新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
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重層弁証法~

2019-06-23 09:29:44 | 言葉・概念

対象の弁証法性に則って、
対象を自由自在に操作するが弁証法。

弁証法性とは、変幻自在に変化・運動する「モノ自体の性質」。


モノ自体は、弁証法性に従って、
物質、有機物、無機物、生命現象へ…。
生命現象は、単細胞、多細胞、植物、動物へ…。


これらのモノは、モノ自体が変化・運動して量質転化化したモノ。
それらの性質は、モノ自体の弁証法性が、それぞれの性質に量質転化化したモノ。


モノ自体が物質化した事は、
弁証法性がその物の性質化した事。


全ての物質の根底の性質はモノ自体の弁証法性。
弁証法性を識るには、モノ自体を識る。
モノ自体を識るには、全ての物質を識る。


モノ自体の弁証法性が、
それぞれのモノの性質へと量質転化化していく過程にも弁証法性がある。

モノ自体の弁証法性が、
弁証法性に則って、それぞれのモノの性質化していく。


重層弁証法とは、
それぞれのモノの性質を識り、
それらを弁証法的に捉え直す事。


物質の実体はモノ自体。
モノ自体の実態が物質。


実体を識るには、実態を識る。
実態は、それぞれのモノを識る。

それぞれのモノを、
モノ自体・実体の状態=実態と捉えて、
モノと関わる。


発達障害児の中に通常児を視て、
通常児の中に発達障害児を視る。


発達障害の中に、通常発達を視て、
通常発達の中に、発達障害を視る。


発達障害の性質の中に、弁証法性を求め、
通常発達の中に、弁証法性を求める。

発達障害の性質ではなく、
その弁証法性に則って、
発達障害を通常発達へ…


発達した結果の障害と、
発達そのモノの障害。


障害の為に、通常発達が非通常発達化したのか、
それとも、通常発達が障害の為、結果が非通常なのか。

人間としての身体の障害か、
人間としての機能の障害か。


身体はモノ自体の実態、
機能は弁証法性の実態。

身体障害は元へは戻らないが機能障害が通常なら、
身体障害の回避方法の習得で、普通の生活可能。


非通常的な機能は、
新たな通常機能の構築・創像が必要。


身体障害と機能障害の二重性。

五体満足なのに、
五体満足に動かせない。
これは、身体の機能障害。


片手がないのは身体障害。
それでも、
普通に生活可能なら機能障害はない。

機能障害とは、情緒障害である。
情緒障害とは、通常の人とは異なった言動・反応。
それが、社会生活で不都合になり得るモノ。


友達に悪口を言われて怒って怒鳴る。
友達に悪口を言われて怒って殴り掛かる。
友達に悪口を言われて怒って椅子をぶつける。
友達に悪いを言われて静かに顔面を殴る。

教師に注意されて怒って怒鳴る。
教師に注意されて怒って殴り掛かる。
教師に注意されて突然に顔面パンチ。



普通なら笑うのに笑わない。
普通なら怒らないのに怒る。
普通なら泣くのに笑う。


感情反応が普通と異なっていて個性的でも、
そこに、他人への攻撃的行為・行動がないのなら、
それはそれで社会生活は可能であろう。

情緒障害児の問題は、
その情緒そのモノではなく、
それに伴う態度・言動・行動・行為…
の相手への攻撃・強度なのだろう。



その時々の情緒は変えられなくても、
その時々の言動・行為・行動は変更可能。


情緒・機能は直接に変えられなくても、
その言動・態度・行動・行為は変更可能。


しかし、
その感情とその言動が、
直結している者には、
その変更は至難であろう。


















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