明日をも知れぬ戦国武将だが、後嗣を得る得ないで、その後の家の興亡がかなり変わってくる。
毛利、北条は良き後継者を出した。
それで家も数代安泰だった。
しかし、織田、豊臣は後嗣に恵まれなかった。
そこで程なく滅んだ。
そのことを知っていた家康は、子の資質に頼らない集団指導体制とした。
スタッフを中心とする近代政府の原型ともいえる。
しかし、優れた子を育てる意思と環境は現代でも重要である。
子供の育成ということを無視した、男女共同参画という政策は家族の崩壊、国家の崩壊を目指しているとしか思えない。
改めるべきである。
木枯らしやいずく異郷の旅のみち 素閑
凩のすり剥けたるや膝頭 素閑
ことのほか蒸したる饅頭木枯らしや 素閑
木枯らしや厳父慈母と言い習し 素閑
良寛もさぞ寒きなれ木枯らしや 素閑
木枯らしや原に置き去れふるぐるま 素閑
木枯らしや吹いて行く先走り追い 素閑
凩やさても帽子を押さえたり 素閑
野を抜けて木枯らしの林鳴りにけり 素閑
曾良ともに木枯らしの野を吠えにけり 素閑
裾まかれ木枯らしの野に一人立ち 素閑
木枯らしの負うに耐えざる借財や 素閑