8月6日は、広島に原爆が投下されてから79年の日となりました。
昨日、議会が終わり市役所1階に降りると、ロビーで原爆写真展が開催されていました。
そういえば、昨年も開催されており、展示物を見た記憶があります。
展示物は、毎年同じ内容ですが、いつ見ても心打たれる写真が展示されています。
ご覧の写真は、説明書きにもあるように、幼児をおぶった小学生が、火葬されている現場を見つめている写真です。
見つめている先には、背中の弟をこれから焼かなければならない、喪失感が現れています。
(先日の投稿では、おそらく両親が焼かれていると表現しましたが、背中の弟でした。お詫びして訂正いたします)
この1枚の写真からも、大量破壊兵器(原爆)の酷さを知ることができます。
この写真は、三田市立学園小学校の児童が書いた新聞です。
鶉野飛行場から沖縄に向けて特攻隊が飛び立ったことを調べた記事です。
特攻隊については、これまで数々の映画、物語などでも描かれており、いまさら述べることはありませんが、青年が「お国のため」と言いながら、命を散らして行った現実を私たちは、次の世代に継承しなければなりません。
昨日、議会が終わり市役所1階に降りると、ロビーで原爆写真展が開催されていました。
そういえば、昨年も開催されており、展示物を見た記憶があります。
展示物は、毎年同じ内容ですが、いつ見ても心打たれる写真が展示されています。
ご覧の写真は、説明書きにもあるように、幼児をおぶった小学生が、火葬されている現場を見つめている写真です。
見つめている先には、背中の弟をこれから焼かなければならない、喪失感が現れています。
(先日の投稿では、おそらく両親が焼かれていると表現しましたが、背中の弟でした。お詫びして訂正いたします)
この1枚の写真からも、大量破壊兵器(原爆)の酷さを知ることができます。
この写真は、三田市立学園小学校の児童が書いた新聞です。
鶉野飛行場から沖縄に向けて特攻隊が飛び立ったことを調べた記事です。
特攻隊については、これまで数々の映画、物語などでも描かれており、いまさら述べることはありませんが、青年が「お国のため」と言いながら、命を散らして行った現実を私たちは、次の世代に継承しなければなりません。
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