~モノ・コトを確り考える~
昨日、3校時に「3年生のプール補助」を頼まれた。
プールへ行ってみると、1年1組のK君が、出口付近でうずくまっていた。
近くの同僚・補助員に尋ねたら「着替えが遅く、中休み(15分間)に遊べなかった」。
私の開口は一番「残念~!」だった。
それに対して同僚は「やさしい~!」と…
私は思った「何故?同僚は私の言葉を『やさしい』と表現したのか?」と…
そして考えた「私は何故?『残念~!』と言ったのか?」と~
その男子K君は、15分間の中休みに、校庭で遊びたかった!
なのに…着替えをしていて、遊べなかった!
それは、
自分の思い通りにできる筈の中休み時間が、
結果的に想い通りにいかなかった…という事である。
その思い通りならない・遊べない現実を、
自分が、少し早く着替えられれば、思い通り・遊べる現実に変えられたのに…
そのような事を、やればできたのに気付かずに
やれなかった現実を「残念」と表現したのだろうか?
残念な事に、私は、そこまで思いも・考えもせず…「残念」と言った。
そう言えば、その男子は、普通の授業中でも、突然に問題行動を起こす事が多々ある。
そして、その理由が周囲には分かり難い事が多い。
特別支援学級の児童達の場合、
自閉症的な児童は、何かある(周囲には分かり難い事も多い)と「殻に閉じこもって」自閉的になる。
以前に勤務していた特別支援学級の男子は、体育の授業中に、校庭のその場で一時間位無言で蹲ったまだった事がある。
情緒障害の児童は、何かあると突然(周囲に分かり難い事も多い)
キレて暴れ出す・泣き出す・その場から走って逃げる…
昨日、授業中に突然(周囲には理由不明)、
N子―「Aと一緒に勉強したくない!」言い出した。
A子―「私もNと勉強したくない!と言ったら、
なんと…N子は、手にもっていた色鉛筆でA子を刺そうとした(らしい)
幸い、傍にいた同僚の補助員が止めに入って、大きな怪我はなかった(そうである)
ここでの問題は、
「自分の思い通りにならない事」が発生した時の
「自分の心・気持ちの処理の仕方」である、と私は考える。
プールの男子は、
「遊びたい…遊べない」⇒「遊びたい気持ち・心」と「遊べない現実」との対立・処理。
授業中のN子とA子の場合は、
「N子もA子も」、互いに「勉強したくない」なら、その場で分かれて、離れればいいだけ…
なのに…何故にN子は、「A子に、じゃ~別々に勉強しよう!」言わずに、「色鉛筆で刺そうとしたか」…
私は、その場にいなかったので、想像であるが…
このN子は、日頃から、
何か自分の気に入らない事・思い通りにいかない事があると、
何らかの問題行動を起こす。
その問題行動が強制的に制止させられると…その場から逃げ出す。
しばしば学校・校門からの脱走をも試みている…
例えば…今回の始まりだった
N子の「Aと一緒に勉強したくない!」に対して、
A子が「そんな事、言わないで…私は一緒に勉強したい!」と言ったら、
N子は多分「絶対に嫌だ!」
A子「しょうがない…私はあっちで勉強する」と答えれば…
N子の気持ち・心の感情問題は解決…
同じ低学年の児童に、上記のような言動を求めるのは至難である。
しかも…両児童が共に特別支援学級の在籍であれば当然でもあろう。
でも、通常級の児童なら、このような言動も可能な児童のいるだろうが…
上記のような互いに対等な関係での大喧嘩の結果、
互いの長所・短所が互いに理解できるようになり得る…という事もありえるだろう…
しかし、このN子の場合は、その結果、相手に与えるダメージ・大怪我が心配であるが…
実際に、過去に主任教諭が、
N子に腕を噛まれて歯形が残って保健室へ直行…という事態もあった。
自閉症児も情緒障害児も…その矛盾的な気持ち・心の処理の仕方の発達に問題・障害がある。
「気持ち・心はやりたい!」でも「現実はやってはダメ・できない!」という対立の処理の仕方。
「自分の心の世界では出来る・やれる!」のに
「現実・社会ではダメ・やれない!という対立の処理の方法。
これは「心と頭の一致・統一」でもあろうか?
理性と感性の統一・一致。
頭で心をコントロール。
心で頭を変える。
理性に合わせて、感性をコントロール。
感性に従って、頭・思考を変える。
感性的な自由の為になるように、思考を変化させる。
理性的な自由の為に、頭・思考で感性をコントロール
さて…さて…問題解決への道は続く~以下続編へ
昨日、3校時に「3年生のプール補助」を頼まれた。
プールへ行ってみると、1年1組のK君が、出口付近でうずくまっていた。
近くの同僚・補助員に尋ねたら「着替えが遅く、中休み(15分間)に遊べなかった」。
私の開口は一番「残念~!」だった。
それに対して同僚は「やさしい~!」と…
私は思った「何故?同僚は私の言葉を『やさしい』と表現したのか?」と…
そして考えた「私は何故?『残念~!』と言ったのか?」と~
その男子K君は、15分間の中休みに、校庭で遊びたかった!
なのに…着替えをしていて、遊べなかった!
それは、
自分の思い通りにできる筈の中休み時間が、
結果的に想い通りにいかなかった…という事である。
その思い通りならない・遊べない現実を、
自分が、少し早く着替えられれば、思い通り・遊べる現実に変えられたのに…
そのような事を、やればできたのに気付かずに
やれなかった現実を「残念」と表現したのだろうか?
残念な事に、私は、そこまで思いも・考えもせず…「残念」と言った。
そう言えば、その男子は、普通の授業中でも、突然に問題行動を起こす事が多々ある。
そして、その理由が周囲には分かり難い事が多い。
特別支援学級の児童達の場合、
自閉症的な児童は、何かある(周囲には分かり難い事も多い)と「殻に閉じこもって」自閉的になる。
以前に勤務していた特別支援学級の男子は、体育の授業中に、校庭のその場で一時間位無言で蹲ったまだった事がある。
情緒障害の児童は、何かあると突然(周囲に分かり難い事も多い)
キレて暴れ出す・泣き出す・その場から走って逃げる…
昨日、授業中に突然(周囲には理由不明)、
N子―「Aと一緒に勉強したくない!」言い出した。
A子―「私もNと勉強したくない!と言ったら、
なんと…N子は、手にもっていた色鉛筆でA子を刺そうとした(らしい)
幸い、傍にいた同僚の補助員が止めに入って、大きな怪我はなかった(そうである)
ここでの問題は、
「自分の思い通りにならない事」が発生した時の
「自分の心・気持ちの処理の仕方」である、と私は考える。
プールの男子は、
「遊びたい…遊べない」⇒「遊びたい気持ち・心」と「遊べない現実」との対立・処理。
授業中のN子とA子の場合は、
「N子もA子も」、互いに「勉強したくない」なら、その場で分かれて、離れればいいだけ…
なのに…何故にN子は、「A子に、じゃ~別々に勉強しよう!」言わずに、「色鉛筆で刺そうとしたか」…
私は、その場にいなかったので、想像であるが…
このN子は、日頃から、
何か自分の気に入らない事・思い通りにいかない事があると、
何らかの問題行動を起こす。
その問題行動が強制的に制止させられると…その場から逃げ出す。
しばしば学校・校門からの脱走をも試みている…
例えば…今回の始まりだった
N子の「Aと一緒に勉強したくない!」に対して、
A子が「そんな事、言わないで…私は一緒に勉強したい!」と言ったら、
N子は多分「絶対に嫌だ!」
A子「しょうがない…私はあっちで勉強する」と答えれば…
N子の気持ち・心の感情問題は解決…
同じ低学年の児童に、上記のような言動を求めるのは至難である。
しかも…両児童が共に特別支援学級の在籍であれば当然でもあろう。
でも、通常級の児童なら、このような言動も可能な児童のいるだろうが…
上記のような互いに対等な関係での大喧嘩の結果、
互いの長所・短所が互いに理解できるようになり得る…という事もありえるだろう…
しかし、このN子の場合は、その結果、相手に与えるダメージ・大怪我が心配であるが…
実際に、過去に主任教諭が、
N子に腕を噛まれて歯形が残って保健室へ直行…という事態もあった。
自閉症児も情緒障害児も…その矛盾的な気持ち・心の処理の仕方の発達に問題・障害がある。
「気持ち・心はやりたい!」でも「現実はやってはダメ・できない!」という対立の処理の仕方。
「自分の心の世界では出来る・やれる!」のに
「現実・社会ではダメ・やれない!という対立の処理の方法。
これは「心と頭の一致・統一」でもあろうか?
理性と感性の統一・一致。
頭で心をコントロール。
心で頭を変える。
理性に合わせて、感性をコントロール。
感性に従って、頭・思考を変える。
感性的な自由の為になるように、思考を変化させる。
理性的な自由の為に、頭・思考で感性をコントロール
さて…さて…問題解決への道は続く~以下続編へ