新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

お宅コメントへの私コメント

2021-12-30 10:38:46 | 滅ぼし合う対立物の統一

お宅コメントへの私コメント

以下のお宅コメントへのコメントは一言で書くなら~
それらは、全てお宅の妄想に次ぐ妄想の結果です。



▼ コメント ────

・コメントが届いた記事
「武道」について…

・コメントを書いた人
ドゥルガー




>・コメント
>自由びとさんの心情としてご自分が学んでいるものや所属している団体を一足飛びに擁護したいのは理解できますが…。


私コメント~
これは、お宅の事実誤認でしょうね…
確かに過去に所属していた団体ですが…
今・現在は「所属している団体」ではありません。
私は、ただただ「武道の定義」に納得できているから取り上げたのです。
それに、お宅のような誤解・誤読する者が多いようなので…


>一応、そうした心情は置いておいて南郷さんが実際に書いて世に問うたものの価値というものを真面目に考えてみることも意味のあることだと思われますね。

私コメント~
お宅にとっての「価値」と私の「価値」の中身には相違があるでし…
お宅の「価値」が多くの人々の「価値」と一致するとは思えませんが…

また、「お宅の真面目に」と「私の真面目」の中身も雲泥の差かあるようだし…
このように誤解・誤読の多いお宅の真面目は、私の真面目ではありません!



>自由びとさんが言ってる「自分に自信をつけるための武道」というのは、おそらくは「現代武道」として南郷さんが否定したものと同じ考え方でしょう。


私コメント
「自由びとさんが言って」いません・書いていません!
これはお宅の誤解・誤読です。

「私にとっての武道」と「武道の定義」は違います。
「武道体得」を目的に頑張った、私の結果が「自信」なのです。
武道の定義の従って、武術修業・武道修行した結果が私の自信なのです。

南郷氏の否定しているのは、「現代武道」ではなく、
現代の「武道の捉え方・修得過程」ですよ。
これも誤解・誤読ですね。


>南郷さんが「現代武道批判」ということで「スポーツでもなければ人格陶冶でもない武道」というのは、南郷さんが具体的に挙げている事例を検討していけば自ずから見えて来るように思います。

私コメント
お宅~南郷氏の「現代武道批判」を理解できていませんね。
武道をスポーツ・人格陶冶的にするのは個人の自由です。
それでも「武道の定義」としては、武道はスポーツでも、人格陶冶でもない…という事です。

これは「本来の武道の目的」と「自己の武道の目的」の相違ですね。
ハサミは「モノを切る」為に作られたモノですが…
目的として、人を傷つける為にも使用可能です。

だから…「武道の定義」に従って武道を体得できても、
何も「生命を賭けた勝負」をする必要はありません。



>南郷さんが武道を説くに挙げている事例は「西部劇のガンマン」だとか「浅沼稲次郎暗殺事件」だとか「戦場」だとか「死刑囚」だとか「宮本武蔵」や「大菩薩峠の机竜之介」や「千葉周作」「清水の次郎長」「新撰組」といった本当に人が生命を失っていた時代の生命を失った事例ばかりなんです。

私コメント
だから…何なの?


>そして、生命がかかっていない勝負の中からは「五輪書」や「兵法家伝書」のような極意は生まれてこないと説いていたように記憶していますね。

私コメント~
だから何?



>ですから少なくとも南郷さんの頭の中では本当に負けたら命を失うような勝負の世界が思い描かれていたのだと思いますし、それは道場での習慣化された稽古(日常性)にではなく暴漢に襲われる(非日常性)などの事例を想定していたと思われます。

私コメント~
それで?



>それを考えたなら、ケガしないように防具をつけた組手だとか、個人個人に合わせた上達論的試合なんてものは全く生命に関わりませんから命懸けなんかではありません。

私コメント~
お宅は、「武道の理論」の「創ると使う」が、全く分かっていませんね。
自動車教習所で、安全に運転を習ったとしても、
現実の道路では、死にそうな事故にあいそうになります。
運転実技を習得したなら、事故を想定した運転も必要となります。

だから…武道は(修業ではなく)修行なのです。
現実の死を想定して、それをどれだけ本物・事実だと思える訓練して、
それでも平常心の維持が…

お宅って…小学校の避難訓練を馬鹿にしている不真面目小学生レベルですね。
そうそう…一人だけ避難訓練中に、
「先生…『怖い』…」と真剣に怖がっていた一年生男子児童がいましたが…
全ての児童が、その子レベルの恐怖で避難訓練ができれば…
本物の火事・地震…災害があっても安心なのですが…




>南郷さんが説いたような「現代武道ではなく歴史的な武道」といったなら、間違いなく日本では実際に剣術を用いて相手の生命を奪っていた時代がありますし、生命がかかっていたのでしょうが、それを復活させる必然性があるのは警察官や自衛官、要人警護などの実際に仕事中に殺される可能性があって家族に「殉職したときは覚悟しているように」と伝えている者たちだと思います。

私コメント

お宅は現代社会を分かっていません。
最近、一般人が通勤・通学・買い物移動中に電車内で殺されたり、死にそうな目にあっています。
それでも…一般人でも「死を覚悟」が可能な自己認識の創像を不要だと思いますか?!


>つまりは「プロフェッショナル」の場合であって、趣味でやってる人間に生命なんかかかっていない、と。


私コメント…

お宅の「プロフェショナル」って趣味でやれるの???
私は「プロフェショナル」とは、
それを仕事にして稼ぐ人だと思っていますが…

私は、趣味で武道をやっている・教えている場合は、
「プロフェショナル」だとは思いません!

もっとも…
スポーツ的武道や健康・体操的武道の「プロフェショナル」なら勿論「死の覚悟」は不要ですがね。


自由びとからお宅への忠告!

お宅は南郷氏の著書は読まない方が無難ですよ。
私からみれば、全く南郷氏の伝えたい事が理解できていない…
なのに…理解している・分かっている…と思い込んでいる。
そんなお宅には、私へのコメントも南郷批判も時間の無駄使いですよ!




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