数日前の事である。
具合の悪そうな児童を見つけたので…
「どうしたの?」と聞いたら、
「先生!眠い…」と返ってきた。
そこで「昨日、寝たの遅かった?」と聞き返したら、
「うん!お父さんとユーチューブ視ていたの…」と言っていた。
その言葉で私、
『父親なら、子供に確りと睡眠をとらせるべきなのに…』と
批判的に思った。
その児童に同じ話を担任の前でもしてもらったら…
担任は「よかったね♪ お父さんと一緒で…」と返していた。
私はビックリした。
同じ事実・話なのに、こうも違った捉え方をするとは…
私は父親の立場に立ち、その児童の父親に批判的に…
なのに、担任は児童の立場で一緒に喜んでいた。
その後、その児童を保健室へ連れて行った時、
養護の先生から「…母親がいない…と聞かされた。」
私は『母親は亡くなったのかな?』と思いつつ…
『後で、もう一度養護の先生に聞いてみよう!』と決めた。
そんな中、その児童と話していると…
「嬉しいんだ♪…今度お母さんと遊園地行くんだ♪」と言っていた。
養護の先生にその話をすると
「離婚したか…別居中か…ですかね」と言っていた。
う~ん…
祖父母が一緒かもしれないが…
子供にとって父・母の存在は大きい。
母親なしで父親だけの家庭なら、
「仕事に疲れて帰宅して子供と一緒にユーチューブ…」を
批判するのは、どうなのだろうか?
それよりも担任のように、
児童の立場で一緒に喜ぶ方が、よい・有効なのだろう…
具合の悪そうな児童を見つけたので…
「どうしたの?」と聞いたら、
「先生!眠い…」と返ってきた。
そこで「昨日、寝たの遅かった?」と聞き返したら、
「うん!お父さんとユーチューブ視ていたの…」と言っていた。
その言葉で私、
『父親なら、子供に確りと睡眠をとらせるべきなのに…』と
批判的に思った。
その児童に同じ話を担任の前でもしてもらったら…
担任は「よかったね♪ お父さんと一緒で…」と返していた。
私はビックリした。
同じ事実・話なのに、こうも違った捉え方をするとは…
私は父親の立場に立ち、その児童の父親に批判的に…
なのに、担任は児童の立場で一緒に喜んでいた。
その後、その児童を保健室へ連れて行った時、
養護の先生から「…母親がいない…と聞かされた。」
私は『母親は亡くなったのかな?』と思いつつ…
『後で、もう一度養護の先生に聞いてみよう!』と決めた。
そんな中、その児童と話していると…
「嬉しいんだ♪…今度お母さんと遊園地行くんだ♪」と言っていた。
養護の先生にその話をすると
「離婚したか…別居中か…ですかね」と言っていた。
う~ん…
祖父母が一緒かもしれないが…
子供にとって父・母の存在は大きい。
母親なしで父親だけの家庭なら、
「仕事に疲れて帰宅して子供と一緒にユーチューブ…」を
批判するのは、どうなのだろうか?
それよりも担任のように、
児童の立場で一緒に喜ぶ方が、よい・有効なのだろう…