昨晩、ドラマ「ミッドナイトジャーナル」を視た。
新聞記者として誘拐犯について不確定な記事は書けない。
でも、一人の父親としては、多くの保護者が子供を守る為に、
不確定であっても、情報を新聞に掲載したい。
不確定な情報を記事にする事は、新聞と新聞社の信用に傷が付く、
という理由である。
ここに、新聞社の一員の立場と一人の父親の立場の葛藤がある。
この葛藤の解決法は、現代ならそう難しくない、のだろう。
その一つは、「誘拐犯の不確定情報」と明記しつつのネット公開であろう。
これは、組織人と家庭人の葛藤・矛盾の克服でもある。
人は様々な立場の自分を保持していきている。
一人の国民、組織の一員、家族の一員…
そこから数々の矛盾・葛藤が発生している。
その葛藤とは、どの立場の自分を優先するか、である。
国家の為に生きるか?
組織の為に生きるか?
家族の為に生きるか?
自分の為に生きるか?
別言するなら、
国家第一主義か?
組織第一主義か?
家庭第一主義か?
個人第一主義か?
人間は、人間として生きる為に生活していくモノ。
時に家庭人として、時に組織人として、時に国民の一人として…
それは、人間としての自分・人間第一主義であろう。
それを「国家第一主義」か「国民第一主義」か、
と二者択一の問い掛けは弁証法的ではない。
そもそも国家とは、全国民の社会生活の維持・発展の為の組織であろう。
全国民の社会生活第一であるべき「国家指導者の国家の為」とは、
常に「国民社会の為」を意識すべきモノであろう…
その一国の国家指導者が「国民・社会生活第一」を忘れる事は、
国家の危機的状況であると言い得る。
そして、一人一人の国民は社会生活第一主義であるべであろう。
それは、時々の国民・組織人・家庭人…としての葛藤・矛盾を克服しつつ…てある。
今回の私の、仕事の一件も然りである。
家庭人として、父親の介護を優先した結果。
組織人として、組織から脱退の強制であった。
ここでの不足は、学校の立場から家庭的な事を考える。
ここに十分過ぎたのは、学校への甘えであった。
過去三年間休まず働いたから、
ここで休んでも許されるいう個人的な思い込みであった。
そんな色々な想いを抱きつつ~
いよいよ新たな学級で、
新たな多くの出会い、
新たな取り組みへのスタート、である。
私の実情・事実を何も知らずに、
この記事からだけで、
よくぞここまで自分勝手に書けるね!
これは、
私の記述に映ったお宅の姿ですね♪♪♪
「南郷継正」とは、ソクラテスらしいHDですぞ!
久しぶりなので今回は大サービスの掲載ぞ!
>私のコメントは非公開で結構ですよ。
分かった!
全て削除!