新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

西暦2024年・令和6年・今日は私の悟り記念日

2024-01-01 11:18:16 | 「わたし事・学」
西暦2024年・令和6年・私の悟り記念日


ふっと思った!そして妄想した!

南郷継正は、
「哲学・学問的悟りと禅・宗教的悟り」を
「空手修業・修行・指導・教育」過程で体得した
「弁証法」と「生即死の覚悟」を用いて
その頭脳を「理性即感性・感性即理性」的な認識活動可能なモノに作り変えた。

さてさて…たぶん…多くの人達には、理解不能な文字の羅列…
私も、なかなか思っている事を文字で表現出来ずに苦慮しています。


対立物の統一、
<「理性」と「感性>」の統一(現実の生活の実践を通して)、
<「母の死」と「嫁の死」>の統一(思考・思惟・思索・思弁)

その結果が、以下の今の私の実感~
私の「感情コントローの技化」の道程・認識。



私は、私の体験・経験した現実」から以下のような事実に気付いた。
それは、「母の死」の「家内の死」では、その悲しみの感情レベルは、殆ど同じ最高・最大レベルなのに…
その後の私の悲しみ・感覚・反応・表現・泣き方…が、大きく異なっていた事。


母・家内の死因は癌。
「母は知らされず」・「家内は知らされた」。
母も家内も数か月後の死亡。
母の最期は病院のベッドの上で最後まで痛み苦しみながら逝った。
家内の最後は、自宅のベッドの上で、痛み止め点滴を受け、痛みを感じる事無く朦朧とした状態で逝った。

因みに、息子は、その数日前から大学サークル活動で、合宿へ行っていた(何とか祭りで?踊りを踊りにどこか?へ)
家内の様態変化…思い出せない…
結果的に、息子は慌てて祭り終了前に帰宅…
家内の最後は、息子は新幹線の中で、スマフォのラインでの映像電話だった。
息子は、家内の死に目に間に合わない帰宅だったが…
それでも、家内の最後を見取る事はでき、家内への声掛けも出来た。
ただ…家内は、点的痛み止めの作用で意識朦朧…
それでも、私は、ひたすら家内の姿をスマフォカメラで捉え、息子に見せ、家内には最後の最後まで声掛けをした。
途中で家内の意識がなくなり…(思い出せない…)

その後の私は、家内の呼吸を見ていた。
息を吸って吐いて、吸って吐いて…途中から…
吐いてから吸うまでの間隔が少しずつ長くなり…
最後は、吐いてから…吸わなくなり、在宅医療看護師が…
医者は、連絡は済んでいたが臨終には間に追わなかった。

もっと詳しき書きたが…何しろ細部の記憶が…
何故に、このような事を書くか?
今の私は、この記述を自己の感情の無視・殺して書ける状態である。
しかし、それでも、私の大いなる悲しみは心の中にまだまだ存在している
言うなれば、私の中の感情を殺して、過去の記憶が書けるか否かの確認である。


…ここまで書いて腹減って、朝食へ


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 後少しもうすぐそこ、悟れそ... | トップ | 続・西暦2024年・令和6... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

「わたし事・学」」カテゴリの最新記事