雪の便りが次々に届いている。
今年の冬は暖冬だと思っていたら、とんでもない寒さがやってきた。
雪も例年よりも多いだろう。
とは言ってもまだ12月も中盤ではあるがまだクリスマス前だ。
スキーをするにしてもどこのスキー場でも十分な雪があるわけではない。
正月休みを待たなければ、スキーどこでもOKにはならないだろう。
しかし昔は「ドカ雪」という言葉があった。
豪雪のことである。
ドカ雪は雪国の日常生活を悩ませるばかりではなく、冬山を目指す登山家にとっても恐ろしいものである。
体力も装備も食糧も十分であっても、一発のドカ雪で行動不能になってしまうことなど昔はよくあった。
特に雪深い剣・立山・後立・上越方面ではドカ雪の影響による遭難事故が多発したことがある。
そのドカ雪に備えて、旧式の登山家は「デポ」というのを秋の雪のない時期にやっていた。
行動不能や登山の日程が長引くことに備えて、前もって行程の途中に食料や燃料を置いておくことである。
もちろん豪雪を予測してだから、山小屋の中に置いたり、高い木に荷物を括り付けておくのである。
装備も軽量化し、食料もフリーズドライなど軽量なものが発達した現代の登山ではこんなことはやらないであろう。
嗚呼、昭和は遠くなりにけり、である。
仲冬の豊かなる老ひ日々ありて 素閑
冬最中時の人なる漫才師 素閑
冬半ば楢林うつ灰色や 素閑
廃屋を取り壊す町冬半ば 素閑
冬半ば疎林を抜ける細道や 素閑
仲冬の朝日に喪中の札のあり 素閑
こごまりて古紙焼ける冬半ば 素閑
稜々と白き山立つ冬半ば 素閑
冬半ば茶柱立つと朝の妻 素閑
筆置きて日の射す窓や冬半ば 素閑
すぐそこに正月を迎えたと思ったら、あっという間に暮である。
本当に、老いると時の過ぎるのが早い。
年々言っていることである。
しかし、今年は特にその念が強い。
かーたんの病気など色々あった。
その対応で、あっという間に時が過ぎてしまった。
心理的な反応であろう。
物理的には時間の経過は一定である(現在の地球上での場合。特殊な場合を除いて・・・)
まぁ、後はお迎えが来るのを待つだけである。
しゃくゎいなべ日の暮れ時に通り過ぎ 素閑
社会鍋喇叭のコートの毛玉かな 素閑
百円を惜しと社会鍋入れぬるか 素閑
広辺の恵みにあづかり社会鍋 素閑
社会鍋屋台の釣りを寄進せむ 素閑
社会鍋レプタを入れたやもめかな 素閑
社会鍋中央線にて帰りけり 素閑
社会鍋辻の屋台にもう一軒 素閑
社会鍋しゃかいのそこに棲みけるや 素閑
社会鍋山奥暮らしのいもふとや 素閑