先日、予告をいたしましたように30日~31日にかけ、福島県郡山市(ビックパレットふくしま:川内村災害災害対策本部設置場所兼仮設住宅地)、岳温泉近くの民間放射線測定所、Jビレッジ(東京電力発電所前線本部)、楢葉町警戒区域内に全国災害ボランティア議員連盟からの研修の案内を受け参加させていただきました。
2日間に渡るハードな行程となりましたが、参加議員の皆様は、福島のこれから、日本のこれからを考えながらの帰宅だったのではないかと思います。
さて、話しが長くなりますので、ブログには、4分割程度にして掲載させていただきたいと思います。
また、Jビレッジの内の撮影をしてはいますが、作業に従事されている個人の肖像権等の問題もあり、ネット上には当たり障りのない画像のみを掲載することをお許しください。
なお、詳細については、5日(ウッディタウン市民センター:午前10時~会議室)と18日(ゆりのき台コミュニティハウス研修室)に開催される「わらじミーティング」でもご報告させていただきますので、ご関心のある方はお越しください。
『ビックパレットでの川内村長の話し』
ビックパレットについたのが、郡山駅を出て12時30分ごろ。ビックパレットは、郡山市の誇る競技場のことを言います。
福島原発が事故に遭い、川内村の住民が最終的に緊急避難した場所がここでした。
31日の夕方に「帰村宣言」をした遠藤村長からもお忙しい時間帯にもかかわらず、災ボラ議員連盟のために時間を割いてくださいました。
「帰村宣言」は、これまでの住民との話し合いの中で、出てきた流れであり、放射能に対する汚染が未だに消えていない中で、「帰りたい希望のある方のみ帰る」という帰村の方法を採っています。
4月から学校や役場の再開をしたいとのことでしたが、大雪などで除染が進んでいない中で工程が遅れる可能性もあります。
画像は、ビッグパレットの入場口に近いところに設置されている山内町の防災対策本部です。
このビッグパレトが何故選ばれたのか?村長曰く「兼ねてから広大な駐車場があり、仮設住宅や駐車場が確保できる場所は、ここしか思い浮かばなかった」とも言います。
原発事故で避難勧告に次ぐ勧告。「それも、報道陣が村から先に撤退したのです。私の耳に入ったのはもっと後」だそうで、これも緊急時の課題です。
仮設住宅には、川内村の住民319人と富岡町などの住民が住んでいます。車椅子でも玄関口まで誘導できるようにスロープがついていました。
しかし、仮設住宅は、写真のように風よけはしていますが、床下からの冷気で床が冷えるようです。
住民の方々との意見交換する余裕は私たちにはなく、次の目的地に出発しましたが、仮設住宅内でも住民の自主運営による生活用品販売店が、開始されていました。これも地域コミュニティ再生に向け、一歩前進なのかも知れません。
川内村は、比較的放射線量が低く、除染が進めば住めるまちにできるとの思いは分かります。
ふるさとを誰でだってそう簡単に失いたくはありません。
川内村は、総面積19,783ヘクタール中の約87%が山林であり、住宅地が約8%、田畑は、5%程度です。
除染は、住宅地では勧められるとは思いますが、村長さんが言うように田畑の表土を剥ぐと作物は出来ないことやさらに山林などの除染方法については、おそらく現状のままだと思われます。
改めて、除染作業の難しさを感じてしまいます。
警戒区域もある中での帰村宣言。元の生活に・・・・。と言う熱い思いと現実的な課題。本当にふるさとは戻るのか?
村長さんのとった判断は、現状の村民の感情からすると間違ってはいないと思いますし、国もその方向を指示しています。
ただ、やはり複雑な気持ちが最後まで残りました。
2日間に渡るハードな行程となりましたが、参加議員の皆様は、福島のこれから、日本のこれからを考えながらの帰宅だったのではないかと思います。
さて、話しが長くなりますので、ブログには、4分割程度にして掲載させていただきたいと思います。
また、Jビレッジの内の撮影をしてはいますが、作業に従事されている個人の肖像権等の問題もあり、ネット上には当たり障りのない画像のみを掲載することをお許しください。
なお、詳細については、5日(ウッディタウン市民センター:午前10時~会議室)と18日(ゆりのき台コミュニティハウス研修室)に開催される「わらじミーティング」でもご報告させていただきますので、ご関心のある方はお越しください。
『ビックパレットでの川内村長の話し』
ビックパレットについたのが、郡山駅を出て12時30分ごろ。ビックパレットは、郡山市の誇る競技場のことを言います。
福島原発が事故に遭い、川内村の住民が最終的に緊急避難した場所がここでした。
31日の夕方に「帰村宣言」をした遠藤村長からもお忙しい時間帯にもかかわらず、災ボラ議員連盟のために時間を割いてくださいました。
「帰村宣言」は、これまでの住民との話し合いの中で、出てきた流れであり、放射能に対する汚染が未だに消えていない中で、「帰りたい希望のある方のみ帰る」という帰村の方法を採っています。
4月から学校や役場の再開をしたいとのことでしたが、大雪などで除染が進んでいない中で工程が遅れる可能性もあります。
画像は、ビッグパレットの入場口に近いところに設置されている山内町の防災対策本部です。
このビッグパレトが何故選ばれたのか?村長曰く「兼ねてから広大な駐車場があり、仮設住宅や駐車場が確保できる場所は、ここしか思い浮かばなかった」とも言います。
原発事故で避難勧告に次ぐ勧告。「それも、報道陣が村から先に撤退したのです。私の耳に入ったのはもっと後」だそうで、これも緊急時の課題です。
仮設住宅には、川内村の住民319人と富岡町などの住民が住んでいます。車椅子でも玄関口まで誘導できるようにスロープがついていました。
しかし、仮設住宅は、写真のように風よけはしていますが、床下からの冷気で床が冷えるようです。
住民の方々との意見交換する余裕は私たちにはなく、次の目的地に出発しましたが、仮設住宅内でも住民の自主運営による生活用品販売店が、開始されていました。これも地域コミュニティ再生に向け、一歩前進なのかも知れません。
川内村は、比較的放射線量が低く、除染が進めば住めるまちにできるとの思いは分かります。
ふるさとを誰でだってそう簡単に失いたくはありません。
川内村は、総面積19,783ヘクタール中の約87%が山林であり、住宅地が約8%、田畑は、5%程度です。
除染は、住宅地では勧められるとは思いますが、村長さんが言うように田畑の表土を剥ぐと作物は出来ないことやさらに山林などの除染方法については、おそらく現状のままだと思われます。
改めて、除染作業の難しさを感じてしまいます。
警戒区域もある中での帰村宣言。元の生活に・・・・。と言う熱い思いと現実的な課題。本当にふるさとは戻るのか?
村長さんのとった判断は、現状の村民の感情からすると間違ってはいないと思いますし、国もその方向を指示しています。
ただ、やはり複雑な気持ちが最後まで残りました。