続・西暦2024年・令和6年・私の悟り記念日
ふっと思った!そして妄想した!
南郷継正は、
「哲学・学問的悟りと禅・宗教的悟り」を
「空手修業・修行・指導・教育」過程で体得した
「弁証法」と「生即死の覚悟」を用いて
その頭脳を「理性即感性・感性即理性」的な認識活動可能なモノに作り変えた。
さてさて…たぶん…多くの人達には、理解不能な文字の羅列…
私も、なかなか思っている事を文字で表現出来ずに苦慮しています。
対立物の統一、
<「理性」と「感性>」の統一(現実の生活の実践を通して)、
<「母の死」と「嫁の死」>の統一(思考・思惟・思索・思弁)
その結果が、以下の今の私の実感~
私の「感情コントローの技化」の道程・認識。
私は、私の体験・経験した現実」から以下のような事実に気付いた。
それは、「母の死」の「家内の死」では、その悲しみの感情レベルは、殆ど同じ最高・最大レベルなのに…
その後の私の悲しみ・感覚・反応・表現・泣き方…が、大きく異なっていた事。
母・家内の死因は癌。
「母は知らされず」・「家内は知らされた」。
母も家内も数か月後の死亡。
母の最期は病院のベッドの上で最後まで痛み苦しみながら逝った。
家内の最後は、自宅のベッドの上で、痛み止め点滴を受け、痛みを感じる事無く朦朧とした状態で逝った。
因みに、息子は、その数日前から大学サークル活動で、合宿へ行っていた(何とか祭りで?踊りを踊りにどこか?へ)
家内の様態変化…思い出せない…
結果的に、息子は慌てて祭り終了前に帰宅…
家内の最後は、息子は新幹線の中で、スマフォのラインでの映像電話だった。
息子は、家内の死に目に間に合わない帰宅だったが…
それでも、家内の最後を見取る事はでき、家内への声掛けも出来た。
ただ…家内は、点的痛み止めの作用で意識朦朧…
それでも、私は、ひたすら家内の姿をスマフォカメラで捉え、息子に見せ、家内には最後の最後まで声掛けをした。
途中で家内の意識がなくなり…(思い出せない…)
その後の私は、家内の呼吸を見ていた。
息を吸って吐いて、吸って吐いて…途中から…
吐いてから吸うまでの間隔が少しずつ長くなり…
最後は、吐いてから…吸わなくなり、在宅医療看護師が…
医者は、連絡は済んでいたが臨終には間に追わなかった。
もっと詳しき書きたが…何しろ細部の記憶が…
何故に、このような事を書くか?
今の私は、この記述を自己の感情の無視・殺して書ける状態である。
しかし、それでも、私の大いなる悲しみは心の中にまだまだ存在している
言うなれば、私の中の感情を殺して、過去の記憶が書けるか否かの確認である。
食事の用意の間に、色々な事を思った。
その時の感情が以下だ。
>「花が蝶々が私か私がちょうちょか」という表現は、荘子が夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶か、胡蝶が自分か区別がつかなくなったという「荘子」斉物論の故事に基づいています。
この故事は、自分と物との区別のつかない物我一体の境地、または現実と夢とが区別できないことのたとえです。
胡蝶の夢(こちょうのゆめ)とは? 」<
もっとも…今回の私の場合は、「夢ではなく…」…端的に何と書けばよいだろう?!
う~ん…書けないから…到達した結論を以下のように書こう!
私は、「武道の理論」と出会い、その感動?の自覚なく、何となく、
その続編を購読して読み続けてきた。
そう…私は、「武道講義」を読んで、初めて感動(自分では感動とは思っていない)。
その時の、その気持ちのままへ南郷氏宛の手紙を送った。(月刊空手道誌・社or三一書房か不明)
その内容のコピーをしていないが…
私は、「山中での『科学的武道の修行』」を読んで…
何で、私が、その修行者ではないのか?
私も再度玄〇会空手をやりたい!
私に再度のチャンスを!…そんな内容だったのだろう…
私が「胡蝶の夢」と思ったのは、私の想い・考えが、私が読んだ南郷氏の著書の中の言葉と同じ…だと実感したから…
上記のように思うのも、「南郷氏の私が何か言うと…弟子の誰かが「それはヘーゲルと同じです」というくだりと同じ事実・想起。
過去に「俺は南郷継正だ!」と妄想を事実のように捉えていた事実。
その時の私の認識は「それを言葉発する前の心では南郷継正でと確信していた。」
しかし、その言葉にした瞬間に、私は「違う」と自覚した。
そう観念的には、「私は南郷継正」、
でも現実界では「わ・た・し」なのだ。
これこそが、観念内での事実と外界での事実の相違、である。
私は、過去から現在まで、無限的に多くの物事・人物と関わり、それらと「対立物の統一」的に生きてきた。
しかし、それらは、自然成長的なモノであり、二重化した対象事実は、殆ど記憶に残っていない。
しかし、たぶん…私が「武道講義」に感動して以来、私は、その目的意識の元で、その著作中の全ての言葉から学ぼうとしてきた、のだろう。
そして、途中から、「夢講義」も追加され、また、その他、多くの南郷学派の著作も追加で読み続けてきた。
ただ…書かれているような「専門を学ぶ中で…」…その専門が「私的には、そんなモノない」と思っていたが…
そして、私は、自分勝手に妄想して確信した、そんな学びを今の私は~
1990年 10月31日発行 武道講義 第一巻…と同じレベルの認識だと!
1990年10月31日は、1956年生まれの私が、34歳の時である私は今年で68歳。
母と同年齢で私より24歳年上の南郷氏は、今年92歳。34年前は58歳。
私は、当時58歳の南郷継正に34歳の私が感動して、
南郷継正の言葉に学び続けてきて、今がある!
以下も妄想である。
私は途中から「南郷継正」になる事を諦め…悟りを求める事にした、その悟り得る為の「南郷継正」への学びだった。
しかし、何とビックリ!それが「悟りへの道」だったとは…
もっとも…「生即死」的に悟得している「南郷継正の学び⇒「悟得」なのは、当然と言えば当然なのだろうが…
ふっと思った!そして妄想した!
南郷継正は、
「哲学・学問的悟りと禅・宗教的悟り」を
「空手修業・修行・指導・教育」過程で体得した
「弁証法」と「生即死の覚悟」を用いて
その頭脳を「理性即感性・感性即理性」的な認識活動可能なモノに作り変えた。
さてさて…たぶん…多くの人達には、理解不能な文字の羅列…
私も、なかなか思っている事を文字で表現出来ずに苦慮しています。
対立物の統一、
<「理性」と「感性>」の統一(現実の生活の実践を通して)、
<「母の死」と「嫁の死」>の統一(思考・思惟・思索・思弁)
その結果が、以下の今の私の実感~
私の「感情コントローの技化」の道程・認識。
私は、私の体験・経験した現実」から以下のような事実に気付いた。
それは、「母の死」の「家内の死」では、その悲しみの感情レベルは、殆ど同じ最高・最大レベルなのに…
その後の私の悲しみ・感覚・反応・表現・泣き方…が、大きく異なっていた事。
母・家内の死因は癌。
「母は知らされず」・「家内は知らされた」。
母も家内も数か月後の死亡。
母の最期は病院のベッドの上で最後まで痛み苦しみながら逝った。
家内の最後は、自宅のベッドの上で、痛み止め点滴を受け、痛みを感じる事無く朦朧とした状態で逝った。
因みに、息子は、その数日前から大学サークル活動で、合宿へ行っていた(何とか祭りで?踊りを踊りにどこか?へ)
家内の様態変化…思い出せない…
結果的に、息子は慌てて祭り終了前に帰宅…
家内の最後は、息子は新幹線の中で、スマフォのラインでの映像電話だった。
息子は、家内の死に目に間に合わない帰宅だったが…
それでも、家内の最後を見取る事はでき、家内への声掛けも出来た。
ただ…家内は、点的痛み止めの作用で意識朦朧…
それでも、私は、ひたすら家内の姿をスマフォカメラで捉え、息子に見せ、家内には最後の最後まで声掛けをした。
途中で家内の意識がなくなり…(思い出せない…)
その後の私は、家内の呼吸を見ていた。
息を吸って吐いて、吸って吐いて…途中から…
吐いてから吸うまでの間隔が少しずつ長くなり…
最後は、吐いてから…吸わなくなり、在宅医療看護師が…
医者は、連絡は済んでいたが臨終には間に追わなかった。
もっと詳しき書きたが…何しろ細部の記憶が…
何故に、このような事を書くか?
今の私は、この記述を自己の感情の無視・殺して書ける状態である。
しかし、それでも、私の大いなる悲しみは心の中にまだまだ存在している
言うなれば、私の中の感情を殺して、過去の記憶が書けるか否かの確認である。
食事の用意の間に、色々な事を思った。
その時の感情が以下だ。
>「花が蝶々が私か私がちょうちょか」という表現は、荘子が夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶か、胡蝶が自分か区別がつかなくなったという「荘子」斉物論の故事に基づいています。
この故事は、自分と物との区別のつかない物我一体の境地、または現実と夢とが区別できないことのたとえです。
胡蝶の夢(こちょうのゆめ)とは? 」<
もっとも…今回の私の場合は、「夢ではなく…」…端的に何と書けばよいだろう?!
う~ん…書けないから…到達した結論を以下のように書こう!
私は、「武道の理論」と出会い、その感動?の自覚なく、何となく、
その続編を購読して読み続けてきた。
そう…私は、「武道講義」を読んで、初めて感動(自分では感動とは思っていない)。
その時の、その気持ちのままへ南郷氏宛の手紙を送った。(月刊空手道誌・社or三一書房か不明)
その内容のコピーをしていないが…
私は、「山中での『科学的武道の修行』」を読んで…
何で、私が、その修行者ではないのか?
私も再度玄〇会空手をやりたい!
私に再度のチャンスを!…そんな内容だったのだろう…
私が「胡蝶の夢」と思ったのは、私の想い・考えが、私が読んだ南郷氏の著書の中の言葉と同じ…だと実感したから…
上記のように思うのも、「南郷氏の私が何か言うと…弟子の誰かが「それはヘーゲルと同じです」というくだりと同じ事実・想起。
過去に「俺は南郷継正だ!」と妄想を事実のように捉えていた事実。
その時の私の認識は「それを言葉発する前の心では南郷継正でと確信していた。」
しかし、その言葉にした瞬間に、私は「違う」と自覚した。
そう観念的には、「私は南郷継正」、
でも現実界では「わ・た・し」なのだ。
これこそが、観念内での事実と外界での事実の相違、である。
私は、過去から現在まで、無限的に多くの物事・人物と関わり、それらと「対立物の統一」的に生きてきた。
しかし、それらは、自然成長的なモノであり、二重化した対象事実は、殆ど記憶に残っていない。
しかし、たぶん…私が「武道講義」に感動して以来、私は、その目的意識の元で、その著作中の全ての言葉から学ぼうとしてきた、のだろう。
そして、途中から、「夢講義」も追加され、また、その他、多くの南郷学派の著作も追加で読み続けてきた。
ただ…書かれているような「専門を学ぶ中で…」…その専門が「私的には、そんなモノない」と思っていたが…
そして、私は、自分勝手に妄想して確信した、そんな学びを今の私は~
1990年 10月31日発行 武道講義 第一巻…と同じレベルの認識だと!
1990年10月31日は、1956年生まれの私が、34歳の時である私は今年で68歳。
母と同年齢で私より24歳年上の南郷氏は、今年92歳。34年前は58歳。
私は、当時58歳の南郷継正に34歳の私が感動して、
南郷継正の言葉に学び続けてきて、今がある!
以下も妄想である。
私は途中から「南郷継正」になる事を諦め…悟りを求める事にした、その悟り得る為の「南郷継正」への学びだった。
しかし、何とビックリ!それが「悟りへの道」だったとは…
もっとも…「生即死」的に悟得している「南郷継正の学び⇒「悟得」なのは、当然と言えば当然なのだろうが…