀之内の北を廻ってきました。

獅子丸はタバサねーちゃんと、出かけたはずですけど、なかなか戻りません。

どうしたかな、心配していると、元気に帰ってきました

朝ご飯が心配で、飛ぶように帰ります。

大丈夫だよ

みんな待ってたから、これから配るよ

 

 

ひめちゃんちでは、みんな野菜が大好きです。

晩ご飯には、キャベツか白菜がいつも付きます。

そうだ、「風の広場おおまえだ」に、野菜を買いに行こう

この間、確認できなかった史跡を確認しながら。

 

諏訪神社にあった、大前田地区の文化財案内、凝灰岩石仏と大前田内出砦趾を確認してから、行きましょう

 

県道3号線を込皆戸(こみかいと)で右折、北に上ります。

しばらく行って、目印の郵便ポスト先の交差点を左折します。

 

ありました

 

 

ここは、墓地の一角だったかな?

それなりに守られてきたのでしょう。

 

次は、大前田内出砦趾を目指します。

神社にあった案内にはしっかり縄張り図が書かれています。

内出(うちで)とは、検索しても出てきません。

砦(とりで)の類語で、小さな砦の意味かな?

 

凝灰岩石仏を東に戻り、交差点過ぎて道なりに行くと、内出牧場です

ここら辺のはずですけど、史跡のポールなどはありません

遺構は、もう何もないようです。

でも、地名として残ったのですね

 

 

さて、「風の広場おおまえだ」に行きます

 

県道102号線沿いにあります。

落ち着いた雰囲気です。

入り口と出口が別です。

密ではないけれど、それなりに人が次々やって来ています。

白菜120円、キャベツ100円をゲット

みんなの晩ご飯にいっぱいつきます

人間用にノリ餅とリンゴも買います。

合計でも1000円以下だったと思います。

 

駐車場に戻ると、赤城山が目の前に迫ります。

真ん前だ

 

右を見ると、「お昼山」が見えます

正式名称は分かりませんけど、新田(にった)の方ではお昼になると、とがった峯の真ん中に筋が出ると言われています。

時計がなくとも、お昼になったのがわかったそうです。

足尾の山かな?

ひめちゃんちの堀之内からは見えません。

 

お昼山は、けっこうあちこちで目に付きます。

そのうちに、お昼山特集(お昼山のなぞ)をしてみましょうか?

 

赤城山目指して、県道102号線を行ってみましょう。

適当なところで、進路を東にとって帰りましょう

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大前田の世良田薬師(大前田紀行4)

2021-01-21 15:59:56 | 群馬県・旧勢多郡

今朝、ひめちゃんは小次郎パパとお散歩に出ました。

諏訪神社でも廻ってこようか。

浅間山が真っ白だね

 

あれ、ちょうど小学生の集団登校に遭遇してしまいました

急いで、脇道に避難です。

ひめちゃんは、何故か子どもが苦手です。

行っちゃたよね

あれ、又来る

今度こそ、行っちゃったよね

結局、脇道の天神田を歩いて帰ります

背筋を伸ばして、さっそうと朝日の中を帰ります

 

 

 

大前田諏訪神社から、世良田薬師に廻ります。

大前田に世良田薬師、なぜここに世良田があるの?

新田郡世良田村出身のひめちゃんちのおかあさんには、ちょっと不可解です。

 

凝灰岩製の阿弥陀如来があるのですね。

笠懸天神山産の凝灰岩製、鎌倉時代後期の造立とあります。

本像は、鎌倉時代後期頃には当地域に浄土教信仰が流行していたことを示すと同時に、県内に残されている凝灰岩石仏の中でも極めて遺存状態が良好なことから、造立以降当地の人々により手厚く保護されてきたことを示しています。

鎌倉時代後期頃には浄土教信仰が流行していたんですね

 

阿弥陀像は、あのお堂の中です。

 

参道には、たくさんの石仏です。

赤城塔(宝塔)もたくさんあります。

 

さて、格子の隙間から参拝です。

合掌

ちょっと失礼します。

時間の関係か、日射しが強くて、阿弥陀様のお姿ははっきり拝めません。

でも確かに保存状態がいいです

 

さて、境内の散策を続けましょう。

庚申塔もいっぱいです。

しだれ桜の下には、大きなお地蔵様です。

お首は、付け直しかな

 

隣は、薬壺を持った薬師様です。

細工信州摠助、もしかして高遠石工の作かな?

 

馬頭観音の皆様です。

頭上のお馬さん、かわいい

 

こちらは本格的な、三面六臂の馬頭観音です。

こちらも高遠石工の作かな?

どこかで、よく似た馬頭観音に出会ったことがあります

 

とにかく、たくさんの石仏です。

 

夜泣石もあります。

「大前田夜泣き伝説の石」とあります。

どんな伝説か、説明があるといいなあ。

 

最初大前田の世良田には、なんとなく抵抗がありました。

でも、ここはしっかり世良田のパワースポットです

地名の由来が気にはなりますけど。

 

さあさ、常広寺に急ぎましょう。

ひめちゃんちのお墓は、事情があって、昨年の暮れから常広寺の内墓地にお引っ越ししました。

お墓のお花を取り替えて、開基本橋院殿供養塔のお花も取り替えます。

あれ、供養塔隣の六地蔵はマスクしてる

赤いマスクです。

赤いマスクの六地蔵初めてです

御利益あるかな?

 

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新春の大前田諏訪神社(大前田紀行3)

2021-01-19 14:50:45 | 群馬県・旧勢多郡

寒すぎる朝です

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内をちょっとだけ北の方に出て、歩いてきました。

 

堀之内から赤城山はほとんど見えません。

吹雪いているようです。

高縄の何故か氷が張っている田んぼを通ります。

やはり、赤城山は吹雪いています。

おや、2人とも何かを発見したようです。

視線の先には、ラッキーくんでした

お久しぶり

ラッキーくんは、蕨沢川一番目の橋「久留美田橋」の近くに住んでいるのです。

獅子丸は、「ワンワン、ボクの方が強いんだぞ

大人のラッキーは、無言です

バイバイ、またね

 

 

 

大前田英五郎の墓の後、大前田諏訪神社に向かいます。

諏訪神社の後、世良田薬師を通って山上に出て、本来の目的地・常広寺に寄りましょう

 

鳥居の右前方に宮城の文化財(大前田地区)の案内があります。

鳥居から参拝です。

 

おや、鳥居の脇に気になるポールがあります

「大前田学校跡、東福寺跡」ですって

ここには、お寺があって、たぶん明治の廃仏毀釈の嵐の中で廃寺になり、そして学校になったんですね。

「南勢多郡の廃寺」(勢多中部仏教会)には、大前田地区の廃寺は掲載されていません。

忘れられた廃寺がたくさんありそうです。

でも東福寺は地域の記憶として、あった事が記憶されているのです

 

鳥居脇に、諏訪神社の獅子舞の説明板です。

西原の下の諏訪神社から、獅子頭(ししがしら)が飛んできたんですか

大前田の西原は、地図を見ると、先ほどの地蔵菩薩石像の南西の辺りです。

西風や北風で自然と飛ばされては来ない方角です。

意図的に飛んできたんですね

 

さてさて、「諏訪大明神」の鳥居をくぐります。

お正月らしく、元気な幟がいっぱい立ってます

 

左にはいくつもの石造物です。

 

拝殿前には、力強そうな狛犬です。

こんなに大きな口を開いた狛犬は、めったになさそうです。

獅子鼻というけれど、りっぱな鼻です

後ろに例の獅子頭がしまわれているのかな?

 

鈴を鳴らさずに、鳴らしたつもりで2礼2拍1礼です。

 

拝殿左に、八幡宮→があります。

由緒等はありません。

でも、氏子の人々にとっては、こだわりのある八幡宮なのでしょう。

 

本殿も彩色の残るこだわりの社殿です。

 

社殿の周りを一周してきました。

 

きれいに清められて参拝を受け入れてくれる、大前田諏訪神社でした

 

 

 

 

 

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