2013年03月16日
今度こそ!は、本当に本当の本当である本当のところの真の<悟得>だ!by 狼少年?なの?
昨日から一夜明けた今日
私は昨日と同じ私である…今のところは…
去年までは、今日には昨日の悟りの記憶が残っていても、
その悟りの感情は湧き上がって来なかったのです。
では、今回の今日も昨日も変らないその感情とは…
昨日ここのブログを書き終わって色々な想念が頭脳を過ぎっていった。
その結果~私は洗面所の鏡の前で、鏡に映る私を見た。
その私は、大粒の涙を流しながら、なんと笑いながら泣いている、泣きながら
笑っている、のであった。
そんな~私の顔を私は発見したのである。
この顔、この姿を感動と言わずに何を感動と言うのだろう~
まさしく<驚愕>的感動なのだろう~
…そう言えば、
似たような感情の私、鏡の中の私を、過去に何回か見た事を昨日想い出したのである。
ただし…どれも、私が変になっていた時の事なのだが…
しかし…今回の今日は違っていた~
今の認識を言語表現するならば…
「One for all」「All for one」
「我即宇宙」「宇宙即我」
「ひとつ=全て」「全て=ひとつ」~
では、私的言語表現では?と言うと!以下です。
「全ての人は、その人なりの、その人にとっての真理を語っている。
その全ての人々の語る真理を自分の心と頭と体の三位一体として、
自己化できた時、それが唯一の真理となるのだろう~」息子が古本屋で買って来た
『名探偵コナン』は言っている~「真実はひとつ」と…
そう驚愕の事実は「ひとつ」なのであり、全ては「ひとつ」なのである…
では、今の私想い描いている「悟り」とは、「悟得」とは、何が!?
宗教的悟りとは、いうなれば心の悟り、である。
学問的悟りとは、いうなれば頭の悟り、である。
武道的悟りとは、心と体の悟り、である。
では、悟得とは何か?
それは~
学問的悟りと武道的悟りを一体化したもの、
即ち、心と頭と体の三位一体的悟り、という事が言えようかな…♪♪♪
現在の私の心境は、「自由びと即悟得者」、「悟得者即自由びと」
ネットの何処かで誰かが書いて問うていた~
悟った私は~何をすればよいのでしょうか?
今の私はこう答える~
己と同じ心境=境地に達した、そんな人間を育てなさい!創造しなさい!
今の悟得者の私の想いは以下です。
「鳶が鷹を産んだ」と言う故事?ことわざ?がある。
小学五年生の父親である私にとってのこれは~
「鷹になろうと、もがき苦しんでいる親鳶を、
目の当たりに見ていた子鳶が自然に、鷹に育ってしまった。」である。
これぞ~「精神の歴史の物語」なのだろう~
それは、親の精神の「生成・発展・衰退」の過程で、傍で成長している子供が、
子を産んだ時点の親の精神との相互規定的相互浸透的「正規分布的な(量質転
化的量質転化化の)過程」で「らせん的な発展過程」を量質転化化しつつ成長
してゆく~
↑これは~かなり論理的混乱を起こしているので、適当にアバウトに読み飛ばしね♪♪♪
その最終的ゴールとは、「One for all」「All for one」の境地と言う事ができよう。
人類全てが、この境地に達する事ができた時、誕生するのは、本能の殆ど無い
人類が、本能的猿と同レベルの共食い、共倒れの無い、社会を創造し、その事
で、地球が、地球船の乗船員全員の幸福が確保された理想状態になると言う事なのだろうか…
今度こそ!は、本当に本当の本当である本当のところの真の<悟得>だ!by 狼少年?なの?
昨日から一夜明けた今日
私は昨日と同じ私である…今のところは…
去年までは、今日には昨日の悟りの記憶が残っていても、
その悟りの感情は湧き上がって来なかったのです。
では、今回の今日も昨日も変らないその感情とは…
昨日ここのブログを書き終わって色々な想念が頭脳を過ぎっていった。
その結果~私は洗面所の鏡の前で、鏡に映る私を見た。
その私は、大粒の涙を流しながら、なんと笑いながら泣いている、泣きながら
笑っている、のであった。
そんな~私の顔を私は発見したのである。
この顔、この姿を感動と言わずに何を感動と言うのだろう~
まさしく<驚愕>的感動なのだろう~
…そう言えば、
似たような感情の私、鏡の中の私を、過去に何回か見た事を昨日想い出したのである。
ただし…どれも、私が変になっていた時の事なのだが…
しかし…今回の今日は違っていた~
今の認識を言語表現するならば…
「One for all」「All for one」
「我即宇宙」「宇宙即我」
「ひとつ=全て」「全て=ひとつ」~
では、私的言語表現では?と言うと!以下です。
「全ての人は、その人なりの、その人にとっての真理を語っている。
その全ての人々の語る真理を自分の心と頭と体の三位一体として、
自己化できた時、それが唯一の真理となるのだろう~」息子が古本屋で買って来た
『名探偵コナン』は言っている~「真実はひとつ」と…
そう驚愕の事実は「ひとつ」なのであり、全ては「ひとつ」なのである…
では、今の私想い描いている「悟り」とは、「悟得」とは、何が!?
宗教的悟りとは、いうなれば心の悟り、である。
学問的悟りとは、いうなれば頭の悟り、である。
武道的悟りとは、心と体の悟り、である。
では、悟得とは何か?
それは~
学問的悟りと武道的悟りを一体化したもの、
即ち、心と頭と体の三位一体的悟り、という事が言えようかな…♪♪♪
現在の私の心境は、「自由びと即悟得者」、「悟得者即自由びと」
ネットの何処かで誰かが書いて問うていた~
悟った私は~何をすればよいのでしょうか?
今の私はこう答える~
己と同じ心境=境地に達した、そんな人間を育てなさい!創造しなさい!
今の悟得者の私の想いは以下です。
「鳶が鷹を産んだ」と言う故事?ことわざ?がある。
小学五年生の父親である私にとってのこれは~
「鷹になろうと、もがき苦しんでいる親鳶を、
目の当たりに見ていた子鳶が自然に、鷹に育ってしまった。」である。
これぞ~「精神の歴史の物語」なのだろう~
それは、親の精神の「生成・発展・衰退」の過程で、傍で成長している子供が、
子を産んだ時点の親の精神との相互規定的相互浸透的「正規分布的な(量質転
化的量質転化化の)過程」で「らせん的な発展過程」を量質転化化しつつ成長
してゆく~
↑これは~かなり論理的混乱を起こしているので、適当にアバウトに読み飛ばしね♪♪♪
その最終的ゴールとは、「One for all」「All for one」の境地と言う事ができよう。
人類全てが、この境地に達する事ができた時、誕生するのは、本能の殆ど無い
人類が、本能的猿と同レベルの共食い、共倒れの無い、社会を創造し、その事
で、地球が、地球船の乗船員全員の幸福が確保された理想状態になると言う事なのだろうか…
旅のお供に南郷先生の『夢哲学原論』を持ってきたのですけど、相変わらず南郷先生の文章は要領を得ないというか(苦笑)。
「One for all, All for one」というのはラグビーのチームだとか一つの企業だとかを単位として考えるべきで、その境を無視した「全人類」なんてところに持ち込むと何らの現実的な成果を期待できない老害の妄想となってしまうようですよ。
>空海
>・コメント
>今日は東北を旅しています。
>旅のお供に南郷先生の『夢哲学原論』を持ってきたのですけど、相変わらず南郷先生の文章は要領を得ないというか(苦笑)。
↑
何と!独りよがりなコメント?!
その>「…要領を得ない…」とは、
単なる、お宅の「要領」と南郷氏の「要領」の相違なのに…
それに気付けないとは、本当に…と・ほ・ほ・…ですね!
>「One for all, All for one」というのはラグビーのチームだとか一つの企業だとかを単位として考えるべきで、その境を無視した「全人類」なんてところに持ち込むと何らの現実的な成果を期待できない老害の妄想となってしまうようですよ。
これも単なる「単位の大きさの違いでしょうに…
「人間の精神は人類のモノ、人類・絶対精神は人間のモノ」…
このように全体の措定レベルが、
お宅と南郷氏では、雲泥の差ですね。
こんな簡単な事に気付かずに…
小さな空海お宅の認識で考えるから…
相変わらず少しも進歩・成長できないのですね…
お宅の中身の無い言葉の羅列も
形式論理学的な形式を踏まえていることを、今回のたわいもない詰まらぬ返信から察することができました。
>本当に、相も変わらず、ですよ。
↑
空海お宅も、相変わらず、ですね。
>お宅の中身の無い言葉の羅列も
>形式論理学的な形式を踏まえていることを、今回のたわいもない詰まらぬ返信から察することができました。「
↑
お宅の求めているモノと南郷氏が伝えたいモノが違っている事~
その事にお宅が気付いていない!
または、気付いていても無視している!
そんなような事ですね!
詳説するなら以下です。
南郷氏は「桃太郎の繰り返し」的な「読書・学習過程の弁証法」を非常に重要視しています。
だから、南郷氏が、何かを説く時、いつも「そのモノ・コトの始まりから初めて説きます」
なので、お宅のように「弁証法を知っているから不要だ!」的な者には、
そんな何度も何度も…「要領を得ない」なんて感想なのです。
このような読者・お宅の目的と著者・南郷氏の目的意識の相違から、
それぞれの目的達成の為の要領に相違があるのは、当然なのです。
分かりますか上記の説明が…
これが以下の「形式論理学的論理的な形式」の中身ですよ!
↓
<単なる、お宅の「要領」と南郷氏の「要領」の相違なのに…>
<それに気付けないとは、本当に…と・ほ・ほ・…ですね!>
ここまで詳細に書かないと分からないなんて…
空海お宅は、南郷氏とお宅の目的意識の相違が、
大きく異なっている・異質である事が、全く分かっていない!
なのに、南郷氏の著書を読んで「要領を得ない」と分かって・納得している…
「分らない・分かってない!」のに「分っていると妄信している」…
これって、「無知の知」の真逆は「知識の無知」ですかね♪♪♪
いえ、全然わかっていません。というより、お宅が詳細に書いたということさえ分からないでいます。
あらためて聞きますけど、お宅は私に理解させようと詳細に書いたのですか?
他意も悪意もありませんが私にはお宅が重ねて文字を多く綴ったとしか分かりませんでした。
年齢を重ねて幼少期より選り好みが大きくなっていますから、自分好みの記述でないから見れども見えず、なのかな?なんて真面目に考え込んでしまいましたが、お気になさらずに。
>「自分好みの記述でないから見れども見えず、…」
↑
このようなら、
それは時間の無駄、視力の浪費ですよ!
どうか他所へ行って、
もっと…有意義な時を過ごして下さい。
それも一つの考えで、一つの選択肢ではありますね。
私はお宅が何処の誰だか分かりません。
そこから生じてくる感情や思考と、知っている人への感情は違いますね。
私は南郷学派の神庭さんとは面識があるのです。ですから『夢哲学原論』で神庭さんの署名で記載された文章には感じるところがありましたね。
お宅に言っても理解できないでしょうけどね
もっとも…「お宅の正しい」と「私の正しい」の一致は望めないでしょうから…
少なくとも、身の破滅を招くような選択だけは控える…事を祈っていますよ。
これに対する回答如何によって己れが試されるという精神的な緊張感はお宅には皆無でしょうけれどね。
>「身の破滅を招くような選択」というのは具体的には如何なることですか?
>これに対する回答如何によって己れが試されるという精神的な緊張感はお宅には皆無でしょうけれどね。
↑
お宅は誤解しているようですね!
この場合の「身の破滅を招く選択」とは、
お宅のこのコメント欄への選択如何なのです。
記事を書いている私の問題は、また別なのですよ。
従って、私が考えるべきは、私の選択であり、
それは、私事あり、お宅とは相対的独立なので…
お宅へ、一々具体的に回答する義務・必要はないと考えます。
そもそも…
試されているのは、このブログにコメントを寄越しているお宅なのですよ!
私が、「試されている」のではなく、
お宅が、「私にを試している」のですよ。
そんな簡単な、事実関係も理解不能な癖に…
「…精神的な緊張感…」なんて大袈裟事を…
また、現実的・事実的に考えるなら、
こんな個人ブログを誰が真剣に真面目に読むでしょうか?
もっとも…私は、常に真剣かつ真面目に書いていますが…